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佐倉市にある国立歴史民俗博物館 

私の家から成田へ向かう国道51号線を通る度、毎回、目に入る看板は2つ。「DIC川村美術館」と「歴博」である。先日、この「歴博=国立歴史民俗博物館」を初めて訪ねた。昭和58年に開館とあったので私の幼少期には無い。当時は「千葉市立郷土博物館=千葉城」と「千葉市立加曾利貝塚博物館」があっただけ。両博物館共に課外授業で何度も訪ねた記憶があるが、前者の展示物の記憶は全くなく、後者は人骨が怖かったのと竪穴式住居へ入った記憶しかない。

子供ゆえ歴史に興味が湧かず身に付かなかった。両博物館へは大人である今、もう一度訪ねなくてはならない。これらの博物館のスケールで「歴博」をイメージしていたのだが、訪ねてみるとイメージとは全く違った。歴博は大江戸博物館並みに建物が大きかった。敷地も佐倉城址公園に隣接した小高い山の上にあるので更に大きい。大江戸博物館は都立だが歴博は国立。やはり規模が違う。展示室も大きく6つに分かれ、真剣に見学するとなれば一日では到底無理。

午後二時頃に到着。駐車場は無料。入館料420円を払うと、係員の方から第三展示室(近世=江戸時代)で間もなくレクチャーが始まるとの案内を受け急ぎ参加。大きな『江戸図屏風』の説明から始まった。三代将軍徳川家光の権勢が描かれ、小学6年の社会科の教科書にも載っている有名な屏風である。江戸城天守閣があるので明暦の大火(1657年)前の江戸の様子で、将軍家光が随所に散りばめられ描かれている。まるで『ウォーリーを探せ』の如く。

展示の屏風には複製とあったが、実物も歴博所蔵。第一級の史料を持っているとは、さすが国立歴史民俗博物館!屏風の江戸上空には金の雲がかかっており、実物はもっと立体的な膨らんだ雲。屏風絵の中を金の雲で仕切ることにより、時間・位置・サイズをワープさせる手法とのこと。そして話の核心である「江戸橋広小路の模型」へ。この解説が面白く時間が経つのも忘れるくらいであった。現在の日本橋周辺を当時の町並みのミニチュア模型を中心にしての講義。

江戸橋界隈のミニチュア模型の回りには、通路を挟み資料の実物や複製資料、当時の衣服や出土した陶器が展示され、それらをミニチュア模型に結び付けての解説。当時の人々の生活がとてもリアルに感じられた。解説された方はミニチュア模型作りにもこだわり、「物乞い」や船着き場で工事する人形もあえて作ったそうだ。人形の前に作った「牛」だけは縮尺を間違え象並みになり、仕方なく人形から離れた広小路の中の檻にすべて閉じ込めたとのこと。一同爆笑。

金の雲の手法を踏まえ檻で囲ったあたりはさすが国立博物館の歴史家だ。三井家、越後屋の出世や暖簾分けの話も興味深かった。そして講義は終了。私は古代史が展示されている第一展示場へ向かった。高校日本史の教科書に写真入りで載っている稲荷山鉄剣の模型と解説のビデオも時間を忘れ鑑賞した。5時閉館なので残すところ2時間弱。時間がない。歴博は家から近い場所にあるのだし次の機会もあると、すべての展示場を一通り早足で回ることにした。丸一日で歴博制覇はきっと辛い。午後だけなら三日は必要。歩くのは疲れるが、とても楽しく歴史が学べる。「よ~し、頑張ってまた歴博へ行こう!」と思った。
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英単語組み合せゲーム「スクラブル」と母音の無い英単語「リズム」 

 子音のみの英単語って聞いたことある?そんなぺチャパイな英単語(母音=ボインがない)ある訳ないだろ~、と誰もが思う。実はある。リズムだ。リズム=rhythm。リズムはバンド・アンサンブルに取って屋台骨のような存在。そんな言葉なのに、母音という発音の骨が無いとはビックリ仰天。いつこれに気付いたか?それは遥か20年位前のことである。友人の家で、酒を飲みながらまったりと楽しめるゲーム「スクラブル」をやりながらであった。

 このゲームはアメリカで作られ、2人から4人で遊ぶことが出来る。まず最初に一人ずつ英文字のコマを袋の中から無作為に7個取る。それを持ちゴマとして、先に作られた英単語に掛けながら縦横に英単語を作っていく。英単語をあまり知らなくてもゲーム強さで切り抜けられるので、子供と大人が混じっても楽しむことも出来る。英語の得意な大学生がいても、ゲーム強い子供が勝つことも往々にしてある。ゆっくり考えながらとてもいい時間を過ごすことが出来る。

 持ちゴマの英文字は、母音と子音が混ざっている。当然、AやEなどの母音で作ることの出来る英単語はたくさんあるので、コマ自体の点数は1点と低い。反面、QやZなどの子音になると単語も作り辛くその分点数は高く10点である。もし、不幸にもQとZの両方のコマが持ちゴマであった場合、、先に作られた単語のなかのIやUを探してそれに掛け、「quiz=クイズ」という単語を作れば高得点を得られる。5文字以上の単語を作れば倍の点数になるといった具合だ。

 Vも単語が作り辛いのでたしか5点だったか?高い点数だ。私は友人が作った「voice=ボイス」に「 in 」を接頭語として付けただけでダブルでの高得点を取ったことがある。このゲームをやりながら、家内がその単語を作ったのか単に気付いたのかは忘れたが、rhythmには母音が無いと言い出した。その後、現在に至るまでそのような英単語を発見できていない。ふと電車の中から窓の外を見るとジムがあったので、「Gym」とも思ったが略語であることにすぐ気付いた。

