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出張時の出来事(10):発注の方法 

 日本から香港へ来る大口の客は夜の饗応や料理を期待して来る。現地の担当者は、旅行会社の添乗員の如く付き添う必要がある。発注金額が大きい客の場合、他の香港商社へ行かれない様、行動を縛る意味で昼の観光も上手く織り交ぜて接待する。私の場合、仕事が細かい時は、空港に迎えに来させる訳にも行かず、自分でタクシーに乗って様々な会社を巡ることを覚えた。

 日本のビジネスマンを見ると、現地の人に空港から連れられるタイプと私のように一人で動くタイプに分かれる。連れられるタイプは、意外にも大手の会社に多いと感じる。現地で他社を新規に開拓したり、現地の展示会巡りをする場合、一人で動くと現地の商社に拘束される事無く自由に動けるのがいい。このようにして開発した業者も何社かある。

 上海では、仕事関係の現地の人と打ち合わせ後、接待を受けることもあるが、現地人で日本語の通訳をやっている友人がいるので彼らと一緒に食事するほうが細かい情報を得る事が出来る。仕事の連絡で細かいニュアンスが伝わらない時には、彼らに中国語に訳して貰うこともでき、お世話になった分、食事代は私が出す。

 アテンドや食事につられて一日中現地の担当者と一緒にいると、その国やエリアの現状が見えなくなる。選択肢も無くなり、販売の機会を損失するケースも多々ある。その担当者の過去の経験則から出来ないと断言されたり、予算に合わなかったりすることは頻繁にある。現地に赴く際は、決定している仕事を持って現地で何社かと打ち合わせ、納得した上で発注しなければならない。

 単に国際電話だけのやり取りや、現地からの見積もり提示だけで発注先を決めてはいけない。業者が見積もりを出すのは当たり前だ。常に何社かで価格を競い合わせ、決定後、現地に入って数社を巡り出張費も取り戻し更には益率も上がるくらいのコストダウンを考える。日本人の発注は本当にぬるい。賢い外人の人たちは、どの国よりも日本人との交渉は簡単であると感じている。

 数社から見積もりを素早く出させ、決定後現地入りして競わせた上で発注先を選ぶ。この手順であれば、決定した仕事を持っているオーラを放ちながら優位に立つ事が出来る。ゆえに自分一人現地で動く必要がある。「智に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ」。夏目漱石の『草枕』の冒頭だ。

 仕事の場合はそれと全く違う。「智に働いて角を立て、情捨て甘さに釘をさし、意地は瞬時に貫通させろ」。電通鬼十則のようでもある。他の仕事にも追われ、なかなかこのように行かないのが実情であろう。ただし、この発注方法は基本中の基本である。まず最初に、厳しさを自分に向けることが前提になる。私自身の反省も含め再確認の為、書いてみた。

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出張時の出来事(9):勘違い 

 中国出張時、現地主催の夜の宴会では、沿岸の大都市から内陸の工場へ行けば行くほど、その規模が大きくなり人数も増える。中国の接待の常識が分からなかった私は、仕事関係者や税関職員、親戚等も含めあまりの人数の多さに驚いたものだ。たかりに来ているのではないかと思ってしまった事もある。たかりも確かにいると言っていたが…。

 その町で一番大きい中華料理店やホテル内のレストランの料理はほとんど大皿である。大事な客をもてなす場合、何皿も違う料理を食べてもらおうと人数を集めることを後で知った。香港や台湾でもそうであったが、最終便で現地に到着する場合、同僚に頼んで担当者他少なくとも2人は確保しておくとの事だ。これで私を含め4人になる。

 そのように不意な来客時は、同僚同士互いに頼むらしい。現地の会社では、入社時旨いものが毎日食べられていいと思う時期もあるそうだが、これが毎日続くとしまいに誰でも飽きる。あたりまえだ。ゆえに様々な人集めの工夫を凝らすとの事。同じ会社の事務系の女性や技術者、時には友人、親戚までも動員しなければ客をもてなすことは不可能であると言っていた。

 香港に頻繁に出張があった時期、前回接待されたハイアットホテル系のレストランの料理があまりにも旨かったので無謀にも一人で行ってしまった。紹興酒を頼み、料理を4品頼んだのだが、大皿4皿はとても一人で食べられる量では無い。今では、香港でも小皿料理があり、日本風の居酒屋や回転寿司も街中に出来、一人で出張する人にとってはとても便利になった。

日本はディズニーランド? 

