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「いじめ問題解決」に欠けている最も大事な視点 

「いじめ問題解決」に欠けているもう一つ大事な視点
 
 「いじめ」が社会問題化し自殺の連鎖が続いている。社会経験の少ない子供にとって学校は「これ以外考えることができない大きな世界」であろう。先生が引き起こす陰湿な「いじめ」は「虐待問題」として扱うことが肝要だ。関係者やメディアは、大人と子供の行為には明確な線引きが必要である事を、今一度確認しなければならない。

 もし、先生の行為を子供同様「イジメ」で通した場合、「子供の自殺は先生のイジメに直接的な原因はない」という詭弁がまかり通る。いじめや自殺の原因を先生と生徒がなすり合いしているとも見えなくも無い。「なれ合い学級崩壊」は、さらに具体的な「責任のなすり合い学級崩壊」になったと言えるだろう。

 潜在的なイジメは、今後更に顕在化する。今現れているイジメや自殺の問題は、「氷山の一角」である。大人が上段から「自殺はするな」と囁いたところで、すでに心の傷を負った子供の耳はそれを受け付ける力はない。大人が子供の生き方を示唆することも大事ではあるが、どんな社会でも「自浄作用」はあると考える。それが子供同士の社会であってもだ。

 潜在化しているイジメを大人が見つけ出す事は困難である。子供同士であるならば、話し易いことも往々にしてある。潜在化しているイジメを顕在化させることにより先生をも含め対策を講ずることが可能になる。今、議論の俎上に上らないのは問題を解決する為の「子供の視点」の重要性である。そのような役割の一部を果たす事が出来る児童が「学級委員」になるべきであろう。人の心の痛みを理解し、相談する人の気持ちになれる子供は確実に存在する。

 学校の使命として、このような問題に積極的に参加できる子供を育成する事も「日本の将来の教育」にとって必要不可欠である。教職の試験は、これらの実績や参加経験を踏まえたものを最大評価し採用の重点項目にするべきである。この児童と先生の連携にて初めて「学校教育の善循環」が始まり、「イジメ」や「自殺」も沈静化すると考える。
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「おにぎり」の過去・現在・未来 

 「おにぎり」は時代と共に多種多様化されてきている。特にコンビニ各社の競争や乱立で、地域や年齢による好みが分析され、さらに細分化される。「新おにぎり研究開発」は、様々な要因により拍車がかかりマーケットの裾野を押し広げる。
 
 私の幼少期、'60年代のおにぎりの種類は少なかった。と、私の中では思っている。具は「おかか」「梅干」「昆布」「鮭」「たらこ」くらいであった。お弁当では、おにぎり2個を白い紙に包むか、数年後は透明のパックに入れられ沢庵が2~3枚付いた状態で売られていた。

 私の母が作る「おにぎり」で未だに記憶しているものは、常軌を逸したものであった。香りがするおにぎりなのである。それも塩と石鹸の…。働く合間に急いで作った結果、このような清潔感溢れる香りのする「おにぎり」になってしまうのであろうが、もう少し手を良く洗い流して欲しかった。

 父は「焼おにぎり」が好きで、「コレさえあればオカズはいらない」とよく言っていた。小学校の遠足の時、お弁当の中身は確認しなかったのだがアルミホイルに包まれていたので「おにぎりか」と薄っすら思ってリュックに入れた。お昼のお弁当の時間になったので、恐る恐る弁当を開けてみると「焼きおにぎり2個」だけが入っていた。(←戦後かっ!)「オカズはいらない」と言ったのは父であり私ではない。皆の輪に入って弁当を食べる事ができなくなってしまった。

 また剣道の遠征試合のおり、アルミホイルに入ったお弁当を見て「ああ、またおにぎりか」と薄っすら思い、昼食時遠征試合の会場で開けてみた。「味噌おにぎり2個」だけが入っていた。(←戦後かっ!否、戦国時代かっ!)そういえば父は「味噌おにぎり」も「コレさえあれば…」と母によく言っていた。私はたまらず会場の外に出てベンチで一人で食べた。おにぎりの周りに味噌が塗ってあるだけのもので、「具なんかが宝くじの大当たりのように中に入ってたりして」とミミズの糞ほどの期待をして、ネズミのように歯を立て細かくかじりながら「おにぎり」の中心へ向かった結果、やはり中心もご飯であった。ましてや同じおにぎりが2個なので2回やった結果、2つのおにぎりは全く同じものなのであった。

 今の私といえば、コンビニの「クオカード」1万円分を買って領収書を貰う。カードの金額は\10,180-なので、180円もお得なのだ。それで食いたい時に、最近なんと隣に出来た「ミニ・ヨーカドー」でおにぎりを2個買う。それを事務所へ持ち帰り、左手でおにぎりを持って「パクパク」と食べ、右手ではパソコンのキーボードを「パコパコ」打ったり、マウスを「クリクリ」したりするのである。

