スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

止まっているエスカレーターはただの階段だ 

 止まっているエスカレーターは何故つまずくのか?私はエスカレーターは動いているものであるという先入観と錯覚が、制御しようとする行動との差を生じさせ中途半端な足の踏み出し方になってしまう事に起因すると思っていた。

 調べた結果、最初の3段までの段差が全て不均衡である事と、多くの縦筋模様が人間の視覚と空間把握能力を低下させ遠近感などの通常歩行に必要な視覚情報にエラーが発生する為という理由が最も説得力があった。

 気分がエスカレートしている時は行動も起こしやすい。気分が停滞している時は行動を起こす気力もなくなる。気分の停滞は「止まっているエスカレーター=階段」である。自ら計画的に一段一段を登らなければならない。誰が言ったか忘れたが「好奇心と行動は知識の手足である」のような名言がある。行動による経験が知識になるのであって、知識が先で行動があるのではない。

 商売をしているとこの「行動」を忘れることがある。売り上げが上がって上手く行っている時は、いい風に乗っているグライダーやヨットにに喩えてしまうことがある。「順風満帆」とは驕り高ぶっている恥ずかしい自分の状態に他ならない。

 今日月末に、私の心はエスカレートしていない。

 
スポンサーサイト

料理研究(6)『美味しい物は口の中でウンコになる』 

 子供の頃、食べ物をいかに食べるかで随分と悩んだものだ。齢を重ねた現在では嫌いな食べ物はほとんど無くなったが、当時は嫌いなものだらけであった。

 もっとも嫌いなものは魚であった。焼き魚、サバの味噌煮、シメサバがその代表である。特に母親が作るシメサバを食べると翌日は必ず妹と共に体調を崩し半食中毒状態になった。私と妹の翌日のウンコにはオレンジ色のラー油のようなものが混ざっていて、サッとウンコを滑り落ちウンコ周りの水に浮いているのだ。

 両親共に自己中なので自分達は大丈夫なのだから「お前らはおかしい」という強圧的な態度を振りかざし、子供の免疫力の弱さやアレルギー等との弱者を思いやる気持ちの片鱗も無いのである。

 シメサバが食卓にのぼった翌日は毎回、私も妹もこの症状におかされるのである。オレンジ色の油がウンコに混ざるのである。体調が滅茶苦茶悪くなるのであった。

 牡蠣フライは現在もっとも好きな食べ物で、Rの付く時期になるとヨーカードーで8個入りパックを購入する。家内は未だに嫌いなので一人で食べるのだが、さらにカロリーの高いタルタルソースをかけ毎日喰い続けた結果、5kg太ったこともある。しかしながら、ガキの時はこの牡蠣の中のウンコ袋の苦さがなんとも嫌いであった。

 以前このブログにも書いたが、牡蠣フライやトンカツに添えるキャベツの千切りにするキャベツが無い時に、母親は見た目が近い理由だけで白菜の千切りを添えた。子供ながらに許せなかった。

 このような嫌いなものが食卓にのぼった時は、息を吸わないようにして飲み込むのである。毎回、子供は嫌がることを解っているのに同じ料理方法で無理矢理食わせようとする親も親である。何か工夫があれば子供としては親の愛情に答えようとするばずであるのだが・・・。

 ガキの時分に好きな物としては、プリン、伊達巻、レディーボーデンのアイスクリームの3つがあった。

 プリンは粉末状の素を牛乳と水で溶いてプリンにする「ママプリン」である。妹と2人で分け合うので大きい方の取り合いになったりもした。親も妹もいないある日、プリンの箱を見つけたので一人だけで作って食ってみた。一人だけで食べるので小さい容器に取り分ける必要も無い。ラーメンドンブリに全てを流し込んだ。後は冷蔵庫に入れて固まるのを待つだけだ。悩ましくも2時間位待ってカレーの皿にひっくり返してプリンを落とした。巨乳の女が全裸で寝ている時のオッパイのように重力でつぶれていたが見た目はどうでもいいのである。カラメルを乳輪のように塗り最後まで食べた。もし私が猫であったなら、ソファーの下に隠れ「ウウッー」と唸りながら食べていたことであろう。生まれて初めての贅沢に少し後ろめたさがあった事を今でも覚えている。