 また、まったりとスクラブルでもやりてえなあ~。最近のゲームは慌しいからなあ~。今日はここまで長々書いてきたけど一番言いたかったのは、「母音が無い英単語を、ボインが無い女が発見した」ということだ。

「ニンテンドーDSi LL」と「漢字の正しい書き順」 

 先月、家内から誕生日のプレゼントとして、4.2インチ×2画面の ニンテンドーDSi LLを貰った。この画面の規格4.2インチというヤード・ポンド法の長さの単位は分かり辛いので、センチ・メートルに換算すると約11cm。既に持っている初代DSは約3インチ=7.8cmだ。この画面対角線での規格も分かり辛いので、縦横の長さを測ってみた。自分で定規を当てて測ったので正確ではないが、初代DSは横62mm×縦47mm、今回の大画面DSは横88mm×縦65.5mm。画面が大きいので眼にストレスを感じない。CMでは、野際陽子さん出演のあのDSだ。

 私が持っているソフトは、『漢検』、『TOEICテストDSトレーニング』、『山川・詳説日本史B』の3つと少ない。それぞれをこの大画面のDSで試したところ、何と言っても『漢検』に最適であることが分かる。英語の場合、文字自体が画数?も少なくシンプルなので、小さい画面の初代DSでも私にとって問題はない。ところが、漢字の場合、画数が多いので細かい部分を認識することがとても困難であった。このLLサイズのDSは、大画面になりそれらをおおよそ解決したと感じた。また、タッチペンで書き込む時も、大きい文字で書かなければならないので、誤魔化しが効かない。

 初代DSでは、分からない漢字の一部分を、近い形であろうイメージでさっと誤魔化して書くと、正しい漢字に変換される時も多々あった。自分の為にはならないが、ゲームであるなら正解だ。それがLLサイズのDSの場合、タッチペンが認識するスペースが増えたことで、少なくなったような気がする。気合を入れ漢字のトレーニングに励まなければならなくなった。これも漢字トレーニングソフトとして深みが増したということになろう。ソフトのみついて言えば、漢字を書く際、書き順が違う場合、正しい漢字に変換されない場合が多々あった。この微妙な部分が好きな私だ。

 この書き順をソフトに加えるか、ゲーム器自体に内蔵してくれれば、私にとっては最高のものになる。仕方がないので、漢検ゲームと平行してネット上の『漢字の正しい書き順(筆順)』というサイトをフル活用していている。漢字検索で、調べたい漢字を打ち込む。その筆順はアニメーションで表示され、画数、部首やポイントなどすべてが書かれている。また、その部首をクリックすると、同部首の漢字がすべて表示されている。なんとも親切な個人サイトだ。漢字さえ書ければいいという年齢も過ぎた。文徳の為、意思疎通の道具として発展した漢字。筆順にも従順な私になった。

加藤陽子著 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ」(朝日出版社) 

 裁判員制度の場合、ジュリーはバーディクトでジャッジメントではない。(←コレ、私の枕言葉。あまり意味は無い、英単語暗記のテクニックだ) クラウゼヴィッツの『戦争論』には「戦争とは政治(外交)の延長線上にある」と書かれている。そうか、だから「外交」という英語diplomatと「軍隊を展開させる」という英語deployは接頭語も含め5文字位が同じなんだ!と思い込み、過去数十年にわたりこの2つの単語をクラウゼヴィッツの名言に関連付けて覚えた気分に浸っていた。しかし、接頭語は片や「2つの」という意の「di」、片や「下降、分離、否定」の意のdeであり、全然違うことについ最近気付いた。飲みながら偉そうに人に語らなくて良かった!と、サイ・オブ・リリーフ(安堵のため息)。

 「差別」という意味の英語「discrimination」はよくよく考えてみると、接頭語の否定を意する「dis」が、犯罪の意味の英語「crime」を打ち消している。白人社会ではいまだに「差別は犯罪ではない」という時代遅れ且つ高慢な単語が生き残っているのであろうという独自の解釈が頭を占有する。これはかつて、今でも?世界を席巻しているアメリカのグローバル・スタンダード(高慢標準)の傍系であるポリティカル・コレクトネスに抵触し、政治的に妥当なものではないのではないか?と浅~く考える。ま、一つの英単語を分解した場合、その起源はラテン語にあったりフランス語にあったりと様々なので、高慢な私の逆差別、逆言葉狩りなのかもしれないが・・・・・・。

 と、つらつら「ぼやき」を書いてみた。ある本を読んだ影響が少しある、否きっとあるのだろう。東京大学文学部教授・加藤陽子先生が書いた『それでも、日本人は戦争を選んだ』(朝日出版社、定価1,700円+税)という本だ。高校生向けに日清戦争から太平洋戦争まで、日本人の政治的な選択が書かれている本なのだが、とても分かり易い。「あったりめえよ!高校生向けなんだから」と思うなかれ。目から鱗がこけら落としとでも言おうか。私にとり歴史解釈の初興行が多い。サブタイトルとして「普通のよき日本人が、世界最高の頭脳たちが、もう戦争しかないと思ったのはなぜか?高校生に語る――――日本近現代史の最前線。」とあった。

