スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スーパーアマチュア・ギタリストへの道 

スーパーアマチュア・ギタリストへの道

 この道は険しく果てしなく長い。ギターは手頃な価格で買え,持ち運びも楽なので最も入りやすい楽器であるが奥が深い。他の楽器と同様に頂上が無い。私は実家にあるギターを含めて数十台持っているが、今ではオブジェと化している。
 
3年位前にはクラシックギターの個人レッスンを受けていた。仕事に影響されないようにと週一回午後9時からのレッスンであったが頓挫した。理由は、仕事がこの時間に食い込んできた事と、徐々に右薬指が動かなくなってきた事にあった。
 
クロスバイクを始め長距離を走った為か握力を司る筋肉のバランスが悪くなったのではないかとも思ったのだが、そうでも無さそうだ。最近では、左脳の一部が損傷しているか、萎縮しているのではないかとも真剣に考えている。でも、左脳が司る言葉での不自由はない。
 
 リハビリも兼ねて再度ギターを練習したのだが一向に薬指は良くならない。練習すればするほど今まで弾けた楽曲でさえ弾けないというストレスに苛まれ、ここ数年はギターから遠ざかっていた。アルペジオさえ弾けない有様だ。仕事でパソコンのキーを打つ時も右指は自然と薬指を除いた3本だけで打つようになり少し不自由を感じる。

 ギターは、上手くなりたいので練習しようという意気込みだけでは頓挫する。誰の何の曲を弾きたいという強いモチベーションが必要だ。ゆえにそれらをアマチュアなりにコピーしたり読譜したりする上で基礎練習は最も欠かせないものである。規則的な音符の羅列を根気のある人は練習できるが、ほとんどの人は嫌気がさしてくるのではないだろうか?私もそうであった。

 そこで私はギター演奏の頂点と思われる課題曲を選出し基礎練習を兼ねて弾くようにしている。精密な何千パーツもあるようなプラモデルを組み立てるのと同じ感覚であろう。指定の速さで弾くのではなく、ゆっくり最後まで弾けるようにするのである。最後まで弾けるようになったら次は、メトロノームで一定のスピードで弾くようにする。弾けない部分や指が届かないコード部分は、その中で最も強く聞こえる音を中心にコードをハショルのである。メトロノームのスピードは徐々に上げて行き原曲通りに弾けるまで練習する。とにかくゆっくりでいいので難しいところは前述のようにハショリながらも最後まで弾き切る事がポイントである。
 
 スーパーアマチュア・ギタリストに必要なギターは、アコースティックのスチール弦のものとナイロン弦の2本が必要である。また、ソロを前提とした練習を心がけなければならない。エレキギターのようなソリッド・ギターは、これらの生音系の弦のテンションが固めのギターでの練習が基礎になるものである。バンド系のギターを弾く際は必要になるであろうがギター技術を極める為の楽器ではないように感じる。音をアンプで増幅するのではなく、自分の弾き方で加減する練習を常に積まなければならない。
 
 バンドはアンサンブルであるから、練習時でもステージでも自分以外の楽器の音が聞こえる事が前提である。アマチュア・ロックバンド等のギターは、ステージのリハーサルでもボリューム全開で演奏する場合がある。リハは本来、ステージ上の楽器の音のバランスを調整する為にやるものであり、ステージ上のどの演奏者が聞いても自分たちの音出しの時点でバランスが取れてなければならないものである。そのようなバンドの音の調整を基本としてPAがキーボード等のバランスを取り全体を整えていくものである。ロックギターをやり始めて間もない人は、大切なこの部分が分からないのでPAに嫌われる。
 
 話はそれたが、私がギターを極めようと何枚も買ったCDで最も推薦できるのが下記である。このCDと譜面を買い前述のようにゆっくりと指が届かないところは簡単なコードに代え最後まで弾ききって行くことにより、ギターテクニックは短期間で向上する事間違い無しである。ギターを一生真剣にやっていこうと考えているのであるならば、絶対にこの2枚のCDは買うべきだ。噛めば噛むほど味が出る、まるで「よっちゃんのスルメイカ」のようなCDなのである。

 左の指の練習はあったり前田のクラッカーだが、右指はフィンガリングとピッキングの両刀使いでなくてはならない。ピックだけでジャラジャラ弾くのは月亭花鳥が「ボインは~」とやるのと同じである。ピックを使う場合は、コードストロークとフレージングを織り交ぜた絶妙なコンビネーションで弾かなければスーパーアマチュア・ギタリストとは言えないのだ。

1:クラッシック・ギター系の練習
  CD名 福田進一『スーパーベスト』
  今やクラッシック・ギターを弾いている高校生や大学生に大人気のギターリストである。
  あのトヨタのCFにも出ている村治香織のお師匠さんでもある。この人の弾き方は今風
  でクラッシック・ギター特有の暗さを感じさせない。海外の著名演奏者の曲も聞いたが、
  福田さんの演奏は我々に「さあ、ギターを弾くぞ~!!」という気持ちにさせてくれる。
  このCDの中の曲で私が課題曲としている曲は、
  
  1:タンゴ・アン・スカイ
    作曲者:ローラン・ディアンス
    曲名はフランス語で和訳すると『合成皮革のタンゴ』。本場のアルゼンチン・タンゴと
    は違うというユーモアを込めて付けられたとのこと。現在では様々な演奏者が弾い              ているがタンゴなのでルバートなど入れずリズムをキープしなければならないとの件が     いい。
    とにかくカッコいい。

  
  2:ショーロス第一番
    作曲者:ヴィラ・ロボス
    ブラジリアン・テイストに溢れている楽曲だ。
  3:ウォーキング・イン・リオ
    作曲者:ボンファ 編曲者:バルボサ
  4:アルハンブラの想い出
    トレモロの練習に最適
  5:アストゥリアス
    規則的な指の練習に最適

  福田進一 スーパーベスト 『試聴』はここ。
 
2:アコースティック・スチールギター系
  CD名:ジョー・パス『バーチュオーゾ』
  1:ナイト・アンド・デイ
  2:オール・ザ・シングス・ユーアー

この2曲は知らぬ間に練習しちゃっている自分に気が付く曲である。練習しすぎてあまりにも上手くなってしまうと、ジョーパスのように毛が抜けるらしいので注意が必要だ。試聴のURLは探せなかったけど、フルアコの枯れて乾燥したボディーがスチール弦の音を粒立ててなんともいいのだ。(バカボンのパパ入りました)

この2枚を買って譜面さえ揃えれば、あなたもスーパーアマチュア・ギタリストの道への地図を手に入れたことになる。あとは、粘りと頑張りでジャンジャンバリバリジャンジャンバリバリと弾くだけである。