 正月の伊達巻は親戚の家でしか食べることが出来なかったので、自分の好みとしてはプリン上のベクトルにある希少な物であった。これもいつか一人で食ってやろうと思い、お年玉を貰ったその足で親戚の近所のお店に行って一本買って近くの公園で一人で食った。小学生のガキにとって伊達巻一本はボリュームがありすぎて最後まで食えなかった。

 レディーボーデンも大好きで、中元でもらったギフト券がたまたまテーブルの上におきっぱになっていたので、躊躇無く一枚くすねたのであった。当時のマックシェークの大きさは子供にとって他のアイスの追従を許さない物であるという認識があった。大人になり自分自身がデカクなるとマックシェークも相対的に小さく感じるのであるが・・・。ギフト券で手に入れたレディーボデンは、このでかく感じたマックシェークの大きさの比ではなかった。安いアイス用の木のスプーンではほじることもままならなかった。持っているのも重い。食べていくうちに冷たさで口の中の感覚も無くなっていく。半分くらいはなんとか食べたが、残りの半分はダストボックスに捨てたのであった。

 このような数々の経験と、牡蠣フライにタルタルソースをかけ過ぎると牡蠣の味を損なうという「過ぎタルタルソースは及ばざるが如し」を身をもって理解したのであった。

 それ以来、美味しい物の量は少ないほど有難いものであると感じるようになり、少量をじっくりと味わって食べるようになった。さらにこの食べ方を極めていくと、もったいなくて飲み込めなくなってきてしまったのである。

 ある日、おいしいプリンをじっくりと味わって食っていた。最後の一口を口に入れて10分くらい飲み込まない状態を理性で維持していた。そこに現れた祖母に「そんなことをしていると口の中でウンコになっちゃうよ」と諭されたのであった。私はその意味を大まかに理解し、やけに納得して、すぐにプリンを飲み込んだのであった。

 それにしても「口の中でウンコになる」という言葉はなんと説得力がある言葉なのであろうか。さすが生き字引、だてに年食ってないなあと祖母を尊敬してしまった私なのであった。

『泣くに泣けない青鬼』 

 山形の米沢に旅行の際、東置賜郡高畠町の浜口広介記念館に立ち寄った。浜口広介は童話作家であり有名な『泣いた赤鬼』の作者である。ここで上映されていた「泣いた赤鬼」のスライドはとてもよかった。切り絵の背景に、粘土の人形の紙芝居風スライドであった。

 目も耳もフル稼働させて鑑賞する動画は受身の状態になるのが常であるが、ここで上映されたスライドはちり緬風の和紙や粘土を使っており手作りの温かみがある。これらの手法によってデフォルメされた静止画像は、動画のベストシーンを切り取った画像以上の深みがあった。また、自分から作品に対して能動的に働きかけられる精神的余裕もあり、慌しい動画のように大事なポイントを見逃すことも無くゆったりと鑑賞しながら味のあるナレーションに聞き入ることもできた。

 内容は同じであるはずだが、子供の頃とは全く違う、心の底に奥深く広がるストーリーに感動した。日本人なら誰でも知っている童話だけあり、文章は簡略で切れがよく、俳句のようなテンポとあいまって、内容がスッーと入ってくるように出来ている。やはり傑作だ。

 この童話の題名は「泣いた赤鬼」より「泣くに泣けない青鬼」の方がすっきりと聞こえる。赤鬼のように人工的に、即席に、自我を満足させる仲間や居心地のいい共同体を欲しがる奴は概して、目標を達成するには誰かの犠牲が伴うことや、幸せの対極に不幸せが存在する等の考え方は、身近な青鬼に湾曲的に諭されても気付かない。

 この童話の中の社会では、赤鬼と青鬼と村人の比較において、青鬼の視点は常に一つ上にある。青鬼は自分を犠牲にして赤鬼の目標を成就させた。赤鬼の泣いた理由は、「自分の犠牲は友人である青鬼を失った」という単純な事だ。自分の心が痛かったのである。自分本位なのである。もし、青鬼を思いやって泣いたのであるならば、すぐに村を捨てて青鬼を探す旅に出るであろう。

 この作品は、昭和8年に出版された。時代背景を考えると、赤鬼は差別問題、青鬼は人間開放をそれぞれ象徴しているようにも思える。前年にはコミンテルンの32年テーゼが出されたことに関連付けるのはやめておこう。