 営業や外出が無い時などは、4時頃にはすでに腹が減り「グウグウ」と腹時計が鳴るなり法隆寺なのである。そんな時は、水を飲んで腹を満たす。(←戦後かっ!)そして、8~9時頃に事務所にいる場合、またおにぎりを2個買ってパソコンに向かうのである。

 「おにぎり」はなんて合理的で心をせわしくさせない食べ物なんだろうとよく感心する。普通のお弁当ならば箸を使い、ご飯を中心にその周りにあるオカズを選り好みしながら食べなくてはならない。あんな狭い器の中でどのような順番で喰おうかと煩悩丸出しで悩みに悩むのである。一つの器に入ってしまっているものには食べる順番がどうしても必要になるのだ。

 その点、おにぎりはそんな心の慌しさを必要としない。ご飯とオカズをあのデルタ地帯にすべて閉じ込めてある。私の子供時代に比較する事も空しい。具も入っているし五目御飯や赤飯まである。まるでお盆と正月がいっぺんに来たような食べ物であると感じる。おにぎりの端からネズミのように「カジカジ」してその中心に辿り着けば、必ず具があるのだ。「いつでも当たる宝くじ」のようではないか。

 コンビニ各社の競争が続く限り、「おにぎり」は進化し続けるであろう。混ぜご飯系のおにぎりなどさらに高次元に位置する食べ物になる予感がする。「NASA」が宇宙飛行士の為に作ったおにぎりも将来出てくるはずだ。

 その前に私が考えた未来の「おにぎり」のレシピは以下である。(ヒミツだよ)その名もズバリ!「予想外!噛まなくていいONIGIRI」だ。キレイな新婚の若妻(自分の母じゃイヤだ)や高原にいる牛に一旦、弁当のご飯と多種類のオカズをすべて細かく噛んで食べてもらった後、吐き出してもらう(牛の場合は反芻だ)。それをそのキレイな若妻に、石鹸で手を洗い石鹸の香りを完全に洗い流した手で、直接握って貰う。それに海苔を巻いて、若妻照れながら曰く、「はい、お待たせしました」なんて言われた日にはもうドッカ~ン~である。売り上げ倍増間違いなしだ。

 ああ、時計の短針が円周の頂上を越えてしまった。「夜のしじまのなんと饒舌な事でしょう」。今日は月末だ。ブログ・ネタがないので「おにぎり」をいつものクセで「筆まかせ」にここまで膨らましてしまった。入金は少ないのに支払いが多い月末は気持ちがブルーになる。こんな事でも書いてなきゃ「やってらんな~い」のだ。

 

「ヘビメタ」の為の食事指南 

 この数ヶ月で私の食の嗜好は180度変わった。外食や惣菜売り場の油にことごとく胃がやられ胃の立ち上がりが遅い。先日も客と一緒に軽い気持ちで神田神保町の「いもや」で天丼を食べ、その後移動して酒を飲んだ。結果、天丼の油に胃がやられ胃の調子が優れない。門前仲町の辰己新道入り口にあるラーメン屋の醤油ラーメンでは、スープ表面の胡麻油の強烈な香りを嗅ぎ一発で食欲が無くなった。おばちゃんがせっかく作ってくれたので舌にまとわり付く胡麻油に堪えながら残さず食べたが、胃の調子が元に戻るのに約2時間はかかった。このように、「やっぱり、歳か」と、心の中で人知れず嘆く事が多くなった。

 食材の買いかたも変わった。スーパーのお惣菜コーナーでは、もっとも好きであった「牡蠣フライ」に手を出す事もなくなった。タルタルソースをたっぷりかけ「過ぎたるタルソースは旨さに及ぶ」とも考えなくなった。その代わりに「牡蠣の燻製」や「生牡蠣」を買う。ついでにポン酢を買ってもみじおろしの瓶詰めも買う。

 豆腐も買う。冷奴に醤油をかけるのが苦手になってきたので白ダシをかけて食べる。塩分はそう変わるものでは無いであろうが、豆腐の白さは生きる。醤油が疎らにだらしなく冷奴にかかることなく豆腐の表面の美観を損なう事もない。そう言えば数十年前「冷奴」を「つめたいヤツって何だ」と店員に聞いていたバカな奴がいた。

 豆腐と重複するような食材であるが納豆も買う。納豆を飯にかけると腹いっぱい食べてしまうのでビールのつまみにする。最近のお気に入りは納豆オムレツだ。卵でとじてしまえば糸も引かないしネバネバもあまり感じない。箸もヌルヌルしない。血流はさらさらになるらしい。

 お惣菜のヒジキも買う。飲み屋で飲んでいる時は金銭感覚が麻痺しているので高いとは感じないが、シラフである時は小さいパックに入ったヒジキを見て、この量で200円もするのかと主婦のように一旦躊躇する。結局は買うのであるが、その甘辛い味全体を薄めるためにオクラも買ってヒジキに混ぜる。オクラのネバネバとヒジキの甘辛さが程よく混ざりヘルシーな惣菜へと変身する。同じような組み合わせであるが、昆布の佃煮とキュウリの和え物もいい。