私も頑張るから、みんなも頑張ってね~。と、グラスを持つ手をギターのネックに持ち替えようと気持ちだけ努力する今日この頃の私なのである。 
そして、ふとカレンダーに目をやれば、今月も静かに終わろうとしているのであった。
「さようなら8月!!9月よ、こんにちは」か。
スポンサーサイト

必要に駆られた暗記 

必要に駆られた暗記

 私がごく最近、そらで覚えたものに『歴代天皇』がある。神武天皇から今上天皇までの125代を戦前戦時中に生まれた人のように言う事ができる。必要があって暗記した。その理由は、仕事上で近隣国の人達に日本の歴史について様々な角度から聞かれる事が多かったからであった。
 
 国際的なビジネスマンは自国の歴史の造詣が深い。貿易等である一国と長期に亘って付き合う場合、その国の担当者も日本の歴史を勉強する人が多い。その国の人達と食事や長時間移動をする際、必ずと言っていいほど日本の歴史の話になる。
 
 私の場合、中国との仕事が多い。彼らも雑談としての歴史を話す場合、日清戦争以降の話題はあえて避けるような気がする。この話題の中心になる日本の歴史について質問をされる日本人の私が知りませんでは済まない。
 
 このような必要にかられ歴史を勉強することにしたのであった。高校時期の教科書であった山川出版の『詳説 日本史B』と、ついでに大学受験で選考した『詳説 世界史B』も購入した。
 
 暗記や記憶などは私が最も苦手とする分野である。精神科医でもあり受験コンサルタントとしても有名なタメ年の和田秀樹氏の著書で読んだのであるが、記憶には「エピソード記憶」と「意味記憶」があり、年を経るごとに脳の中の記憶のシステムが変化し「意味記憶」から「エピソード記憶」によるものが多くなるとのことであった。
 
 和田氏の著書は5年前くらいに読んだのであるが、歴史を勉強をしようと思った16年位前にも、ストーリーに一貫性がある日本史がその年齢の自分として読み物のように読んで記憶できるのではないかと、大まかな自分の「エピソード記憶」に期待した部分もあった。
 
 そのような前向きな気持ちで日本史の勉強に臨んだのではあるが、私が考えた「ストーリーの一貫性による記憶」と、和田氏が定義付けた「エピソード記憶」は、もろくも崩壊したのであった。
 
 崩壊した理由は簡単である。歴代天皇の名前が随所に散りばめられており、名前の難しさや日頃の親しみの無さゆえ覚えられなかった事にあった。学生時代、日本史の授業を受けた事も思い出せないような有様の私にとって、また当時覚える事は不必要としていた感がある日教組の影響も少しあってか、「エピソード記憶」は余儀なく頓挫した。
 
 こんなことで挫けていてはガキの頃の私のようであると、客観的に自分自身を見つめ直した自分は偉かった。「歴代天皇を覚えてやる!!」と、意気込んだのであった。不遜な行為で歴代天皇には申し訳ないと思いながらも、トイレのドアに歴代天皇125代を貼り付け朝のワンダフルなソークータイムに暗記したのであった。
 
 暗記してから日本史の教科書を読んでみると、古代・中世までは天皇のストーリーが一貫して続いている。その他はその一貫したストーリーの間に挿入されたエピソードであることが分かる。目から鱗が落ちる思いであった。戦前戦中生まれの人達のように、半ば強制的に覚えさせられる事も決して悪い事ではないと、現在の教育の現場をもどかしく思い今の子供達を憂えた。
 
 日本史の学習に於いて、一貫した天皇制を本筋とし、それを肉付けするように様々なエピソードを教えていく事は、学習の順序として至極あたり前のような気がする。現状の教育現場では、エピソードが先に立ち天皇制は後回しにされるか全くないものの様にされるかのどちらかではないだろうか。このような事態はまるで最近はやりの「骨無し魚」と同じではないか。この給食でも子供たちに人気の「骨無し魚」は、中国に工場があり工員の手で一本一本抜かれているのである。天皇制という日本史の骨も近隣諸国に一本一本抜かれているのかもしれない。
 
 教育現場に於いて今必要な事は、「学習に先立ち必要であると考えられる暗記事項は、それがその学問の基礎であったり本筋であるならば、子供たちに強制的に覚えさせなければいけない」という事を徹底することにあるような気がする。この歴代天皇の暗記をしただけで、脳の萎縮が始まっている私がエピソード記憶も駆使して日本史を語れるようになった事実が如実にそれを物語っているではないか。これらの行為はイデオロギー等の問題にして大人が濁してはいけない。「ゆとり教育」等の愚行ですでに子供たちは骨を抜かれている。将来の日本を支える子供たちに、日本史を通じ世界の中での日本国の輪郭をくっきりと浮き上がらせ、自信を持たせる事にこそ意味があるのではないだろうか。
 
 勉強が出来る子供達は間違いなく歴代天皇125代を暗記しているであろう。受験勉強でライバルが多い中、あえて暗記したとは言わない。特に第2章律令国家の形成の飛鳥の朝廷あたりからは、天皇オンパレードである。この部分を考えた場合の暗記方法として、その章だけに登場する天皇を暗記する断片的なものにするのか、歴代天皇をすべてそらで言える様に暗記するのかの二者択一で考えた場合、暗記する労力の大差はない。これに気付けばすべて暗記してしまった方が徳である事は明白だ。
 
 ついでに買った世界史の教科書にも目を通したが、今思うと教科書自体、教えようとする意気込みがどこにも感じられず、精神分裂気味な内容になっている事に気付く。時代を追って古代より順番に分裂・断片的にそれぞれの国の歴史が書かれており、歴史の勉強を日本史と同じように一貫した流れを持ったものと捉えている一部か大半かの子供達には馴染めない内容である。ゆえに日本人の子供に対応した教科書とはいえない。血統やエリアが明確な国や共同体の様相を呈した国の中で、現在に至る一貫性のある歴史を持った国を本筋とし、古代から現代まで通して教える教科書にしたほうが数倍覚え易いのではないか。
 
 そのようにすると、例えばオリエントであるならばメソポタミヤ文明から始まり、アッシリア、パルティア、ササン朝等を経て途中は省略するが現在のイラン・イラクに至る歴史の流れの本筋が分かり、ペルシャやアラブの違いも分かって来るようになる。途中を一旦区切りローマの歴史に行ったりするから世界史の教科書は分かり辛い。一貫性のある歴史を持った日本の子供には、世界史も大きく括った国ごとに古代から現代に至る一貫性を持たせて編集する工夫が必要であり、日本史の学習方法に基づいたノウハウが生かせるものにする必要がある。
 
 と、言うわけで次は何の暗記をしようかなあと、いつものように浅く考えながら書店を回っていると、目に飛び込んできてちょっと簡単そうに思えたのが『百人一首』であった。小学校の時に暗記したのではあるが意味不明で大和言葉を美しいとも思えず次第に忘れていった。読みも定かではなく持統天皇の「春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」なんぞは、この時代からスナックのホステスはいたのか等と大発見をしたつもりになっていた。
 
