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月頭に書く 

『月頭』は、「げっとう」「つきがしら」と読む。『亀頭』は「きとう」としか読まない。「かめがしら」と読めば尊大な感じでいいのに…。と、悩ましい月末を終え心に余裕が出来たせいか、アンコール編等に頼らず、黙々と液晶画面を黒く染め抜きたい私。ネタも無いんでタイトルを『月頭に書く』とした。今日はどこまで話やアソコを膨らませることが出来るのだろうか?今日、スクーターでの出勤途中、国道357湾岸道の温度計の表示は7℃。昨日帰宅時は20℃。

その差13℃。「寒いわけだ!」。この世に生まれてこれほど気温に敏感になったことはない。天気予報通りの湾岸道の温度計にはとても感謝している。車に乗っていた時はこの温度計をあまり意識することは無かった。温度計の周りに広告スペースがあれば、いい金額でスポンサーが付くよ、きっと。今日明日の天気予報が時間別で表示されている広告ボードを国道沿いに作ったら露出頻度が高く、自然と生活を考える花王みたいでいいのに、と思う。

あと、走っている時、容易に目に入ってくるものはガソリンの料金とセルフかフルサービスであるかの表示。一番気になるのは「フルサービスなのにセルフと同じ価格」っていう言葉。安さをアピールしたいのであろうが何故か怪しく給油以外の余計なサービスでボラれる感じがする。ピンサロの呼び込みがこのフレーズを使うことは無い。ピンサロにセルフなどは絶対ありえないからだ。じゃあピンク業界のどの分野ならこのフレーズがしっくりと来るのか?

あっ、あった。「のぞき部屋」だ。約30年前の日本にもあった。このお部屋はドイツ発祥。6畳くらいの部屋の中に全裸に近い女性が踊っていて、その周りをトイレサイズの個室が囲む。1マルクのコインを投入するとその個室の窓が開き一分間女性を見ることができる。それを見ながらのセルフ。早い奴は1マルクで済む。フルサービスを受けたくなったら、窓の下の小さな扉を開け10マルクを支払い、如意棒を差し入れるとフルサービスが受けられる。

小さな街には無いが、ベルリンやミュンヘン等の大都市には必ずあった。ベルリン動物園辺りには、「お部屋探し」などする必要もないくらい怪しげな店やこの手のお部屋はそりゃもうたくさんあった。そうそう、フランクフルトにもあった。「フランクフルトの覗き部屋で、貴方のフランクフルトをフルサービス!でもセルフと同価格」。オオッ!使える。怪しさも無くストレートじゃあないの。ドイツの冬は寒い。これらのお部屋も暖房が完全でない店も多くあった。

特にオーストリアに近い街には。そんな時は暖かいコーヒーのサービスもある。飲むコーヒーでは無い。10マルクを下の扉から支払い、縮こまったフランクフルター・アリエナイネーをコーヒーに入れアリエールの形になるまで温める。そして温まりモアー・フランクフルターになったところで更に小森のオバチャマ風パーマと栗毛の女性に10マルク払いフルサービスを受ける。このコーヒーの中で行っちゃう輩も多い。たった10マルクですっきり爽やか。

行っちゃうとコーヒーの表面がクリーム状に泡立つ。そう、このコーヒーこそフランクフルトになる前、小さい時のコーヒーなので「ウィンナー・コーヒー」とドイツ人は呼ぶ。「あの泡立ちはタンパク質のメレンゲだったの?」。そんなことある訳ねえべ~(怒)!。←千葉弁でした。ウィーンの皆様、ゴメンナサイ。そういえばウィーンは全然ドイツに近くないよねぇ~。
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考えない人 

 フランスの彫刻家,オーギュスト・ロダンの『考える人』は、世界に20体ほどあるらしい。縮小版も上野の国立西洋美術館で見たので、きっと何体もあるのだろう。日本人であるなら何故だか誰もが、その作者と作品名を言うことができる、文科省の一押し、彫刻芸術の入門編、私にとっては無理矢理覚えさせられただけ、まるで洗脳されたかのような、いくら齢を重ねてもダメ、噛んでも噛んでも味わえない、とっても不思議な作品というか物体。一体どこがいいの?おせ~て~、純粋で無知な私に。無知な私に誰か~、ムチ打って~!