 野菜不足と感じる時はレタス類を買いそれにキムチを巻いて食べる。ノンオイル系のドレッシングで食べるよりも多く食べる事が可能だ。または、白菜を買って鶏スープで煮込み温野菜にしてポン酢で食べる。この方法であると白菜を果てしなく食べる事が出来、ビールにも合う。ビールは当然、プリン体ゼロ、カロリー50%オフのビールだ。

 これらの最後に「おかゆ」を食べる。メンマと梅干が必要だ。台北の「グランドフォルモサ・リージェントホテル」の和食レストランの「おかゆ」には、この他に天カスが付いていたのだが、油がいいのかさっぱりとして旨かった。これにシジミの赤だし味噌汁を付ければ爺さんのフルコースは完成だ。

 食後のデザートとしては、プリン体ゼロのビールを飲んでいるので、プリン100%のプリン?を食べる。「プリンって何?」。蒟蒻畑のゼリーを冷凍しシャベットにして食べれば100点であろう。

 「さあ、今週もやるぞ!」という気持ちにさせる晩飯ではないが、「ヘビメタ」(ヘビーメタボリック)な私の胃と内臓には優しいヘルシーな晩飯になるのである。「病院食の量多いバージョン」とでも言おうか。これらをプラスティックの容器に盛って「シンジケート」ならぬ「ヘビメタ・シンドローム」を自分自身で再認識することが肝要であろう。

清潔感が仇となり中学一年の私をヘンタイにした 

 私が中学1年生の時の事だ。第二次性長期をむかえ油ギッシュでフケだらけ、その上、野球部の朝練で泥だらけの中坊であった私に、ハンカチとポケットティッシュの携帯は欠かせなかった。「ハンカチ王子」ならぬ「ティッシュ王子」か。この言葉の響きだけでも何故か変体っぽい。

 中学生時代の私は、黙ってても朝から晩まで汚れてしまうのだ。部活の朝錬で泥だらけになり、授業中は成長に伴う新陳代謝で垢やフケが溜まっていくのが解る。給食時になれば校庭で球技に勤しむ時間が欲しいので、早く食べることで汚れる。球技でまた汚れる。放課後の部活でまた汚れる。であるから、使い捨ての「ティッシュ」は必需品であった。

 猿に玉葱やラッキョウをあげると皮をむき出す。そして、全てを剥き終わり中に何もない事が解ると、とても怒るそうである。

 ある朝、鞄の中のティッシュが無くなりそうであることを思い出した私は、トイレの棚に置いてあったポケットティッシュを鞄に入れて登校した。授業中に何かの理由でティッシュが必要になったので、鞄から取り出し、いつもとは少し小さい袋を机の上に出した。

 通常であれば、外袋はワンタッチで左右に引きちぎれる構造か、互い違いに重なった入口から抜き出せる構造である筈であるが、それらは無かった。しょうがないのでティッシュ全部を袋を剥いて一旦取り出した。取り出した物はさらに上下方向に開いて大きくなった。これは最新式のティッシュなのかと大まかに考え、その中に一枚一枚が独立した状態になっていることを期待した。

 中を無理矢理開けてみた。中は綿状になっており一生懸命剥いてみた。剥いても剥いても綿だらけだ。まるでラッキョウを剥く猿と同じ状態である。猿が怒る気持ちが良く解る。中身が全く無いのであるのだから…。

 この私の授業中の行動を、周りの女子は絶対見ていた筈だ。よせばいいのに、私の席の後ろにいた仲のいい女子に聞いてしまったのだ。「このティッシュ、出てこないけどどうしたらいい?」と。その女子は、怪訝そうな顔をして私を見た。当たり前であろう、中学校1年の男子が生理用品を「これは何?」と授業中女子に聞いているのであるのだから。当然答えてくれる筈も無い。

 少し経つと、「○○君、もう一度見せて」と小さい声が後ろからした。私は、グチャグチャで綿だらけになったティッシュと思い込んでいたものを彼女に渡した。その時、隣りの女子は完全にそれを見ていた。渡した換わりに彼女が、本物のポケットティッシュを私に差し出した。

 私の第二次性長期のはるか先をひた走っていた彼女は精神的にも私より上だったのである。私が「マジボケ」であったことに気付いてくれたのであった。生理用品をマジメにティッシュであると思い込んでいるボクちゃんの純粋さに気付いてくれたのであった。

 その後、彼女は私の周りの女子にも「箝口(かんこう)令」を敷いてくれたのであろう。「マジボケ」で悪意の無かった悪ガキは「成熟した母性」に救われたのであった。彼女は当時、私より身長が高かったが、中二の頃になって、その身長を垢という表皮を何度も脱皮しながら私は追い抜くのであった。

「カツオドリ」が羽ばたく日 

 昨日、「シロナガスクジラ」に関するNHKスペシャルの録画を見た。世界最大の哺乳類であり、40年前の捕鯨禁止措置時の生存予想数約7000頭は現在も変わっていないらしい。
 