その場の空気が読めない人 

 『空気の研究』の著者である山本七平はその著書で、「昭和初期に入るとともに『空気』の拘束力はしだいに強くなり、いつしか『その場の空気』『あの時代の空気』を、一種の不可抗力的拘束と考えるようになり、同時にそれに拘束されたことの証明が、個人の責任を免除するとさえ考えられるに至った」と分析した。現在では外務省のチャイナスクールに所属するエリート集団等も国益を失する空気に支配されている。

 空気は支配されるものではなく読むものである。後手後手に回る故に支配されてしまうのではないか。自らが10年20年先を読んで自発的・能動的に行動を起こす必要がある。

 曲のコード進行は、時代の空気の流れに似ている。コード進行は曲の大まかな約束事である。小節で括られているコードが空気である。メロディーはあるパターンのコード進行に必ずはまる物である。しかしながら、ジャズのアドリブはその小節の中のコードトーンも使うが、経過音(コードトーン同士の間の音)や4小節、8小節先のコードトーンまでも意識し、その小節内では「なんか音が外れてるなぁ」位の不安感を心地いい歯痒さに替える。意識した小節にアドリブが辿り着くと、また先の小節を意識して演奏し 常に先手先手に回るのである。

 戦後の日本は独自のコード進行を作れなかった。日本国憲法は独自に作ったものではない。憲法解釈という手段を使って無理やり時代に合わせようとする。アドリブをしようにも先の小節の意識が出来るわけでもなく、国外からは不協和音であるとブーイングの嵐になる。

 先日、電車に乗っていると進行方向前後の向かい合わせの座席がある車両でガラガラであるにも拘らず進行方向の逆に一人だけ座っている人がいた。こんな空いている車両であるならば皆が進行方向に自然に座るのがあたり前であると考えるのだが、その人は他の乗客と向かい合わせになり目が頻繁に合うにも拘らず一向に進行方向に向かない。

 電車内では、流れる景色と共にある人の後姿は全く気にならないが、向かい合わせはとても気まずい。恋人同士であるならばまた別だが…。

 このような人は『空気が読めない人』の代表であるなあとしみじみ思ってしまう。進行方向に向いて座る人の心理として考えられることは、景色の流れを楽しみたいという理由の他に、危機回避をしようとして進行方向に座るという本能の支配が最も説明がつく理由であると考える。

 この『空気が読めない人』は先を見ていないのである。生へ執着する本能にも欠けている。その場にいてすべてに安心しきっているのであろう。日本国は決して『空気が読めない国』になってはいけない。

料理研究(5)『上海で発見したシンプルな料理』 

 上海と上海近郊は最も好きな出張先である。特に料理のバリエーションが多く東京の味付けに近いように感じる。また当然、料理の代金も一般庶民の店に入ればとても安い。

 上海蟹は、上海を代表するブランド品であり特定の湖で捕れたもの以外は偽者である。ゆえに本物は上海であっても時価とメニューに記されている。本物の値段は200~300元(日本円で三千円から四千円位)でありとてつもなく高い。時期は晩秋から冬に限定されている。
 
 この上海蟹の時期に私が接待される場合、上海人は必ず上海蟹をテーブルに並べ盛大に饗応してくれる。爪楊枝を少し太らせた位の足の部分を割って中から肉を取り出す食べ方の技術が必要になってくる。上海人の金持ちはこの技術に長けている。

 ま、このような高い物はそれなりの旨さと感動があって当たり前であるが、蟹の肉を取り出す行為は実にかったるく自然と無口になる。

 少し上海を離れ、蘇州・無錫・常州・揚州等のレストランに行くと偽者の上海蟹が15元~30元(200~350円位)である。上海で教わったように丁寧に足から食べていると、足よりも蟹みそを含めた真ん中の肉を食えと言われる。足は面倒くさいんで食うなと言わんばかりである。

 この上海蟹は飯のおかずにはならない。このタイトルのシンプルな料理にもならない。接待する側のもてなしの儀式のようなものであろう。

 その他の上海料理として有名なもので一時期凝ったものは、小籠包(ショウロンポウ)だ。上海が初めての客と一緒であると豫園にある蟹肉入りの有名店へ連れて行くが、何度も行き過ぎたせいか肉汁の脂のしつこさに年齢と共についていけなくなってしまった。