 26日付け産経新聞朝刊の特集『昭和の日』に猪瀬直紀氏がこのように書いていた。「戦後の日本は米兵の護衛が入り口に立っているディズニーランドのようなものだ」。確かに日米同盟無しで戦後からこのような復興は考えられない。護られているからこそ、仮想現実化された社会が出現し、そこで生まれればその仮想を現実として違和感無く生きていけるのであろう。

 他国から見れば、これほどまでにバーチャル且つSFチックな国は他に無く、世界の常識に照らせばとても異様に映る筈だ。その日本の千葉県浦安にある本物のディズニーランドへ行く事は「仮想現実である日常のストレスから心を解き放つ更なる仮想現実か」。経済現象より仮想現実により乗数効果が働くような国とも言える。

 正式な軍隊無しでここまで発展したのは日本が世界史上初である。自衛行為、他国軍の後方支援、警察行為等、法を様々に解釈して戦後62年間やってこれたのは、ほぼ奇跡としか言い様が無い。この体制で、このような平和や世界2位の金銭が享受されているにも関わらず、この国にすべてを見習おうとする国はどこにも無い。

 軍備に関する国の体裁はすぐに変われるものではない。また、変わろうとする国を世界も許さない。米国でさえあれだけの銃撃事件が多発しているにも関わらず銃の保持を規制できない。国には当初、選択する自由はあっても、選択した体制を後に変える自由は縛られる。最初に選ぶ自由はあっても替える自由がほぼ無いのが現実だ。日本の仮想現実化現象は更に発展し続けるのであろうか。

出張時の出来事(8):韓国縦断 

 某衛星放送が開局した年だから’90年位であろうか、その契約者への初回特典プレゼントとして、私が提案したマウンテン・パーカーが採用された。その名称である「マウンテン・パーカー」は、今は聞き慣れているが当時は新しい名称であった。その新しさも決定要因であったとのこと。その名称をキャンペーン時にあらゆる媒体の前面に打ち出すにあたり、商標登録があるか否かまで弁理士に調査依頼し最終決定に持ち込んだ。

 パーツや縫製箇所も多く客には高品質を求められていたので、当時勤めていた会社のソウル支店がハンドリングする工場では不可能であると判断し、韓国大手商社の日本支社2社から見積もりを取った。最終的には、パーソンズ等のブランドを数多く手掛け動きが早い商社を選んだ。その商社は、今回の仕事を入れる縫製工場については写真付きで資料を提示し、2つの縫製ラインで一日400着、都合20日間で8,000着とのスケジュールもすぐに出してきた。その工場は、スキーウエアを専門に縫製する釜山で二番目に大きい工場である。

 売り物と今回の販促物の世界は生産の考え方が全く違う。納期の厳守は前提であり神様みたいなものだ。売り物のように遅らせる事は不可能である。すべての媒体が連動し、決まった日程の中、カチッカチッと正確に噛み合いながらキャンペーン期間中進行しなければならない。テレビや雑誌でのキャンペーン告知にあたり撮影用サンプルも即手配しなければならない。この撮影用サンプルの手配が最も大変である。量産の場合、受注後、生地等の原・副資材が工場に投入される期間がある程度必要であるが、それを待ってはくれないのだ。

 当時の韓国では、日本のように問屋機能が発達し生地色も豊富な定番生地の販売は無い。すべてゼロから生産する。生機(きばた=染色前の織っただけの生地)を手配し染色してさらにコーティング等の加工を施す。今回の表地は、生地染までは大邱(テグ=ソウルから南に300km、釜山から北に100km)、表面のピーチ加工はソウルより北の38度線近くの加工場、そして縫製は南に戻って釜山であった。この流れを追いかけるようにして撮影用サンプル10着を作ることになってしまった。