 ある時期、その鯨がオーストラリアの南東部沿岸に集まる事が日本の調査でわかった。東南からの強い季節風とその影響で海面が上昇し、南極から海底に沿って続いているミネラル分豊富な海流が海面に引き上げられる。そのミネラルでオキアミが大量発生するそうだ。そして、それを食料とする鯨が集まる。

 そのような楽園に集まる鳥がいる。「カツオドリ」である。名前の由来は「カツオが集団で追い込んだ小魚を餌とする」とある。鯨と同じように大量に発生するオキアミを食べる。母鳥はそれを陸にいる雛鳥に与える。

 ある日、雛鳥は鳥本来の行動である羽ばたきを自覚し岸壁から飛び立つ日をむかえる。その雛鳥は、高い岸壁の上から大海原に飛び立った。「ああ、良かった!」と私はほっと胸を撫で下ろし家内に言った。

ロマンチックな私:「ヒナは初めて空を飛べた時、さぞかし気持ちいいだろうなぁ」
現実的な家内  :「鳥なんか脳が小さいんだから、そんなこと思える訳無いじゃない」

 私は休日であるにも関わらず、家内によって現実の世界に押し戻された。私の自由空間である心の電源は切られてしまうのである。お金のかからない心の遊びは強制終了させられる。次回、私の心の電源を入れた際、私の心のソフトは正常に立ち上がるのであろうか?心配だ。急激にウイルスに侵されたような感じというか、事故にあったというか…。

「卒業危機と偽装入学問題」:履修不足問題は遡って大学受験不合格者を繰越入学可能にする。 

 「再生」とは、死にかかったものが生き返ること。蘇生。復活。と、広辞苑にある。「教育再生」を政府が提唱し政治課題にしたことは、その前提として「教育は死んでいる」との明確な認識がある。

今回の高校の履修不足の問題の根は、さらに深いところにある。「必修不履行の卒業生はいったいどうするのだ」とは、勝谷誠彦氏の指摘である。履修不足で卒業し、希望大学に合格した人や、すでに卒業している人もいる。その影で、それらの本来卒業資格が無い人達が入学した為に、入学できなかった人たちも大勢いると考えられる。

 卒業資格が無くて合格した人と、卒業資格があっても不合格であった人は検証可能である。これらの検証の実施に対し世論が高まれば、文部科学省も動かざるを得ない。希望大学に不合格になった人達が、大学に調査を依頼し繰り越し入学する事は十分可能であろう。

 履修不足で卒業資格を与えてしまった高校数が徐々に明らかになって来る。各大学のその年度における合格者から、これらの本来入学資格の無い高校から入学してきた人数を差し引いた人数が、繰り越し入学者数になると考えるのが真っ当だ。

 今年の受験で不合格になった人達や、さらに遡った期間で希望大学に入れなかった人達も諦めないで調査を依頼し、合格の是非を確認する必要があろう。大学をも含めた大問題であるので、文部科学省が主導して調査する細心さが肝要だ。現受験生の補習方法を速やかに講ずることも然りであるが、大学入学の不公平の是正も早急に講ずる必要がある。

朝日新聞【天声人語】を読む:「受験生に突然降りかかった災難」 

以下、朝日新聞10月26日付 【天声人語】から引用

 英国のジェーン・オースティンの小説で、若い女性が歴史について語る場面がある。「八分通りは作りごとなのでございましょうに、それがどうしてこうも退屈なのか、私は不思議に思うことがよくございます」。この言葉が、「歴史は現在と過去との対話だ」と述べたE・H・カーの著書『歴史とは何か』の扉に掲げられている(岩波新書・清水幾太郎訳)。

 退屈な作りごとにせよ、過去との対話にせよ、歴史を知ることは、現在を考え、未来を思うためには欠かせない。人生の必修科目の一つかもしれない。

 日本の高校で、世界史が必修になったのは94年だった。日本史など他の科目との絡みで議論があったが、若いうちから世界史を学ぶのは大切なことではある。

 その必修の世界史を教えていないのに教えたことにしたり、教えたことにして県教委にうその報告をしたりしていた高校があることが、相次いで明るみに出た。このままでは卒業出来ないと知った生徒たちの衝撃は大きかっただろう。

 問題の裏には、入試対策があるという。実際に受験する科目に絞って勉強したいとの気持ちが生徒の側に強いのは、分からなくはない。しかし、それを教える側までがやみくもに認めるのはおかしい。

 受験まで数カ月しかない。履修には50分授業が70回必要だという。受験に絡まない勉強を受験の間際にするのは、つらいかもしれない。しかし、やるしかない。学校も全力をあげて生徒たちを支援するほかはあるまい。学習指導要領の定めが妥当なのかどうかは、いずれ検討するとしても。