 私の常宿である上海賓館の近所には大衆食堂があり、そこでは焼き小籠包が8個で3元(45円)である。ラーメンも同じくらいの料金である。

 この小籠包も飯のおかずにはならない。肉汁たっぷりの餃子を蒸したり焼いたりしたものを毎日食っていれば当然飽きがくる。

 さっぱりと食事をしたい時に真っ先に思いつく料理は、『三鮮湯』である。海老と鶏肉とハムと共に竹の子や白菜が入っているスープである。この料理だけで最初はビールや紹興酒が飲め、最後にはご飯へと突入できる毎日食べても飽きが来ない料理だ。一般の食堂では8~10元位なので、ビール一本とご飯を頼んでも200~300円以内で済んでしまう。

 この三鮮湯は最も私が好きな料理であるが、シンプルではない。

 シンプルで日本には無い料理であると私がランキング1位にしたものは『里芋のコロッケ』だ。里芋を茹でた後に少し平に潰し衣を付けて揚げたものである。日本のようなソースは無いので塩を付けて食べるのだが、ネチッとした里芋とカラリと揚がった衣の食感がなんともたまらない。味付けは里芋の素材の味だけであるが衣と塩で別物の料理になっている。

 ランキング2位は『ピーナッツの甘黒酢和え』である。長江沿いの2つの都市の名産のコラボである。大都市として揚子江沿いに隣り合っている南京市の南京豆と鎮江市名産の黒酢の組み合わせだ。皮付きのピーナッツに砂糖を溶かした黒酢で和えただけのシンプルなものであるが、ビールのツマミとしては最高のものになる。日本でも横浜の中華街やお台場の小香港で鎮江の黒酢は400円以下で売っているので是非試してほしい。国産の黒酢はとても高い。

 上海料理は数々あれど、日本の中華料理店でそのほとんどは食べられる。高いものになれば初体験になる料理もたくさんあると考えられるが、手軽に自宅で作れる上海料理で思いつくものはこの2つである。

漢字が原因で起こった『大渋滞』 

 漢字は難しい。渋谷の近くで育った子供は「渋滞」を「シブタイ」と読んでしまう。岐阜に生まれ育った子供は住所を書く必要から「岐阜」と書けるが、他県育ちの子供はもとより大人でさえも「岐阜」はなかなか書けないのではないだろうか。関東で生まれ育った人達は、「大阪」を「大坂」と何気に書いてしまう人が多い。

 私は高校時分、漢字の渋滞に巻き込まれた事があった。千葉市にある西千葉駅で降りて徒歩で高校まで通っていたのだが、その駅前の大通りを走るバスの行き先の表示に『轟車庫行き』(トドロキシャコユキ)とあった。

 バスのフロント部分上部の狭い表示スペースに何と「車」という漢字が5個も詰っているのである。こんなにイライラする漢字の渋滞は日本中探しても無いとその時確信した。その表示のバスを見るたびにイライラは募りストレスが溜まる様になってしまった。

 そんな多感な高校生活を送っていたある日のこと、駅前の大通りで今度は『轟運輸』を発見してしまったのであった。「また車5台かよ」と、気分は最悪になり吐き気までおそってきた。

 そんなまたある日、駅前の大通りで今度は『轟軽運輸』が颯爽と走っていたのであった。今回は何故か気分が悪くならなかったのであった。2度あることは3度あるなあと感慨に耽ったりもしながら、よくよく考えてみるとなんと「車6台」であった。

 このような経験から、これは果てしなく増えていく漢字の渋滞を人為的に作れることに気が付いた。『轟軽運輸』の車庫があれば『轟軽運輸車庫』、これだと「車8台」である。さらに増やす方法としては『轟軽運輸車庫で車輪の軸が外れた四輪駆動車』などが考えられるが、数える気力も失ってしまうくらい『車の大渋滞』になってしまうのである。

 東京の世田谷にある「トドロキ」は『等々力』で良かったと胸を撫で下ろす今日この頃である。この読みは「ヒヒリキかなぁ?」と、薄っすら思っていた時期もある。

日本語の使い方 悪い例『血で痔?』『切れ痔?』 

 昨日の産経新聞に約70%の人が「怒り心頭に発する」を「怒り心頭に達する」と間違った使い方をしているという記事があった。私も人のことは笑えない。「先見の明」を「先見の目」、「気の置けない仲間」の意味の勘違いなど、それはもうきりがないくらいのアサッテ君であったと過去形にしたいところだが進行形である。

 古来の伝統文化である日本語を大事にしなくてはいけないと思うのであるが、今すぐ直せと言われても直せるものではない。しかし、謙虚に一生かけて勉強しようとする姿勢はあるつもりだ。