 無節操に作品を量産しているのにも関わらず、芸術として崇めるとはコレ如何に?たくさんあるので有り難味がないなぁ~と思いながらも、上から目線で再鑑賞を試みた私だ。「考える人」の本来の姿はきっとこうであろうと以下の結論にたどり着いた。それはこんな感じ、「手の甲をしゃぶっている人」 「口の中に握り拳を入れようとしているお茶目な人」 「サウナで暑さをこらえている人」 「赤ちゃんプレーでバブバブ甘えてるオジサン」等。私の勝手なイメージは総じて作品名とは真逆、「なんも考えてない人」となった~。

 今後、レプリカを作るのなら、顎の下にある手の指を2本真っ直ぐにして鼻の穴に入れるとか、一本指だけを口に入れるとかして、作品名『とっても考えさせられる人』なんていいんじゃないかなあ~。バリエーションが増え、作品の解釈が広がり、とっても楽しい芸術ならぬ置物になる。こう考えると、この「考える人」を美術館に置くのは勿体無い。見て笑ったり、しゃべくりまくれる場所が最適であろう。鑑賞する何人かは、私のように「本当にコイツは考えているのか?」やら「果たして芸術といえるのか?」などと批判的になるはず。

 文科省が推奨する?生真面目に作品を理解し深く味わうといった単なる一方通行ではなく、疑念も含め、とことんそれを批判したり、世間が一般認識するものとは違うと考えたりすることができる、いわゆる双方向になりそうな置きモノは公的資金が潤沢に注がれるような美術館向きではない。じゃあ、一体どこに置く?庭園では、いつも服着ろ~って思う。世間も女性もヤツには寛大。私が全裸で庭園にいたら変体呼ばわりするくせに。やっぱりサウナだ。サウナ内なら違和感が無い。「一緒に暑さに耐えよう!」との一体感も生まれる。

 ついでにサウナルームのドアの外には、ミケランジェロのダビデ像も置く。サウナが満員の時、ドアの外で待ってる感じは、この像以外考えられない。左手でタオルを持ち上げ横目でドアが開くのを待ってるような感じがなんともいい。こんなサウナがあったなら絶対に行くなあ~。サウナが満員でもダビデの隣でダビデになりきる。順番が来て中に入れば、暑さを一緒に堪えるお友達ライクな「考える変体野郎」がいて、時間つぶしにコイツを真似、なりきってみる。「考える人」→「考えるヤツ」→「考える変体野郎」→「考えるコイツ」。

 このようにヤツには、何故だか貶めた物言いをしたくなる。先日、サウナの暑さに耐えながら、自分を含め周りのオヤジ達を観察し、結果的に芸術の謙虚な批判・冒涜にいたった私だ。あっ、そうそう、京都・奈良の中間にある信楽に行った時に死ぬほど見た、「陶器のたぬき」に「考える人」は近い。だったら「考える人々」を専門に作る町を作ってもいい。町興しになる。ラーメン屋の店前の椅子に5体座らせれば行列にも見える。盛り塩と共に居酒屋の前に置く。こう考えると、狸よりもコイツは多方面で活躍することが出来ることに気付く。

秋晴れが続きますねぇ~ 

 気持ちいい秋晴れが続く今日この頃。晴れが続いているので天気予報のチェックもしなくなる。久々、ネットで天気予報を見たが、一週間先まで晴れが続いている。「言うこと無し」。気候に関しては・・・・・・。そのほかは言いたいことだらけ。多すぎて何から言っていいかわからない。すべてがやりっ放し。日本列島の頭から足まで、それも左側すべて。列島の右側は、遠いけれど唯一の同盟国。完全に呆れている。見捨てられる日もきっと近い。これだけ一国で不協和音を奏でてしまうのは、憲法も含めた国家の体制自体が悪いに決まっている。

