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地域による呼称の違い 

地域による呼称の違い

 私が千葉に住んでいた幼少時代、台所用液体洗剤の呼称は『ライポン』であった。この商品はライオンの製品で最初の液体洗剤であったような気がする。当時は超有名であった故、つい最近まで皿を洗う際に「ライポンどこ~?」と、口を衝いて出てしまっていた。ま、今では滅多に皿なんて洗うことはないのだが…。
 
 ライオンの液体洗剤では『ライポン』の次に『ママレモン』が出たのではないだろうか。『ママレモン』が、手荒れを防ぐ等のキャッチコピーと新機能で、さらに前作を越える商品になり市場を席巻した。まもなく『ライポン』は消え去ってしまった。
 
 幼少の私をして慣れ親しみ、洗剤の代名詞として口を衝いて出てしまう程の『ライポン』を、ほぼ2年位遅れて東京に生まれた家内は「聞いた事も無い。変な響きの言葉!」と、なじるのである。家内が嫌いな千葉弁の「おっぺす」に通じる奇妙な響きを感じるのであろう。
 
 それと同じように家内が嫌う呼称は『カットバン』である。『カットバン』が世の中に存在した事も信じてくれないのである。普通の東京人は『バンドエイド』と正しい呼称で言わなければならないらしい。幼少の頃は、『富山の置き薬』のオジサンが、紙風船等の懐かしいオモチャを携えて毎年自宅に訪ねて来たものだ。そのオジサンが、生傷が絶えない私のために『カットバン』を家の救急箱に絶えない泉の如く置いていく。私は『カットバン』には死ぬほど世話になっていたのであった。そんな幼馴染みの『カットバン』の呼称の響きでさえも、地域が違うと嫌われてしまうのである。
 
 これとは反対の立場になった事がある。学生時代、仙台出身の友人のアパートに泊まりに行った際、就寝時に「俺のエバーソフトを使えよ」と言われた。『マットレス』を指差していたのでディレイド・リゾルブに呼称の違いを理解したのであったが『エバーソフト』には正直驚いた。ブリヂストンから発売されているマットレスの商標がこの『エバーソフト』なのであった。全く憂鬱になることはなく、呼称の違いに思い切り笑えたのであった。
 
 この仙台の友人は、ある時は大らか、そしてある時はせっかちなヤツであった。車の運転は何故か乱暴なヤツであった。その後、私が結婚して何度か仙台に車で旅行に行く事があったのだが、仙台人は車の運転時右折の仕方が乱暴である事に気が付いた。対向車線真近に車が来ても、ガンガンと右折をする。若いピチピチギャルであっても危険な右折をする。ゆえに自動車教習所で習った「認知→判断→操作」の時間が仙台・東京を比較すると、仙台のほうが短いことを悟った。関東では考えられない程せっかちに感じる右折であると私は感じた。そうでない仙台の方はゴメンなさい。
 
 話しを戻そう。憂鬱になっても笑えても違いがわかるゴールドブレンドという事は、コーヒーであることは分かるのでいい事である。イギリス貴族がインスタント・コーヒーの『プレジデント』だったか?を飲んでいるCFを見た時は「イギリス貴族もここまで落ちたか」と感じた。
 
 大阪人はコーヒーにいれるミルクを『フレッシュ』と言ったり、アイスコーヒーを『レイコ』とも『アイコ』とも言う。「女の名前じゃねえか」と思ってしまう。『ネッスル』だと思っていたのに急に『ネスレ』になったり、もう世の中何がなんだか分かんない状態であるので呼称なんて後でこじつけたり説明できればいいのだ!(byバカボンのパパ)。
 
 日本に急にコーヒー文化が入ってきたので、このような乱れが生じ、日本全体がコーヒールンバになってしまったのであろう。呼称とはキュウイ・パパイヤ・マンゴだねと感じる今日この頃である。自分自身の今日のカキコミによせて「投げやりな槍投げ」という言葉をもって締めの言葉に代えさせていただきます。ご静聴有難うございました。
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回転するもの 