 10着提出は受注後の客からの要望であっても、この業界にいる以上私としては受けざるを得ない。しかし、その前提無しに受注した商社としては到底受けられない話であるとのこと。生地が工場に投入されるまで約10日間である。しかし、客は5日間でサンプルを上げろと言っている。これを商社担当者に打診すると「私はあなたの奴隷では無い」と、日本語で言われてしまった。では、当社が現地に入り直接生地メーカーに納期短縮を依頼してもいいかと尋ねたところ、いともあっさりOKとの事。その夜の最終便で成田からソウルに飛んだ。

 翌日、ソウル駅10時発の釜山行きセマウル号でソウル支店長と共に大邱(テグ)へ向った。大邱までは3時間、次の駅は一時間後終点の釜山である。早速、工場へ行き交渉したところ明日には第一回目の染めロッドの生地が上がるとの事。裏地であるナイロンタフタのキルトは少し時間がかかるとのことであったが、最も重要なのは表地だ。明日の生地上がりを確認する為、その日は大邱へ一泊した。そして翌日、チャータートラックへ生地が積まれるのを確認しピーチ加工場に近いソウルへ戻った。

 ソウルで一泊した翌日、38度線に近い加工場へ車で向かった。すでに朝から生地加工は始まっていた。金のブラシが付いたロール状のもので、流れていく生地の表面を引掻くように加工し起毛している。実にシンプルな加工である。サンプル分としては100mもあれば十分だ。すでに上がっている生地を持って帰っていいかと尋ねたところ、まだ洗いの加工が済んでいないとの事。表面を引掻いたあとのホコリが生地にたくさん付着しているので洗わなくてはならないらしい。乾燥を含め夕方までかかると言われたので、6時の完成まで待ちソウルへ持ち帰った。

 他のパーツはすべて揃った。あとは裏地のキルトを待つだけである。翌日、ソウル支店にいると、担当者から電話がかかってきた。サンプル10着分は釜山の工場では出来ないとのこと。愕然とし一瞬頭が真っ白になったが、気を取り直して次の策を考えた。他の提携工場へも支店長から電話させたが、支店長も自分の仕事では無いので如何せんヤル気を感じない。交渉する口調に迫力を感じない。思った通り手配が付かないとの事であった。韓国で縫製することを諦め日本で作る事にした。それしかなかった。

 翌日、午前中裏地が上がるということであったので、午後の東京行き最終便を予約した。ソウル支店は普段からノンビリとしており、私のような他人を巻き込んで忙しくする人間は早く日本に返したいらしい。そんな空気をいつも肌で感じる。裏地の上がりが少し遅れていると電話があったので、ソウル支店でなく金浦空港で受け取る事にした。すでに揃っている資材は、当日、私より早い飛行機で帰国する同僚にハンドキャリーを頼み、私は空港でキルティング生地だけを待っていた。

 飛行機出発約1時間前に空港前にトラックが着いた。指定色であるグリーンのナイロンタフタの生地一反とロールになった白い綿が2反。それを見てまたもや呆然と立ちすくんでしまった。白髪が瞬時に5~6本生えたのではないか。キルト加工前のものであったのだ。日本で加工しろということだ。怒りも込み上げてきた。このような事態は前々から支店長は知っていた筈である。韓国語で話される内容は私には一切分からない。支店長もこの場面を取り繕う為、形だけ電話を入れたがこの飛行機に乗らなければ、明日中の提出には間に合わない。怒りと胃の痛みに耐え頭の中が整理できないまま、飛行機に乗った。

 明日、日本でキルト加工を無理やり頼み込んだとしても、縫製が間に合わない。先に同僚に持って帰ってもらった生地を今日の夕方から裁断し徹夜で縫製して明日の夕方までに10着作り上げる段取りであった。東京には9時ごろ到着し当社専属のサンプル工場へ向った。サンプル工場は夫婦2人でやっている小さな工場である。そのサンプル工場の社長に裏地の状況を話したところ、普通のミシンではキルトは出来ないとの事であった。裏の綿がミシンの送りに絡んで縫えないらしい。なんとかならないかと考えた。