 一番シビレた件(くだり)はココだ。67ページの「統帥権独立という考え方は、山県有朋が、西南戦争の翌年、1,878(明治11)年8月に、近衛砲兵隊が給料への不満から起こした竹橋騒動を見て、また、当時の自由民権運動が軍隊内へ波及しないように、政治から軍隊を隔離しておく、との発想でつくったものです」の部分である。私として先の対戦の最も大きなきっかけは、1930年のロンドン軍縮会議以降に起こった統帥権干犯問題にことを発していると単純に考えていた。統帥大権がどのような理由でいつ作られたかまで思いが至ることは無かった。この本を読み、11条~13条の統帥大権は、「政治から独立させるという考え」を山県有朋が作ったことを初めて知った。その後、政治家が政争の為、その独立が干犯されたという解釈に到達し、更には軍部がそれを利用した。

 国民的人気があった西郷隆盛に胆を冷やした山県有朋が慌て、自由民権運動による民衆の意思が軍隊にまで入らないようにする為であったとは――――高校生は皆知っているのかなあ~?ちなみに東大教授の陽子さん、私とタメ歳なんだな~、コレが!

漢検DSに必要な「正しい漢字の書き順」 

 夏期休暇とは違い、国民すべてが休みであるような錯覚に陥ることが出来る正月休みは最高だ。一方、流通・飲食関係の方達はかき入れ時か。マイカーを掃除したり、聞きたかったCDを買いに行ったり、好きな時間に昼間から友人と飲んだりと、この時期だけは完全に仕事を忘れくつろぐ事が出来る。本も読みたいときに読めるようにと月刊誌を数冊買っておいた。

 昨年から始めたニンテンドー漢検DSも、テレビを観ながら、ベランダでタバコを吸いながら、晦日・元旦まで鬼熱くやり続けた。何とか2級に合格し準1級になろうと頑張った。2級の場合、他の級は2度の合格で昇級できるのとは違い、何度も合格しなければ昇級出来ないのであろうと考え、何度も何度もトレーニングをした。

 この漢検では、トレーニングはやり放題だが昇級試験は一日一回しか出来ない。元旦から2日の深夜にかけても頑張っていたのだが、最後にテストを受けて気付いた。なんと2級より上の級はこのDSソフトには無かった。どうりで昇級しない筈だ。DS上では2級までの漢字をすべて制覇し、ようやく高校卒業並、ふつうの社会人になれた。

 と、思い込ませてくれ、これで自分も社会で通用する人間になれたと自信を持たせてくれる楽しいソフトといえる。もっとも漢検DSで苦労したのは書き順だ。「ばっかじゃネエの!」や「ありえねえ」のような、知らない人が自然に任せて書いたとしても、私のように書く人は皆無であろう書き順を、バカ丸出し平気で書き続けここまで生きてきたのだ。

 タッチペンで漢字を書き込む際、書き順が違うと、画数が多い複雑な漢字ほど書いた通りの漢字に変換できない。なんとも歯痒い。自分が学校でいかに勉強してこなかったかを思い知ることになる。正しく変換するには、違う書き順で何度も書き込んでみるか、それでもダメであるならば正しい書き順を調べるしかないのだ。

 劣等感にさいなまれ、ついには「漢字の正しい書き方」という懇切丁寧なブログを発見した。左上から5段目の「漢字の検索」に漢字を打ち込み送信をクリックするだけで、正しい書き順が、まるで毛筆を使って書いているような太い大きな文字で教えてくれる。子供がいる家庭ならぜひ子供と書き順をこのブログで様々検証するのも楽しいであろう。

漢字の正しい書き順 http://kakijun.main.jp/
 

人間の本性を無視した歴史解釈 

 中学校の教科書をチェックする際いつも思うことだが、「縄文時代の人々は狩り・漁・採集生活を行い、貧富や階級の差はなかった」の「貧富や階級の差はなかった」とする件に沸々と疑問が湧いてくる。考古学者も歴史学者も歴史過程の中で、初期段階としてこの時代には「貧富や階級の差はなかった時代」であってほしいという希望的観測が多く込められているのではないか。「平等から不平等へ」なったとする背景には論理的整合制があるので、時代の流れを段階的に説明することが教えられるほうも分かりやすく簡単であることも確かではあるが・・・。

 たとえ当時、食料である貝や木の実が多く採れるような「富の分配の平等」があったとしても、人間に生来備わっている闘争本能などを失うことが果たしてあるのだろうか。心理学者マズローの欲求の五段階説にある初期的段階の生理的欲求である睡眠欲・食欲・性欲のすべてを、縄文時代の人々が平等に満たしていたとは考えにくい。それゆえ、人間の本性から考えれば「貧富や階級の差はいつの時代にもある」と、考えるべきであろう。

 とくに意思疎通の手段である言語が未発達のこの時代、意思を伝えようとする前に見た目で相手を判断したり、俗に言う「眼を飛ばす」ような行為は頻繁であったはずだ。先入観が横行している時代である。先天的な肉体の造り(筋肉の付き方や顔の造り)や体力の差などは当然あり、性的欲求については肉体的に強い男がいい女を力ずくで獲得するようなことも頻繁であったと推測できる。恋愛や結婚等に不平等を感じる人々も大勢いたであろう。

 「貧富・身分の差が生じ階級社会が発生した」とするのが縄文時代の次の時代、紀元前3世紀から始まる弥生時代とされている。水稲耕作やそれに使う道具やその素材の発達により、採取から生産の段階に入り、多く収穫されたものを貯蔵する高床式倉庫も作られた。大規模な水田での生産事業を統括したり貯蔵庫を守ったりする上で、集団を統括する必要性から支配者が出現した。

