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9月の旅 『崖の下の秋』 

 この急激な気候の変化はまるで、「熱帯雨林のジャングルで迷い、崖に気付かず、真逆さまに転落したところは冬に近い秋だった」、みたいな感じ。タオルケットだけでは寒くて寝ていられない。無駄に長い飛び石連休があり、気付けば9月の最終週。そんな私は先日行ってきました、連休使って金沢へ。初めて走った能登有料。金沢港から能登空港まで繋がる全長約90km。時期的に何も無く、したがって渋滞も無く、とっても快適。4年前、海沿いに能登半島を一周した時は盆休みど真ん中。暑くて辛かった。震災直後の復興中、名所も閉鎖されていた。

 旅行の目的は?と聞かないでネ。自宅にあった「珠洲の塩」が底をついたので、買いに行くか!といった程度の軽いノリ。初日は朝一に東京から高速に乗り、長野の松本で降り、野麦街道で高山へ。飛騨清見ICから東海北陸道、北陸道を経て金沢到着。東京から約500km。言っておくがスクーターではない。今回はクルマ。一日目は金沢宿泊。久々、夜の香林坊へ出かけメシを食おうということになった。今が旬の「ノドグロ」のシースーでも食おうかと思っていたが、焼き鳥がいいという家内。仕方なし、ネットで検索し行ってはみたが、やっぱ大ハズレ、せっかくの金沢の夜は台無し。

 翌日は能登半島の北端、珠洲市まで塩を買いにまっしぐら。能登有料最初の30kmくらいまでは左手に日本海が続く。気分は爽快。気候と日差しはまるでL.A.かハワイのよう。BGMにはフュージョンが合う。きっと真冬は演歌なのであろうが。海岸に沿ってこれだけ長い高速も珍しい。その後,羽咋市に入り海岸沿いを離れ低い山の中をひたすら走る。能登空港近くで一般道に入り海沿いの輪島市へ。また海岸線だ。名所である千枚田も止まらずに只ひたすらにお塩屋さんへ。そして到着。塩を買って塩アイスクリームを食べ、とっとと出発。次なる目的地は長野市。

 能登半島北端の珠洲市から長野市を目的地とした場合、北陸道への最短ルートは七尾→氷見→高岡である。このルートは一般道で以前走った。この一般道では時間がかかるので遠回りだが快適な道を選び、往路と同じ能登有料で金沢まで戻る。金沢森本ICから須坂長野東ICまでは約230km。時間は午後1時。到着は3時半の予定。北陸道は富山に入り右手に立山連峰の壮大なパノラマが広がる。この景色は私にとって北陸そのもの、とても好きな景色だ。その後は同じような景色。何度もトンネルを抜け、富山・京都・大阪ナンバーの車と競り合いながら上信越道へ入り南下。

 渋滞も無く予定通りに長野市に到着。善光寺にお参りしホテルへ向かう。本日の走行距離は570km。翌日は夜間瀬を通り志賀草津道で草津を抜け、吾妻川沿いの145号で中之条、沼田へ出て関越道で東京へ戻ろうと考えていた。ホテルでテレビを見ていたら偶然、安曇野・池田町立美術館のCMが流れた。『生誕100年・没後20年 山下大五郎展 -私の安曇野、私の日本原風景-』。松本・安曇野が好きで頻繁に出かける私であるが、この美術館は行きそびれていた。予定変更。翌日、高速で約100km、一時間。前後の道で合計2時間。美術館は小高い山の中腹にあり、安曇野の平原が一望できる最高のロケーションにあった。アルプスのパノラマを背景に有明山は真正面。

 日没時の犀川橋から望むアルプスの風景が好きで、毎回この地へ来ると犀川橋へは寄っていたが、今後、犀川橋からほど近いこの美術館へも寄ることになるであろう。その後、諏訪湖の西岸・岡谷市のイルフ童画館、そして諏訪湖東岸の諏訪市にある原田泰司美術館へ立ち寄った。3件、美術館をはしごした。イルフ童画館2Fでは、ドゥシャン・カーライの「アンデルセン童話集」展があり、煙突の上で街を眺める「羊飼いの少女と煙突掃除の少年?」の童画と童話に感動。それにインスパイされ作ったのが、前回のブログ・童話もどき『氷売りの少女』だ。話は違うがアンデルセン繋がりで。中途半端な季節には美術館巡りもいい。すべては塩を買いに行くついでではあったが・・・・・・。


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国道4号とスクーター(HONDA LEAD 110) 

 つい最近の土曜、ふと、「20年以上前、お世話になった米沢の社長は未だご健在なのかなあ~?」と考えた。社長の息子夫婦は山形県の米沢駅前で居酒屋を経営している。10年前の旅行で、その居酒屋へ立ち寄りたずねたところ、その時はご健在。社長は戦後、縫製工場を米沢に立ち上げた。日本の経済成長期,東北地方ではYKKファスナーの仕入れが最も多い工場であったと聞いた。国内外の来客も多く、接待で頻繁に使っていた米沢から近い福島飯坂温泉では顔。私も連れて行ってもらったが、温泉街の誰もが社長に挨拶をするほど。