 昼過ぎ、朝から事務所にいた私は、日光浴でもして副交感神経を活性化させようと、メシに出た。時間は午後2時。そうだ、人形町交差点近くの『中華大衆』で「豚肉細切りもやし旨煮」を食おう!と考えた。680円にしては、肉もモヤシも量が多い。昼はいつも満席。味付けが濃く私の好み。茶碗一杯のライスで、オカズがいつも半分くらいは残る。おかわりは無料でライス好きにはたまらない店だ。昔は福建料理と書いてあった。甘辛濃い味の広東料理にも近い。ラーメン好きの私だが、ランチ時の定食が旨いのでラーメンを頼んだことは一度も無い。

 この店、料理の量と味付けは抜群だが、定食の味噌汁は中途半端。デザートには小さな杏仁豆腐付き。A・B・Cと3種類のランチがあり、Aの680円以外は780円。人形町の他の中華料理屋も数件探索したが、量は多いが味付けがイマイチだったり、値段の割には料理の量が少なかったりと、お勧めできる店は少ない。唯一、食いたくなるのが、ここから徒歩五分、地下鉄「浜町駅」近くの「中華料理龍門」。ここの「黒酢豚定食780円」は、ちょい甘だが、肉も多くお気に入り。2回目には「甘さを抑えて」と言ったところ、抜群に旨くなった。

 先週、事務所へ戻る途中、遠回りであるが浜町駅で降りここへ行ったが、黒酢豚定食が無くなっていた。とても残念。この日に限って無かったのか?それとも人気が出過ぎて注文が多くなり採算が合わなくなったのか?

 定食も食べ終わり、事務所へ帰ろうと横断歩道を渡っていると、ドラッグストア「ぱぱす」が目に入った。そして思い出した。「トイレットペーパー」を買わなくては!と。ここ十年、トイレットペーパーは私以外の誰かが買っていた。今、事務所は私だけ。約半年前、独身以来、二十数年ぶりに、それを買った私だ。値段は以外と安く、12ロール入りで198円。他のメーカー品は350円以上もする。私の下品なツーケーには荒削りで安いペーパーで十分だ。亡くなった祖母の家、昭和40年代初頭の離れのポットン便所の新聞紙では困るが・・・・・・。

 私のツーケーには、痔の手術で深く刻まれた傷がある。こんなにも傷だらけなヤクザで、放蕩息子の反対側にあるツーケーにブランド品を与え贅沢させるわけにはいかない。セレブのペットでもないのにメーカー品なんぞを食わせる訳にいかないのだ。格安トイレットペーパーを持って、そそくさとレジへ向かい会計を済ませた。レジのネーちゃんは、それにシールを貼っただけ。ここで前回は驚いた。「袋に入れてくれないの?」と。昼間からトイレットペーパーを持って、大の男が往来の多い通りを歩いているなんてとっても恥ずかしい~じゃな~い?

店を出てトイレットペーパーを前に抱えて歩いていたが、トイレットペーパーの袋本体の上部に穴を2つ発見。ここに2本、指を入れればいいのか!と少し感動。でも、チョッピリ恥ずかしい。この恥ずかしさを例えるとするなら、買った生理用品を露出した状態で道を歩かなければならない生理が始まったばかりの女の子か?←崇高な生理を例えに出すとはなんとも失礼な野郎だ。
--------次は絶対に夜に買いに行こうと反省した。ついでにレジでOKマークの指サインをしてみようとも考えた。(OKマークは昭和の都市伝説になりつつある) 購入はたぶん半年くらい先であるが。

「おざなり」と「なおざり」 

 「御座なり」と「等閑」 「おざなり」という漢字は読めるが、「等閑(なおざり)」は読めなかったという人が多いと勝手に思っている。私がそうだから。さらに私はこれら2つの言葉の意味を深く考えることなく、同義語であると勝手に考え、これまでの長き人生を歩んできた。先日、新聞に「おざなり」という言葉があり、「なおざり」と一体どのように違うのであろうか?と、すぐ広辞苑で調べた。御座なり=当座をつくろうこと。その場のがれにいいかげんに物事をするさま。等閑(なおざり)=あまり注意を払わないさま。いい加減にするさま。かりそめ。おろそか。ゆるがせ。