ここまで 朝日新聞10月26日付【天声人語】



 受験まで数ヶ月しかない期間中に、「履修が必要な50分授業を70回も受ければならない、やるしかない」のような根性論で片付けてしまうことは簡単であるが、受験生が可哀想である。さかのぼって、既に履修を受けず卒業している生徒も大勢いるわけである。受験生は受験までにあと数ヶ月間しかない。学校や予備校のスケジュールで既に一杯であろう。この期に及んで、このノルマを果たそうと高い位置から言ってしまうことはあまりにも残酷である。

 文部科学省は今回に限って、暫定措置を講じ全国一律に各教育委員会に指示するべきであると考える。その暫定措置のアイディアを数日で作り上げることも、「教育再生」の一つの方向性を見出せるものである。すでにスケジュールが詰っているであろう受験生を教室に集めて補習のように時間を拘束し70回のノルマをこなすことが果たして妥当であるのだろうか。

 もし、文科省が各教育委員会に任せてしまえば、休日もこれらの履修にあててしまうなどの愚策を受験生に強制する学校も出てくるであろう。履修不足が発覚した全国の現在81校すべての受験生が、同じノルマをこなせるような仕組みにするべきである。課される授業の前後には、往復の通学時間も考慮しなければならない。

 私の暫定措置としてのアイディアの一つとしては、学校での補習は70回を10回の補習に絞り、その他は「NHK」のコンテンツを活用する。「高校通信講座 世界史」や「そのとき歴史が変わった」などの優良なコンテンツをNHKはもっており、後者は娯楽性も高い。暫定措置として、それらのコンテンツを活用させ、受験生が自宅で個々に時間配分できるようにすればいい。NHK再生にも貢献できる。

 もうひとつのアイディアとしては、受験が終わり卒業するまでの期間に集中講義をする方法もある。今、受験生は受験が終わった後の事などを考える余裕は全く無いであろうが、受験ののち卒業まで若干の期間はある。その期間を使えば、受験という重荷から解き放たれ授業に最も集中できるであろう。

 校長から県教委に対し虚偽報告があったなどの検証は後でいい。上は文部科学省をも含めた教育者は、受験生の立場に立ち、この問題の解決に適した対策の選択肢を考える必要がある。ここ数ヶ月間に限っては、本来の履修回数を無理やりやらせ切るのではなく、受験生の拘束時間を削減し精神的・肉体的負担を減らす履修方法にする必要があるのではないか。

産経webを読む:「エジソンになれるかな?全国初、小6が特許取得」 

以下、産経webより引用
 
 富山市立奥田北小学校の6年生、山本良太君(12)が傘を置き忘れないよう警告する装置を発明、特許を取得したことが24日、分かった。特許庁によると、国内で小学生が特許を取得したのは初めてという。

 防止装置は電動式で、高さ約70センチ。装置の前を人が通り過ぎるとセンサーが感知し、握りを下にした備え付けのビニール傘をモーターの力で開閉させて、自分の傘を置き忘れしないよう注意を促す仕組み。建物の出入り口に設置されることを想定しているという。

 小3の時に出願。特許庁が審査していたが、6日に「独創的で有用である」として登録された。

 「とてもうれしい。発明家に向かって一歩前進した。みんなが笑顔になれる物を作りたい」と喜びを語っている。

 特許出願に協力した宮田特許事務所の宮田信道所長(59)は「この喜びを忘れずに、素晴らしい発明家になってほしい」と話していた。

産経web (10/25 01:22) 

 
 私はこの記事を読んで複雑な気持ちがした。弱冠9歳で特許を出願し12歳で特許登録された。小学生が創造力を駆使し特許を出願する事は素晴らしいと思う反面、出願費用や特許の今後の管理費は誰が出すのであろうかと美談に潜む影の部分を考えてしまった。

 若い芽を摘むような気持ちは毛頭無い。私も現在4件の特許を出願し1件登録され既に商品化されている商品もあるが、それらのために費やしたコストはすべて回収できていない。それほど金がかかるのである。特許事務所に依頼すれば、出願だけで安くて20万~50万円、その他特許印紙等の費用が別にかかる。また出願後、審査請求するのに印紙代が10万円くらいかかる。素人の出願は総額80万~100万円はかかるのではないだろうか。

 私の場合、最も金がかかる出願書類の商品概要はすべて自分で書き、それを大学の講師にアルバイトで安く仕上げてもらうようにしている。図面も必要なので、その先生の指導のもとデザイナーに描かせている。そのようにしても私やデザイナー等の時間や人件費を含めた総コストは溜息が出るくらいかかってしまうのである。

 商品企画を生業にしている私として、特許を取得していることは「売り」になる。銀行等や役所に提出する自社の書類の中にも特許取得数や内容を書き込む欄が必ずあり、特許があるだけで僅かではあるが信用も得られる。特許があると、営業もかけやすい。本当は下請けの最たる会社であるのだが、針小棒大に自社特許を語ることによって、大手クライアントの商談室でなく応接間に通されることもある。それほど「核の傘」ならぬ「特許の傘」の力は大きい。