 平等の時代が終わり、支配者の出現で不平等の時代になったと解釈できるこの教科書の記述は理屈は通っており見逃しやすいが、なぜか釈然としないのは私だけではないはずだ。理性より本能で生きている私には許せないのである。じゃあ、なにかい?動物園のサル山はボス猿やそのサブがいるので弥生時代なのか?と聞きたくなる。貧富や身分の格差のない平等はいつの時代でも、あくまで理想であり、絶対的な現実にはなりえないと誰もが考える。

 人間社会が自然的な段階を踏み、時代と共に理性的・論理的に良くも悪くも進展していくような、理想として現社会を補うような次の時代が来るような、いい加減な推論を簡単に中学生の教科書で言い切ってしまうような、そんな教育はなぜか胡散臭い。誰かが裏で悪意を持って心理的支配を画策しているとしか思えない。その時代に思いを馳せるような想像力の欠如が原因か。「貧富や階級の差はあった」と、いつの時代においても「普遍的な人間自身の性」は絶対にあること教え、機会の平等はあっても結果的な平等は絶対にない事を、日本の将来を担う中学生達にしっかりと教える必要があるのではないか。

「人材監査法人」の必要性 

 今産経新聞で『溶けゆく日本人』という特集が組まれている。今回は「孤独な職場 成果主義…責任回避する上司」であった。以下はその記事の抜粋である。

 成果主義を導入し組織内の上下間の意思疎通、信頼関係が希薄化した結果、近年頻出するようになった上司の常套(じょうとう)句がある。部下から助言を求められた際の、「その仕事は任せたんだから、やりたいようにやりなさい」という言葉である。
 聞こえはいい。だがその多くは、的確な指示やアドバイス、適切な関係構築ができない自分の「無能さ」を悟られないようにするために発するケースが多いという。表面上の上下関係は維持したい、一方で、指示したことによる共同責任は負いたくないという思いが潜む。
 企業内研修に長年携わってきた今井さんによると、結果として招くのは部下の不信、士気の低下だという。そして、関係がさらに希薄化するという悪循環を起こしている。責任を放棄する上司が増える背景にあるものは? その1つとして、今井さんは、広がる「成果主義」を挙げる。
 「成果主義では、個々の能力が問われる。だから、部下は無理をしてでも期待に応えようとする一方、上司は(部下の監督責任は問われても)『連帯で責任を負う』と言わずに済むような体質を育てている。成果主義とは、組織の上に行くほど都合のいい制度なんです」
(Sankeiwebより引用・抜粋)

 日本の場合、大きく社歴が長い会社ほど成果主義は社員にとって厄介である。上司が学閥と年功序列の恩恵を受けてその地位にいる場合、部下に対する指示が儘ならないのはあたり前であろう。仕事に対する認識がバブル崩壊後、「稲作」から「狩猟」に100%変わってしまった今の日本では、あたり前に降って来る仕事を、こじんまりとそこから個人的にはみ出ないようチームでこなす時代は終わった。その後の経営者にとって最も都合いいシステムが成果主義と考える。

 欧米の会社や日本の零細企業は、あたり前に成果主義である。毎月の自分の給料を取る為には、いくら売上げ粗利はいくら必要であるか、個々人で常に計算している。仕事における客への能動的なアクションや新規アプローチは、先々の自分の給料を確保する為に起す。プレーイング・マネージャーとしての認識があたりまえである。欧米は大手の会社であっても、社長や副社長自ら営業に出かけ仕事を受注するケースが多い。

 私も前職時、資本と経営の完全な分離を理想としていた時期もあったが、昨今、海外の「禿げたかファンド」の歓迎されざる台頭で少し気が変わった。日本企業の株主総会で、議長になる経営者が株主に対し「弊社の今期の状況は・・・」と言う「弊社」は海外では異様に聞こえるらしい。そもそも会社は株主のもので経営者のものでは無い。「お前に金を出してオレの会社の経営を任せているのに弊社とは何事だ」という事だ。

 会計監査も株主から依頼されているもので、経営者と監査法人が共謀して粉飾する日本の会社のしくみも分からないとの事。しかし、「会社の所有者は株主」から「経営者や社員達」という日本風の会社の在り方も間違っていない。もっと日本風にドロドロとした人間関係の中で、割り切らない状態の中で進めて行くやり方があってもいい。経営陣にも入っていない上司が、その立場の中で無能である事が露呈するのは、会社にとってはとても健全なことだ。

 そもそも上司が、「やりたいようにやりなさい」なんて呑気なことを言える会社は、独占的なアコギな商売をして不当に儲かっている会社であると想わずにいられない。そのように人任せである場合、小さい会社だったら倒産する。ピラミッドの組織はとかく責任回避に陥り易い。上司をプロデューサーとして位置付け、平たい組織にすれば呑気なことは言ってられない。次から次へと、部下から相談を受ける事になる。上司の能力が試される。

 部下の不信、士気の低下を招くような上司を配属してしまうこと自体、経営陣や人事の無能さに原因がある。事業部の予算設定を低くし、当該四半期に他の事業部の売上より上がってしまった場合、次の四半期に繰り越す画策をするような人がいる会社はいまだにある。これを大手にやられると、零細企業は納品が終わっているのに請求も立てられない。支払う金が無ければ、倒産の危機だ。業者の不信、士気の低下までも招く悪いヤツだ。

