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給食 

 私の通った新設小学校にプールが出来たのが小学2年生の一学期。それと同時に給食も始まった。それまではお弁当であった。家庭の事情が最も反映されるのが母親の手作り弁当。周りの弁当を見回せば、友人達の色とりどりの弁当からは子供の私にでさえ彼らの親の愛情が伝わって来る。反面、自分の弁当を見ると切ないほど質素、愛の欠如を感じた。戦中、戦後の弁当のようだ。聞いただけだが。白飯とおかずが一品。その一品のおかずに当初はマルシン・ハンバーグのみ。少し経ってからは、ソースがかかったイシイのハンバーグとチキンボールが一日交代で続く。時たま、違うおかずが入っていたが思い出せないくらいこのパターンが入学当初から一年強続いた。

 そのトラウマで、「お湯に入れてハイ!3分」シリーズは今でも嫌いだ。母親の美的感覚や味覚の欠如が、これら犬の餌のような弁当にしたのだろう。共働きで忙しさもあったはず。戦中や戦後の貧しい子が、お弁当を手で囲んで食べている漫画があったが、そのようにしたいと何度も思った。その後、日本経済は右肩上がりに成長するが、母の弁当だけは成長が無かった。学校の都合で給食の無い日には、「早弁」という手法を身に付けた。腹は減っていないが、3時間目終了後の10分休憩に弁当を食ってしまうのだ。そうすれば、自分の弁当を友達に見られないで済む。そうして昼休みのチャイムと共に校庭へ真っ先に出て野球やサッカーをする。それも一人で。

 だから給食は好きであった。皆で同時に同じものを食べられる。なんかとっても平等。残った給食は全部食べられる。学級閉鎖があればあえて登校し、クラスのハイエナ仲間と共に満腹の限界に挑戦する。小学校でバイキング!みたいな感じだ。そんな給食の献立を作る栄養士の先生は若くてかわいい独身女性だった。「こんな旨い給食を作ることができるなら結婚してあげてもいいよ!」と、先生を見かける度、駆け寄って生意気にも言ったものだ。この先生と結婚すれば、朝昼晩と三食すべて給食が食えると真剣に考えた。そのように「給食大好き!先生大好き!」な私であったが、子供らしくない友達も多くいた。彼らは大人びた表情でこう言う、「給食はまずい!」と。

 給食好きが転じて先生も好きになった。その先生が作った献立の給食が「まずい!」とは大好きな先生を侮辱されているようでとても腹が立った。登校する喜びは、給食と先生以外に無かった。そんな私の人格をも否定されているように思えた。しかし、そのようにノタマウ友人の家庭のほとんどは裕福。当然、お弁当の時は色とりどりの豪華弁当持参だ。今思えば、いいもんばっか食ってやがるんで舌が肥えていたんだな、と分かる。そんなある日の掃除時間、机を台にして天井の汚れを雑巾で一生懸命拭いていたところに、たまたま給食の先生が教室の前を通りかかった。高い場所にいた私と先生の目が合った。その途端、先生は驚き慌てて教室のドアを開け駆け込んできた。

 「危ないじゃない!」と、机の上にいた私を抱き寄せ床に降ろした。一瞬のことであったのでキョトンとし状況を理解できなかった。しかし徐々に、先生から発する強烈な母性を感じ、時間と共にそれが愛に変わっていくのを感じた。お互いに熱い何かが通い合った。その時、私にとっての愛は抽象的な観念で、先生は母親の代わりなのか?女なのか?全く理解不能であった。だが数年後のある日、先生のアソコから体内に侵入し先生の子供になりたい!と薄っすら思ったような記憶が蘇った。これは間違いなく愛だ。愛の芽生えだ。マザコンというねじれた愛だ。この時、給食の先生が男であったなら私の愛は一体どう歪んだのであろうか?アソコから入ること自体、狭すぎて不可能、あっ、反対側に穴が……。否、愛が芽生える余地など全く無かったであろう。
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昭和42年 千葉市街のスケッチ 