回転するもの

‘64年の東京オリンピック後に作られた旧国鉄千葉駅の最上階には、回転式展望レストランがあった。現在、それが回転しているかどうかは分からない。それと同じような回転式の展望レストランが『ららぽーと』の最上階にもあった。東京では、『ホテル ニューオオタニ』のそれが現在も稼動しており有名である。

 NHKのプロジェクトXを見て知ったのだが、この技術は『戦艦大和』の技術者が継承し開発したとのことである。当時、この戦艦大和の世界最大の3連装46センチ砲の砲塔は2万5千トンもあり駆逐艦一隻に相当する重量であった。この砲塔を回転させる技術を生かし平和利用したのであろう。

 強固な中心軸を作り、重量はそれを中心としすべてを対称に分配していけば、回転する円形の建物の円周の下に配備された車輪にかかる力は、車輪分均等になるはずである。重量の偏りが激しいと中心軸にあるベアリングの磨耗も激しくなるはずだ。

 小学生であった私は、何度も国鉄千葉駅へ足を運ぶ機会があったが、プロジェクトXの放送まで『戦艦大和』の技術である事を教えられた事はなかった。それとも教えられたのに忘れているのであろうか。かつては、回転式台座がある駐車場にさえ日本の技術の高さを感じ驚いていた程であったのに…。

 似て非なるものに『回転ベッド』がある。この技術は『戦艦大和』に技術からは程遠い事は誰でも分かる。いかがわしい技術だ。人類に貢献する技術ではない。どうせなら、砂利を積んだダンプのように荷台の片側が起き上がり、目覚まし代わりに起床時間になれば人をベッドから滑り落とすようなベッドにしたほうが寝起きの悪い私にとっては数倍役立つ技術になったのではないか。

 『中華料理の回転テーブル』は、横浜の中華街で生まれ本家中国には逆輸入であると聞いた。この話を現地中国で話したところ「捏造だ!」と言われた。今では日本発祥である事が中国でも知られるようになってきている。

 『回転寿司』は、正真正銘の日本の技術である。その技術をそのまま使った『回転飲茶』も香港で流行っている。様々な種類の寿司が自分の前に回ってくる。以前は食べたい寿司のリクエストが出来ない時期もあり、食べ物ができ回転台に乗せられるすぐ近く『上流』にいなければ『下流』に座った場合、寂しい思いをすることもあった。

 『回転寿司』と同じノリであるなあと私が感じるものに『回転木馬=メリーゴーランド』がある。たくさんの新鮮採れたてのピチピチ・ギャルが木馬に乗って回転しているの見ると「喰いてえなあ」等と思ったりする不逞の輩は多いのではないか。

 『回転流し素麺』は回転するキティーちゃんの玩具を見た事がある。このようなものは、家族であるから許せるのであって、見知らぬ人同士が箸を突っ込みあって食べる店があったら不衛生この上ないであろう。まず、保健所の許可がおりないであろう。韓国出張の際に、仕事仲間と朝食に豆腐チゲを食べたのだが、一つの豆腐チゲを皆のスプーンを突っ込んで食べる文化は当初受け入れ難いものがあった。今は慣れた。

 今日も筆まかせに「面白い回転→開展→展開の記事にならないかなあ」と、またまた大まかに考え更新の為に書いていたのであるが、全く面白くならなかったので強制終了する事と相成りました。なんか、感性がやられてるなあ。昨日の晩のテキーラが効いてるのかもしれない。

『巾着田の曼珠沙華とコスモス』を堪能する里山歩き 

埼玉県日高市『巾着田の曼珠沙華とコスモスを堪能する里山歩き』

 土曜の朝刊に「埼玉県日高市にある巾着田では今、曼珠沙華(彼岸花)が満開である」と一面曼珠沙華が咲き乱れる写真付きで紹介されていた。近くを走る国道299号は秩父の帰りに通った記憶があるが、このような花の群生地である事は知らなかった。ルートマップで場所や距離を検索したところ、東京の自宅から約65km位で川越や秩父にも近い場所である。この日は、200kmサイクリングの予行演習であったので翌日の日曜日に出かける事にした。