 「等閑」には、源氏物語や徒然草からの引用もあった。使われる頻度が高いのは「御座なり」であろう。「結局、同義語?」と思いネットでさらに調べた。「御座なり」とは、江戸時代、宴会の座敷でその場を取り繕った言動をするさまを表し、「座なり」に敬語の「お」を付けることで皮肉を表現した反転用法、敬意を表すものではない。「なおざり」は、なおその状態が続いている副詞「猶(なお)」に、動詞の「あり」=「ぞあり」が付いた、「たいして気にとめない」が原義、転じて「本気でない」「おろそかにする」といった意味。漢字「等閑」は同義の漢語「とうかん」を当てた。

 ネットで調べた多くの見解を簡単にまとめるとこうなる。「おざなり」は「適当にやっておくか!」。「なおざり」は「面倒なんで、そのままにしておくか!」。「おざなり」は対象に行動が伴い、「なおざり」は行動が伴わない。以下はNHK放送文化研究所からの引用で分かり易い。「教育を[おざなり/なおざり]にする」は文として成り立つが、「[〇おざなり/×なおざり]な教育をする」の、「なおざり」は「何もしない教育をする」となるので、文として成り立たないとあった。「なおざり」は広辞苑に平安短歌の引用があり格調高く、言葉の歴史も古い。しかし死語になりつつあるとのこと。

 と、調べながらつらつらとここまで書いてきた。似た音ゆえ2つの言葉の区別が本当に出来なかった私だ。分からない事をなおざりにするのは嫌な性分。だから、御座りしながらいつものように御座なりにブログを書いた。←とっても怪しい使い方) じゃあ応用問題でもやってみるか!設問)これら2つの言葉を使い、文章を作成しなさい。私の解答)「昨日、田んぼにあれだけ農薬を散布したのに、今『なお、ざり』蟹がたくさん生息しているのを見た僕は愕然とした。数分後には失禁してしまい、田植え仕事を『おざなり』にした」。 採点結果)0点 私:「先生!『おざなり』に部分点下さいよ~」 先生:「失禁したんだから、仕事はしなかったんでしょ」 とっても残念な結果だ。

摂氏と華氏とカウパー氏 

 1687年プロイセン・グダニスク生まれのガブリエル・ファーレンハイト氏、1701年スウェーデン生まれのアンデルス・セルシウス氏。この2人はある共通点がある。そして、1666年イギリス生まれの外科医ウィリアム・カウパー氏。この人は番外。前の二人の名前を書いているうち、氏(うじ)つながりでつい書いてしまった。共通点のある二人、彼らの名前は中国語になり、華氏と摂氏になった。そう、両者は温度の単位をそれぞれに考えた人である。

 この二人の説明を簡単にする。華氏は自分が住んでいたバルト海沿岸地域で、最も寒い日の気温を0度(零下17,8℃)、自分の体温を100度として目盛りの割り振りをした。対する摂氏は、水の凝固点を0度、沸点を100度として100の目盛りを割り振った。このように比較すると、華氏は、主観的で横着、不確実で混合物のような身近な気温や自分の体温まで基準の対象にするいい加減な奴、対する摂氏は客観主義を貫く偉い人のように思える。

 と、私なりに二人を比較してみたが、許せないのが番外のカウパー氏だ。男性から分泌される尿道球腺液にカウパー氏腺液と、自分の名前がつくことを許した。もし、日本の医者の平さんや源さんが発見していたら、平氏腺液や源氏腺液になっていたのかもしれない。ウィキペデアで調べると、1702年にカウパーが解剖学の書籍に発表する前、1684年に外科医ジャン・メリーも発見しており、第一発見者ではないとある。「氏」まで付けて敬う必要はあったのか?