 私と社長の仕事でのお付き合いは、80年代後半のバブル全盛期。米国向け繊維品輸出全盛期は既に過ぎていたが、その名残で社長の工場は小学校ほどの敷地に建つ朽ち果てた木造校舎のよう、無駄に大きい。建物の一部屋だけを使い年配の従業員4人と、国内向けの簡単な縫製仕事を請け負っていた。最終まとめが場内、細かい縫製作業は皆、外注。納期が遅れそうだという社長の電話を受けると、午後10時までに仕事を切り上げ、夕食を取り、夜中の12時に車で米沢へ向けて東京を出発。高速を使い朝4時には工場に到着。

 辺りは真っ暗。既に70歳を少し過ぎた社長は工場の電気を煌々と灯し、一人で懸命にミシンをかけている。その音は静まり返った工場の外にまで聞こえる。夏はカエルの大合唱に混じって。冬は雪景色の静けさの中、聞こえるのはミシンのモーター音だけ。始業時間にならないと手伝うこともできないので、車の中で待つ。6時頃、社長が車に来て、社長の弁当を朝飯代わりに食えという。大きなタッパーに入った肉ジャガが特に旨い。息子さん夫婦の居酒屋で作られた米沢牛を使った肉ジャガであることを後から聞いた。

 朝7時になると外注の部品回収を頼まれる。5件くらいなのだが、一軒一軒が離れており4時間以上はかかる。簡単な地図を描いてもらい説明を受ける。「工場前の道を真っ直ぐ行き一個目の信号を右、そして次の信号を左に曲がり2件目」。都内なら歩いて行けそうな感じだが、10km先であることもザラ。まず一軒目は「みどりさんの家」。やっと若い女性に会えるのかと期待に胸を膨らませて向かう。と、私の祖母と同齢程の「みどりさん」。初めての家でお茶やお菓子を頂き、30分は過ぎる。

 2件目以降もこれを繰り返せば昼になる。彼女たちは皆、20~30年も前、社長の工場で働いていた。一同皆、「残業は多かったけどミシンかけは楽しかった。農業はやりたくなかった」などの思い出話になる。仕事はケツに火が付いた状態なのであるが、話していると皆のんびりとしていてセッカチな自分に嫌気がさして来る。この期に及んで焦っても仕方がないと、それなりの覚悟をする。が、そんな状態を経ても不思議と仕事は納期に間に合う。当然、米沢から山形空港へ持ち込んだ入り、トラックをチャーターして即日納入を敢行したりとあらゆる手は尽くしてだが。

 そんな思い出深い米沢なので、家内を連れ車で何度も旅行に行った。東北道を使い、福島飯坂ICで降りる。その後、西へ向かい栗子峠を越えれば米沢だ。全長約350km。この長距離を高速を使わず私は、110CCのスクーターで果たして行けるものなのか?ネットで距離を調べると、日光街道を使って約320km。高速道は遠回りであることがわかる。午後1時半には着替えを持ち米沢へ向け自宅を出発していた。猛暑の中、延々と北へ向かう。都内から埼玉県幸手市までの4号線は自転車で何度も走っている。景色も見慣れている。

 埼玉から茨城県へと橋を渡り、片側3斜線の広い4号新バイパスも日光や宇都宮からの帰りに自転車で走ったのである程度分かる。想像が付かないのがその先だ。宇都宮までは自宅から約100km。3時間かかり午後4時半には通過。矢板、西那須野、新白河から須賀川の大黒町までこれまた100km。大黒を下の道で走るのは初めて。かなり大きな町だ。時間は午後6時半。辺りはすでに暗い。気温26度。東京の熱帯夜が嘘のようだ。そしてついに福島県の大都市、郡山市を通過。高速道のようなバイパスは、新幹線が止まる駅を西に大きく避けるように走る。本当に大都市。大きな観覧車もバイパス沿いにある。

 郡山の街中から外れ道路標識を見れば仙台130kmとの表示。自宅からの距離は既に245km。米沢まではあと80kmくらいの場所だ。約2時間で米沢と思い、栗子峠あたりをシュミレーションした。峠を上り暗く長いトンネルを抜けなければならないなあ~と思った途端、シュルシュルと私にリミッターがかかった。「やめた!」と、スクーターを次の信号でUターン。最初のコンビニで停車し、郡山のビジネスホテルを予約してほしいと家内に電話した。体力の限界ではない。単にやる気が失せた。チェックイン前、せっかくなので大都市郡山を探検しようと、駅周辺を走った。

 駅の周辺はJR錦糸町駅周辺の雰囲気に近い。街並みは墨田区と台東区のような低層ビルや個人商店・飲食店が多い。住むには絶好の地である。ホテル近くの中華屋で食事を済ませ、ホテルの温泉にゆっくりつかり就寝。そして翌日、同じ道で帰るのはつまらないと、猪苗代湖、会津若松を経て旧日光街道で南下。南会津の田島を抜け、日光経由宇都宮で都内へ戻ろうと考えた。途中、スクーターでも日光や今市の渋滞は避けたいと考え、田島からいつも停車する道の駅で一旦休憩を取り、那須塩原温泉を抜け国道4号に合流。

 8時に郡山のホテルを出発し、午後4時には自宅に到着。休憩・昼食の約2時間を引くと実質6時間。なんと350km走った。前日は245km。自分の偉大さに気付いた。年齢に階級があればきっとチャンピオン間違いなし。名古屋・新潟までもほぼこの距離。もう二度と、このスクーターでこんな距離を走ることはないであろう。それとも来年は、250CCくらいにエンジンを格上げし、北海道にでも行ってみるか。結局、長々と語った思い出に結びつくことのないツーリングになった。思い出は自動車で実現するに限るなあ~と、しみじみ感じた私だ。