 バスの切符を車掌さんに手渡して広小路のバス停で降りる。バスのドアがスッと勢い良く内側に開き大きな段差をトントントンと歩道に降り立った。先程までのにわか雨はすでに止み、アスファルトの油臭さと埃が混ざった匂いが地面からゆらゆらと上ってくる。コンクリートで作られた歩道の大き目のタイルの上を慎重に歩く。

 タイルは土に埋め込んだだけのものなので繋ぎ目の隙間から雨が入り込みシーソーのように揺れる。揺れが大きいタイルの隙間からは泥水が勢い良く噴出すことは経験済みだ。雨が降った後のコンクリート・タイルは不安定になるのはいつものこと、歩き方のコツは分かっている。タイルの間に雑草や苔がぎっしり生えた安定したタイルを見定めて歩く。

 本町の交差点を右に曲がり奈良屋デパートを過ぎると、次第にハーモニカの音が聞こえてくる。白い服を着た元兵隊さんが安いアンプを通して曲を吹いている。店の軒下を借り片足が無い兵隊さんは、白い帽子を目深にかぶり地面に片手を着いてうつむき加減にハーモニカを吹き続ける。戦争を知らない僕は兵隊さんの存在自体が異質で何故か怖かった。

 右手に扇屋デパートがある大きな交差点に近づいてきた。横断歩道の手前の饅頭屋からは、白い湯気がアンコの甘い香りと共にもくもくと噴き出している。大きなセイロが三段重ねになりセイロの木もしっとりと濡れている。客が5個10個と紙袋に入れて買っていく。お店の白い三角巾をしたおばさんも沢山の汗をかきながら客を次々に手際よくさばいている。

 京成千葉駅に向かって歩く。都川に架かっている小さな橋を渡る。川を覗くとメダカのような青光したグッピーが沢山泳いでいる。どぶ臭い匂いがあたり一面に発ち混める。川の両端のコンクリには黒いヘドロが貼り付いている。都川は大きなドブ川だ。そんな汚いどぶ川に小石を拾いグッピーの群れに投げ込んだ。群れがさっと四方八方に散らばる。そして少し経つとまた群れをなす。小石を投げる度、同じことを繰り返すキリの無い奴等だ。お前等に付き合っている暇はない。

 ふと空を見上げた。雲も無く晴れているのだが、太陽はぼんやりと霞んでいる。風が止み光化学スモッグがどんよりと停滞し、太陽が霞んで見えるのだ。先週から頻繁に公害警報が出ている。電気屋さんの前に置かれたトリオのステレオからは、ブルーコメッツの「ブルーシャトウ」が聞こえる。テレビもラジオも街も日本中、この曲に占領された。誰が作ったかは知らないが替え歌をつい口ずさんでしまう。♪「森トンカツ、泉ニンニク、かコンピラ、まれ天ぷら、静かニンニク、眠ルンペン」。僕は替え歌を歌いながら京成千葉駅へ急いだ。

昭和のスケッチ1:『実験』 

実験

 小学校の理科の授業で、虫眼鏡を使い太陽光を集め黒い紙を焼く実験があった。紙の焼ける匂いが香ばしくて、なんともいえない臭覚の快感に浸れた。焚き火や落ち葉焚きの時の香ばしい匂いは、昔の人の生活の中に溶け込んでいた。先祖から引き継がれたDNAに必要であるとはっきり刻まれているのであろう。
 
 特にわら半紙をクレヨンの黒で塗りつぶした部分を焼くと、クレヨンの油が焼き芋の皮の焦げ目のような甘さ・香ばしさを放つ。このような匂いを幼少の多感な時期に体験すると、虫眼鏡を持つ機会があるたびに、懐かしさを伴う匂いの記憶に直結してしまうものだ。