 医学用語に「カウパー氏」という「氏」の挿入はとても違和感がある。まるで、外来語に「お」をつけ丁寧語の誤りとされる「おコーヒー」「おビール」のようだ。そもそも第一発見者は誰なのか?「ガマン」や「先走り」と形容される「汁=ジル」の発見者として最もふさわしいのは、第二次性長期に入った男の子自身ではないのか!ゆえに「〇〇氏腺液」の〇〇には、誰でも自分の名前を入れていいと考える。「氏」が嫌なら親しみのある「ちゃん」でもいい。

 中学一年生の鈴木一郎君を例にする。彼が成長期に入り自らそれを発見した場合、カウパー氏がやったように「一郎ちゃん腺液」と自ら呼ぶ。第一発見者の特権なのだから。数年後には彼女が出来、その名前を彼女にこっそり教えることできっと会話も弾む。お母さんとの会話は決して弾むことがあってはならない。〇〇に姓である鈴木を入れると、その彼女と結婚した場合、どっちの液であるかが分からなくなる。私が推測するに、カウパー氏自身も彼女や奥さんに自分の名前が付いたことを、現物を見せ自慢したに違いない。今日は、世界中の医学関係者を敵に回してしまったような、重苦しい気分だ。

安いパジャマと邯鄲の夢 

 寝ていると寒い今日この頃。私は一年中、トランクスとTシャツで寝る。サウナのトランクスのようにゆったりとした感覚が好きで、十年以上前からLLサイズのトランクスを履くようになった。今ではジャストフィット。窮屈なLLサイズになり果ててしまった。この時期でも掛け布団はまだタオルケットだけ。綿入りの布団で寝るには暑すぎる。中間の布団は無い。朝方、タオルケットを剥いでしまい寒さで腰が痛くなる。ついでに肩こりも増す。

 そ、そうだ!と、春先に銭湯近くの「福助」で買ったパジャマがあることを思い出した。上下ワンセットで500円。おじさん、おばさんが売場に集まり「安い!」と買っていたので、もっとも年少のおじさんであろう私もその群れに飛び込んだ。織り柄のデザインはすべて地味。ワッシャー(しわ)加工も施されている。どうせ生産するなら、もっと原色の糸色を使い派手な柄にすればいいのにと思いながら、爺くさいパジャマを2セット買った。

 着慣れないせいか、こんな安いパジャマであっても、リビングでくつろいでいる時には、なぜか高給取りになった気分に浸れる。これにガウンを着てブランデーグラスでも傾ければ、IT社長か石原裕次郎。と、安いパジャマで見る幻想はさらに安い。そして就寝。果てしなく安い夢へと誘う。そして起床。洗面所の鏡に自分を映してみると存外、パジャマは着崩れしていない。綿100%なのにシワが目立たない。あったりめえだ。シワ加工なんだから。

 今朝もパジャマがシワにならないようにと、ハンガーにかけた。というか、変なシワが出来ないように、細かい上品なシワを保とうとハンガーにかけた。意外にも500円を大事にする血液A型の私。一杯のチュウハイと同料金。世間の値付けが全く分からない。今夜、このパジャマを着て、一体どんな安い夢を見るのか?とっても楽しみだ。夢で果たして、人生の栄枯盛衰は見られるのか?安くて簡単、邯鄲(かんたん)の夢。枕とパジャマは違えども。

乗り物3種 

 私自身の行動範囲拡張と機動力の向上の為、原付2種のスクーターであるホンダ・リード110を4月に購入した。仕事や買い物等、都内での移動には自動車より数段便利であることに今更ながら気付いた。だったら、都内に定住し始めた約30年前から持っていれば、バイク・ライフはきっと進化していたはずと後悔している。自動車は必要でなかったと言い切ることはできないが、ローンや駐車代・保険料・ガソリン代・車検・重量税と、都内在住の私には無駄が多すぎたとの反省もある。必要な時はレンタカーで良かったかもしれない。

 反面、自動車は思い付いた時にドライブや旅行に出かけることが出来る。自分に原因があったりもするがスケジュール通りに行かない仕事を抱える私に、気分転換・ストレス発散を約束してくれるツールでもある。渋滞を避け、土曜の午後から出発するドライブや一泊旅行ではかなりいい気分にさせてもらった。更には千円一律の高速代がそれらを加速させた時期もあった。最近は、日帰りや一泊、二泊で行ける場所へは行きつくし、打ち止めのような観がある。車で出かけようというモチベーションは以前ほど高まらない。