昨年のゴールデンウィークの旅 

 昨年のゴールデンウィークは「関ヶ原古戦場と周辺名所旧跡の旅」に出かけた。岐阜大垣のホテルからは関ヶ原までは国道21号を走り約15km。「関ヶ原の合戦」は1,600年。その古戦場を散策し、石田光成の缶バッヂを2個買った。そこから国道365号を北西に約15km走り、姉川古戦場跡へと向かった。30年遡って1,570年が「姉川の戦い」。織田・徳川軍と浅井・朝倉軍の激戦跡地とは思えない長閑な田園風景。川の幅は東京で例えるなら神田川レベルと小さい川。その後、更に365号を北西に約10km行き、浅井長政・お市の方の悲劇の舞台となった小谷城址へ。

 小谷山は標高395m。平地に険しくそびえ立っている。その山頂に小谷城があった。房総三山でマザー牧場のある鹿野山は353m。それより高い。車で登ると急な坂道はどこまでも続く。堅固な天然要塞である反面、兵糧の調達は大変であったはずだ。姉川の戦いの約4年後、1,573年に落城。秀吉はその軍功で信長からその地・今浜を拝領、信長の一字を貰い受け長浜と改名。落城した小谷城の資材を使い琵琶湖沿いに長浜城を築城して城持ちになった。ここ長浜市まで来ると、琵琶湖北端は近い。そこには賤ヶ岳がある。落城から約10年後の「賤ヶ岳の戦い」の古戦場がある。

 大垣から現在40kmの距離。あと僅か約10kmで賤ヶ岳。1,582年の本能寺の変の翌年、信長亡き1,583年に秀吉と柴田勝家が戦った場所である。この戦いの最中の「美濃返し」は有名で、秀吉軍は大垣城から賤ヶ岳手前の木之本までの丘陵地帯約50kmを、5時間で走破し勝利を決定付けた。地図を見ると関ヶ原の北には伊吹山(標高1,377m)があり、大垣から賤ヶ岳手前の木之本まで、伊吹山に阻まれ直線コースは不可能。国道21号と365号を使い、今日私が走った道程が最短距離である。胴衣や甲冑を付け山あり谷ありの道をたった5時間、よく走り抜けたものだと感心する。

 この美濃返しを一回体験してみたいと、旅行前から地図と睨み合っていたのだが、事前にネットで見た賤ヶ岳の登山道入り口の写真などから雰囲気が小谷城址付近と変わらないであろうと考えた。光成の佐和山城址と彦根城址も行き、逢坂の関も抜け、ついでに京都へも行ってみよう!と当日思いついたので賤ヶ岳行きを急遽取り止めた。後付けの言い訳としては、お市の方の悲しみに触れるのは小谷城址で十分だとも。光成のバッヂは2個も買うくらい光成好き、佐和山城跡へは絶対に行きたい。

しかし、諸々の都合でスルーして、彦根城址へ行った。光成死後、徳川四天王の一人井伊直政がその軍功で山城であった佐和山城に入城するが、これを嫌い、すぐに琵琶湖湖畔に平城の彦根城を築城。その時の資材は、佐和山城、長浜城、小谷城のものであるとのこと。国家が統一される過程の中で、山城から平城は共通。小谷城→長浜城、佐和山城→彦根城と弱肉強食の論理を強く感じるが、今でいえばエコノミー&エコロジー。きっと資材の質が飛びぬけて良かったに違いない。

 そこから大津市へ入り、これも薄っすらと行ってみたいと夢見ていた山城国と近江国の国境「逢坂関」へ。「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関 (蝉丸)」 「夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ (清少納言)」 蝉丸の歌は、「行く帰るも、知るも知らぬも、別れては逢う」と無常を切々と歌い上げる一方、清少納言の歌は、漢文の素養と本歌詠み風?を鼻にかけたイヤミな女、と思わせる対照的な歌になった場所がまさにここ逢坂の関。こういう女の逢坂の関は、いとも簡単に関所が破れご開帳、本人自身がはかることの出来ない大きな鳥の空音を出し、同時に琵琶湖に流れ出るくらいの大洪水、淫乱緞子(ドンス)ってな感じ。←コレ、余分だったかなあ~、清少納言ファンの皆様、ゴメンナサイ。

 それから京都へ向かい、改修工事中の幕が張られて中が見えない銀閣寺へ行き、さっさと高速に乗って岐阜大垣に戻った。これで、以前、奈良へ行った時のように、この時代の場所と距離感覚を体現出来た。私としては大収穫。奥深さは全く無い旅。この旅行の後、グーグル・アースでこの近辺を眺めれば、私にしか見えない私の足跡がくっきりと見える。地図の中で、歴史的な大事件のあった場所に、自分自身の足跡を重ねるのがなんとも好きな私だ。大垣から賤ヶ岳までの「美濃返し」のルートは、歴史の出来事や流れを体感でき、久々のヒット。一方、先月連休の桶狭間、長久手、熱田神宮、伊勢神宮は空振り三振であった。今回のゴールデン・ウィークは全く予定のない私だ。千円高速が最後なので奈良も四国もきっと大渋滞。そんじゃ、都内や近郊の名所・史跡巡りでもしようっと。