 覚えるからには、しっかりとした言葉で詠んだCDも必要と考えネットで探していくと、「ドラえもんののび太君が詠む百人一首」を見つけて即買った。なんて私の身の丈にあっているのであろうと感心した。届いたその日にMP3に入れ出勤時や営業の移動時に聞いたり、CDにも入れ車の中で聞いたりもしたのだが、のび太君の声は、暗記しようとする私を元気付けるものにはならなかった。
 
 そこで、百人一首をコピーしたものをキンコウズへ持って行き2枚ラミネートして、一枚は朝のワンダフルなソークータイムに暗記する用、もう一枚は風呂用にした。60番まで覚えて今は頓挫しているが復活する日も近い、であろう。

〈オマケ〉
子供:「ねえ、パパ!!百人一首って安く買えるの?」
パパ:「買えないよ」
子供:「エエッ、どうしてなの?」
パパ:「だって、定家だから、定価だから、なんちゃって!!」

こうして、子供は『小倉百人一首』は『藤原定家』の私撰和歌集であることを記憶できたのであった。
『藤原定家』は「ふじわらの さだいえ」が正式だが、「ふじわらの ていか」と音読されることが多いとのこと。古今集、新古今集などの勅撰和歌集から選ばれている定家の私撰和歌集であり、新古今和歌集の6人の選者の一人でもある。
古今和歌集 :醍醐天皇の勅命によって編まれた初の勅撰和歌集
新古今和歌集:後鳥羽上皇の勅命によって編まれた勅撰和歌集

やっぱ、歴代天皇を覚えなくちゃ!!

午後からのドライブ(1) 

夏の終わりのドライブ

 私は千葉育ちなので千葉の海が好きだ。それもゴールデンウィークの時期と晩夏から初秋にかけた太平洋のおもむきがもっとも好きである。例年、この時期になると渋滞する早朝を外し、午後よりドライブに出かける。

 先日のドライブのパターンを写真と共にご紹介しよう。

昼12時ジャストに出発。有明で湾岸に乗り、京葉道、東金有料を経て東金のインターで降りる。(ここまで約58.5km)
国道126号を銚子方面へ直進する。国道沿い左手の中華料理の珍来、作業服のワークマンが左側に見えて東金九十九里有料道の入り口に入りたいところ、そこも過ぎ、橋を渡り次の信号のある交差点の左先にマクドナルドがある。(東金出口より6km、出発してから約45分後到着)
交差点を過ぎマックの隣に讃岐うどん屋『はればれ』がある。国産の小麦粉を使った讃岐うどんをセルフで食べる事ができる。うどん小¥280-・中¥360-・大¥440-が基本で、「ぶっかけ生醤油」「冷やし」「かけ」等、本格的な讃岐うどんをお好みの食べ方で注文する事が可能である。その他オプションには各種天ぷらやおにぎり・稲荷すしがある。予算は一人¥600~¥700位といったところか。来月の9月7日から店名が変わるとのお知らせが貼ってあったが経営者は同じとのことであった

マックの先に讃岐うどん『はればれ』はある。
マックを過ぎた先にある。


セルフ式の讃岐うどん『はればれ』。18年9月7日に店名が変わる。
讃岐うどん『はればれ』


食後は一路海に向かう。店を出て更に126号を銚子方面に向かい500m位先の一個目の信号を右折する。この交差点には左に『かっぱ寿司』、右手に『中古車センター』がある。直進しい田園風景の中を500m走った最初の横断歩道がある交差点を右折すると、東金九十九里有料道の表示がすぐ見えるので案内に従って押堀ICから高速に乗る。コイン投入式なので予め200円を用意しておく。高速で田園地帯を約9km走ると九十九里浜直前の真亀料金所がある。ここで400円払ってすぐに右折するとそこはもう九十九里浜沿いの波乗り道路である。すぐに汐浜海水浴場がありパーキング・エリアがあるので、そこに入れ、車を降りて浜に向かう。

漁業の為に打ち込まれた杭なのであろうか…。平坦な海岸で唯一絵になる杭だ。
九十九里浜と太平洋


パーキング・エリアを出て波乗り道路の終点の料金所までは約13kmである。料金所手前にも海と一宮の町が一望できトイレもあるPAがある。料金所は先に払っているので通過し、500m先の左手にコンビにがあるT字路を左に行く。海沿いの県道をコンビニから6km南下すると国道128号に合流するT字路があるので海側に左折する。この国道に入って2.7km先に太東灯台への入り口がある。左折し1個目の分岐点に観光案内があり、それを過ぎて2本目の分岐点を10時の方向に左折する。その後は灯台が前方に見えるので、その方向に走るだけである。太平洋が一望することが出来る。水平線をみれば「やっぱり地球は丸かった」と誰でも思えるスポットである。灯台駐車場下の売店では、地元でとれた梨『豊水』を販売しており5個¥550-であったのでさっそく買った。『幸水』より甘く上品なシャリシャリ感がありとても旨かった。

太東灯台は木々に包まれているので全景が見え辛いのが難点である。
大東崎灯台


次は千葉県人でも地元か一部の人しか知らないプライベート・ビーチ風の隠れスポットに向かう。
太東灯台入り口に戻り、国道128号外房黒潮ラインを更に南下する。歩道橋が2個目か3個目か太田灯台入り口から10.5kmに「小沢」と書かれてある歩道橋があるので左折する。国道手前左には浪花小の校舎が見える先の歩道橋である。
ここからのどかな田園沿いの道を途中一本のトンネルをくぐり約2km走り海岸沿いの岩船漁村に出る。海岸沿いに走ると太平洋に突き出た岩場に岩船地蔵尊が建っている。水産庁主催の「未来に残したい漁業・漁村の歴史文化財百選」に認定されたそうだ。御本尊の木造地蔵尊は室町期の作と伝えられ海上安全・五穀豊穣等の守り本尊として人々の信仰を集めているとあった。
これも過ぎ海岸沿いをさらにクネクネと南下し500m程行くと林道の様子を呈した緩やかな登り坂になり、左右に車が駐車しているのが見えてくる。ここに車を駐車し海岸側に人が一人歩いて通れる位の狭いトンネルを探す。