 日本の会社の経営にとって今最も必要なのは、「会計監査法人」ならぬ「人材監査法人」だ。社員全体からの聞き取りも必要であろうが、仕入先である業者の声も是非聞いて欲しい。顧客至上主義もしかりだが、仕入先あっての会社である。第三者が介入する事で、日本の会社経営の良さを残しながら、更にいい方向へ向うような気がする。数字は会社にとって必要なものではあるが、それを司る「人の監査」のほうが会社にとってもっと重要である。

歴史の改新 蘇我氏と藤原氏の立場が逆転した 

以下、ウィキペディアより引用)
 2005年からの飛鳥甘樫丘から蘇我入鹿の邸宅、「谷の宮門(たにのみかど)」の発掘結果から谷の宮門には兵舎と武器庫の存在が確認された。また蘇我蝦夷の邸宅の位置や蘇我氏が建立した飛鳥寺の位置から、蘇我氏は飛鳥板蓋宮の周り砦を置き外敵から都を守ろうとしたのではないかという説が出されている。当時618年に成立した唐が朝鮮半島に影響力を及ぼし、倭国も唐の脅威にさらされているという危機感を蘇我氏は持っていた。そのため従来の百済一辺倒の外交を改め各国と協調外交を考えていた。それに対し、従来の「百済重視」の外交路線をとる中臣鎌足や中大兄皇子ら保守派が「開明派」の蘇我氏を倒したと言うものである。蘇我氏打倒後、保守派は百済重視外交を推し進め、白村江の戦いでそれが破綻する。いわゆる「大化の改新」はその後に行われたと考えられる。これらの説は「日本書紀」に基づいた歴史認識に大きな修正も求められもので、注目されている。この説はNHKスペシャル「大化改新 隠された真相 ~飛鳥発掘調査報告~」(2007年2月2日放送)で紹介された。(ここまでウィキペディアより引用)
 
 私は昨日、この「Nスペ」の録画を見たのであるが、その番組の中で「この発掘結果は昨日発表された」とのナレーションがあった。その情報収集力の凄さと翌日放映という時宜に適った内容に驚嘆した。さすが金がかかっているだけある。私は、昨年5月に奈良へ行き、この飛鳥板蓋宮がある橿原市周辺を念入りに散策した。甘樫丘へも登りたかったのだが、家内が疲れるとダダをこねたので止めてしまった。今思うととても残念だ。歴史を変えるまさにその現場を登ろうとしたのに…。本来の正史とされ、我々が教科書で学んだ歴史の大筋は以下である。

 645年6月12日、飛鳥板蓋宮にて中大兄皇子や中臣鎌足らが実行犯になり蘇我入鹿を暗殺。翌日には蘇我蝦夷が家に火を放ち自殺。この蘇我氏宗本家滅亡事件をその年の干支に因んで乙巳の変(いっしのへん)と言う。その後の体制の刷新を大化の改新という。乙巳の変により始まる大化の改新である。このように天皇家のスポンサーは、蘇我氏から中臣鎌足の藤原氏に移行する。中大兄皇子は、叔父の孝徳天皇を立てて自らは皇太子となる。百済救済の為、都を筑紫へ移し663年白村江の戦いに臨んだが大敗し引き上げ、同年大津へ遷都、即位し天智天皇になる。

 これらが変わり、645年に乙巳の変が起こり、663年の白村江の戦いを経て、その後大化の改新が始まるといった歴史解釈の流れになる。720年に完成した正史『日本書紀』は、事実を断片的に改竄され、その時代の統治者である天皇家やスポンサーの藤原氏に都合がいいようになったとの事だ。お隣中国では易姓革命後、取って代わった王朝が正統であることを主張する為に正史は編まれるが、改竄は頻繁であったらしい。『史記』を綴った司馬遷も現王朝からかなりの圧力を受けた。

 天皇家を守る為、蘇我氏は大唐の成立により外交に危機感を持ち百済・新羅・高句麗各国と強調外交を推し進めることを考え、防衛策として、天皇が住む飛鳥板蓋宮(皇居)を蘇我氏一族で囲うように塀を立て武器庫を置きそして自ら危険を推して一族で住まい、蘇我氏の菩提寺である飛鳥寺までも守備城としての機能をさせ外敵の襲来に備えていたのである。住居の柱跡から高床式の武器庫であろう倉庫である建物がほとんどで、宮殿のような豪奢な建物に住んでいた形跡は無かったことが今回の調査で判明したのである。

 国を我が物とし天皇を凌ぐ蘇我一族の権勢に危機感を覚えた中大兄皇子と中臣鎌足らが、よりよい国造りの為に起こしたものではなかったのである。まさにクーデターそのものだ。このように歴史が修正されると、名門氏族である四姓、源・平・藤・橘の中の藤原氏は逆賊であったということになる。そうなると、現在生きている藤さん・藤原さん・斉藤さん・佐藤さん・藤堂さん・藤岡さんなど藤がつく人は、全員逆賊の子孫であることになる。今日からでも彼らとの付き合い方を換えなければと考えてしまう私なのであった。

 一方、鴨川シーワールドやその他の水族館に勤務しているイルカの飼育員で、これから子供が生まれる予定のある人にとっては朗報にもなる。子供の名前に「入鹿」と付けられるのだ。その子には親父ギャグが嫌でも降り注ぐに違いない。「お~い、入鹿はいるか?」と。まして蘇我さんや曽我さんだったら名前だけで有名人になれる。