 9月24日(日)の午前中、昨年亡くなった家内のお母さんの墓参りに足立区谷在家の正徳寺に行き、そこから首都高、外環道、関越道、鶴ヶ丘JCから外環道で日高市のインターで降り、約30分で巾着田近くに到着した。場所は西武池袋線の高麗(こま)駅に程近い。

 巾着田は、日高市内を流れる清流、高麗川(こまがわ)の蛇行により長い年月をかけてつくられ、その形がきんちゃくの形に似ていることから巾着田(きんちゃくだ)と呼ばれるようになった。直径約500メートル、面積約17ヘクタールの平地には菜の花、コスモスなどの花々が咲き、中でも秋の曼珠沙華(彼岸花)群生地は辺り一面を真紅に染め、まるで赤い絨毯を敷き詰めたようである。毎年多くの人がその美しさに惹かれて訪れる。

 近くには日和田山(関東名山100選)があり、頂上は巾着田を見下ろせる絶景であるとの事であった。しかし、初級・中級登山者向けの山であるので、次回一人で来たときに登ることにし、今回は巾着田を含め『高麗』という地名の由来を探る為に付近の里山歩きをのんびりと敢行することとした。

高麗郡の設置については以下である。
 
 続日本紀 巻の七、元正天皇霊亀二年(奈良時代 西暦716年)五月の条に、駿河(静岡県)甲斐(山梨)相模(神奈川)上総・下総(千葉)常陸(茨城)下野(栃木)七か国の高麗人1,799人武蔵国(埼玉)に移して高麗郡を置くとある。これにより当時関東甲駿地方に高麗人が散在していたこと、これを武蔵国に集めて高麗郡を設けることが知られる。
 
 当時の高麗は正しくは高句麗(こうくり)のことで、新羅滅亡の後朝鮮半島を統一した後の高麗(こうらい)とは文字は同じであるが、読方を異にし時代の上にも隔たりがあり全く別の国である。

20060927150515.gif
地図左下の高麗駅付近の駐車場に車を止め、東側にある巾着状になった高麗川の中の巾着田へ向かう。巾着田の周りの高麗川に沿って曼珠沙華は群生する。高麗川に包まれている巾着田の内側にはコスモスが群生している。

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『善意の騒音』、別名『警告音』 

善意の騒音

 近年、高速船の性能が向上しエンジン音がしないとの事である。この技術の進化の裏側にある悲劇は、高速船とクジラが衝突する事故である。国交省の『超高速船に関する安全対策検討委員会がユニークな調査を始めた。クジラがよく反応する超音波を調べ、「衝突防止装置」の改良に役立てるという。

 今年になって長崎県対馬市沖では、JR九州の高速船「ビートル3世」が2月と3月の2回に亘ってクジラと衝突する事故を起こした。その3月の事故では乗客11人がけがをし、釜山と対馬の海域はクジラとの事故が頻発していた。4月には鹿児島県で鹿児島商船の高速船「トッピー4」が漂流物に衝突し100人を超すけが人が出た。

 両船舶共に、クジラが嫌がるとされる超音波を海面下から出すシステムを備えており、この超音波の効果を疑問視する声も上がっていた。このため国交省検討委は、捕鯨船に付けられている超音波でクジラを驚かせ水上に浮かばせる鯨探器を使い、実際に音を出してどの音に最もクジラが反応するのかを実験したとの事。その結果、周波数は人間が聞こえないほど高い24キロヘルツが最も効果がある事が分かった。従来の超音波は、それ以下の数値でありそれぞれに幅があり統一されていなかった。

 この高速船と同じように、技術進歩の裏側に潜んでいるであろうと思われる悲劇を予感させる記事が本日の朝刊にあった。自動車メーカーのホンダがバッテリー一回の充電だけで約570km走る電気自動車を開発し、次回の「東京モーターショウ」に出展するとあった。