 そのような特許武装が会社存続・発展の有効手段と考え「特許道」に日々精進しているのである。「特許道」に黙祷を捧げている最中に少し寝てしまったらこの記事である。いい年ぶっこいた自分でさえ特許を持て余してしまっているので、「このクソ餓鬼が!」と、大人気なく怒ってしまい、「てめ~、新聞なんかに余裕の顔ぶっこいて載りやがって!」と、ヤキモチを妬いてしまうバカなオヤジなのである。

 「特許取得をした初めての小学生」であったから記事になったのであろうが、どうせ記事にするのであるなら、金額はいくらかかり誰がどのように工面したかまで追求した記事を載せて欲しい。金が無ければ出願できない事をしっかりと書いて欲しかった。

 小学生と特許を美談にするのであるならば、「小学生が考えた特許の概要や商品そのものを小学生が企業に売り込み、その特許には商品化する魅力があったので企業が買い取り小学生の名前で登録した」などと、一切金をかけずに特許を取得したような記事が真っ当であろう。

 特許は、特許庁の書式に沿って書かれ、その内容や商品の良し悪しは関係なく多くの審査官によって審査される。審査は血の通っていない作業である。ゆえに書式にマイナス部分や類似品もないと審査官が思えば特許になる。特許庁の審査官が「これは、すばらしい!!」と主観を述べることは決して無い。「独創的で有用である」として登録されたとあるが、書き方に不備が無く類似品が無ければ特許になる。であるからして、この審査官の言葉は主観でもなく誉め言葉でもない。役人が特許の前提に適ったと言っているだけである。それなのに、この部分だけ見ると「すばらしい!」を役人言葉で語ったような感じを受けてしまう。

 私が山本良太君の父であったなら、金は出さなかったであろう。ゆえに記事になる可能性はほとんど無いに等しい。初めての小学生という金字塔も立てられなかったであろう。金を出したのは親なのであろうが、子供として取るべき道を示唆して欲しかったと強く感じた。

 最後に、「記事の情報が少ないのにもかかわらず、嫉妬心がつらつらとこのような記事を私に書かせてしまいました。私の勘違いであったなら許してください、ゴメンね良太君!」。

「チェ!うだつの上がらないオヤジの嫉妬かよ」by良太

朝鮮日報のコラムを読む:「女たちの日韓関係」 

 韓国四大新聞の一つである保守系の朝鮮日報に、2日続けておもしろいコラムを発見した。10月23日付と24日付の連日に亘り両コラム共に鮮于鉦(ソンウ・ジョン)東京特派員が書いたものである。特に23日付のコラムは、日韓両国民が今一度立ち止まり共有認識したい見解である。

 10月23日付のコラムのタイトルは「女たちの韓日関係」である。氏は、記者として日本の技術的進歩を真摯に学び伝えようとする使命と、「国民感情」に沿った反感や競争心理のような、日本に対する複雑な韓国人としての感情を、「師か悪党か」と表現した。その二律背反に記者としての葛藤を述べた後、「韓国政府が、靖国問題などの過去の歴史問題を政治問題にしたことによる両国の関係悪化は表面的な事で、両国民共に特に女性が主導して、『韓日関係は歴史より現実、政治より経済の面で、より早く進歩している』」と結んだ。

 私はこの見解を、韓国の国民感情の本来の平均値であると考えたい。約20年前に韓国に何度となく出張したおり、日本の植民地時代に日本の教育を受け日本語を話せる年配の方々と様々なお話をさせていただいた経験がある。この時代には、ここ十年ほどの激しい反日の声は直接的に聞くことは無かった。両国間の歴史的経緯に則して反感や競争心があることは当然であろうが、韓国がオリンピックを境に高度経済成長し日本に並ぶ経済大国にしようとする意気込みや自信が、それらを相対的に小さなものにしていくように思えた。

 20年前の韓国の「国民感情」は、氏のコラム冒頭での穏やかな見解にほぼ近いものであったように感じる。しかしながら、韓国政府は、その後経済発展に伴い付随する「諸問題対応の無策」への批判や不信感を、ガス抜きすべく「反日」にすりかえる事を覚えた。歴史教育では、「反日教育」で子供たちを洗脳した。内政問題を外政問題にすりかえ国民を扇動した。反日3点セットといわれる「竹島・教科書・靖国」を問題化し、その場をやり過ごす事が常套手段になった。

 今日に到る韓国政府主導の「反日」は、国民本来の平均的な反日感情をバブル化させたものであると考える。’88年のソウル・オリンピックを境に、「韓江の奇跡」といわれ世界が注目する高度経済成長期を迎えた。’93年の大田万博を経た後、’94年10月聖水大橋崩壊事故(79年完成32人死亡)、’95年4月大邱地下鉄ガス爆発事故(101人死亡)、’95年6月三豊百貨店崩壊事故(死者502名、負傷者937名、行方不明者5名)と一連の崩壊事故がそれを予兆するように’97年、外貨決済に行き詰まり国が破産宣言した。国際通貨基金(IMF)に200億ドルもの緊急支援を要請しIMFの管理下におかれる事態にまでなった。天国から地獄へ転がり落ちる様を一連の事件・事故が象徴しているようにも思える。