 おっと、こんな近未来を想像して喜んではいられない。折角、語呂合わせで覚えた「大化騒いで虫五匹=ム・シ・ゴひき=645年」が使えなくなる。否、初めて用いられた元号である大化は、この年からであるので大丈夫か。645年の乙巳の変(いっしのへん)は、「一矢(いっし)報いてム・シ・ゴろし(無視殺し)」だ。(←我ながら語呂合わせの出来に驚いた) 中大兄皇子は大津遷都後、即位し「大化の改新」を始めたので、「ム・ム・ザンに負けた白村江=663年」と年号が被るのかもしれない。いや、翌年か。



上野 国立科学博物館「ミイラと古代エジプト展」~浅草巡り 

 2月10日(土)は、上野の国立科学博物館で開催されている「ミイラと古代エジプト展」に行った。約3,000年前のミイラのプロフィールや時代背景を、CTスキャン等の最先端テクノロジーと考古学研究の融合により解き明かすといった対象をかなり絞り込んだ企画展だ。ミイラ棺に書かれたヒエログリフの解読によれば、そのミイラは王に直々に仕える神官であり、名前はネスペルエンネブウ、死亡推定年齢40歳代前半である。当日入場料は、大人1,500円、子供600円。2月18日で終了する。金曜は8時まで開催されており、ペア得ナイト券であると2人で2,500円とのことである。後一週間しかないが・・・。

 特に3Dシアターはお勧めである。ネスペルエンネブウのミイラをCTスキャンで切り刻み、身長や体重、頭蓋骨中の骨の傷まで解明していく。俳優の高橋克典氏のナレーションも秀逸で、最新技術の3D映像に更に歴史の深さと重さを添え、聞き易いものであった。展示物は、ネスペルエンネブウの棺を中心とし大英博物館にある僅かな物であったが、たった一人の神官であったミイラを徹底的に追及する一本の太い筋があることによって、来場者全員が当時に思いを馳せる事が出来る、近年稀な優れた企画展である。それ以外、国立科学博物館内は常設展ですべて無料だ。地下2階から地上3階まで、半日親子や恋人同士で楽しめる。ミイラ展よりも以前から興味があった常設展の「ものづくり展」も見た。

 館を出たのは夕方の5時位だ。丁度、小腹が減ってきたので、浅草、地下鉄銀座線「田原町駅」の階段を上ってすぐの「花屋」の焼きそばを食べたくなったので即向かった。ここの焼きそばは、肉の欠片も入っておらず、もやしとキャベツだけ、そして青海苔を振りかけただけのシンプルな焼きそばで、スーパーで売っている蒸し焼きそばとは違い、硬めで断面が四角ばっており少し甘みを感じる下町のそれである。一年に2~3回、無性に食べたくなる。普通モリで300円、大盛りで400円である。食べたくなった時は、青山・赤坂・銀座からの営業の帰りに営団銀座線でそのまま「田原町駅」に向かい食いに行ってしまう程、病み付きになる焼きそばだ。店に入った途端、「今日は終わりです」と店主に言われた。とても残念であった。炭水化物と炭水化物の組み合わせが大丈夫な人はおいなりさんやおにぎりもあるので、セットで食えば腹一杯になる。住所は台東区西浅草1-1-18。定休日は日曜日である。

 終わりじゃしょうがない。小腹を満たす事は止めて、本格的な夕飯?に変更せざるを得ないと考えた。雷門南にある、雷門仲商店街沿いに手延べ麺の「馬賊」があることを思い出した。小麦粉の塊をバシバシと叩きながら手で伸ばすラーメンである。手延べ麺つくりの技術として本来、麺の太さは均等であることがその技術の粋であろうと思われる。しかし、この「馬賊」の麺は注文が入ってから急いで手延べ・手打ちを始めることもあるのだろう、太さが均等ではない。私としては、それが好きなのである。普通のラーメンを注文すると、太い麺と細い麺が絡み合っている。当然、細い麺は柔らかい。太い麺はコシがあって硬い。このバランスと食感がある日とても気に入った。喩えて言えば、ワンタン麺を食べた際にワンタンの柔らかい皮とコシの強い麺を同時に食べるような食感とでも言おうか。

 この食感を覚え病み付きになり以前はかなりこの店に通ったものだ。ここ浅草は本店で夜は8時前に終わってしまう。そうなると、西日暮里店へ行くしかない。ここは深夜まで営業している。更に麺の太さの違うものが混在する事によって生きる一皿としては、「五目かた焼きそば」がある。あんかけに麺が浸ることによって、揚げた細麺は柔らかめになり、太麺はパリパリしている。なんとも堪らない食感になる。当日は、ビンビール650円、餃子450円、五目かた焼きそば1,500円を注文した。締めて2,600円。家内と2人なので、これで足りなければラーメンを注文しシェアしようと考えていたが、かた焼きそばの量は多く2人にとって十分であった。

 ここ本店は営業時間が短い事もあり、かた焼きそばが売り切れることもある。今日は6時という早い時間であったのでどうにか間に合った。餃子やビールのお通しのもやしをダラダラと食べていた事もあってか、揚げ麺のバリバリ感が全体的に失われてしまった。あんかけと揚げ麺を別々にするように頼めば良かったと少し後悔した。後から入ってきた初めてであろう一人の客が、麺は太めにしてほしい旨を麺打ち職人に伝えた。すると、職人さんが「割り箸くらいの太さですか?」と聞き返した。それって羨ましかった。今度、店がすいている時に私もリクエストしてみよう。麺を打っている店は当然、餃子の皮も手作りである。餃子も大きく少し厚手の皮がからりと焼けていて旨い。「馬賊」は本店・共に年中無休だ。住所は台東区雷門2-7-6。 