歴史脳を行動で解きほぐす 「岩宿遺跡」 

 先日、埼玉県深谷市で法事があった。そのついでと言ったらご先祖様に怒られるが、車で北へ約25kmの場所、群馬県みどり市笠懸町にある「岩宿遺跡」へ一人で行った。2,000年に発覚した座散乱木遺跡の捏造事件までは、その立場が脅かされたが、「日本史の第1頁」という立場を守り続けている日本最古の遺跡である。山川出版社の高校生用詳説日本史Bには、第一章「日本文化のあけぼの」-1.文化のはじまりが1ページ目で、太い黒文字の順番から羅列すると、更新世、完新世、氷河時代、日本列島、新人、日本人、石器時代、打製石器、磨製石器、岩宿遺跡と更新世の重複を除けば、第十番目に出てくる日本の歴史教科書では最重要な言葉でもある。

 古代から近現代史に至っては、歴代天皇125代(+北朝5代)を暗記することで興味を持って学ぶ術(すべ)を知った私であるが、「原始はどうもな~」と、今一歩踏み出せない状態にあった。ある日、「原始を語らずして日本史を語る無かれ」と、無くなった祖父母の霊が私に囁いた。「そんじゃあ~、祖父母の法事のついでに行ってくるか!」となった。頭ではなく足で勉強しろとの仰せだ。終戦翌年の1946年、納豆の行商を営みながら考古学を勉強していた相沢忠洋氏が、切り通しの道となっていた岩宿を通りかかり、切り通しで露出していた赤土(関東ローム層)から、石器を発見し日本前史を更新した。相沢氏は頭ではなく、自分の足を使って遺跡を発見し歴史を塗り替えた。

 そう、歴史を学ぶ姿勢には、相沢先生を見習い、まさに行動こそが重要ではないか。と、脳が萎縮してきた私は思う。私が教科書で学んだ時の岩宿遺跡に対するイメージは、群馬県ゆえきっと山奥の湖畔に近い場所であろうと考えた。しかし現地へ行ってみれば、渡良瀬川が何万年もの年数をかけ作った扇状地に遺跡群は点在。発見前の歴史研究家の間では、浅間山、榛名山、赤城山の度重なる噴火で、一万年以上前、縄文時代の前のその地には、人が住むことは不可能であると考えられていた。日本史全体で縄文以前は無いとされていたのだ。それを納豆の行商をしながら、熱心に岩宿へ通い日本史の時代を掘り下げた。

 納豆を食べる時も、旨いと思うだけではなく、相沢先生に感謝しながら、味わって食わなければならないと単純に考える私だ。ちょっと勉強になったので、行動重視、休日には近場の大森貝塚にでも行ってみようかと思っている。縄文時代の象徴のような大森貝塚。ここの発掘調査は、日本の近代科学としての考古学のはじまりと言われている。米国の動物学者であったエドワード・S・モースが研究の為、私費で来日し、1877年6月、横浜から新橋へ向かう汽車の窓から大森の貝塚を発見した。明治維新後、新橋と横浜間の鉄道開通は1872年(明治5年)。その5年後、1877年(明治10年)の大森貝塚発掘調査。汽車の窓から貝塚発見のエピソードは、年号も含めとても覚えやすい。

 岩宿遺跡は、東京から東北道を使い館林ICを降りて約35km位。片道行程は105km。帰りには佐野のアウトレットへも寄れる。関越道の場合は、花園ICで降り、深谷市の血洗島(物騒な地名だ)にある渋沢栄一生誕の家と記念館に立ち寄り、岩宿遺跡へ。片道全行程約115km。帰りは東北道へ向かい、佐野のアウトレットへ寄って帰る。日帰りコースで歴史のお勉強とお買い物。維新後、殖産興業政策の立役者「渋沢栄一生誕の家」はとてもお勧め!ボランティアの方が彼の生涯を切々と語ってくれる。彼は「日本資本主義の父」と呼ばれた元大蔵官僚であり実業家。第一国立銀行、王子製紙、日本郵船、東京証券取引所など数々の企業の設立や経営に関わった。そんな彼が二十歳の頃、尊皇攘夷に目覚め、高崎城の焼き討ちや倒幕を計画したとボランティアの方から聞いた時にはとても驚いた。財閥クラスになれる企業家であるにもかかわらず、それを捨て、国民の利益を最優先した人である。エピソードも交え楽しみながらとても勉強になる。子供がいる方にはとてもお勧めのドライブ・コース。子供の日本史のテストの点数が5点以上はUPすること間違いなし!是非とも歴史を実体験してみては?

’09年 紅葉狩り 

 晩秋の木々の葉が紅色に染まりゆく姿は儚くも美しい。と、いとおかしな遺伝子の命ずるまま、紅葉狩りに出かけた。苺や葡萄も「狩り」であるが、落ち逝く寸前の葉っぱをこよなく愛し、その鑑賞を「紅葉狩り」と称した日本の祖先は皆詩人、ある種芸術家でもある。紅葉に心、心に紅葉の色付きを重ねる。遺伝子の乗り物である我々の肉体は、更に自動車という乗り物に乗り、渋滞なんぞなんのその。モバイルなモービルでモーブル尽くしの状況へ陥る。「あれっ!パリの有名な美術館の名前は何だっけ?」 と、指任せに打ち込んでいたら前置きがとても長くなった。

 今回、紅葉狩りの目的地は栃木県の日光中禅寺湖周辺に決定。車で宇都宮から今市を抜け日光市に入ってから「いろは坂」を登るルートは、ガキの頃のトラウマがある。東北道のような高速も無い時期、千葉の実家を朝5時に出発し、日光街道の大渋滞に巻き込まれいろは坂の下に到着したのは午後2時。それから「いろは坂」の渋滞に3時間強、中禅寺湖到着時、あたりは真っ暗。紅葉狩りどころではなかった。いろは坂途中にはトイレが無く、道端や木の陰で立ちションや座りションをする姿を頻繁に見かけた。私も然り。私の場合は座りポトンであったが・・・・・・。