 言葉の時代の変化に伴う乱れは、ある時には本当の日本語になってしまう事もある。新しく作られた言葉も広く認知されてしまうと日本語になってしまうのであるが、昨今許しがたい呼称が総務省のCMで連呼されている。これは『略称』であるが、こんな響きの言葉を放置しておくことは許せない。

 それは『地デジ』

 何と響きの悪いことばであろうか。「切れ痔」や「血で血を洗う」等のマイナスイメージを連想させる音である。この『地デジ』という略称をスマップの草薙君が連呼する総務省のCMを連日テレビで垂れ流しているのである。

 子供は韻の悪さや他の言葉をあまり知らないので、素直に疑いもなく『地デジ』という言葉を音でインプットしてしまうであろう。地上デジタル放送開始の2011年まで『地デジ』は洪水になって「美しい日本語の堤防」を決壊させ、日本人はこの略称の水害にとっぷりと浸かる事になるのである。

 総務省のCMであるならば、大手広告会社が制作していることは明らかである。故に著名なコピーライターを起用しているはずであるのに、この失態はいったいどうしたことであるのか。今回私は安易な略称を垂れ流す総務省にたいして『怒り心頭に発した』、そして『怒りはおつむに達した』のであった。

「胡錦濤主席、お先にどうぞ!天国へ」 

中国主席専用機割り込みで日本政府専用機足止め

産経新聞は22日、ロシアのサンクトペテルブルクで開かれていた主要8カ国(G8)首脳会議が閉幕した今月17日、帰国の途に就いた中国の胡錦濤国家主席の専用機が、空港の滑走路で日本の小泉首相が乗った日本政府専用機が離陸しようとしていたところに割り込み、日本政府専用機が10分余り待たされるハプニングがあったと報じた。

 同紙によると、小泉首相が乗った日本政府専用機は17日午後10時、サンクトペテルブルクのプルコボ空港を離陸するため、けん引車に引かれて移動を開始した。そして日本政府専用機が離陸態勢に入ったところで、胡主席の専用機が日本政府専用機の前を横切り、先に滑走路に進入した。

 空港側では各国の首脳が乗った飛行機の出発時刻を公表していなかったが、胡主席の専用機は当初、日本政府専用機の次に離陸する予定だったという。

 今回のハプニングは、小泉首相の靖国神社参拝強行に始まった中日両国首脳の冷え込んだ関係を改めて見せつけたものだと同紙は分析した。胡主席と小泉首相は今回のG8首脳会議でも、あいさつすら交わさなかった。
(朝鮮日報 7月24日)

 まるで胡錦濤と小泉首相がパイロットで飛行機を操縦しているかのような記事である。もし、胡錦濤がパイロットであったらこのような愚行はしないであろう。中国の国際信用をマイナスにしてしまう事件であった。

 故主席の専用機のパイロットは人民解放軍あがりか軍そのものに所属している筈である。日本の専用機の少しの隙を見て瞬間的に本能で手柄を焦った結果ではないだろうか?

 朝鮮日報の韓国から見れば日中両国関係を象徴している出来事のようで笑えるのであろう。大型飛行機は滑走時に小回りが利くはずもなく、一歩間違えれば大惨事である。

 サンクトペテルブルク空港の管制塔の指示を無視し、世界の航空法をも無視する卑劣な行為は、胡錦濤も含め今の中国そのものであると感じた。胡錦濤主席はそのような批判を世界各国から浴びせられるようになることを自ら望むようなバカではない。

 胡錦濤主席が人間として正常な感覚を持っているとすれば、このパイロットは人民解放軍の軍法会議等で罰せられるはずである。ただし、世界はこのニュースを聞くことはないであろう。

 今後、胡錦濤が外遊する際、このような無法な出来事を受けて世界中の空港管制官は中国の飛行機を警戒し自由にさせないことが予想される。『急いては事を仕損じる』とはこの事である。小泉首相の気持ちを私が代弁するならば「お先にどうぞ、天国へ」と、飄々と考えるのではないだろうか。プラスに考える力は人一倍勝っている人であると考える。

男児は「○○君」女子は「○○さん」でいいじゃないか!!そんな教育いいんかい? 