 ワタでミシンの送りが絡むのであるならば、ワタをタフタでサンドイッチにしたらどうかと聞いてみた。表地と裏地であるキルトを縫い合わせてしまえば、内側のタフタは見えなくなる。タフタは軽いので、分解して中を見ない限り誰も分からない。それは可能であると社長が言った。でも、今から夫婦2人でダイヤ目に縫っていくには時間がかかりすぎる。タフタと綿を前身左右と後身頃を裁断だけしてもらい、夜10時頃に近くの袋物専門のサンプル工場へ向った。

 徹夜してキルト風加工をしてもらい朝8時頃には加工が終わった。途中、私はミシンがかけられないので、人では少しでも多いほうがいいと考え家内も工場に呼んだ。細かい胸のワッペン付けや簡単な縫製は夫婦の指導の下、家内に手伝わせた。工業用ミシンは送りのスピードが速いので「こわい~」と言って笑っている。無邪気なものだ。予定より早く3時頃には、すべての作業が終った。それからスチームをかけて仕上げをして銀座へ持ち込んだ。

 このように、困った時はいつも昼夜を問わず助けてくれた縫製工場のご夫婦であった。お盆であろうが正月であろうが、休みも無くいつも工場にいて急ぎ仕事を文句も言わずやってくれた。夜7時には一旦食事に帰り、8時には工場に来て深夜まで仕事をする。前の会社の発展はこのご夫婦の多大なる貢献無しに語れない。その縫製工場の社長が昨日亡くなられたと人伝に聞いた。社長にお願いしたどこも受けるような事の無い仕事の話は話しても尽きる事が無い。社長はそれを苦労とは思ってない。「どこもやるとこねえのか?」「しょうがねえなあ、やってやるよ」「一着工賃いくらにしたらいいの?」「もうかんないなら次で返してくれたらいいから」「今暇で遊んじゃってるよ、早く仕事とってこいよ」。

 私から一方的にいつもお願いばかりして、お返しも出来ないまま前の会社を退職してしまった。そして亡くなられたと聞いた。前の会社とは対外的には円満退社となっているが、役員までやっていた関係上、退職後その会社の経営資源に手を出す事は出来ない暗黙のルールがある。退職後は、それらの複雑な関係の中、仕事をお願いする事も更には御通夜に行く事も儘ならないのが現状である。ご家族が落ち着かれたらお墓参りには絶対行く。

「社長のご冥福をお祈り申し上げます。安らかにお眠り下さい」。

懲りない「スカコーラ」 

 この歳コクとさぁ、休みの日家にいて酒飲むのもなんか時間がもったいない感じがすんだよネエ。オレって意志弱いんで「飲み出したら止められない」のCFみたいになっちゃうんだよ、まったく。カルビーの「かっぱえびせん飲み」しちゃうからさあ、酔ってなんも出来なくなるんだよネエ。口寂しいからなんか飲んでりゃいいって事にある日気が付いてさぁ、そんで高校時分のガキのようにコーラ飲むようになったって訳さ、これまた。

 でもさあ、スーパー行っちゃうと貧乏クサイ話だけど、500mlのペットボトルにしようか、2リットル入りのデカイペットにしようか迷うんだよネエ~。うちの家内なんか、「デカイペットボトルは炭酸が抜けるから嫌」なんてシャーシャーと言い放つんだけど、この前イオン行ったら2リットルで168円だもんなぁ。約20円の差で4倍入ってんだよ、デカイやつ買っちゃうでしょうが、自然に。

 シラフの時は滅茶苦茶ケチなんだよネエ、飲んだら大立者なんだよなあ、オレって。スーパー行くとガキかそこらの奥さん達と買い方のベクトルが同じ方向むいちゃってんだよねぇ。うちの家内はそんじょそこらの奥さんじゃないなあ。だって、いつも500mlのペットボトルしか買ってこないんだから…。家内には働いてもらって、オレが主夫やりてえよ、ほんとに。とにかく炭酸が抜けるの嫌らしいんだよねえ。

 「炭酸が抜けるのイヤ」と家内の言葉を念仏のように聞いてんのに、スーパー行っちゃうと、セール時のお買い得感に負けちゃうんだよね。外で酒飲んで大枚はたくのはどうって事無いんだけどスーパーで500mlペット買うのは、清水の舞台から飛び降りるような気持ちになっちゃうんだよね~。そんで、懲りずに買っちゃってうちのママに怒られんだ、これまた、上から怒るんだよネエ。最後には「2リットルは最初から炭酸が抜けてる」という新説も発表するんだよね、うちの家内ったら。