 或る日の授業中、暇を持て余していた僕は虫眼鏡で何かを焼いてやろうと考えた。僕の席は偶然にも窓際で直射日光に照らされている。二人つながりの木の机で、木の節の黒いところをニスの上から焼いてみた。「焼けた!」細い白い煙がゆっくりと上がってくる。すこしニスのすっぱい香りがした後、香ばしいいい匂いに変わった。

 次は、以前図工の時間に使った彫刻刀で彫った直径1センチ位、深さは5ミリ位であろう穴に、消しゴムのカスを詰めてあるところを焼いてみた。「いやな匂いだ」。まるでタイヤ置き場が火事になったような匂いがした。机の上に髪の毛が一本落ちていた。焼いてみた。「これもいやな匂いだ」。髪の毛を焼いた匂いは、人が火葬された時の匂いだと親戚のおじさんから聞いたことを思い出した。

 右を見ると隣に座っている女子の〇〇ちゃんの手があった。手には小さなホクロがある。「焼いてみたい!」衝動に駆られた。小さな声で「目をつぶってろ」と囁いたら、〇〇ちゃんは本当に目をつぶってしまった。ゆっくりと焦点をホクロに合わせた。「あつ~い!」5秒もしない内に叫んだが、どうやら先生には聞こえていないようだった。〇〇ちゃんはしくしくと泣いていた。「わりい、わりい、先生には言うなよ!」と念を押したのが通じたようで学校では御咎めはなかった。

 その日の夕方6時半位に〇〇ちゃんがお母さんを連れて、家に来たのだった。玄関に出たお母さんは平に謝っていた。呼ばれる前に部屋の窓から裸足で抜け出した。

 100m程猛ダッシュした。暮れかかった住宅地の路地には炊煙の匂いが立ち込めている。当時一般的であったガスの炊飯器で飯を炊く時のオコゲの匂いだ。焼いていない物の匂いは人を憂鬱にさせる。魚屋の前を通るとなんとも生臭い匂いがする。焼き肉屋の横を過ぎると甘いなんともいえない匂いがする。でも牛や豚達から見れば、彼らの火葬場の匂いなのだろう。でもいい匂いだ。動物愛護の精神はここにはない。歩いている化粧の濃いおばさんは鼻をつんざくような異臭がする。この類の香りは大人になってから別の欲望に直結することになるであろうことは、そのときの僕にわかる筈もない。

 小一時間くらい経ったであろうか。僕は憂鬱な気持ちで家路に着いたのであった。


昭和のスケッチ2:不二家『ペロティー』の食べ方 

不二家ぺロティーの食べ方

 ペロティーは円形のチョコレートを串刺しした棒の形状そのままに透明ブリスターパックされている。ブリスターパックに入ったお菓子は、『不二家ぺロティー』がその走りであったような気がする。定価はたしか30円か50円位であったと記憶している。一時期、小さくなって単価が安くなった記憶もある。

 その前のチョコといえば、ほとんどが銀紙に包まれていて包みを開けるとチョコ自体が破損しガキであった私は許せなくて泣いた時もしばしばあった。有名なチョコとしては不二家のパラソルチョコとペンシルチョコか。

 私は幼稚園の頃、父が出勤する時「チョコのおみやげを買ってきて」と、よくせがんだ。帰宅時には、パラソルチョコとペンシルチョコのどちらかを買ってきてくれるのだが、パラソルチョコの先はいつも折れている。数ミリであれば気にならないのであるが、折れ方の状態が激しかったり、古いせいか白くなってチョコ色を呈していないものがあるときはエ~ンエ~ンと泣いたものだ。血液型が典型Aで几帳面な私は、本来の形状で無いチョコ自体のデリカシーの無さを許せなかったのである。均一な太さで頑強であろうと思われるペンシルチョコが折れている時は怒りさえこみ上げてきた。

 その後、父にとっては手頃な安すさで手軽なお土産が定番化してくるとそうそう泣いてもいられない。父もそんな私に気付き、折れていないチョコを慎重に選んで買ってくる様になった。一方で私はガキながら工夫を凝らし、チョコ本体をやかん等の熱いものに付けチョコを溶かし接着することを覚えた。チョコに心を乱される事が少なくなったが、やかんに付いたチョコを舐めようとして火傷をするような事もあった。