 バシバシと麺打ちを実演しているラーメン屋で有名であった店は他に新橋の「餓王」があったが、店主が引退するに伴い新橋の店を先日引き払った。子供たちが個々に独立するとの事。電話して移転先の電話番号を調べ電話してみると、一軒だけは来月位に葛飾区四つ木に出店するとの事。新橋は家からも比較的近く、営業時にも立ち寄り易かった。ここの揚げネギラーメンは逸品であった。聞いたことは無いが「馬賊」の流れを完全に踏襲している店であると思っていたのに・・・。

 その後、腹ごなしに浅草をブラブラと散歩した。東西に向かうアーケード内で帽子の老舗銀座「TORAYA」を発見しソフト帽を何点か試した。銀座は敷居が高く入り辛いが、ここは浅草という下町だけあって入り易い。値段も安いものを中心に展示してあり、銀座には無いが浅草だけにある帽子も置いているとのことであった。デカ頭の私でも余裕で被れるサイズがある。若者が集う渋谷や表参道の帽子屋は、サイズも小さくものしかなく被る勇気が出ない。若く頭の小さい店員がカッコよく小さなキャップを被っている前で、自分がお気に入りの帽子を被れない時、時代と頭の大きさの差を嫌というほど感じ自己嫌悪に陥るのである。私みたいなE T 頭はゴー・ホームしたくなるのだ。頭のデカイ人や宇宙から出張に来ているエイリアンは、是非浅草「TORAYA」へ行くべし。

 工事中の浅草寺を通り抜け、木馬座の前を過ぎて浅草六区方面へ歩いた。JRAの裏、国際通りに平行した伝法院沿いには「牛筋煮込み」や「もつ焼き」の店が沢山並んでいる。競馬のある土日は昼から大盛況である「居酒屋街」と化す。その通りの北の入り口には、路面で「牛筋煮込み」を鍋で煮込んでいる店がある。これがいつ見ても旨そうなのである。今がチャンスだと考えた私は家内を誘ってみた。どうも彼女のテイストには合わない店らしい。断られた。近い将来、いつかは酒カックらって牛筋煮込みを食ってやろうと考えている。

 この通りではないが、木馬座裏のもつ焼き「正ちゃん」は有名だ。外人のバックパッカー用安宿もこの辺に点在しており彼らの間でも有名との事。更に有名な店では、浅草寺裏、吉原に近い千束にもつ焼き「喜美松」がある。ここも行った事はない。私が以前、地方の客や外人を接待した店は先輩に教えてもらった浅草寺裏にある釜飯「むつみ」である。ここの料金は普通の居酒屋並みで、メニューはヒジキ・肉じゃが・煮込み・煮しめ・さしみから天ぷら等日本料理オンパレードだ。〆には釜飯が食える地元では超有名店である。地元の浅草の人が接待に使う店なので昼休みはない。3時でも4時でも開いているのである。年配の方が特に喜ばれる手間がかかった家庭料理風の店である。

 と、上野・浅草巡りで終わった一日であった。翌日は、一人自転車で南房総の旅へ出るのでそうそうに帰路へ着いた。万歩計は約12,000歩をカウントしていた。よく歩いた。

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センター試験「国語」に挑戦した 

 先日の日曜日の新聞に、センター試験問題が掲載されていた。この試験問題は、私の年齢の前後十歳位の人達が作成しているのであろうと考え、「一丁、喧嘩を売ってやるか」との気持ちでテレビ番組『サンデープロジェクト』を見ながら「国語」の試験問題に臨んだ。問題は大きく4つに分かれている。配点は、現代文の長文約3,600字~4,000字レベルで評論文と小説の読解が各50点で大きく2個。古文が50点。漢文が50点の合計200点である。評論文読解は、とても興味深い内容であったので最初の設問であったが、このカキコミでは最後に回し前代未聞の読後感を書くことにした。この発想はオバカな我ながら気に入った。

 現代文(2)の長文読解は、堀江敏幸著『送り火』の一節からだ。私は彼の著作を全く読んだ事が無かった。21世紀になってからの試験で、彼の著作は長文読解で出題される常連であるとのこと。読み易さといい昭和前期の情景描写といい、面白い小説家がいるものだと感心した。私が高校時代に読み耽った庄司薫(福田章二)の著作に近い匂いもする。主人公「絹代」の名前の由来が養蚕から来ている件などから推測し、私より一世代上の人かとも思ったが‘64年生まれで四年も年下だ。小説家でもある氏は明治大学理工学部フランス文学教授でもある。知らぬ間に絶え間なく湧き出し凡人を飲み込もうとする優秀な人材の怖さをも垣間見た気がした。問題は楽勝と思いながら臨んだが、一問落とした。

 古文・漢文は、現代文と違い日頃触れることもなく受験テクニックも当たり前にない私にとって悲惨な結果となった。両問共に半分は間違えた。まあ、こんなもんだと思い悔しくはなかったが、書店に行きそれらが文庫本になって安くなっているコーナーを少しうろつく年齢になりつつある私は将来、悔しく思ったりもするのであろう。すべてが終わり採点したところ、200点中140点位であった。100点換算で70点だ。ティーンの土俵で取った相撲の結果を、オッサンとしてどう思うべきか。
 