 言われてみれば、そんな感じもしなくは無いんだけど…。2リットル飲み切んないで、翌日に半分くらい残すと、家内が上段から降り被っておっしゃられてた事がやっと分かんだよねぇ。なんかクジのスカ引いたみたいでハズレって感じなんだよねぇ。例えて言えば、男子便所の便器に入ってる消臭用ボールを水に溶かして飲んだ時の味みたいなもんか。誰が言ったか「コカっと爽やか、スカコーラ」みたいなハズレのコーラになっちゃうんだ。南米でコカやってイカレちゃって何飲んでんのか全く分かんないみたいな…。でも、来週末も買っちゃうんだろうなあ、「スカコーラ」を。懲りないし記憶力も悪りぃかんなあ、オレって。

東京タワーの展望台にて 

東京タワーの展望台にて

 黒いシーラで顔を覆った中東の女性と、彼女に付き添う通訳であろう日本人男性に東京タワーの展望台で偶然居合わせた。キリッとした目鼻立ちと褐色の肌をシーラから少し覗く事が出来る。彼女は同行の日本人男性に尋ねた。「メッカはどの方向ですか?」と。きっと彼女は敬虔なイスラム教徒であるに違いない。

 するとその女性の横を男女のカップルが通り過ぎた。男性は顔が油ギッシュで割腹のいい日本人のオッサンだ。同伴か?女性は肌が褐色で東南アジア系の顔立ちである。彼女からは強烈な香水の匂いが放たれている。その彼女が、階下に広がる東京の夜景を見ながらオッサンに尋ねた。「錦糸町はどこ?」と。きっと彼女はフィリピン女性に違いない。

 また、その横を男女のカップルが通り過ぎた。男性は風采の上がらない痩せた日本人のオッサンである。この2人も仕事の関係では無さそうだ。女性は金髪で、そばかす顔に幼さが残るとてもキュートな白人女性である。その女性が同行の男性に尋ねた。「新小岩はどこ?」と。きっと彼女はロシア人と偽っているウクライナかベラルーシー出身の女性に違いない。

U2な日々の独り言 

 なんかこう毎日雨降ってるんじゃヤル気でねえなあ。腐っちゃうんだよねぇ、ヤル気が…。こんな時に限って嫌な客がお座敷かけて来るんだよ。ま、こっちとら商売だから客行かなきゃオマンマ食い上げだかんねぇ。で、行きゃあ行ったで、どの業者も避けるような納期の無い急ぎ仕事で、ゴミみたいなオリエンばっかだし、まったくテキトウなオリエンなんだよなあ、これがまた。口頭で適当にしゃべりまくってさぁ、まとまるところが全然無いんだもんなぁ。論理的じゃないヤツ、大ッ嫌いだって飲んだ時には念仏のように言っんのに。分かっちゃいねんだよ。この雨降らし野郎が。

 そんでもって、しゃべってる内にそいつの思いつきのアイディアが出て180度内容が変わったりして…。今まで必死こいてメモった労力の対価をどうしてくれんだよ!いったい。オレのおフランス製のRHODIAのメモ帳二枚も無駄にしやがって、たたき切ってやりてえよ、戦国時代だったら。こんなヤツに限って、自分がしゃべってる事に酔っちゃうタイプで、口一つで人を言い含められると高をくくってるんだなぁ。温度差、温度差ばっか言ってんじゃねえよ、バカの一つ覚えみたいに。変な話、変な話を枕詞みたいに使うんじゃねえ。変な話なんか聞きたくもねえよ。オメエとオレの間の温度差、分かっちゃいねえんだろうなあ。こっちが真面目になって、そいつの背丈に合わせてかがみこんで聞いて上げてんのに、そういう大人が分かんねんだろうなあ。