 「反日」政策は、韓国政府が巨大プラントで日韓を結ぶ「ガス・パイプライン」を造り、韓国民の政策に対する不信感や不満という韓国内に充満したガスを一方的に日本に吐き出しているようなものである。韓国政府に対する不信感や不満が大きくなればなるほど、韓国民の感情のはけ口である「パイプライン」はフル操業することとなる。韓国にやられっぱなしと感じた一部の日本人が作った言葉で「嫌韓」があるが、日本人の歴史認識の中の良識として定着する言葉には成り得ないと考える。現に「ケンカン」とパソコンに入力しても「嫌韓」と変換できない。

 多くの日本人は、「反日」と韓国人に言われても、それと同じパワーで「嫌韓」を言い返す事はない。なぜなら、韓国政府がコストのかからない「パイプライン」にあまりにも頼りすぎ、韓国民は政府の無策に嘆きながらもあえて「反日」でガス抜きをしていると感じるからに他ならない。氏のコラムのタイトルである「女たちの韓日関係」の、「女たち」は「現実的であれ」と示唆する表現であろう。隣国であり米国と同盟関係にある日韓両国の関係は、盤石である必要があると再認識させられたコラムであった。

過度な「動植物愛護」の結果、未来の「回転寿司」はこうなる! 

 日本の鎖国末期である19世紀中頃に、米国は米国の捕鯨船が日本に寄港し水や食料等を補給できるよう江戸幕府に武力で開国を迫った。欧米のクジラ捕獲の当時の目的は、外灯や機械油に使うクジラの油のみであり、その他肉などは破棄していたらしい。

 20世紀後半には、国際環境保護団体であるグリーンピースがその活動の一環とする捕鯨禁止の提唱を発端にして、商業捕鯨禁止の国際協定が成立した。21世紀初頭になるとついにマグロ捕獲禁止も提唱するようになり、様々な動物愛護の勢いはとどまる事が無かった。この流れの結果、2050年には、日本人はマグロを食べる事も出来なくなった。

 2102年、環境保護の国際会議があり、人間を含めたすべての生き物が保護される事になり、捕獲行為は一切禁止された。動物愛護を促進させた原因としては、100年前はオモチャであった動物との会話用翻訳機が技術的進歩を遂げたことにある。技術の進歩により人類と動物は会話が出来るようになってしまったのである。動物の訴えが新聞の投書欄に掲載されるようになり、動物が人間に対して起こす裁判も頻発する時代になったのだ。

 とりわけ日本のソニーが開発した「モウ・リンガル」や「ブウブウ・リンガル」は高性能で、牛や豚が過去に受けてきた過去の「大虐殺」における頭数の解釈を歴史問題から政治問題にまで発展させた。牛が人間の子供の前でおいしそうにアイスクリームを舐めていても、それを欲しがって泣きじゃくる子供に牛乳が原料のアイスをあげる事はできない時代になった。また、焼肉「安楽亭」は、牛の火葬場になり「セレモゥ~安楽」と名前を変えた。

 イスラム世界ではその教義であったハラームに助けられ豚から提訴される事は少なく、ヒンズー教徒が多いインドにおいても牛を神聖なものと崇めていたので牛からの提訴は少なかった。しかしながら、韓国のサムソン電子がその後に開発した「にわとり」用の「コケッコウ・コリャケッコウ・リンガル」により、その膨大な鶏口(人間の人口と同じ)と鶏口密度に比例しかつてない多さの訴訟を人類に対して起こしたのであった。その人権ならぬ鶏権運動の勢いの波は、中東やインドだけにとどまらず日本にも押し寄せた。日本で起こった有名な事件に、富山県水橋地区で700羽のめん鶏が養鶏場を包囲した「もうトサカに来たぞ!!騒動」があげられる。めん鶏達は、雄鶏に比べトサカが小さく弱く見えてしまう事を嫌い、京都や大阪から紅生姜をかき集めトサカに括り付けて運動に参加したのであった。

 昆虫界では、人間に優遇されていたカブト虫やクワガタ等が人間に対し訴訟を起こす事はさすがに無かった。しかし、翻訳機の開発競争は止まらず約80年前にロシアが併合した旧北朝鮮、現「コリアスタン」の企業が「コックローチ・リンガル」を開発してしまったのであった。それらの昆虫に似て非なるものの代表であったゴキブリは、見た目の差別と疫病の媒体であった等の間違った人間の認識を変えるべく集団でストライキや訴訟を起こしていた。ゴキブリの世界では整形手術が流行し、見た目で嫌われないように、クワガタのような角とハサミを付ける事が奨励された。人類から勝ち取った慰謝料を使い整形手術を受けることが出来る。このような整形手術したゴキブリは、見た目はクワガタと何ら変わらない。整形したイケメン風ゴキブリのオスが、クワガタのメスに金品を貢がせた後、蒸発するような結婚詐欺も頻発した。