 なので、この定番ルートの日光正面突破は、自分で車を運転するようになってからも避け続けていた。兎にも角にも、いろは坂の登りの渋滞には散々パラ懲りている私なのだ。じゃあ、日光へ行くときはどうするんだ?答え:「関越で行きま~す」 渋川の先の沼田インターで降り、吹き割の滝で休息し、尾瀬の横を走り、時には金精峠で金精にお祈りしたけどその後の効果は全く無し、今では金精のヌケガラその名も片平サナギ、戦場ヶ原を通り抜け、竜頭の滝、中禅寺湖と国道120号を一っ走り。渋滞は中禅寺湖の鳥居付近にあるくらいで、その他はとてもスムーズである。この国道120号、吹き割れと金精のとってもエッチな組み合わせが、なぜかこの時期、おセンチな私の琴線に触れる。

 これは日光へ正門ではなく勝手口から入る方法と言えよう。一泊出来るなら土曜日の午後出発、渋滞が緩和された時点で関越道に乗り、沼田に一泊して、翌朝上記ルートで寄り道しながら日光へ向かうのがベストだ。渋滞がないのでストレスが全くない。ゆえに一時期は拠点を沼田にしてドライブしまくったこともある。ビジネスホテルは直前でも空いているし、日光方向の東方面ではなく、逆の草津方面や浅間山や嬬恋を通れば軽井沢へも全くの渋滞無しで行くことが可能だ。そう、軽井沢へも勝手口から入れるのである。まるで「奥さ~ん!米屋で~す」のような気軽さではないか。「来週、お客さんが来るので、プラッシー1ケースお願いね!」。

 これは私独自の策ではない。古代中国の偉人、名前はたしか北島三郎、が著した「ヘイ!兵法」にも書かれている。「戦いは正を以って合し、奇を以って勝つ」と。正面突破が正なら裏から攻めるのは奇、正攻法が正なら奇襲作戦は奇、すなわち相手の裏をかけということだ。男なら誰もがそうだが、裏筋はきっと――――今日は指がようやくノッてきたが止めておこう。せっかく情緒漂うお話にしようとここまで頑張ったのだから。そんでもって、そうそう、やっぱ渋滞は敵なのだ。敵に対して無策とはなんとも情けない。その時、いろは坂で渋滞緩和の秘策をふと思い付いた。それは次のお話にしよう。

 最後にこれだけは書いておかねばならないと思ったことを書くと、実は今回、正面突破であった。ここまで読んでくれた人には詐欺師のブログを読ませたようでとっても気まずい。嫌いにならないでネ。ちなみに今回はゆっくりと東京を午前10時半出発、東北道一発でいろは坂の手前までで午後12時半、いろは坂は大渋滞であったが、約2時間で中禅寺湖に到着。男体山に被る雲も途中で晴れ晴天であった。だからブログトップの写真が撮れた。正面突破でも比較的スムーズだったといえよう。が、が、が、たとえそうであっても、沼田からのルートはものすご~くお勧めだ。是非、今年は試してみてネ!きっとセンチメンタルな松本伊予、ジャーニーコニカな井上順な紅葉狩りになること請け合い、お煎餅は、ばかうけ(青のり)がとっても美味しい季節なのだから。

静岡「川根茶」 

 先月、例年のように静岡の取引先から確認サンプルと共に新茶が送られてきた。飲んだ感想は「とても甘い~」だ。私のお公家なお口にピッタシカンカンのお味だ。といいながらも、茶に関する知識は皆無。きっと、今年の3月4月と天候が良かったせいなのであろう。そんなこんなで先日の土曜日、こんな旨いのなら生産地へ行こうと思い立ち、大井川鉄道のSLで有名な静岡県川根本町の千頭まで「川根茶」を買いに行った。行きは約280kmの道のりである。

 昨年、大井川鉄道のSLに初めて乗り、その終点千頭駅に降り立った。SLは乗るもんじゃなく外から見るもんだ!との結論に達した私だ。その際、駅を降り道を挟んだ右角にある「川根物産」に立ち寄った。高価なお茶はきっと旨いのであろうが、大容量400gで1,050円の「川根茶」が店頭にあり、お得感に惹かれおみやげも兼ね3個買った。早速家で飲んだ。そんじょそこらのスーパーで買うお茶の比ではない。安いのにとても旨い。結局、おみやげにすることはなかった。

 以来、「川根茶」は当家のハウスティーになった。その在庫が先月切れたと家内からショッキングな報告も受けていた。前日は午前様。朝一に出発できるはずもない。晴れていたので午前中は東名高速の渋滞もある。なら、「午後からドライブ」を選択し12時ジャストに出発。富士川SAで今が旬(10月~6月)の駿河湾産桜海老の天ぷらを食べる楽しみもある。海老名あたりでの渋滞はあったが、昼食を含め台場インターから約220km地点の相良牧之原まで三時間半であった。