 人生そう甘くはないの、と教えてあげたいんだけどさぁ、客だからそういうわけにもいかないし。そいつのまわりには優秀な奴もいたりして、けっこう将来いい客になっちゃったりするんだ、これがまた。だから、切れないんだよね、この手の客も。オレにとっちゃ、ハローワークみたいなヤツなんだよねぇ。そいつは変なヤツなんだけど、まわりにいいヤツが一杯いる変わった奴なんだよね。そう考えてるんで、無下に出来ないヤツなんだな、こいつが。そいつが人材斡旋するんじゃないけど、どういうわけかそいつの仕切りを乗り越えて遠慮がちにいい人がオレに寄ってくるんだ。

 ま、オレらの業界をトウモロコシ畑とするなら、そいつは寄生するだけのアブラ虫で、そのまわりの優秀な奴等はアブラ虫を退治するてんとう虫といった感じかなあ。てんとう虫増やすんだったら、アブラ虫がやっぱ必要なんだよネェ。だからオレの考えてる事って、自然の食物連鎖の理屈に適ってんだよね、これまた。だから、雨降ってU2でも、アブラ虫のオリエン無下に出来ねえんだよなあ。シッポ振り振り行っちゃうんだよなあ。尻尾無くて良かった。

 優秀な会社にいる優秀なてんとう虫程、オレが出来る事と出来ない事を嗅ぎ分けて仕事振り分けんだよね、どういうわけか。人をヤル気にさせるテクニック持ってから、褒めるの旨いんだよねぇ、こんちくしょうめ等が!若いのにオレ達ガンコなオヤジの人心を掌握する小憎らしいテク持ってんだよね。オリエンなんか第一発目は必ず文章にまとめてくるんだなあ、こいつらは。その内容なんか、とってもしっかりしてんだよ。そんで、そのメールが来る時間ときたらほとんど深夜や早朝だもんな。若いリーマンなのにアブラ虫とこうも違うんだから。将来、会社を背負って立つヤツはほんと違うネェ。

 「矛盾は、時には放置しなければゴールに辿り着かない」とは、前職の社長が言った至言だけど、こんな風に考えてると「こいつは嫌なヤツだ。けどいいヤツだ」ってことになちゃうなあ。ま、オレの体がお座敷に動いちゃうってことは、心の中で「やっぱ、いいヤツだ」と思ってんだろうな。心も体も動き易いんだよネェ、オレって。プライドが全く無いオレも困りもんだよ、全く。一昨日出来た「目バチコ」(霰粒腫)も引いてきたし、今日も客先で男芸者かますしかネエか。「雨降って地固まる」って言うし。なんかスカッとしてえなぁ。

懲りない日本人「温家宝首相来日」 

 「温ファンが氷を融かした」と、産経新聞にあった。温家宝首相の国会での演説に国会議員のほとんどがスタンディング・オベーションの中、安倍首相と麻生外相の困惑交じりの軽い拍手はとても重く感じた。尖閣諸島の油田の問題は、小平時代に棚上げされ、日本の手の届かない更なる上の棚にまた上げられた。中国内の日本大使館への投石や暴動騒ぎはついこの前の事である。大人君子風の演説に滅法弱いのが日本人の特徴か。大人虎変に懲りる事がない。

 経済・環境問題解決や北京オリンピックの成功を確固たるものとする為、日本の支援は絶対に必要であるとするのが中国の実情であろう。全世界を安心させる一歩として、隣国日本を手なずけるのが手っ取り早い。来日して演説しただけで温ファンひいては中国ファンは増える。日本との関係が円滑である事実は、共産党の独裁色を世界的に打ち消す力ともなる。先の戦争で日本の侵略はあったと私は考えるが、敗戦後62年間、一切の戦争も国内紛争も無しに平和の道を歩んできた世界における日本の信用は絶大である。

 現中国において世界の情報の入手はどんな規制があろうとも止めようがない。ネットを規制しても他の手段はたくさんあろう。農民籍のように、戸籍により生まれながらにして不平等を背負った人民の熱き思いは、どのような形で今後爆発するか誰も知り得ない。貧富の格差が広がれば広がるほど様々な形に変わった暴動として現れるに違いない。そのガス抜きの為の日本バッシングは止める訳にはいかないであろうと考える。