海岸に続く岩を掘ったトンネルの長さは約20m位である。トンネルの入り口

トンネル入り口


このトンネルを潜ると、グアム島の恋人岬か、オアフ島のダイヤモンド・ヘッドと見間違うばかりの切り立った岩壁があり静かな海岸がある。ここの地名は「釣師海岸」である。

岩壁と海岸


ここを後にして地図に載っている車が走れる海岸線伝いに御宿へ向かう。途中、道に突き当たるが、専修大学セミナーハウス方向に左折する。何個もトンネルを潜り坂を降り切った最後が御宿である。最初の岸和田海水浴場沿いに直進し、途中海岸沿いに左折する。月の砂漠記念館を通り過ぎ、次の橋を左折する。道沿いに走ると御宿漁港入り口があり、そこで国道128号外房黒潮ラインを左折する。ここから約1.5km南下すれば部原海岸に着く。右手のデニーズ・セブンイレブンまで行くと行き過ぎである。海岸沿いに駐車場があるのでそこに駐車する。時間はすでに4時半近くであったので海水浴客は一人もいなかった。広大な砂浜と海岸沿いは整備されておりトイレと共に無料のシャワーも完備されている。

約500mにわたって整備されている海岸沿い
部原海岸沿い


サーファー1
サファー1


サーファー2
サファー2


ボディーボードを抱えた女の子
ボディーボードを抱えた女の子


東京からここまでの距離は合計124kmである。今回は写真を撮る時間がかかったので、ここで終わり帰途に着くが、いつもは勝浦市の守谷海岸まで行く。部原から約9kmある。途中、鵜原を過ぎた辺りに海岸沿いを反れて山側にバイパスがあるが、海側の道を行きトンネルを2個位過ぎ坂を降りたところに守谷海岸入り口がある。守谷は千葉で一番綺麗な白い砂浜がある。白い砂浜ゆえ海もエメラルドグリーンに見える。4~5月の海が最も綺麗だ。隣の興津や鵜原なども人気があるが、それは電車の駅があるからである。守谷は駅が無いので車が無ければ不便なところである。私が高校・大学の時代はサファーも波乗り前後に日焼けサロンのような感覚で立ち寄るようになった当時から有名な砂浜である。駅が無いので、車の無い女の子やOL達来ることは無く、御宿のような華やかさはない。ゆえにナンパには不便であったが、それも「もう遠い日の花火」のような淡い記憶である。家内がいるので女には不自由しなくなった今、早朝から出かけるのであるなら間違いなく守谷である。

帰路は千葉県の中心茂原辺りを突きって行くと大変混むので同じ道を帰る。高速の東金道は木更津方面の合流で渋滞するので手前の大宮かその先の千葉東で降りる。
千葉に展開するチェーン店『焼肉 赤門』で8時頃、夕食を食べる。京葉道穴川インター近くに2つあり『京葉店』か『穴川店』のどちらかに入る。車の運転があるので酒が飲めない代わりに『ジャンボ・W定食』一人前¥1,480-を注文し飯をおかわりし豚食いするのである。カルビは一人前240gと多めであるので、ご飯一杯では到底足りないのである。「これはお徳だ!!」と最近発見しはまっている。自転車で千葉を走る時は、昼飯に赤門の『情熱ランチ』¥500-(おかわりし放題)を食べる。肉は少ないので、その上のランクの『W定食』¥880-にすることもある。

食後、京葉道穴川インターに乗り一路東京を目指すのである。この時間もう渋滞は無い。自宅到着は10時近くである。


今回サファーを初めて撮ったのだが、追いかけて撮るタイミング等とても面白かった。高額なデジカメとそれにマウントできる望遠レンズがあればもっと楽しめたのにとしみじみ思った。9月に発売されるキャノンの「イオス」でも買ってみっかとも思ったのであった。

最近、ネタに尽きた私が始めて挑んだ写真付きのブログでした。つまんなかったかなあ?

心の重心の位置 

心の重心の位置

 私の心の重心はおおよそ上のほうにある。と、思う。たまにフラフラすることがある。心の重心の位置を測るモノサシを考えた場合、電車や地下鉄の中で自分の目の動きを意識する方法が最も分かり易い。
 
 電車の中の一人一人を意識してしまい目線に落ち着きが無くなる時もあり、稀に車内全体を一つの風景と捉え実に落ち着いている時もある。この差はいったいどのような理由であるのだろうと大まかに感じるが追求した事は無かった。
 
 本を読んで気持ちを集中さえしていればそのような自分に気付くことも無いのであろうが、本を読む気力が無いほど数件の仕事に追われ脳ミソが沸騰していることもある。大まかに全体を捉えようとする姿勢が重心を更に高い位置に上げてしまい更にふらつくのであろう。
 
 このような時こそ悩んでいる問題の本質を追求し解決する方法を搾り出す必要がある。さもなければ今後もずっと重心の位置が高いヤジロベエのように揺れ続けるのではないか。電車の中で一人で喋ったり笑ったりと危ないオヤジ達と同じになってしまう。
 
 何かを考えている風に目をつぶり精神を統一するのも一つの方法であろう。このような行為に及んでも瞼の裏側に様々な模様がクネクネと暴れ出し目玉が落ち着きを失うこともある。成功する時は精神集中ができその模様を一つの点にすることができる。その後は、まるでディズニーランドのスペマ(スペシャル・マッサージではなくスペース・マウンテンの略、女子高生がそのように言っているのを聞いた)に乗った直ぐに目潰しされる、赤いレザー光線の御来光のように放物線状に点から数本の線を放つ。
 
 落ち着きの無さを性格のせいにする年でもない。重心が高いなら高いで地に付いている部分を固定する接着剤を考えて作り出さなければならない年齢である。この接着剤はどのようなものであるのか。人や客に自分の信条を譲らない頑固さかもしれないと思ったりもする。
 
 そのように考えるとふらつく理由は自分の意志薄弱なところに原因があると考えられる。私が小学生の頃、先生と親の連絡簿があり子供の性格を書き込む欄に母親が書いた四字熟語が「意志薄弱」であった。クラスの隣の奴に読まれて笑われた記憶がある。来る仕事は拒まず客に唯々諾々として無理も聞いたりする。本来、客に対しては自分の意思を明々白々に示し是々非々で侃々諤々の議論を正々堂々と繰り広げたいところであるが、気の弱い私は脳ミソが空々寂々になり客の言々句々に戦々恐々としている。たまに私が客に一言言えばそれが仇となり喧々ごうごうの非難が縷々綿々とまるでこの私のカキコミのように続くのである。
 
 平々凡々な私が年々歳々にこのような事を続ければ子々孫々にまでDNAが引き継がれ迷惑をかけてしまうであろう。そうなることを考えると、頭の中は凛々爛々龍園凛々爛々龍園、龍園行って中国たべよう、幸せたべよう!だ。リンリンランラン(人か!)、カンカンランラン(パンダか!)、ファンファン大佐(亡くなられた)。

 私をなぜか輪郭をもって浮き上がらせ明確に定義付ける、まるで代名詞にもなりそうな四字熟語「意志薄弱」を強引にこじつけてプラス方向に10km引っ張ると「柔軟」という言葉を見つける事が出来る。もっともらしい言葉を作るとすれば「意思柔軟」であろう。ああ、それと凛々欄々も筆まかせ(キーボードまかせ?)に出来た造語である。意味は「りりしくて、光り輝いているさま」ほどの意味である。みんなもどんどん使ってね!!
 