 これら船や自動車のエンジン技術の進歩により、将来的には騒音の無い快適で静かな乗り物が主流になるに違いない。そうなると自動車の場合は衝突する対象がクジラではなく人間になる。「静かなエンジン」は、乗っている人には優しいかもしれないが、その車の周りの人には「音も無く現れる不気味で危険なもの」になる。

 最近TVコマーシャルで流される自動車から人を探知するシステムは、ある意味運転手の利己主義であると思わずにはいられない。自分さえ分かっていればいいという独善的な匂いがする。自動車が近づいてくることを、歩行者が事前に分かるようでなくてはならないのである。これら歩行者側の気持ちに運転者の想いが到達する場合、発展途上国でのクラクションの嵐は、運転手の『善意の騒音』である事が理解出来るようになってくる。『都市に走る四輪駆動車の数は、その国の文化レベルに比例する』という話を聞き、私の経験から『国の文化レベルは、クラクションの音に反比例する』という仮説を立ててみたが、クジラの世界では当てはまらなくなってきている。人間の世界もそのようになる可能性がある。

 近い将来、それらを解決する為に国交省が委員会を立ち上げた場合、人間が嫌がる周波数を研究する事になる可能性大である。検討委の調査の結果「最も効果的であったのは、暴走族の改造バイクの空ぶかしの音と、ゴッドファーザーのテーマを出すラッパ式のクラクションであった」となる。法案が国会を通り、電気自動車にはすべてこれらを標準装備しなければならなくなった場合、私の世代では車の窓に電車のつり革を付け、助手席の家内には箱乗りさせていることであろう。また、リアウインドウには「E・YAZAWA」のシールを貼り、服装はリーゼントに革ジャンで眉毛と額に剃りを入れるに違いない。過去を振り返り、「暴走族は歩行者にたいする思いやりがあった。接近してくる事を数キロ先から爆音で親切に教えてくれた」等と総括される日も近い。

 私の場合などは、予てから「ラッパ式のビッグホーン」のようなクラクションを私の車に装備したいと思っていた。ダンプカーが驚くほど大きい音で一発鳴らし、その後は静かにフェイド・アウトするアレである。最近、車に乗っている時に何が一番頭に来るかと歩行者に危険であるかと言えば、「歩行者信号が点滅していたり赤なのに、携帯電話で話しながらゆっくりと歩いているヤツ方」である。こんなヤツ方には、風圧までも感じさせるバカデカイ音で「善意の威圧警告」をし、ヤツ歩行者が飛び上がって驚くくらいブザマな慌てざまを私がこの目で見て大笑いし、「善意の運転者」としてヤツ自身が危険であった状態であるのを教えて差し上げたいのである。過去に私自身も、普通に横断歩道を歩いていてダンプカーにコレをやられた事がある。驚いて1mは飛び上がったような気がする。ダンプの運転手は大笑いしていたのであった。

 クジラは今後、これに似た状態で生活を脅かされるのであろう。


(2)ポタリング 「荒川沿いのポタリング」 予行演習編 

荒川沿いのポタリング

 9月23日(土)は天気予報では曇りであったが、朝起きると秋晴れであった。お彼岸なので前日の予報が晴れであれば早起きをし、埼玉県深谷市まで墓参りも兼ね往復約200kmのポタリングを決行しようと考えていた。

 台風の影響で雨になってしまった場合、体力に自信が無いのでそれはひとまず止めた。往復200kmの予行演習も兼ね、午後12時15分に台場を出発し19時には帰宅する予定にした。片道3時間往復6時間でどこまで行けるのか試してみようと考えた。

 一日100kmは、昨年千葉の実家を目的地とした時に経験済みである。このときは、ただ行くことのみを目的とし、7月初旬の炎天下の中を走ったので楽しくはなかった。新しい風景の発見も少なかった。クロス・バイクで行ったので、ヘルメットを被った完全装備のバイクに何度も抜かれ悔しい思いもした。