 噛み砕けば、「日本の侵略があったから貧しい」と、貧困層を説得しているとでも言おうか。今後、人民への情報開示が進めば進むほど、共産党も内政問題解決の矛先を変える必要があろう。リベラルな意見が噴出する事は到底避けられない。頭脳明晰な中国人が民主主義を持ち完全な市場経済になった場合の戦後の成功例は、香港であり台湾である。何故、大陸だけがその成長に取り残されたのかを、共産党独裁の維持を前提として考えれば、かつてのソ連邦や毛沢東の統治時代を責めるような中国内でイデオロギーの国際化が進むと考えられる。

 巨大な王国中華人民共和国を作ったのは確かに毛沢東である。当時の時代背景や治める国土の大きさを考慮するとすぐれた独裁者であったが、決して労働者の代表ではない。人民は平等にならなかった。五カ年計画や人民公社、文革の失敗で、国自体の立ち遅れの原因を作ったのは毛沢東である。文革では何千万人の人民が亡くなっている。毛沢東時代の問題を考え、それを国内外に発信していくことは、決して現共産党の地盤を緩めるものでは無い。

 中国から日本に投げられた歴史問題が突発的に発生しくすぶれば、日本は態度を硬化しつつも謝り続ける。靖国等の内政問題にしつこく言及され続けている時も、日本も何故このカードで返せないのかと不思議であった。今回、日本は中国温家宝首相からの評価を受けて何故あのように喜ぶのか、私には全く分からない。某社のファンヒーターのように「温ファン」は、氷を融かしながらも、有害な一酸化炭素を吐き出しているのかも知れない。慎重に対応しつつ、中国内でのイデオロギーの国際化のタイミングを見据える必要がある。

たまにはモスバーガー食いてえなあ 

 ハンバーガーチェーン「モスバーガー」は13日から、ハンバーガーの肉を10年ぶりに牛・豚の合いびき肉に戻す。高級感を重視し多少ぱさつき感がある牛肉だけを使っていた。今回、ジューシーな食感を出すために豚肉使用を復活する。また、新聞折り込みや店頭配布などのチラシで50~100円引きのクーポンを、72年の創業以来初めて配布する。いずれも業績立て直しが狙い。
朝日新聞より引用・抜粋)

 味を変えることでモスに戻る人も確かにいるであろう。クーポンの効果も売上に反映されるに違いない。今から20年以上も前、マックのシニャシニャ感とパサパサなバンズの食感に飽き飽きしていた頃、神奈川県在住の友人達から「モスバーガーは旨い」との噂がクチコミで私の耳にも入り、私も相模原駅前で初めて食べる機会に恵まれた。ジューシーな「モスバーガー」、日本人の味覚に合わせた「てりやきバーガー」、双方捨てがたく、モス初体験以降、必ずその2つを注文してしまう程、モスバーガーのファンになってしまった。

 当時の日本のマックは、味覚音痴な某国のマニュアルをほぼ押し付けられ、日本に合わせた商品開発もままならず、更にはモスの華麗なるデビューに圧され、その影は益々薄くなるばかりであった。と、思う。その勢いにアメリカ本国が驚いたのであろう、「てりやきハンバーガー」が遂にモスの後追いで販売されるようになった。日本人に生まれた人であれば、ほとんどの人が好きであろう甘辛しょうゆ味プラスマヨネーズ味と肉とのコラボレーションである。その後、その他の日本独自のマーケティングや商品開発が成功し売上を伸ばしたような記憶がある。

 更にはその後、全世界におけるマックの店舗面積数の合計は小売店舗として世界一になった。日本マクドナルドのホームページには、『世界中に展開するグローバル企業の強みを活かし、世界各国のマクドナルドと共同で仕入れを行い、高い品質を維持しながら調達原価のさらなる低減と安定供給を図っている。これは、「グローバルパーチェシング」と呼ばれる世界規模での共同購買で、国ごとに単独仕入れを行うよりも効果的な原料調達が可能。このグローバルパーチェシングは、安定供給を阻む緊急事態が発生した場合に、敏速に供給先を確保する機動力も兼ね備えている』とある。