 高速を降り新バイパスで北上、静岡新空港(島田空港)から大井川鉄道始発の金谷駅横を通り抜け、千頭到着は午後四時半。観光の時期ではないと考えられるので店が閉まっているという不安もある。到着した千頭駅周辺は人陰も少なく静まり返り、小さな田舎の駅という佇まいだ。店は開いていた。今回は5パック買った。新茶も買おうと家内に提言したが割高ゆえ拒否られた。滞在時間約15分。帰りの道は千頭から静岡方面へ抜ける近道を選び、往路より50km程近い220km。

 さしたる渋滞もなく、自宅到着は8時半。約3時間半であった。東名高速料金は\1,750-×2=\3,500-。首都高が\630-×2=\1,260-。高速料金合計で\4,760-だ。走行距離合計は500km。燃費をリッター12kmとして、約42リッター。42リッター×129円=\5,418-。高速とガソリン代合計が、約\10,200-。お茶合計が\5,250-。総合計\15,450-。これを5パックで割ると、一パック\3,090-也。嗚呼~、何という計算をしてしまったのだ。ま、いいか。行動こそプライス・レスなのだから。

 「やっぱ、美味しいなあ~川根茶は」。今度はFAXで注文しよ~っと。

笠間つつじ公園 4月29日の状況(写真付き) 

 昭和の日の29日、天気予報は晴れであった。前日は日曜日から徹夜、そのまま昼は仕事をし、私にとっては早めである12時に就寝した。当然翌朝は早く起きた。朝6時頃起床しどこに出かけようかと迷った。候補は以下だ。①葉山町役場の2万本のつつじ ②秩父の芝桜 ③笠間つつじ公園の約8,500本のつつじ 前日から予定していた訳ではなく、朝思い付いたので無理やり家内を起こすわけにはいかない。新聞読んで、ドーナッツ食って、テレビを見てたら既に8時。とりあえず、運動がてらマイカーの洗車に出かけた。

 江戸川区の洗車場まで家から10km走り、水圧だけの洗車をし、帰りがけにセルフのスタンドでガソリンを入れ、フジテレビ横を通り過ぎ青海埠頭でワックスをかける。いつものコースだ。スタンドだったら、手洗いワックス洗車は3,600円也だ。ということは、自分の時給を考えなければ約3,000円は儲かったことになると、みみっちく考えた。人間が小せ~なぁ~、オレって。洗車とワックスがけは屈伸運動の繰り返しだ。右手が疲れると左手と、腕力も鍛えられる。自転車や水泳よりいいかも!と、貧乏人の理屈は完成する。

 その儲かったと思い込んだ金で、帰り際に吉牛弁当を2個買い11時に帰宅した。食事の準備が要らないので、早く出られると考えた。食事と家内の外出の準備を含め約2時間、どこに行こうかと迷った。葉山の往復は車が異常に混む。家から110kmの秩父へ行くアクセスは首都高、外環、関越、花園インター降りてと複雑だ。そんじゃあってことで、初めてではあるが、首都高から常磐道一発で120kmの茨城県笠間市にあるつつじ公園に決めた。午後から下りの混雑はない。100kmで走れば約1時間強で行ける。

 笠間市のつつじ公園はとても良かった。とてもじゃなくカナリ良かった。車も人も全く混んでない。葉山とは大違いだ。雄大なパノラマが広がる山肌に鮮やかな色、それも色とりどりのつつじがそこかしこに咲き乱れている。ゆったりと緩やかな山の斜面を散策しながら、25種類ものつつじを鑑賞する事が出来る。思い込めば俗世間から離れた「桃源郷」のようでもある。桃の木と思い込めば、花見する公家達の亡霊までもが見えてきそうだ。バックグラウンド・ミュージックには雅楽が欲しいところだ。ほんと、きれいだよ、ここ。

 てなことで、ブログのトップも「笠間つつじ公園」展望台からみた景色に変えた。いちごソフトクリームを食べながら撮った一枚である。空がもっと青ければなぁ~、って感じだが・・・。連休中に旅行の計画が無い人は絶対にお勧めする。期間は5月10日までと案内に書いてあった。入場料は500円である。日帰りドライブならこうだ。茨城のさらに北方、大子町にある「袋田の滝」行って、笠間に寄ってつつじ見て、次は牛久の大仏だ。常磐道は、東名・関越・東北道のようにあまり渋滞がないのがいい。やるなぁ~、茨城!!

常磐道を笠間市に向かう途中、レクサスCFをマネて激写した一枚
レクサス


笠間つつじ公園1
つつじ1


笠間つつじ公園2
つつじ2


笠間つつじ公園3
つつじ3


笠間つつじ公園4(赤い花と緑の葉のグラデが幻想的だ) 遠くに公家が見える。ただのおばちゃんか。
つつじ4


牛久の大仏(帰りの常磐道は三郷で事故があり渋滞、じゃあ寄り道ってことで桜土浦で下りて立ち寄った)
時刻は6時半、駐車場はすでに閉鎖されていたので、お墓の道に入り込んで接近した。
ありがたや~、ああ、ありがたや。
牛久大仏


そして、今日のオマケ
Peter Cmorik- Long train runnin

『巾着田の曼珠沙華とコスモス』を堪能する里山歩き 

埼玉県日高市『巾着田の曼珠沙華とコスモスを堪能する里山歩き』

 土曜の朝刊に「埼玉県日高市にある巾着田では今、曼珠沙華(彼岸花)が満開である」と一面曼珠沙華が咲き乱れる写真付きで紹介されていた。近くを走る国道299号は秩父の帰りに通った記憶があるが、このような花の群生地である事は知らなかった。ルートマップで場所や距離を検索したところ、東京の自宅から約65km位で川越や秩父にも近い場所である。この日は、200kmサイクリングの予行演習であったので翌日の日曜日に出かける事にした。

