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トラブルとフェイス・ケア 

 精神状態がいいなんて書いちゃったら、さっそくヤラレタ。グッタリだぜ、まったく。11月1日に、商品を積んだ船が上海から東京へ向けて出航するはずが、船の故障で二日後れて3日の出航になってしまった。本来、4日(日)に東京港へ入り申告・通関に少し余裕をみて7日に都内納入する予定であった。午後早い時点で船の遅れが分かり、その後東京港にいつ入港するか等のスケジュールはその時点では確定していなかった。すぐに、お客様へ電話し納期を何日間サバ読んでいるかを聞き出すしかない。先方の都合で発注後に仕様変更があり、そのパーツを生産するのには約一週間かかるので、従来の納期が十日程遅れることは説明済みであったのだが。

 説明に伺った際、先方より伝えられた納期は「本物の納期」であったのだ。このように船が遅れたり、検査が入ったりと遅れることは間々あるので先方には常に余裕を持った納期設定を依頼していた。こちら側としても、ギリギリで博打のようなスケジュールは絶対に避けたい。先方から仕様変更を打診された時、納期優先であるならば仕様変更は出来ないと言ってある。電話して「崖っぷち納期」が分かった時、久々に顔から血の気が引いた。これはヤバイとすぐ、早く荷物を取り出すいい方法はないかと、船から荷物を取り出す依頼済みの専門業者に何度も電話した。スケジュールが確定するまで無理であると、そっけなく言われた。

 その上更に、聞きたくもない遅れる要因もあることを聞かされた。午後7時を回りまた謙虚に電話すると、もう既に船会社は終わっているだろうから、スケジュールを確認することはできないと言われた。「終わっているだろうから」が、私としてはとても気に入らない。一旦、頭を冷やすことにした。コンビニへ行ってメンズフェイシャルシートを買った。汗やニオイ・ベタツキ・テカリが気になる時のアレだ。冷や汗・加齢臭をその濡れティッシュでふき取り、脂性である私の顔全体からテカテカは消え去った。さらさらパウダーがお肌をさらさらにし、爽快メントールでリフレッシュした私は、サラサラになった自分の頬を触りながら、専門外である船会社に直接電話してみることにした。

 船会社の営業時間は終わってなかった。電話にすぐ出た。船名を伝えると、出航日、東京港に入港する日時と夕方になることまで教えてくれた。本来、上海を出て第一港が横浜、そして第二港が東京である船の予定が逆になったのだ。僥倖だ。過去の経験からしてこのスケジュールであればなんとかなると踏んだ。依頼している業者が不信になった私は、以前付き合いのあった別の専門業者の社長に電話し確認したところ、その業者が翌5日の月曜日にダメだといったら、ウチに切り替えてくれれば何とでも出来ると太鼓判を押してくれた。「絶対大丈夫ですから、週末はゆっくり休んでください」とまで言ってくれた。やっぱ営業はこうでなくっちゃと今更ながら再確認する。さすが社長!

 「営業の鏡」である社長の言葉に励まされ、私は早速、お客様に電話を入れた。「船のスケジュールが確定したので、なんとかなりそうです」と。先程まで落ち込んでいた先方も晴れ晴れとした声になった。その声の先、電話越しに聞こえてきたのは「はい~、お待たせ~」だ。居酒屋であろう。「ま、いいか」。でも、これで安心も出来ない。この先また何があるか分からない。胃が痛くなる仕事に二十年以上携わり、様々な事故や難局をその都度人の力を借り乗り越えてきた私ではある。そのせいか、最近は胃が小さくなり、胃液の放出も減少した。その代わりに出てくる分泌液は顔の脂だ。「フェイシャルなんとか」はすでに必需品になった。有難いことに顔はテカテカしてシワは目立たないのだが・・・。

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仕事のトラブル(1):外国からの出稼ぎ労働者 

 たしか‘86年のやけに寒い春であったと記憶しているが、某化粧品会社サマーキャンペーン用のビニール製丸型巾着バッグ5万個のデザインが採用され受注した。当時、ビニール商品は単価が安いこともありほとんどが国産であった。埼玉県草加市や千葉県野田市・松戸市などには多くのビニール製品を作る工場があった。夏に向かいビニール工場は繁忙期であり、デザイン提案と同時に予算と納期に合わせられる工場を探しようやく一社、単価・納期の折り合いがつき前回も少量であったが取引がある工場に発注した。

 スケジュールをエンドユーザーに提出する為に、その工場の社長と専務が来社した。工場の工員は全部で12人である小さな工場である。簡単な仕様であったので、一人一日2,000個は仕上げることが出来、その仕上げには5人を投入すると言われた。一日約一万個完成し、約五日間で仕事は終了する。その前に半透明の紫色のビニール生地を指定色にして完成させるのに約二週間、余裕を見て約一週間の予備期間を設け、都合約一ヶ月で納入できる。

 その後、生地の工場投入と裁断・プリントまでを確認し、納期まであと2週間であるところまでは順調であった。実質、5日間で生産は終了する。気持ち的には余裕のヨッちゃんのスルメイカだ。まだ、前の仕事が終わっておらず、私が発注した裁断・プリントした状態の生地は工場の一区画に山積みされていた。「一週間後からは仕事にかかれます」との社長の言葉を聞き安心して松戸の工場を去った。