 その流れは更に勢いを増し植物界にも波及した。青エンドウ豆連合は、オランダ・アムステルダムに本部のある元祖反核・環境保護団体「グリーンピース」に対しその名称が商標権違反であることを理由に告訴したのであった。「最後の飼い犬にかまれた」とマスコミに揶揄された「グリーンピース」は、すぐに名称を「グリーン・ピープル」にした。

 飼育や養殖でさえも「動植物愛護」「生きる権利」により禁止になり、動植物蛋白源は、その種同士で摂り合わなければならなくなった。人間の場合も同じである。人間が動物蛋白源を摂取する唯一の方法は、人間を人工的に育てその肉を食べることに限定された。「動物愛護」は極限にまで達した。人類が暇と偽善によりはじめた動植物愛護運動は、人類が創った法律等の「言葉の城」の中に自らを篭城させる結果になり「兵糧攻め」の様相を呈した。戻るには既に遅すぎた。韓国の人々はこう嘆いた、「アイゴ~」と。

 全人類の主食であり、兵糧の最後の砦とまでいわれた「米」と「麦」に限っては、人間のエゴがまざまざと露呈する結果となった。「グリーン・ピープル」でさえ、彼らの生きる権利を守ろうとはしなかった。もし、人類が米や麦と会話が出来る翻訳機を作り新しい法律が出来てしまった場合、主食を失った全人類は餓死してしまうことをコンピューターが試算したのである。動植物連合が強く「米」「麦」用の翻訳機の開発を要請したが、人類は無視することとなる。麦の翻訳機が一時作られ、麦が騒動を起こすこともあったが、人類は武力でこれを制圧した。米は謙虚であった。もし騒動を起こした場合、本当の「米騒動」となり、1918年の「米騒動」は「人騒動」に書き換えられ、正しい歴史認識を迫られたであろう。

 その翌年の2103年、私は友人と回転寿司を食べに行く約束をして浅草の雷門で待ち合わせした。国際協定による法律の施行で、魚も食べられない時代になり一時寿司屋も無くなってしまった。そのような時代背景の中、新しいスタイルの回転寿司が吉原大門の近くにできたというスポーツ紙のピンク情報を元にその店に向かった。到着すると店の前に多くの人が並び一時間待ちであった。店前で待っている人間が、客なのか寿司のネタなのかは定かではなかった。
 
 話しながら順番を待ち一時間後に席に座った。回転する台の上には、当然の事ながら寿司ネタサイズの人間が乗っている筈である。思った通り、小さなピチピチギャルがキャピキャピとシャリの上に乗っている。生きが良さそうな好みのギャルが乗った皿を取り、指でつまんで一口で食べた。小さく食用に改良された人間を初めてネタにしたことがこの店の売りであった。さらに吉原の風俗回転寿司店であったので、人間の女性のみがネタなのである。将来的には女性の為に「ホスト回転寿司」も出てくるに違いない。
 
 口に入れた寿司を奥歯で噛み締めると「キャー」と言う叫び声が僅かに聞こえた。活き作りであるので新鮮だ。生臭さも無い。舌の上でとろける様な食感でもある。一皿食べ終わると、回転台に乗って次々に流れてくる「好みの顔のネタ」が乗った皿を取り食べ続けた。私の友人は、太ったネタしか食べない。「デブ専」なのであった。
 
 そろそろ腹も限界になってきた。最後の一皿を選ぼうと回転台を物色したが、すべて新鮮な活き作りのネタしか流れてこない。先程までは、煮込んだものや天日干しであろう干物も流れていたので少し待ってみた。特に人間の干物は希少であるので、私のカウンターの流れの前の客達が先にそれらを取っていることに気が付いた。私は寿司が出てくる回転台の源流ともいえる遠くの窓を凝視した。
 
 2分後位に干物のような色をした寿司が出てきた。前にいる客達は、それを一旦は見るが手を出さない。5人位前の客が一度は手を出すが、その皿をまた台に戻した。その後皆がその皿を見送り私の前に来た。待ってましたとばかりにその皿をさっと取った。
 
 よくよくそのネタを見ると干物のようで干物ではない。少し動いていた。活き作りであったのだ。ネタに顔を近づけて、ネタの顔を凝視した。どこかで見た顔であった。何故か怒ってもいる。気色悪いネタだなあと思い、皿ごと回転台に戻そうとした時に小さな声が何度も聞こえた。私は戻そうとする手を止めてその声に耳を澄ました。
 
 「いい年して好き嫌いしてるんじゃないの!!」と、微かに聞こえた。ネタが私を怒っているのである。もう一度、皿を目の前に持ってきてよ~く確認した。私の前の皆が取る事をためらい見送った、その皿の中の活き造りであるのに干からびたようなネタは、なんと「私の母親」であった。
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