 9月24日(日)の午前中、昨年亡くなった家内のお母さんの墓参りに足立区谷在家の正徳寺に行き、そこから首都高、外環道、関越道、鶴ヶ丘JCから外環道で日高市のインターで降り、約30分で巾着田近くに到着した。場所は西武池袋線の高麗(こま)駅に程近い。

 巾着田は、日高市内を流れる清流、高麗川(こまがわ)の蛇行により長い年月をかけてつくられ、その形がきんちゃくの形に似ていることから巾着田(きんちゃくだ)と呼ばれるようになった。直径約500メートル、面積約17ヘクタールの平地には菜の花、コスモスなどの花々が咲き、中でも秋の曼珠沙華(彼岸花)群生地は辺り一面を真紅に染め、まるで赤い絨毯を敷き詰めたようである。毎年多くの人がその美しさに惹かれて訪れる。

 近くには日和田山(関東名山100選)があり、頂上は巾着田を見下ろせる絶景であるとの事であった。しかし、初級・中級登山者向けの山であるので、次回一人で来たときに登ることにし、今回は巾着田を含め『高麗』という地名の由来を探る為に付近の里山歩きをのんびりと敢行することとした。

高麗郡の設置については以下である。
 
 続日本紀 巻の七、元正天皇霊亀二年(奈良時代 西暦716年)五月の条に、駿河(静岡県)甲斐(山梨)相模(神奈川)上総・下総(千葉)常陸(茨城)下野(栃木)七か国の高麗人1,799人武蔵国(埼玉)に移して高麗郡を置くとある。これにより当時関東甲駿地方に高麗人が散在していたこと、これを武蔵国に集めて高麗郡を設けることが知られる。
 
 当時の高麗は正しくは高句麗(こうくり)のことで、新羅滅亡の後朝鮮半島を統一した後の高麗(こうらい)とは文字は同じであるが、読方を異にし時代の上にも隔たりがあり全く別の国である。

20060927150515.gif
地図左下の高麗駅付近の駐車場に車を止め、東側にある巾着状になった高麗川の中の巾着田へ向かう。巾着田の周りの高麗川に沿って曼珠沙華は群生する。高麗川に包まれている巾着田の内側にはコスモスが群生している。

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午後からのドライブ(1) 

夏の終わりのドライブ

 私は千葉育ちなので千葉の海が好きだ。それもゴールデンウィークの時期と晩夏から初秋にかけた太平洋のおもむきがもっとも好きである。例年、この時期になると渋滞する早朝を外し、午後よりドライブに出かける。

 先日のドライブのパターンを写真と共にご紹介しよう。

昼12時ジャストに出発。有明で湾岸に乗り、京葉道、東金有料を経て東金のインターで降りる。(ここまで約58.5km)
国道126号を銚子方面へ直進する。国道沿い左手の中華料理の珍来、作業服のワークマンが左側に見えて東金九十九里有料道の入り口に入りたいところ、そこも過ぎ、橋を渡り次の信号のある交差点の左先にマクドナルドがある。(東金出口より6km、出発してから約45分後到着)
交差点を過ぎマックの隣に讃岐うどん屋『はればれ』がある。国産の小麦粉を使った讃岐うどんをセルフで食べる事ができる。うどん小¥280-・中¥360-・大¥440-が基本で、「ぶっかけ生醤油」「冷やし」「かけ」等、本格的な讃岐うどんをお好みの食べ方で注文する事が可能である。その他オプションには各種天ぷらやおにぎり・稲荷すしがある。予算は一人¥600~¥700位といったところか。来月の9月7日から店名が変わるとのお知らせが貼ってあったが経営者は同じとのことであった

マックの先に讃岐うどん『はればれ』はある。
マックを過ぎた先にある。


セルフ式の讃岐うどん『はればれ』。18年9月7日に店名が変わる。
讃岐うどん『はればれ』


食後は一路海に向かう。店を出て更に126号を銚子方面に向かい500m位先の一個目の信号を右折する。この交差点には左に『かっぱ寿司』、右手に『中古車センター』がある。直進しい田園風景の中を500m走った最初の横断歩道がある交差点を右折すると、東金九十九里有料道の表示がすぐ見えるので案内に従って押堀ICから高速に乗る。コイン投入式なので予め200円を用意しておく。高速で田園地帯を約9km走ると九十九里浜直前の真亀料金所がある。ここで400円払ってすぐに右折するとそこはもう九十九里浜沿いの波乗り道路である。すぐに汐浜海水浴場がありパーキング・エリアがあるので、そこに入れ、車を降りて浜に向かう。

漁業の為に打ち込まれた杭なのであろうか…。平坦な海岸で唯一絵になる杭だ。
九十九里浜と太平洋


パーキング・エリアを出て波乗り道路の終点の料金所までは約13kmである。料金所手前にも海と一宮の町が一望できトイレもあるPAがある。料金所は先に払っているので通過し、500m先の左手にコンビにがあるT字路を左に行く。海沿いの県道をコンビニから6km南下すると国道128号に合流するT字路があるので海側に左折する。この国道に入って2.7km先に太東灯台への入り口がある。左折し1個目の分岐点に観光案内があり、それを過ぎて2本目の分岐点を10時の方向に左折する。その後は灯台が前方に見えるので、その方向に走るだけである。太平洋が一望することが出来る。水平線をみれば「やっぱり地球は丸かった」と誰でも思えるスポットである。灯台駐車場下の売店では、地元でとれた梨『豊水』を販売しており5個¥550-であったのでさっそく買った。『幸水』より甘く上品なシャリシャリ感がありとても旨かった。