 それ以外の乗り物としては、特に運動のため、クロスバイク・折り畳み自転車を持っている。都内を走りかなりの道も覚えた。乗りながら聴くのは禁止されているが、一枚すべてを聞くことの無かった音楽CDや、三日坊主ゆえ多額の自己投資は出来ないので、予算1500円以内で書店で買えるCD付英語教材を買い、自転車に乗りながらMP3で聞いている。周りの音が聞こえるように配慮し、極力サイクリングロードを走る。一日30~50km、時間は3~5時間と長いが、ゆっくりと時速17~20km、有酸素運動として走る。

 自転車に乗り音に集中すると時間が経つのがとても早い。気付けば50km以上走っていることも頻繁だ。都内散策、運動、学習の3点セットは長時間でも飽きることがない。また、今年のような猛暑でも、走行中涼しいのが自転車。まるで扇風機に向かっているような。汗が飛んで涼しいので水の補給はまめにする。景色の流れも程よく心地よい。折り畳みは畳んで電車に乗り、例えば、小江戸・川越の寺院めぐり、蕎麦屋で昼食、シメに居酒屋となる。そして畳んで電車で帰宅。鎌倉も同じ。自分にとって思索に耽り、唯一集中できる時間がそこにある。

 この自動車と自転車の隙間を埋めるのが今のスクーターだ。ヘルメットも30数年していなかったので最初は面倒であったが今では慣れた。行ったことのない場所や名所を地図で検証し、休日に早起きして昼食までには自宅へ戻れる場所に行く。鎌倉・湘南方面へも渋滞を避け行く方法を何度もネット上の地図で検証し実践した。ポイントを設けて、その区間は約何キロと記憶して出かける。頭の体操にもなる。道に迷えばコンビニへ入り、地図を見る。近隣の詳しい地図は必ずある。しかし、帯で閉じられ買わないと見られない地図も多い。

 スクーターの優れているところは、なんといっても燃費の良さであろう。リッター40km近くは走る。現在、レギュラーで130円位なので、休日の午前中に攻めることのできる場所で往復100kmとすると、燃料費300円以内。110 CCは高速に乗ることが出来ないのでそれ以上はかからない。エコカー以上にエコだ。自転車には敵わないが・・・・・・。スクーターならば自転車で構想を練っていた「おくのほそ道」制覇も実行に移せそうだ。と、思った私はすぐ日光街道へのツーリングにトライした。その話は次回ということで。
 

世界中のテレビはどれもこれも同じに見える 

 「テレビの進化、その方向性は果たして正しいのか?」と、アキバの家電量販店のテレビ売場を通過した時にふと考えた。テレビが液晶化され薄型になり、人はどのような恩恵を授かったのか?省エネ・省スペースは、資源が無く狭い部屋に住む日本人誰もが画期的であると進化に喜んだ。テレビの外形デザインもすべての贅肉が削ぎ落とされ、これ以上の形状的進化は無い各社横長で長方形の画一的なデザイン。その両サイドには埋め込みスピーカー。

 細かい仕様を比較検討すれば、それぞれのメーカーに特徴があり、きっとその中に自分の好みのテレビがあるのであろうが、私にとっては、どれもこれも同じテレビにしか見えない。見た目の大きな特徴を微塵も感じとることが出来ない。ゆえに、かつてのようにテレビ売場で、見て触って楽しむことも出来ない。リモコン操作に慣れないと難しいものだらけ。昔のように触れない。売場で楽しく感じる時は大抵、大自然のきれいな映像がデモされている時。性能をアピールしているのであろうが、私は大自然に魅せられているだけなのだ。

 形状がシンプルになりすぎ、機能が分かり辛くなったことが原因で、日本の大手家電メーカーは、安い値段の韓国サムスンにその販売台数を追い抜かれてしまったのであろう。見た目が同じならば安いほうがいいといった、世界の人々が誰でも感じるあたりまえの心理が販売台数に大きく作用したと考える。液晶ディスプレーの基礎研究、技術開発の先陣を切り、実用・製品化した日本のメーカーに今後、世界市場での未来は無いのか?