 東京から埼玉県深谷市に行くのには国道17号(中仙道)が便利であるのだが、国道は危険が多いので荒川沿いサイクリングコースを選んだ。台場から荒川河口近くの葛西橋まで行き、そこからサイクリングコースを走る。車や電車ではなかなか見ることの出来ない風景を堪能しデジカメで写真を撮りながらゆっくりと走る事が私の目的である。

 そのような時は、折り畳み自転車に限る。今回もそれにした。クロス・バイクは、途中で嫌気が差して止めたくなった時に置き場に困る。私の折り畳み自転車は『ダホン』というメーカーで、本社はアメリカであるが製造は台湾である。約11kgであり輪行用(折り畳んで電車やバスに乗ること)のバッグに入れる事ができるので、どこにでも出かけられる。往路や復路だけでも自転車に乗り、目的地や自宅まで他の交通機関に委ねる事が出来るのである。因みに『ダホン』を連続して言うと「ダホンダホンダホンダ、ホンダ」になる。’80年代に出来た新しいメーカーであるので『ホンダ』からパクッて命名した可能性も考えられる。

 午後12時15分、お台場海浜公園から出発した。
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領収書 

領収書

 先日、昼食時に某焼肉チェーン店の牛○で食事をした。そのチェーン店はランチセットが無く、昼食時であるならば冷麺やビビンバ等の単品を注文するか夕食並みにカルビやロースを注文するしかない。昼食代が通常より高くつくことを知ってか、駐車場には数台しか車は無かった。

 私は、多くの中からモノを選び出す事が大変苦手である。Aランチ・Bランチ等の二者択一であれば悩んだ末に結論を出すのであるが、選ぶ意思が無い時はメニューでさえも広辞苑のように膨大に感じる。探し出す作業は気分が萎えるのである。

 メニューを嫌々読破しようとしている最中に、「先に飲み物は何にしますか?」と聞かれた。食事のメニューを四苦八苦しながら選んでいるのに強引に店員は割り込んできた。(と、感じた) 店が暇であるのとマニュアル通りの対応であることは大よそ察しがつくのであるが、選ぶ事で頭がいっぱいな私は、水でいいとも言えずに飲み物を注文してしまった。

 ランチセットが無いので仕方なく焼肉も数皿、メインもすべて人数分注文した。一生懸命に食べているとテーブルは広く置ける場所は十分あるのに、空いた皿を片すと何度もやって来る。両手を使って食べているのに、アンケートを書けば割引券を進呈すると手渡しで渡そうとする。あまりにも手際が悪く空気が読めない店員達だ。チェーン店のアルバイト教育が行き届いていないのに嫌気が差しアンケートは無視した。

 食事も終わって会計をする際、領収書をお願いした。領収書をほしいと言っているのに案の定、数秒前に言われた事をも忘れレシートを手渡そうとした。こんなことはどこのチェーン店でも頻繁にあるので別に驚かなかった。アルバイト店員は、レジの領収書のキーを叩けば一発で出てくる事も教わらずに(忘れたか?)下の引き出しを開け手書きの領収書を探している。私としてはレジキー一発は他店でいつも見ているので分かっているのだがその間、店によっては手書きになるのかもしれないと推測し待つしかない。

 アルバイト店員は先輩のアルバイト店員を呼びに行き、レジキー一発で領収書を出した。先輩の店員がいる前で、私に向かって「ここに名前を書いてください」と直接、領収書を差し出した。目が点になった。複雑な会社名の場合は、聞き取る事が出来なかったり書く事が難しかったりするのでメモを差し出され社名を書いてほしいと言われる事はある。クレジットカードでサインをすることもある。

 アルバイト店員の勘違いであるのだろうが、領収書に直接名前を書いてほしいと言われたのは初めてであった。雇うのであるならばアルバイトの教育はきちっとするべきである。ましてアルバイトにレジを扱わせるのであるならば想定問答は教え込まなければならない。会社や社員がいくら頑張っても、店の顔であるレジがこのような素人であればザル勘定のようなものだ。呆れて客も逃げるし果ては釣銭も間違えることになる。