 最近、あなたの性格を一言で書けという様なアンケートが仕事上で頻繁にある。仕事上、身内からも指摘された性格の「意志薄弱」であってもそうは書けない。銀行や調査機関のアンケートにそれを書いちゃ信用失楽園だ。この私自身を表現したいとの切実な願いがこもった「意思柔軟」に変わる適切な言葉があったら教えて欲しい。「臨機応変」とか「洒酒落落」だったら行き過ぎだろう。
 
 このようにしてタイトルの「心の重心の位置」は文脈もなく筆まかせゆえ空中分解するのであった。反復四字熟語の言葉の響きに惹かれタイトルに戻ることができなくなってしまったのである。これこそ「意志薄弱」の見本である。
 
 あっそうそう、普通の四字熟語で「鯨飲馬食」がある。私がこの四字熟語を覚えるきっかけはワープロにあった。ワープロを買いたてのある日曜の午後、「原因」の文字を変換しようとしたところ、何故か「鯨飲」になってしまう。原因を究明したところ読みが「ゲイイン」ではなく「ゲンイン」であった事が原因であったとさ。いまだに「ゲンイン」なんて発音しねえなあと思っている。また、私の友人も「具体的」を「舞台的」であると思い込んでいて、つい最近それを指摘されて直したとの事。
 
 ついでに「台風一過」も、香港マフィアのような「台風一家」だと思っていた。初夏から初秋にかけて、何個もの台風が一家のように押し寄せてくるから「台風一家」も正解にしてほしいなあと国文学者に強く言いたい。と、私は一言居士な人?
 
 この縷々綿々としたカキコミを読めば、私の心の重心の位置の高さの在り様(「の」の5連反復)をご理解いただけるのではないか。

お洒落・身だしなみへの目覚め 

お洒落への目覚め

 私の場合、お洒落と言うより身だしなみを整えようとする意識の芽生えが「お洒落への目覚め」であった。
 
 それは中学校2年の秋であった。初秋の清々しい朝、学校へ登校する際に隣近所の中学校1年生のガキが母親に向かって半ベソをかきながらわめいていた。「こんな短いズボンじゃ嫌だ~」と。ズボンの裾の長さなど生まれてこのかた気にしたことのない私にとっては、取るに足りないどうでもいいことであった。
 
 そんな取るに足りないような他人の家のイザコザなどに巻き込まれないように足早にその場を去ろうとした矢先のことであった。そのクソガキ(感情の乱れに伴う言葉の乱れ)のクソババア(さらなる乱れ)の甲高い言葉が私の背中を突き刺した。「見てみなさい!○○君だって、あんなツンツルテンのズボンをはいているじゃない」と。更に追い討ちをかける二本目の矢は「○○君のズボンに比べれば、ヒ○シは長いほうよ」と。いつも人の言う事を大まかに聞いている私は少し経つと「エエッ!!俺かよ~」といつものようにディレイド・リゾルブに、刺された二本の言葉の矢に気付いたのであった。
 
 角を曲がり彼らの見えないところで、しみじみと自分のズボンの裾を眺めてみた。白い靴下が上からでも露になっている。「ベイシティー・ローラーズ」か、はたまたタレントの「勝俣」のようでもあった。矢鴨のように刺さったまんまの羞恥心の矢からは、学校に着く頃までには羞恥心の花が開花し満開になっていた。
 
 異性が身近にいる教室では、短いズボンをボンタンのように腰ではこうと思いベルトの位置をずらしてみた。まだ上履きの位置に達しない。これは相当短かったのだなと、気付かなかった自分を責めた。入学当時からはいていたズボンだ。最初は三重に裾上げをして成長と共に一段ずつ下ろしてきた。今では下ろす部分も無い。折り曲げられていた跡はアイロンで消えることは無くしっかりと2段になって残っている。裾の内側に1cm程折り曲げられロックがかかっている部分の糸を解こうかとも考えた。1cmでは正常になるには程遠かった。
 
 羞恥心が開花しお洒落に目覚めた私は、帰宅後両親に隣近所のクソババアの話をした。大笑いされた。母親は「短いから買わなくちゃと気付いていたけど、何にも言わないからいいと思ってた」と、父親は「余計なことを言う人だなあ」と呆れていた。

 翌日は土曜日で半ドンであった。午後、父親が知り合いの学生服の問屋へ連れて行ってくれた。これまた後から気付いたのであったが、ズボンのように学ランも実はツンツルテンであった。学ランの裾の位置もベルトくらいのところにあった。ベストの丈とでも言おうか。裾上げも考え大きめのズボンも買って学ランも買った。野球部であったので詰襟は少し高めの「中ラン」にした。

 成長するガキは大変だ。一年間経つともう着られなくなる位、身長が伸びる年もある。最近、保険加入の検査を受けた際、身長が1cm縮んでいる事が発覚した。靴を脱ぐと「控えよろ~」状態のお侍さんのように裾を引きずる。礼服もイオンの上下セットで何とツェー万円のものを買った。しかも腰にアジャスターが付いている。メタボリック対応とは何と気が利いているのだろうと思った。

 お洒落や身だしなみとは、すなわち自分の体形を維持することが必要条件であり着衣とセットになっていると感じる年齢になった。冬はJ-wave(81.3kg)であったが、現在はBay-FM(78kg)といったところか。

お気に入りの中華料理「芝浦・大元」 

お気に入りの中華料理『芝浦・大元』

 JR田町駅を海側に降り、最初の交番がある信号も渡り橋を越える。右側にすぐコンビニのローソンがあるので右折して右側4件目位に『大元』はある。赤い暖簾に「中華料理」と書かれている。ま、ラーメン屋といった佇まいか。
(東京都 港区芝浦3-6-4 TEL:03-3453-7003 営業時間11:00~20:30 定休日 日曜日)
 
 田町近辺は仕事の客が数件あり、打ち合わせ後一人で遅めの昼飯を取ることがある。遅めの朝食が「ブ・ランチ」ならば、3時までは「ラン・ディナー」、3時から5時までは「ラ・ディナー」と自分なりに定義してみた。それならもう一丁と、早い朝食は「夜-スト」と考えたが、てんでなっちゃーいない言葉になってしまったのでやめとこう。
 
 いつもの如く話はそれるが、「ブ・ランチ」はいったい何語なんだろうと、悪意を持ってあえて「ブ」の後に中点を付けたりもして、「ラ・セゾン」に似ているから全く分からないフランス語かなあ、それとも造語の日本語英語なのかなあと、またまた大まかに思っていたのだが、これは正当な英語である事が分かった。