 省エネ・省スペースは、日本特有の事情から発展してきた技術だ。ならば、現在、日本で起こっている大きな社会問題を捉え、それを解決する製品を開発すればいい。と、提議したまではいいが・・・・・・。じゃあ、オマエに何か新しいアイディアはあるのか?――――黙っている私ではない。は~い!整いました。まず、高齢化社会に目を向ける。難聴である年配の方々が、テレビ・ボリュームを上げ過ぎることのない、家族や近隣から苦情が出ないテレビを作る。

 じゃあ、一体どんなテレビなの?説明しよう。内蔵されているスピーカーとは別に、本体から分離可能なスピーカーも2個、合計4個のスピーカーがある。分離スピーカーからは、テレビ本体から発信されるFM電波でテレビの音を捕らえる。それらにはボリュームもあり、モノラル・ステレオにも切り替えられる。イヤホーンやヘッドホーンも付けられる。コードレスなので人のすぐ横に置くことが出来る。ゆえにテレビ本体のボリュームを上げすぎることがない。

 また、台所仕事でテレビから遠い主婦(主夫?)も、スピーカーを台所に持ってくれば、本体のボリュームを上げないで済む。両スピーカーのスイッチをステレオに変えれば、サラウンド・システムに早変わり。音楽や映画等のコンテンツも大迫力の音声で楽しめる。こうなったら、そのスピーカーにAM/FMラジオも付けちゃえ~っと。これじゃあ、大安売りのようだって?ついでに液晶画面も付けちゃってテレビ一台がテレビ三台に早変わり!なんちゃって~。

 そ、そうか!リモコンにスピーカーやイヤホーンを取り付ける方法もある。これってユビキタス?可能性が無い話じゃあないなあ~。この企画、中国のメーカーが真っ先に飛びつきそう。頑張れ!日本のメーカー、とエールを送って今日はこの辺で。あっ、それと、特許を取るときは必ず私を通してね。

名前方言 

 人の名字を聞き、違和感を覚えることがしばしばある。特に「中島」さんを「なかしま」と「し」が濁らないところに。そして「浜崎」さんや「山崎」さん。「なかじま」と読むのは東日本、「なかしま」と読むのは西日本とのこと。じゃあ、山崎も浜崎も濁音が無いほうが西日本か。九州ではほとんどが「なかしま」さん。鹿児島県出身の「中島美嘉」もやはり「なかしま」。逆に九州人は「なかじま」と濁るところに違和感を覚える。「さざえさん」に登場する「なかじまくん」はその筆頭であるとのこと。

 関東人の私は映画「釣りバカ」の西田敏行ふんする「はまさき」や九州出身の「はまさきあゆみ」にもどかしさを感じる。歴史や環境が違うから、この違いはどうしようもない。仕事の時は、メールなどの書き文字で対応し、打ち合わせの際も、陰険だがあえて名字を呼ばないようにすることも可能だ。この呼び名で友人がいる場合、そうもいかない。呼び方に慣れるためには、濁りの無い清音で発音する中島・山崎・浜崎さんを探し、無理矢理、近い友人になるしかない。

 もし、友達付き合いが始まった場合、名字を呼ぶ際、私の脳みそ内での変換にはとても時間がかかるに違いない。狭い日本だが地域文化の違いは大きい。ま、名前じゃあ仕方ないと諦めも付く。「名前方言」と認識すればいい。読み方を統一しようなどという考えは、誰も持たないであろう。と、書いているうち、薄っすらとあることが脳裏をよぎった。これは英語でいう「視覚方言」の逆じゃないか?と。あ~、難しいことを考えると、脳みそが沸騰して爆発しそうになる。