 7月1日と本日付け産経新聞で、男女共に児童を「さん」付けで呼ぶ小学校が32%あるという文部科学省の調査結果が報じられていた。本日付けの記事は日本教育技術学会名誉会長の野口芳宏氏によって書かれていた。

 野口氏が小学校の授業を見学した時に何故「君・さん」呼び分けをしないのかを質問したところ、「男女という区別の意識を消し、男女共同参画社会を具現すべく、職員会議で決定した」とのこと。

 このような敬称の呼び分けは日本の伝統文化であり言語遺産であるという「野口氏の見解」と断った上で、その方針に反対を強く表明したとのことであった。また、2~3の出版社の小学校教科書を調べたところ「君」がなかった。

 この悪の指令軍団は、一般社会の常識を持つ社会やマスコミにたいしては敬称の統一の指令は出さないが、「学校の常識は社会の非常識」と揶揄される文科省や教育委員会への指令は効果てき面で、彼らの戦術の実行部隊としているらしい。

 このような思想は教員から児童に感染し潜伏期間を経て色濃く社会に現れるのは必至である。英語圏にこの問題を置き換えれば、「Mr.とMiss」を無くして「Mr.」に統一するような愚行である。

 この「男女の区別撤廃」や「男女共同参画」を総称する「平等」という観念から異臭を放つ、ジェンダーフリーだの男女平等などは世界中がそれを平均的に実行できるものではない。それぞれの国の事情があり、第一次産業までしか興っていない発展途上国であるならば力仕事に男女共同参画なんて到底無理である。

 肉体の力を持って男が有利であるように考えられるが、精神力で言えば女性のほうが有利である事も考えられるし、第二次成長期も女性のほうが早く迎えるのではないか。

 このように考えると男女共同参画に最も必要なことは、男女が互いの足りないところを補う「思いやり」なのではないだろうか。名簿や呼びかけるときの敬称の男女の違いがわかることで「思いやり」の意識が生まれるきっかけになったりもする。

 「君・さん」の敬称は、呼ぶ人と呼ばれる人の年齢や地位で変化する事もあるのでとっても味がある。昔のドラマ『俺は男だ!』で森田健一が同級生の女性を「吉川君!」と呼んでいたのも高校生らしくって良かった。このような範例から女性にたいし逆に「君」付けで呼ぶことも可能である。

 日本語はこのように外人はもとより日本人でさえも、その場に行って空気を読まなければ、訳も解らず限定もできない深みがあるのがいいのである。これらは、児童から言論の自由を奪い言論統制を試みようとする卑劣な行為であると認識する必要がある。

『お弁当』時限爆弾 

 子供に持たせる『お弁当』は時限爆弾のように危険な物である。親の愛情が形や色彩になっており手間も時間もかかる。専業主婦が作る凝った弁当もあれば、共働きの主婦が作る弁当、主婦が作らずに祖母が作る弁当もあり、最近では主夫が作るものもあると聞く。

 このように作る人が誰なのか、作る際の素材や時間の制限などは人それぞれなので、子供のお弁当の時間に一斉に開かれるお弁当箱の中身もそれぞれであろう。

 戦時中や戦後には、白いゴハンに梅干一個だけの弁当もあったと聞くが、このような白飯の弁当でさえ裕福な家庭や農家の子供しか食べられなかったと聞いたことがある。

 私の母も働いていたせいか、白いご飯にイシイのチキンハンバーグとチキンボールの2つのおかずが毎日交互に日替わりになるシンプルな弁当であった。「お湯に入れてハイ3分」というおかずだ。ブラウンソースの茶色と白いご飯の2色しかない弁当である。

 子供の頃、この弁当を皆の前で開けるのは恥ずかしかった。世界には餓死する大勢の子供達がいることは聞かされていた。それでも他の家庭とのお弁当見本市会場となる昼休みにコレを開けるのは子供心に恥ずかしかった。

 だから、おかずの内容が同じであることがわかると昼休み前の三時限めの休みに早弁をする。昼休みはすぐに校庭に出てサッカーやキャッチボールに勤しむのである。弁当よりスポーツが好きである風に子供ながら偽りの自分自身を装うのだ。

 その後、給食が導入された。愛情が行き届いている家庭の子供達や心無い先生などは「給食はマズイ」と平気で言い放っていたが、私にとってはまさに神から給わった『給わった食事』であり、大好きであった。早弁することも無くなった。

 お弁当の場合、自由は大変である。誰かが決めてくれ皆に平等に配膳される給食は『平等」という観念の代表であったような気がする。お弁当を自由にすると、一部の子供にとってはその時間に爆発する時限爆弾になりかねないのである。『早弁』や『食欲が無い』などと子供心に無理して世間体を装う子供も私のように出てきてしまうのである。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。