太東灯台は木々に包まれているので全景が見え辛いのが難点である。
大東崎灯台


次は千葉県人でも地元か一部の人しか知らないプライベート・ビーチ風の隠れスポットに向かう。
太東灯台入り口に戻り、国道128号外房黒潮ラインを更に南下する。歩道橋が2個目か3個目か太田灯台入り口から10.5kmに「小沢」と書かれてある歩道橋があるので左折する。国道手前左には浪花小の校舎が見える先の歩道橋である。
ここからのどかな田園沿いの道を途中一本のトンネルをくぐり約2km走り海岸沿いの岩船漁村に出る。海岸沿いに走ると太平洋に突き出た岩場に岩船地蔵尊が建っている。水産庁主催の「未来に残したい漁業・漁村の歴史文化財百選」に認定されたそうだ。御本尊の木造地蔵尊は室町期の作と伝えられ海上安全・五穀豊穣等の守り本尊として人々の信仰を集めているとあった。
これも過ぎ海岸沿いをさらにクネクネと南下し500m程行くと林道の様子を呈した緩やかな登り坂になり、左右に車が駐車しているのが見えてくる。ここに車を駐車し海岸側に人が一人歩いて通れる位の狭いトンネルを探す。

海岸に続く岩を掘ったトンネルの長さは約20m位である。トンネルの入り口

トンネル入り口


このトンネルを潜ると、グアム島の恋人岬か、オアフ島のダイヤモンド・ヘッドと見間違うばかりの切り立った岩壁があり静かな海岸がある。ここの地名は「釣師海岸」である。

岩壁と海岸


ここを後にして地図に載っている車が走れる海岸線伝いに御宿へ向かう。途中、道に突き当たるが、専修大学セミナーハウス方向に左折する。何個もトンネルを潜り坂を降り切った最後が御宿である。最初の岸和田海水浴場沿いに直進し、途中海岸沿いに左折する。月の砂漠記念館を通り過ぎ、次の橋を左折する。道沿いに走ると御宿漁港入り口があり、そこで国道128号外房黒潮ラインを左折する。ここから約1.5km南下すれば部原海岸に着く。右手のデニーズ・セブンイレブンまで行くと行き過ぎである。海岸沿いに駐車場があるのでそこに駐車する。時間はすでに4時半近くであったので海水浴客は一人もいなかった。広大な砂浜と海岸沿いは整備されておりトイレと共に無料のシャワーも完備されている。

約500mにわたって整備されている海岸沿い
部原海岸沿い


サーファー1
サファー1


サーファー2
サファー2


ボディーボードを抱えた女の子
ボディーボードを抱えた女の子


東京からここまでの距離は合計124kmである。今回は写真を撮る時間がかかったので、ここで終わり帰途に着くが、いつもは勝浦市の守谷海岸まで行く。部原から約9kmある。途中、鵜原を過ぎた辺りに海岸沿いを反れて山側にバイパスがあるが、海側の道を行きトンネルを2個位過ぎ坂を降りたところに守谷海岸入り口がある。守谷は千葉で一番綺麗な白い砂浜がある。白い砂浜ゆえ海もエメラルドグリーンに見える。4~5月の海が最も綺麗だ。隣の興津や鵜原なども人気があるが、それは電車の駅があるからである。守谷は駅が無いので車が無ければ不便なところである。私が高校・大学の時代はサファーも波乗り前後に日焼けサロンのような感覚で立ち寄るようになった当時から有名な砂浜である。駅が無いので、車の無い女の子やOL達来ることは無く、御宿のような華やかさはない。ゆえにナンパには不便であったが、それも「もう遠い日の花火」のような淡い記憶である。家内がいるので女には不自由しなくなった今、早朝から出かけるのであるなら間違いなく守谷である。

帰路は千葉県の中心茂原辺りを突きって行くと大変混むので同じ道を帰る。高速の東金道は木更津方面の合流で渋滞するので手前の大宮かその先の千葉東で降りる。
千葉に展開するチェーン店『焼肉 赤門』で8時頃、夕食を食べる。京葉道穴川インター近くに2つあり『京葉店』か『穴川店』のどちらかに入る。車の運転があるので酒が飲めない代わりに『ジャンボ・W定食』一人前¥1,480-を注文し飯をおかわりし豚食いするのである。カルビは一人前240gと多めであるので、ご飯一杯では到底足りないのである。「これはお徳だ!!」と最近発見しはまっている。自転車で千葉を走る時は、昼飯に赤門の『情熱ランチ』¥500-(おかわりし放題)を食べる。肉は少ないので、その上のランクの『W定食』¥880-にすることもある。

食後、京葉道穴川インターに乗り一路東京を目指すのである。この時間もう渋滞は無い。自宅到着は10時近くである。


今回サファーを初めて撮ったのだが、追いかけて撮るタイミング等とても面白かった。高額なデジカメとそれにマウントできる望遠レンズがあればもっと楽しめたのにとしみじみ思った。9月に発売されるキャノンの「イオス」でも買ってみっかとも思ったのであった。

最近、ネタに尽きた私が始めて挑んだ写真付きのブログでした。つまんなかったかなあ?

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