 これらの経験を経た小学校4年生位のある日、『不二家ペロティー』は華々しくデビューした。透明ブリスターパックなのでチョコの状態もはっきりと分かる。以前のように銀紙を開けてビックリは無いのである。子供を騙すようなチョコではないメーカー側の善意がひしひしと伝わってくるチョコだ。私のようなガキを何人も泣かした不二家は、改心したのだろうと大まかに思った。『不二家』は漢文の返り点を入れるとすれば、『不』と『二』の間に入る。言葉は立居を表すと言うが「二つと無い家」は、今考えると婉曲な感じが謙虚でとてもいいネーミングである。私ならダイレクトに『唯一屋』にしていたところだ。

 私のペロティーの食べ方は、まず始めに中のチョコが破損しないよう丁寧に台紙にのり付けされたブリスターパックを剥がす。おもむろに棒を掴んで、白いチョコの部分に茶色のチョコで描かれたペコちゃんかポコちゃんを舐める。白いチョコの平らな部分が均等に平になるように時間をかけて舐め続ける。この間5分から10分位か。そのようにしてペコちゃん・ポコちゃんの絵が消えると次は、棒から一番遠いチョコを舐めていく。そうしていくうちに、どういう訳か淡い思い出のパラソルの形状やペンシルの形状にしてしまうのである。全工程で30分はかかったのではないか。

 私の友人などは絵を舐めきった後、白いチョコ部分を全部舐め、チョコ色だけの薄いペロティーにしてしまう奴もいた。こいつも私と同じような平民の家庭に育っている。一方で、我々のような時間をかけて儀式がかった食べ方をするのではなく、頭からペロリと食べてしまう裕福な奴等もいた。チョコの食べ方に造詣が深く歴史もあり今では自分流の儀式も作り上げたチョコ研究家の私として、このような安易な食べ方は許せなかった。そういう奴等は、ペコちゃん・ポコちゃんの絵などはどうでもいいのである。舐めながら我々ガキの犠牲になって静かに去っていくペコちゃん・ポコちゃんに哀愁や世の無常を感じる感性の欠片も無い。

 そのように振り返って考えると、『不二家』はお菓子の世界に革命を起こしてきたメーカーなのかも知れない。あの日本古来からの伝統的なお菓子である『千歳飴』でさえも、ミルキーに変えてしまった。どんなガキでも古臭い鶴が描かれているパッケージに入った砂糖の塊みたいな飴よりも、綺麗なオべべを着たペコちゃんがパッケージのコンデンスミルクが固まったような甘~いミルキーのほうが好きに決まっている。不二家は、日本中の子供たちを虜にした唯一無二のお菓子のメーカーである。

(オマケ)
 話もたくさんある。

お話 その1(軽犯罪取締り条例編)

ペコちゃんとポコちゃんが散歩していました。階段に差し掛かった時、ペコちゃんはまだ下にいるポコちゃんに言いました。「見る気-?」と、


お話 その2(関西編)

ペコちゃんとポコちゃんが散歩をしていました。橋を渡っていた時にあわてん坊のポコちゃんは誤って橋の下に落ちてしまいました。心配したペコちゃんは橋の下を覗き込みながら言いました。
ペコちゃん:「大丈夫?」
ポコちゃん:「無事や」


お話 その3(サスペンス編)

ペコちゃんとポコちゃんがかけっこをしました。一生懸命走っていたのですが三頭身のせいもあって2人ともゴール寸前で転んでしまいました。ポコちゃんはすぐに起き上がってゴールしたのですが、ペコちゃんは、そのまま死んでしまいました。ペコちゃんは舌を出したまま走っていたので、転んだときに舌を噛んで死んでしまったのです。


今日も筆まかせな『不二家ペロティー』の話は強制終了するのであった。
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