 じゃあ、英語で書いてみろと言われると困るので調べたら「Brunch」であり「l」ではなく「r」であった。これは私が中学生の時に似て非なる英単語を見分ける大発見の法則が当てはまるのである。「glass」と「grass」は似ている。どうやって判別するのかといえば,コップは芝や草より高いので「l」、芝や草はコップより低いので「r」なのである。なんと「l」と「r」の高さで判別するという方法を発見したのだ。

 この大発見は、中一の「TOTAL ENGLISH」で英文の「Don’t step on the grass.」があり、和訳として「ガラスを踏んではいけません」か「芝生に入ってはいけません」なのか大変迷った事に起因している。当時、テレビをたまたま見た時、ターバンを巻いているインド人が割れたガラスを食べたり、その上を歩いたりしていたのであった。やけにそれを鮮明に思い出し脳ミソがそのイメージに占拠され、つい和訳もガラスの方に向かうのであったところ、この大発見の法則に救われたのであった。ゆえに「Brunch」は「lunch」の「l」を入れそうになるが、皿は低いので「r」ということになる。
 
 中華料理屋やラーメン屋で,他の時間帯より旨いラーメンを喰える時間帯は、「ラ・ディナー」の時間帯である。何故か?ランチ時の混みあった時間帯はスープが薄くなる。この時間になるとスープも煮詰まり(それが好きか嫌いかは別として、煮詰まるという表現は良くないなあ)濃厚なスープになるのである。旨みも数段増すのである。
 
 と、ラーメンを前置きに使ったにもかかわらず、『大元』ではラーメンは注文しない。「A定食・B定食」の2種類があり、肉という文字が書かれているほうを頼むのである。先日は「肉レバー野菜炒め」、その前は「肉ピーマン野菜炒め」、そのまた前は「肉野菜うまに」のように肉という漢字に誘われて発注するのである。
 
 私はその定食に使われている豚肉を「七福神の戎さんの耳たぶ大の豚肉」と表現している。値段は¥890-である。リーマンやリーウーマン(この場合OLが適切か?)としては少し高いランチかもしれないが、耳たぶ大の豚肉がふんだんに入っていてこの値段である。ご飯喰いの私などは普通盛ではオカズが余ってしまうので、たまに大盛りにする。チェーン店の肉野菜定食は、ペラペラなカスのような豚肉が3~4枚沢山のモヤシの中に埋もれ、その捜索活動もままならないほどである。「耳くそ大の豚肉」とでも言おうか。
 
 先日の土曜日も昼食を食べに行った。「肉レバー野菜炒め」であった。いつものように、おかずの皿には豚肉たちが私に微笑みかけながら「こんにちは!」と親しげに挨拶をする。鳥肌立ったレバーも少し照れながらもお上品に4枚くらい褐色に焼けた肌もあらわに横たわっている。肉を捜索する必要など全く無い。箸で肉を沢山挟んだせいか、肉の重みで腕が段々と痛くなってくる。会計を済ませ店を出た後、家内が「私にはレバーが1枚しかなかった」と「レバ・ノン」状態に文句を言っていた。夜、家内と食べに行く時は、単品でどこを見ても『肉肉肉肉玉葱肉肉肉肉筍肉肉肉肉椎茸肉肉肉肉人参肉肉肉肉』の「肉野菜うまに」を注文する。¥1,500-である。先程の某チェーン店の「肉野菜炒め」を文字で表現するならば、『モヤシモヤシキャベツモヤシモヤシ人参玉葱肉モヤシモヤシキャベツモヤシモヤシ人参玉葱肉モヤシモヤシキャベツモヤシモヤシキャベツ』になる。果たして君はこの中から肉を発見することができたのであろうか程の少なさが他店なのである。
 
 このようにB・C級グルメな私は、中華料理と書かれた赤暖簾や、店内のビニールが破けてスポンジが出ているパイプ椅子等の調度品がちょうど似合う。(韻を踏んでみました)このような店であっても、料理人の舌や腕が抜群に良い店もある。「いつかはクラウン」のように「いつかはフレンチ」になる日は遠い。「いつでも中華料理」「ラーメンも中華料理」だ。高級中華は別格である。「いつかは高級広東料理」も「いつかはクラウン」と同ベクトルにある。たまにはフレンチに連れて行けと言う家内には「生まれ変わったら連れて行ってあげる」と言うようにしている。

大山のぶ代さん「声優・SAY ME」 

 今日の産経新聞に、「ドラえもん」の声優として長年勤め昨年引退された大山のぶ代さんの記事があった。当初、ドラえもんのセリフ第一声目は「おい、オマエはのびたか」であったとのこと。大山さん自身が、子供向けのアニメにこのような乱暴な日本語のせりふは良くないと感じ、我々の代でも聞いたことがある「こんにちは。僕ドラえもん」に修正したとのことであった。
 
 このことは、数々のアニメの声優経験をされアニメが子供に与える多大な影響力を常に真剣に考えてきた大山さんだからこそ出来たことであろう。主役のドラえもんを通して子供たちに明るく良い日本語を伝えようとした声優大山さんの偉業であると感じた。エジソンがそれまでにない英語の「Hello」を発明したことにも匹敵する偉業ではないか。幼児をも含め子供たちは人気番組のキャラクターが発する言葉をオウム返しに真似る。語学学習の基本と言われているインプット・アウトプットはまさにこのような番組から始まるのであろう。
 
 私自身はあまり知らないので適切な批判になるか否かは分からないが、「クレヨンシンちゃん」の話し方を真似ている子供たちはどうにも受け入れがたい。ネチネチとして明るさを感じないのである。
 
 アメリカ人の性格まで変えた「Hello」の発明は、それまで知らない人には声をかけないという風習であったのを、知らない人に声をかけるきっかけとしたらしい。私の子供時代、知らない人に声をかける習慣は無かったので、富士登山や里山歩きの際などもすれ違う相手から「こんにちは」と声をかけられると、声をかけるタイミングを探しながらもそれを逃した自分を恥ずかしく思ったりすることもあった。
 
 さらにこの記事には、ハンガリーのブダペストに仕事で滞在している日本人のソサエティーにも語学教育上「ドラえもん」が有用であったと踏み込んでいた。海外にいる子供達は一旦外に出てしまえば周りから日本語が聞こえてこない。家庭内にいる男の子であれば最も身近にいるのは母親である。女性の言葉になってしまうらしい。正しい男の子の言葉を使うアニメは娯楽だけでなく優れた学習教材にも成り得ることを証明した。
 
 大山さんは「ドラえもん」以前には、「太陽に吠えろ!」の脚本も書いていたとのこと。アニメやドラマが、番組として誰に何を伝え、笑いや感動以外に何を残したいのかを明確に意識していたからロングランや高視聴率を維持できたに違いない。これは日本の文化を作り上げたとする評価にもつながるであろう。
 