 一週間後、工場に電話を入れた。まだ前の仕事が終わらず、まだ仕上げに入れないとのことであった。その仕事はあと二日間かかると言われた。納期まで5日間しかない。焦ったが信用するしかない。「徹夜をしてでも間に合わせます」と言われ、私は不覚にも安心してしまった。仕上げにかかる三日目の午後に工場へ行った。約束通り、私の仕事をやっていたが、その日完成したのは約三千個位であった。仕事の初日は、予定数量の立ち上がりが悪いことは分かる。

 翌日の夜も工場に行った。工員さんたちは皆外人である。たしかパキスタンから集団で来ていると聞いた。今時点で完成した数量を尋ねたところ、今日も約三千個であった。深夜12時まで残業するらしいが、それでも5千個に満たないであろう。ここで私は本当に焦りだした。この分で行くと、間違いなく納期遅れになる。五日間しかない工程の2日目で一万個も出来ていないのである。怒ってみたが怒ったところで納期が早まるはずも無い。

 他の工場と折衝し、部材を他の工場に振り分けるにも後三日間しかない。他の工場を探したところで、繁忙期なので受ける工場は無いであろう。翌日、朝一番にエンドユーザーの担当者へアポを取り事情説明に出向いて、納期の遅れの承認を取るしかないと考えた。翌日、連絡したが明日まで出張中とのことであった。昼までに工場に入る旨を工場の女性事務員に伝えようと電話連絡した。社長も専務も今日は一日中不在であるとのこと。私は頭の中が一瞬真っ白になった。

 あわてて車で工場に向かった。もしや工場は倒産したのかもしれないとの不安がよぎった。客の担当者が居ない為、納期交渉もままならない。サマーキャンペーンにしては、納期が前倒しされているのである程度、担当者が納期の余裕を取っている可能性もある。エンドユーザーの場合、納入後すぐに商品をキャンペーンで使うことは滅多に無い。でも、すぐ使うこともたまにある。今の私では、何の判断を下すことも出来ない。不安だけが募るばかりだ。

 昼前に工場に到着した。社長・専務どころが工員さん達全員もいない。ひっそりと暗い場内であった。「納期まで三日間しかないのにどうしてくれるんだ!」と、その女性に怒った。その女性に責任はないことを分かってはいるが、私の怒りのはけ口はその女性しかない。社長でも専務でもすぐに連絡を取ってくれと強く要求した。午後一時には必ず工場に社長から電話があると言った。どうにも納得がいかない私は事務員に詰め寄った。すると女性は泣きながら事情を説明し始めた。

 「パキスタン人の出稼ぎの人達は来週、滞在期間が終わるので国に帰らなければならない。一年間働きずくめで、東京見学へ一度も連れて行くことが出来なかった。納期は分かっているが今日しか連れて行けるタイミングが無かった」と、私に説明した。正直、何も言えなかった。午後一時に社長から電話があり同じ説明を受けた。すぐに帰って来いとも言えなかった。午後8時までには戻って全員徹夜してでもやらせると社長は言ったのだが・・・。

 閑散とした工場にある事務所で、私と女性事務員の長い沈黙があった。自分の気持ちを整理した。ここまで来たら、客の担当者は納期の余裕を持っていることに賭けるしかない。すぐに社に戻り、明日出張から帰ってくる担当者に事情説明のFAXを入れておくしかない。さずがに東京見学とは書けなかったが、簡単な仕様である商品だが曲線が多く予想した工程の2倍はかかってしまうことと、寒い春であったので加工が終了した後、ビニール巾着をひっくり返す手間が思ったよりかかっている事情を書いてFAXを入れた。

 FAXの最後には、もっと丁寧に加工時間をかけ不良率を落としたい旨を書き締めくくった。明日の客からの宣告は納期延長OKの無罪放免か死刑宣告かしかない。すると、その日の夜、客から電話がかかってきた。出張の帰りに会社に立ち寄ったとのことであった。事情を聞きたいので、今から会社に来てほしいと言われた。すぐに表参道の本社に出向き、サンプルを見せながら破茶滅茶な事情説明をした。担当者は言った。「この時期、ビニール工場は忙しいのが分かっているので納期は一ヶ月以上余裕を持っている」と冷静に言った。

 女性担当者が天使のように見えた。その納期の一週間前位であるならばいつでも構わないと言う。明日、工場と打ち合わせて納期の再連絡をほしいと言われた。勝訴だ、無罪放免だ!!7時半頃、打ち合わせが終わり、外の公衆電話で工場に電話した。社長が出た。今、東京見学から戻ってきて食事を皆でしているとのことであった。これからすぐに作業に入るとのこと。迷惑をかけて申し訳ないと社長が私に謝った。

 私は今、客と折衝し工場の事情を説明したと告げた。徹夜した結果不良が出ても困るので、納期延長を客が承諾したことを伝えた。約一ヶ月間の余裕が出たといっても、来週工員達は国へ帰ってしまう。来週の水曜日に皆帰国してしまうので、前日までには間違いなく納入すると社長は言った。今週は土日も休まないのでと、社長は付け加えた。そのことを言われると、私はとても複雑な気持ちになった。

 仕事は無事終了した。その週末、工場を訪ねると彼らは誰一人としていなく、閑散としている。海外からの出稼ぎ労働者を雇うのも工場としてはかなり大変であったので、今後は工場を閉鎖して他の工場に委託すると社長は話した。その時期以降、日本のビニール製品加工工場は次々と消え、韓国や中国へ生産が完全にシフトした。それと同時に私も海外に生産委託するようになっていった。プラザ合意の一年後位であろう。
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