 さらに店員は領収書に、右下に手書きでサインをし、左上の印紙の部分に判子を押した。先輩店員が「左上に割り印、押して」と言ったのである。印紙が貼る場合は割り印が必要であろうが、分かっちゃいないこの無駄な作業に空しさを覚えた。

 その有名な焼肉店はフロアーもレジもアルバイトであるがゆえ、学園祭の焼きそば屋のように見えてしまう。急速な店舗展開が原因であろう。

『キュリー夫人』の友達 

キュリー婦人の友達

 ノーベル物理学賞と化学賞を2個も受賞したポーランド出身の『キュリー夫人』を知らない日本人はおそらくいないであろう。。キュリー夫人が初来日した際、日本食の代表格である沢庵やヌカ漬け等のお新香を初めて食べ、独特な日本料理にたいそう感銘したとのこと。

 学者である彼女は、それらを応用し日本のキュウリを日本の調味料の基本である酒・みりん・醤油・昆布に母国のピクルスのように酢と更に生姜を加え、より深みとコクのある全く新しいお新香までも作り出してしまった。それが『キュリーのキュウちゃん』の始まりである。
 
 キュリー夫人の友人と言えば、日本の栃木県出身である『那須婦人』であることは有名な話である。キュリー夫人のマルチな才能に刺激を受けた那須夫人は、自分もなんとか新しいお新香を作ろうと努力してみたのだが、物理・化学学者であるキュリー夫人の知識と創造力に叶う筈もない。

 キュリー夫人が2度目の来日をした際に、那須婦人がようやく創り出した『小ナスのピクルス・ポーランド風』を試食してもらった。あまりのマズさにキュリー夫人は怒って黄色い花を頭から咲かせてしまい、翌日には顔にキュウリ特有のブツブツが出来てしまったのであった。
 
 那須婦人はキュリー夫人の機嫌を直そうと、昨晩寝ずに考えたクイズを出してみた。「キュリー夫人と那須婦人がスナックを作りました。そのスナックの経営者はどっち?」 キュリー夫人は数分考えたがついに答えることは出来なかった。誰でも解けるサービス問題を出したつもりであったのに解けないキュリー夫人に少し苛立った。那須婦人は答えた。「それは私。だってナスがママ、なんちゃって~」 レベルの低さにキュリー夫人は呆れた。
 
 二日連続でキュリー夫人の機嫌を損ねてしまった那須婦人は、最後の策を出した。築地の元祖『吉野家』に誘ったのだ。美味しい牛丼を食べればきっと機嫌を直してくれるに違いないと考えた那須婦人は車でキュリー夫人と共に食事に出かけたのであった。

 二人はカウンターに座った。注文をするかと思いきや那須婦人は自分のカウンターの前にあるステンレスの容器の中を確認して唐突に言った。

 那須婦人:「生姜が無いわよ」 
 店員  :「申し訳ありません。すぐにお入れします」 
 那須婦人:「しょうがないわね」(ピューと寒い風が吹く)

 と、駄洒落を言ってみたが、不慮の事故のように襲ってきた低次元の駄洒落にキュリー夫人は笑うことが出来なかったのであった。

 店員    :「ご注文は?」 
 那須婦人  :「並と生卵!」
 キュリー夫人:「並と生卵、それからツユダクにして下さい」
 店員    :「はい!」

 那須婦人は、キュリー夫人がツユダクというオプションを既に知っていたのに我を忘れる位焦った。焦って慌てた那須婦人は言った。
 
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ヤドカリの冤罪 

ヤドカリの冤罪

 第二次成長期に差し掛かっていたヤドカリ君の住まいである巻貝の殻は、この前引っ越したばかりなのにもうパツンパツンに小さくなってしまっている。このままでは体が抜けなくなり中国の纏足のようになってしまう。程よい大きさの巻貝の殻を捜して引越ししなければ、大人の体躯になれない。ヤドカリ君は今日引越しをしようと決めた。
 