 「太陽に吠えろ!」、最近では「踊る大捜査線」等では、その番組に影響されて警察官や刑事になった人を何人か知っている。一ヶ月前には、「踊る」の影響を受けて数年前にサラリーマンを辞めて刑事になった20歳代後半の人から3時間調書を取られた。
 
 大山さんの子供時代は戦時中で糠味噌を家族で大事にされていたとのこと。実家は商売をしており戦後すぐの新円切り替えの際、預金凍結で家族は無一文状態に一時陥った。その後、劇団に入るために家を出る時も糠味噌を持って出たと書かれていた。これさえあれば、ご飯のオカズに困ることはないということであろう。そのような衣食住の選択も儘ならなかった時代を経験されている大山さんの、ドラえもんのセリフの一つである「どこでもドア」は改めて重みを感じる。最近は、いいか悪いかコンビニが濫立しており「どこにでもドア」の状態になってしまった。「開いててよかった!」である。「どこでもドア」を軽くするなっ!と言いたい。

 「ドラえもん」は子供がいくら頑張ったところで成れるものではない。ハリウッド映画のようにメカやコンピューターが支配するメタリックな色彩のSFとは異なり、キャスティングもドラえもん以外はごく一般的であり人間味のある温かい近未来が描かれている。日本の子供たちが見る近未来の夢の質までも考慮しているアニメはそう無いであろう。海外でも人気であるとの事だが、大山さんの日本語で聴き入ることが出来た子供たちの意識下に残したものは多いのではないか。

 大山さんの「ドラえもん」があまりにも有名すぎて書き忘れてしまいそうだったのであるが、私の時代では「のらくろ」「ハリスの旋風」「国松様のお通りだい」等のアニメも、大山さんの個性的な声に惹かれガキの私はテレビに噛り付いて見ていた記憶がある。
 

千葉県の方言「千葉弁」 

 私は埼玉に生まれ千葉市に育った。テレビのチャンネルは1・3・4・6・8・10・12と東京仕様であった。ゆえにNHKのアナウンサーが話す流暢な共通語を中心に聞いて育ってきたので方言には全く縁がないと思い込んでいた。

 しかしながら、隣県である東京の大学に出てきて東京人や地方出身の人から全く分からないと指摘された「和田勉」じゃなくて千葉弁が2つあった。

 一つは、「おっぺす」だ。「押す」という意味なのであるが、私としては共通語であると信じて疑ったことが無かった。ガキの頃から普通に使っていたので自然に口にしてしまい「その不気味な響きの言葉はいったいどういう意味?」と、随分と聞かれたものだ。「押す」という意味でごく自然に使っていた。使い方はこうだ。「エンストしちゃったんで、車をおっぺしてくれる?」とか「背中が凝ってるんで、ちょっとおっぺしてくれない」、「後からおっぺすなよ!!」等である。「押し圧す=おしへす」の音が変化したものであろうと考えられる。

 もう一つは、「青なじみ」である。「青アザ」のことであるが、この言葉も解らないと言われた。「肘をぶつけて青なじみになっちゃった」のように使う。「青馴染み」では意味がおかしいので「青になる染み」を省略したのでのあろうと推測される。

 千葉県人がもっともポピュラーに使うのが「だっぺ」だ。「そうだよね?」を「そうだっぺ?」のように使い、「したよね?」のように用言につながる時は「したっぺ?」「やったっぺ」のように「だ」の濁点が無くなり「た」になる。この言葉は皆がある程度わかり使われているエリアが千葉だけではないと考えられるので滅多に聞かれはしないが、東京の人は方言であると思うであろう。

 このような言葉がどこから来てどのように変化したかは言語学者に聞かなければ解らないが、大和朝廷の時代、帰化人が多かったので舶来のカッコいい言葉として流行したものが現在に言い継がれている言葉も多いのではないだろうか。

 「ちゃりんこ」も日本語であると思っていたが、「チャジャンコ」という韓国語であった。タバコの意味の「たんべ」も韓国語だ。表社会・裏社会があるように、お盆の盂蘭盆はてっきり裏盆・表盆のような意味であると大まかに思っていた。友人のカキコミによるとサンスクリット語の「ullambana」(ウランバーナ)に由来するとのことであった。じゃあ、モンゴルの首都のウランバートルも近い意味に違いないと早合点し調べたところ、モンゴル語で「赤い英雄」という意味で全く違った。「早合点」も「早勝手」と「せっかちに一人勝手に理解する」ような意味合いと読みであるとのように大まかに思い込んでいた時期もあった。

 話を千葉弁に戻すが、「おっぺす」は神奈川の川崎でも使われていたと聞いた。鎌倉時代に流行した言葉であるか、もしくは千葉と神奈川は対岸であるので漁師言葉繋がりであるのかなあと考えたりもする。

 希少な千葉弁もいつか消滅してしまう日が来るかもしれない。天然記念物のように保護し育成することは出来ないものか。国や県が私自身を保護し生活を保障してくれるのであるならば、千葉弁喋る人寄せパンダとして働く事も考えないでもない。

旅行の方法 

 私は仕事の特殊性ゆえ計画的な旅行をすることは少ない。と、書くとカッコいいが年中開いてるコンビニのような会社にしてしまったのだから自分のせいである。国内・海外をも含め事前に予約を取ったとしても突発的な仕事が入りドタキャンになることも多い。旅行直前になっても心には重たい雲が低く青空を塞ぐ様に広がっている。秋の空のように突き抜けるような開放感はないのである。友人達との旅行の時も旅館やペンションの夕食に間に合うことは無かった。深夜に到着すると玄関に私の名前と部屋番号が書いてあるホワイトボードを見ることが常であった。
 
 通常のパックの旅行は食事が付いており、これが邪魔になる事が多い。宿を拠点にドライブに出かけても夕食の時間に帰れなかったりする。かつて母親に言われた「片付かないから早く夕飯食べて!」みたいな叫びが宿側から聞こえてしまうのだ。せっかくの旅行を宿の都合に合わせるのもある日バカらしく思えてきた。
 
 そこで結婚後考えたのが目的地近くのモーテルへ宿泊する事であった。いいアイディアのように感じたが、正月・ゴールデンウィーク・お盆休み・紅葉の時期とものすごく混む。観光地は大体地方にあり田舎にある。この時とばかりに若い男女の下半身時計が時報を打ち燃焼機関は完全か不完全かを問わずワット(欧米か!)が発明した蒸気機関をピストン運動から円運動に替えカートライト(欧米か!)の力織機の発明により飛躍的に愛を紡ぎ性産性が向上するのである。(タカ&トシ入れてみました。)