 現代文(1)の評論文読解問題は、日本とヨーロッパの「芸術理念」の相違を踏まえ日本の「庭園」の特色について論じた山本健吉著『日本の庭について』から出題された。読んでいると問題を解こうという意識の前にほのかな感動がこみ上げて来る。読むにつれ、なるほどと頷きながら活字に引き込まれて集中することが出来るのである。要約は以下だ。

 日本の庭は永遠不変の造型を願わないばかりか、一瞬の生命の示現を果たした後は、むしろ消え去る事を志向している。これは日本中世期に確立された芸術である茶や生花や連歌・俳諧等の理念と同じである。対照的に、ヨーロッパ式の庭園は、記念碑的にある形を凍結させ永久に動かないように不変の形を作り出すことを本質とする。これは人間の造型意志を後世に明確に伝えることが出来るとの考えであり、ヨーロッパ流の芸術理念に通ずる。
 しかしながら、日本の庭園の代表と海外から評価されている「龍安寺方丈の石庭」は、一樹一草も使わず、大小十五の石が五十四坪の地に置かれ、一面に白砂を敷き詰めただけの庭で、庭全体が海面の体相をなし、巌が島嶼になぞらえられ、一見するものは誰しも精神の緊張を覚える。大正十三年にこの庭を絶賛した志賀直哉氏の影響で一躍有名になったが、歳月の変化に随うという東洋古来の理念を含んでいないゆえ、永遠不変の記念碑的な造形物を志向するヨーロッパ流の芸術理念の上にある。
 日本の多くの庭は主の生活に溶け込んで、その中に自由に出入りすることの出来る空間であり、見るものとし対象化された作品ではない。この庭は方丈から見るものとして対象化したところに成立している。ゆえに見る為だけの庭であり、額縁によって切り取られた絵と変わりはない。毎日それとあるにはあまりにも息詰まるような、退屈きわまる庭なのである。志賀氏が「楽しむにしては余りに厳格すぎる」とも言った。庭が人の建築物に付属するものである限り、この非日常性は例外と言うべきである。(山本健吉著『日本の庭について』から要約)

 以上のように、約4,000字を約700字位までに稚拙な要約をしたので、作者の意図が伝わり辛い部分も多少あろうが、日欧の「芸術理念」の相違比較が分かり易く書かれたものである。頷きながらも、著者と私の考え方の違いが少しずつ輪郭を現し、終いには試験であるにも関わらず反論が頭一杯に広がった。読解する作業の中でこのような邪念が入り込んでしまったのだ。採点したところ一問落とした。「私の反論」とは、この石庭は、その作者である相阿弥や時代背景からして、「日本の芸術の流れの中の庭」として揺ぎ無いものであるという確証が私の中にあったからである。そのような理由から自分の気持ちを整理する為、前代未聞である試験問題の読後感を書くにいたった。以下が、出題文の読後感だ。

 相阿弥は中世室町末期の時代に生き、銀閣寺で有名な室町幕府八代将軍『足利義政』の東山文化とよばれた時代である。叡山の仏教的権威や公家・大名・侍・血統等のすべての権威が「応仁の乱」と共に崩壊する時代である。「一視同仁」と、権威の中心にいた将軍として初めて考えた義政が、禅の精神に基づく簡素さと、伝統文化である幽玄・侘びを精神的基調とし東山の山荘に銀閣を建てた。金というきらびやかな権威の象徴を否定した銀と言えるのではないか。

 水墨画ではこの時期に雪舟が出て、墨一色の濃淡と、黒と白のコントラストを織り交ぜた作画技術を駆使し水墨画様式を集大成した。この水墨画を基本とし大和絵の手法を取り入れ狩野派が起きた。これ以上ない無駄を省いて基本様式とし多様化へ発展させるこの流れは、同じ禅の精神で統一されたこの頃の庭園「枯山水」と同じである。庭園の技法も一旦基本に戻り、その後多様化が進むといった流れの中にあると考える。

 岩石と砂利の造型のみ意識的に切り取って目をやれば、永久不変な真理とも読める。しかし、その周りには塀がめぐらされており、極当たり前に塀の外の草木が目に入ってくる。それは、あたかも真理を取り巻く煩悩のようでもある。庭園を意識的に見ている自分も人間という枯れ行く自然であり、庭園の塀の外や空気でさえ造型にかかわる自然である。

 また、「光と影」との関係からも言及する事が出来よう。これは雪舟の「水墨画」に大きな共通点も見出す事ができる。陽の差し加減によって出来る陰影や、朝焼けや夕焼けによって染まる巌と砂利。雨や霧によって霞み様変わりする石庭を考えれば、自ずと不変的・記念碑的な造型でないことに気付く筈である。

 完成した芸術は、自然とのかかわりがあって初めて芸術作品となる。自然物である人間や天候という客体無くして主体である芸術は成り立たないと考える。私としてそのような視点で作者「相阿弥」の意図を強く慮る事が出来る。ゆえに、この石庭に「非日常性」を見出した著者や志賀直哉に対し、これらの視点の欠如を感じざるを得ない。

 とまあ、言い掛かりを付けた様な体裁の読後感になってしまった。皆さんもお暇ならセンター試験に挑戦することをお勧めする。ある程度の年齢に達すると問題を解くという意識より、問題を作る側や著者に対する人間としての「ふれあい」のような温かい何かに出会い得した気分に浸れる。今回私として何気に取り組んだセンター試験ではあったが、学生時代には得られなかった「血の通った人間が創造したもの」として対等に向き合えた事は、とても大きな収穫となった。
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