 焦ったヤドカリ君は、自分にあった巻貝の殻はないかと辺りを見渡した。近くにある殻は皆小さい。5分ほど歩くと少し先に丁度いいであろう大きさの殻を発見した。その反対からは自分と同じ年齢であろう女の子のヤドカリが、やはりパツンパツンになった巻貝の殻を背負って興味深そうにその殻に近づいてきている。

 またまたヤドカリ君は焦った。せっかく見つけた次の住まいが今まさに知らない女の子に取られようとしている。のんびりしてはいられないと瞬時に思ったヤドカリ君は、着ている殻を華麗に脱ぎ捨てた。裸になったほうが数倍早く歩ける。女の子は恥じらいがあってか重い殻を脱ごうとはしなかった。「早い者勝ちだぜ!」と歩き出すや否や、ヤドカリのお巡りさんにスピード違反で捕まってしまったのだ。

 近年、不法滞在者が増えているヤドカリ王国の警察は国際化されている。お巡りさんは外国の言葉であるエビ語、ヒトデ語、ハマグリ語、アワビ語等、様々な言葉を話す事が出来る。同じ国のヤドカリ語族であるにもかかわらず、お巡りさんのヤドカリ君にたいする第一声は外国語のエビ語であった。

 「アナタハ、ドコカラキマシタカ?」お巡りさんはエビ語で職務質問をした。外国語が分からないヤドカリ君はヤドカリ語で「ぼくはヤドカリです」と言った。ヤドカリ語を話す事に驚いたお巡りさんは「うそつけ!どっから見てもエビじゃないか!」と怒った。その容姿ゆえ何度言っても信用してもらえない。清廉潔白なヤドカリ君は今にも泣き出しそうであった。

 不法滞在容疑で現行犯逮捕されてしまったヤドカリ君は署に連行されることになった。その間に大きな巻貝の殻に辿り着いた女の子のヤドカリちゃんは、恥じらいながらも殻を脱ぎ捨てセクシーな引越しの最中であった。手錠をかけられ連行される途中にそれを食い入るように見ていた思秋期のヤドカリ君は、軽犯罪防止条例で再逮捕されてしまった。

 なんともついてない男の子丸出しなヤドカリ君なのであった。


『心の痛み』の治療方法 

 目覚めた途端、冷え切った空気が肺に直接入り込んできた。急いでベッドから起き上がると、パジャマの隙間という隙間から小針で刺されたような痛みを感じる。洗面所で水道の蛇口をひねる。温水が出てくるのを待つまでもなく、冷たい水と液体石鹸を顔に無理やり擦り付ける。顔が引き締まる。全身もしゃきっとする。

 冷水は一日の初めに自らに課す小さな痛みだ。脳みその皺が瞬時に収縮し、脳細胞同士が密接になったような気分になる。全身を活発に動かす指令がシナプスを行き交い「やるき」が全身にみなぎる。痛みを感じて「やるき」が起こる。痛みを感じることによって、その痛みを本能的に駆逐しようと奮闘努力する。これは人類の誕生以来数百万年に亘り能動的にDNAに刻み込まれてきたものであろう。道具を作って「痛み」を除去できるのであるならば、道具を何度も改良して今現在の機能になっているはずである。

 寒さ、暑さのように自然から与えられたある意味での痛みは、人を選ぶこともなく、万人に静かに訪れ静かに去る。去ることは学習しているので静かに去ることを待つことができる。人から与えられた痛みは最悪だ。突然、交通事故に遭遇するようなものだ。この痛みは訪れも去ることも予想できない。去ったと思い込んでいても、一生消すことの出来ない心の傷になることもある。心の傷の痛みは、意識的に自分で思い起こすことも出来るし、突然襲ってきたりもする。心の傷は自分の精神的成長とともに進化・成長するものだ。齢を取るほど重たい存在になったりもする。