 繁忙期であるこの時期、この種の宿の休憩は深夜12時までで常に満室である。満室という赤いネオンを見ただけでかつて紡績工場で聞いたピストン運動のガチャガチャした音が聞こえてくるようでもある。(これは織機の音の間違いであろう。何故、このように他人のようなカキコミをするのか自分でも分からない)宿泊のためには12時前に行って並ばなければならない。すべてをやり尽くしてモーテルから出てくる満足且つ気だるさを漂わせる男女を観察しつつ順番が近づいてくる。やっとの思いで入った部屋には窓が無くかび臭かったりする。宿泊するだけであるのだからと自分に言い聞かせ、買ってきたウイスキーをあおって眠りに付く。
 
 今現在は分からないが京都や滋賀方面では、この時期旅館組合等の申し合わせにより料金が倍付けであった。12時以降しか宿泊できなく、小さく窓も無くかび臭い部屋が約2万円くらいになってしまうのである。
 
 これらの経験を踏まえ最終的に辿り着いたのはビジネスホテルへ宿泊する事であった。完全に休みが取れると分かった直前にネットで空いているビジネスホテルを探すのである。この空いているビジホを点にして他の空いているビジホを見つけ点にする。それらを結んでドライブルートの線にするのである。
 
 地方のビジホは繁忙期直前でも空き部屋があることが多い。次のビジホが100~200km先であっても高速を使えば所要時間1~2時間だ。関東近郊の渋滞の中を走るのとは訳が違うのである。宿泊料金もダブル・ツインが¥8,800-~¥11,000-で2人分の朝食券まで付いてくる。割れば一人¥5,000-前後になる。特にお気に入りは全国にチェーン展開しているホテル・ルートインで部屋風呂ももちろんあるが温泉まである。宿の夕飯の心配はしなくていいし時間さえ伝えれば何時にチェックインしてもかまわない。地方のビジホを使えるようになり私のストレスは減り行動範囲は広がった。また、ホテル近くでの食事の選択肢も増えた。
 
 私の旅行先のお気に入りは山形県の米沢と長野県の松本である。米沢と松本の宿を中心に行動する事によって見聞がかなり広がった気がする。出発時間も早朝を避け午後からにする。早朝は東京を4時までに出ないと中央道や東北道では5時から都内近郊にて大渋滞が始まる。これは寝不足になりつらいものがある。
 
 今回の盆休みは、松本にホテルを取り安曇野・諏訪・上高地へ行った。特に安曇野・上高地は穂高連峰の雪解け水が地下水や渓流となり水が限りなく透明である。上高地の梓川と穂高連峰をあわせたエリアは世界遺産にも成り得る絶景である。
 
 上高地は一般車両全面通行止めであるがゆえ車を沢渡の駐車場で止めバスで上高地へ向かわなければならない。今回は旅行最終日である8月14日が晴れていたので天候が不安定な上高地行きをその日にした。河童橋があるバスターミナルで降り、かつて無い晴天にも恵まれ「さあ!明神池へ向かうぞ」と、仕事も忘れ開放感に浸っていたその時、携帯電話に客から電話があり約15分間立ち往生してしまった。唐突にストレスが私の揉み解された心に突き刺さったのであった。後続の車両にオカマを掘られたような、新宿2丁目のオカマに本当に掘られたような痛みを伴う事故のような電話であった。
 
 ま、どんな旅行も一長一短があると思うが、その一短は常に私の仕事に対する姿勢に影響されている事に最近気付いてきたお利巧さんな私なのである。じゃあ、果たしてどんな旅行も私の姿勢次第であるのか?「園まり」ではなく「その通り!!」、一短であると感じることは私の主観によって心の中に巻き起こる本質の外面的な現れに過ぎないのであろう。旅行の方法とは関係の無い結末になってしまったが、「仕事と旅行」というタイトルのほうがいいんじゃないのと、批判しつつ『るるぶ』を読みながら温泉を探している風のOLチックな私なのであった。 

技術大国日本の維持・拡大 

 私の尊敬してやまない渡辺昇一先生(上智大学名誉教授)の著作で以前読んだのだが、子供が大学の理科系に進学する家庭の特徴は母親が大らかでおっとりしており父親はそのような母親に協力的で子供に干渉することは少ないと書いてあった。
 
 確かに、そのような環境でなければ数学のような演繹法によって一つの結論を導き出す技術は育たないと感じた。子供なりに懸命に数学の予習復習に取り組んでいる時、「そら風呂入れ」だの「そら飯喰え」等と、片付かないからと親の都合で急かさせては、せっかくの一つの解に向かう論理的な作業も子供として強制終了せざるを得ない。
 
 論理的思考の成熟は結論を導き出したという成功体験に負う所が多いらしい。時間をかけてでも結論に達した子は、その後もその成功体験をアメと考え結論に辿り着こうとする。
 
 これとは正反対に、私のような文型タイプは総じて前述の家庭とは正反対の家庭に育ってきたのではないか。両親が共働きのせいであった為か家族全員が揃う時間は慌しいのである。ゆえにじっくりと思考する時間などは皆が寝静まってからしかない。中学時代は野球部に所属し帰宅が8時近くであったので、今の子供のようにテレビを見ることは稀であったにもかかわらずだ。
 
 このように、僅かに自分だけの相対的な例を拡大解釈し「海外の観光地でメガネをかけカメラを首から提げているのは日本人だ」のような文型特有(?)の帰納法論理で自分以外の人にも当てはめて考えると、戦前戦後も含め、理系が育つ環境の家庭が技術大国日本を支えていると思わずにはいられない。
 
 思い起こせば私の周りの理系の友人達の母親は皆上品で大らかでおっとりしていた。せっかちな環境から深い思考が生まれることは稀であろう。彼らは家庭自体に安心感を持ち落ち着いた環境で睡眠を取れるせいか寝起きも抜群にいいような気もする。私は寝起きが滅茶苦茶に悪い。また、彼らは早糞でもある。私は遅糞である。それもパーシャル糞であるので時間がかかる。文型の私は多くの人と対面するせいもあり、ストレスが胃に来たり脂汗をかいたりする。日々が矛盾と曖昧さとの戦いになる。これらの矛盾と曖昧さを一時的に解消する手段として酒を食らう。結果的にさらに内臓を痛めつけてしまう悪循環が続く。実際、楽しい酒ではないのだなあとつくづく思うようになってきた。
 
 家庭は社会の最小単位だ。子供は家庭が創り出す芸術的作品でもある。心の問題や人の道は学校教育に委ねるものではない。子供たちが所属する学校はある種、子供たちの品評会である。様々な家庭はあるが、心騒がしくない環境に子供をおいてこそ古来の伝統をも継承する日本の未来があるような気がする。また、家庭の事情も考え図書館のような静寂な環境も充実させる必要もあろう。天然資源が無い日本にとって技術が国を支える礎であることを学校教育も含めもっと真剣に考えなくてはならない。

 子供たちにとって今の日本は数学に取り組む精神的余裕を無くすほど、無駄なものが多く心騒がしい国なのではないか。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。