 「視覚方言」とは、例えば「boyz」は「boys」の視覚方言。「通路」の英訳は「aisle」で、その視覚方言は「aile」。正しい綴りの発音ができてしまう違う綴り方をきっと「視覚方言」というのではないか?誰かの発音を書き取ってみると、多くの人が同一の違った綴り方にしてしまった単語か?皆さん、自分で調べてね!「視覚方言」は、2つの単語で同じ読み方。私が名付けた「名前方言」の場合は、一つの名前で違う読み方。これが「逆じゃないか?」と思った理由だ。

 ちょっと話が難しくなりすぎて、私では解決できそうもない。追求する意欲もない。電子英和辞書で「aisle」を聞こえた通り「aile」と入力したら、「aisleの視覚方言」と表示されたことが数回あり、この「視覚方言」を覚えた私だ。十数年前、「かなり」という日本語を、若者たちは語尾を上げて発音していた。「カナリア」と発音し語尾の「ア」を言わないと、その若者たちのイントネーションになる。これは「社会方言」というらしい。また、更に解決できない方向へ向かってしまった。

 ま、ここまで考え無しにツラツラと書いてきたが、この文脈から私が言いたかったことは、一体何?と、読んでいる皆さんに逆に聞いてみたい。濁音の無い「なかしま」という言い方はとっても違和感があるってことと、方言には様々あるんだなあ~ってことか。それと「名前方言」という新語を作ったってことかなあ~。この新語は数年後、「広辞苑」に掲載される可能性がある。出典はこのブログであると書かれるのか?その時は実名を公表して仲間に自慢しようっと。その時、私の仲間に「なかしま」さんや「はまさきさん、やまさきさん」は果たしているのであろうか?

千葉県消失 

 天気予報の電話番号は「天気になれなれ」で「177」。「なれなれ」という言葉に数字の「77」を当て、電話番号を考えたとのこと。じゃあ、時報は?というと、天気予報の電話番号と違い作者の配慮は全く無く、世間一般では「、ピッピッポーン」の「117」と覚えている人が多い。最近では、昭和の骨董品と化しているこれら番号。でも、常識問題ではかなりの頻度で出題される。私がガキの頃は、1時77分は無いので時報ではなく天気予報、と回りくどく覚えていた。「なれなれ」で天気予報とは、誰も教えてくれなかった。

 とても数字の記憶に弱い私。東京タワーは333m。これは覚えやすい。富士山は、3、776m。これもスリーセブンに1m足りないと簡単に覚えられる。スカイツリーは完成すると、634m。この地はかつて武蔵の国であったので、「武蔵」を数字の「634」にこじつけ、世界一にすべく高さを再設定したとのこと。これも覚えやすい。ここで問題発生。墨田区はたしか下総国だったはず。隅田川に架かる両国橋はかつて、「武蔵国」と「下総国」の両国に架かるので「両国橋」と命名されたのでは?

 調べたら、国境は1686年に変更され、現在の江東区・墨田区エリアも武蔵国になったとあった。明暦の大火後の都市改革で、これらの地への武家・大名・社寺の移住が促進され、お偉いさんを辺境の地・下総に住まわせるには忍びないので、武蔵国に編入する必要があったのであろう。1657年の明暦の大火前、隅田川に架かる橋は「千住大橋」だけ。2年後(4年後の説もある)に両国橋が架橋。その後、5代将軍綱吉の50歳の誕生日を祝し、1698年には新大橋が架橋。元禄バブル真っ只中。元禄元年は1688年。

 千葉県成田市にあるのに「新東京国際空港」、浦安市にあるのに「東京ディズニーランド」。いっそのこと、幕府の政策のように、千葉県の木更津以北を東京に編入してしまえばいい。じゃあ、残った木更津以南は?神奈川に編入する。それも横浜市に。乱暴な運転をする千葉や袖ヶ浦ナンバーが横浜や湘南ナンバーになったらさぞかし喜び、運転も上品になるのでは?私の実家、両親が住む千葉市は足立ナンバー?それは嫌だ。無理矢理、品川ナンバーにする。さすれば父の運転もきっと上品になる。私が実家に戻るきっかけになるかも?
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