 この自分の中で特定されている心の傷を治す方法を或る日思いついた。その傷以上の傷を負うことだ。もしくはそれ以上の傷を負おうとする気構えを持つ事だ。同等の傷を負ったのでは傷を比較することは困難であるが、それ以上の重い傷を負えば小さい傷は癒えたような錯覚に陥る。痛いと思える人間の能力にも限界があるということがわかった。さらに重い心の傷を常に追い続ける。自虐的ではあるが、自分の力で能動的に治癒させようとする前向きな姿勢こそ最も大事である。  

 人は誰でも死に向かって生きている。人生とは生きる過程の中での痛みのつづら折である。二つの痛みを同時に思い起こして、痛みが二倍になることはない。人は痛みを沸騰させる器は一個しか持ち得ない。死んでいくであろう自分は認識できても、死んでいる自分は意識できない。死は人間を本当の意味で痛みから解放する。痛みは永遠でない事が、誰にでも訪れる死という生命の期限の認識により、さらなる痛みにも耐えうる心の器を強靭且つ拡張させるのであろうと感じる。 
 

忘却力 

忘却力

 記憶力がいい人の人生は両極端であろう。記憶を生かせる仕事に取り組むことによって、多くの金を生む結果に辿り着く可能性もある。人との摩擦を多く生み出し、それらの嫌な記憶に縛られ前進できない人もいる。
 
 この記憶力の対極にあるものが『忘却力』であると一時期思っていた時期があった。忘却力が優れているからといって幸福になれるわけではない。記憶力と忘却力が釣り合ってしまうと、もうこれはザルのような脳ミソになってしまう。

 『忘却力』とは、ある意味『切り替える能力』と考えたほうがすっきりする。さらに分かり易くいえば、『記憶はしているが前進する為・生きていく為に一時的に忘れる力』とでも言おうか。

 人は生きていく為に人が必要である。人と人が交われば当然摩擦が起こる。100%の生き方など出来る人はいない。技術や生産も日々曖昧さとの戦いである。人生も同じである。ここで良しとして未完成な状態であっても納期や未来に向かって生きていかなければならないこともある。「こんな仕事は金輪際もう懲り懲りだ」と言いドアを蹴ってその仕事や会社を辞めるのが一番簡単なのである。

 電通の鬼十則の十番目に「摩擦を怖れるな!摩擦は進歩の母、積極の肥料だ。でないと君は卑屈未練になる」という箇所がある。電通に入社した友人の新入社員用マニュアルに記されていたものをさらに友人から又借りしたものであったのだが、この部分だけはやけに感動して覚えていた。

 若い時分は言い易さもあってか、仕事関係の中で取引先や客から悪意のこもった発言が私に向かって飛び交うような時期もあった。営業技術も無く経験も少ない私が返答に詰った場合、相手より優位に立とうと誹謗中傷の言葉の矢をあえて飛ばすのであろう。それらがグサグサと心に刺さるのである。「ちょっと、頼りないネェ、君じゃ」や「こんなことに即答もできないの?」等、私の歩んできた二十数年の人生をすべて否定されるような言葉に聞こえた。

 記憶力が良ければ毎日このような状況の中で明日に向かって生きていく事は不可能であろう。そのような状況の中、仕事や人間関係の前提として『摩擦』があることを教えてくれたのは電通の鬼十則であった。その摩擦を克服する心構えとして『忘却力』という言葉に辿り着いたのであった。

 自分にとっていい事は嫌でも記憶している。反対に嫌な事も記憶してしまう。年月と共に積上げられた経験や技術もあまり使っていないと記憶力を必要とする時もある。嫌な事は『忘却力』をフル回転させ忘れるに限る。私の『忘却力』のお友達2人を紹介しよう。『お酒ちゃん』と『タバコちゃん』である。両方とも男の子だ。弾が飛び交う前線では、戦友は男に限ると考える差別しいな私なのである。女性の皆さん、ごめんなさい。
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