 このグローバル企業マックにモスが勝つ方法は、玄を担いで「カツバーガー」などと言ってられない。味も然りだが、やはり注文後に調理する速さを考えるのが一番であろう。私は時間があるときに限ってモスに行く。そのような時でも待っている間、「ああ、やっぱりマックにすればよかった」と後悔するほど、待ち時間が長い。旨いハンバーガーが出てくるのは分かっていてもである。モスのクラムチャウダーもどうしようもなく深夜食べたくなる時もある。でも、あの待ち時間を考えると、グッとこらえて「キャンベルでいいか」となる。

 調理時間をかけて旨いハンバーガーを出す部分は残し、半分はマック並みに早く注文に答えられればいい線いくんじゃないだろうか、と素人は好き勝手に思う。「ライスバーガーも食いてえなあ」と思えど、グッとこらえて冷凍焼きおにぎりとスーパーの惣菜のキンピラゴボウを買ってしまうセッカチな私なのである。冷凍焼きおにぎり2つにキンピラゴボウをはさみ「ダッチュウの食べ」してしまう味覚のベクトルだけはきっと確かな私だ。この味覚の方向の先に本物のモス・ライスバーガーがあると分かってはいるが、待つのが嫌なのである。

 マックはフレッシュ・ポテトが大好きであるが、その他は普通だ。モスの特徴あるハンバーガーは、どれにしようかと迷うくらい旨い。待ち時間をどうにかしてくれないかなあ。今私のバンバーガーにおける状況を活字化すると、「マックマックマックマックマックマック…」であるが、これを「マックマックマック・モス・マックマックマック・モス」位にはしたい。そして最後には「モスモスモスモス…」のように子供電話相談室30年前の無着成恭(むちゃくせいきょう)先生のようになる日が来る事を祈ろう。

鬼忙しい? 

 近頃は、少しでも仕事が忙しくなると心せわしくなる。せっかちになる。歳のせいであろう。昔ほど忙しいわけではないのにも関わらずだ。前職の時のように、仕事全体を鳥瞰し、問題があるところ見つけ、颯爽と降り立ち、問題を解決し、白鳥のように華麗に飛び立って行く。そんな美しさが今は全く無いのだ。「立つ鳥跡を濁さず」ならぬ「立つ鳥跡はもっと濁ってる」か。

 学生時代、バイトで出会った友人は、デニーズでフレンチトーストを必ず注文し、それを食べながら飲むコップの水をいつも濁らせる変なヤツであったが、ほぼそんな感じのキモイが更に発展しキショイ(吐き気がするほど気持ち悪いの意)ヤツに私も成り下がった。のかなあ。だろうなあ。彼は、口の中の食べ物が必ずコップに逆流してしまうのである。彼のテーブルの対面に座ってその濁ったコップに気付いたら最後、他のバイトの友人達は皆食欲を失くすらしい。私は慣れたのだが。その彼のコップと同じように、私は何かが濁っていると感じることが最近多い。見聞きする対象はほとんど濁って見えてしまう。

 バブル時期、報酬は固定給であったので、その恩恵は全く無いに等しかったが鬼忙しかった。営業最前線にいた私は、来る仕事は拒まず去る仕事も追っかけてモノにした。億単位の仕事でも提案しただけでいとも簡単に決まってしまうような景気のいい時期であった。’87年には携帯電話付きの営業車に乗り、分単位で営業した。都内の道は渋滞が頻発し、打ち合わせ時間に遅れることも多々あった。そこで地下鉄や電車を使う営業に切り替え、携帯電話の先駆けともいえるIDOの「ミニモ」を無理やり自分のモノとした。

 この「ミニモ」は、当時はミニサイズで画期的な電話であったが、今の携帯の4倍の大きさであった。それを’95年まで使っていた。友人に見せるとデカ過ぎて笑われた。「それデカモじゃん」と、言われたものだ。ポケベルは誰でも持っていた時期なので、ポケベルで呼び出されたあとに、ミニモの電源を入れかけたいところへ電話をしていた。憎きポケベルに、3分おき連続して何度も呼び出されるようなことがたくさんあった。時には寛大な私も頭にきて道路に投げつけた。三台は壊した。ポケベルが鳴る度、パブロフの犬のように条件反射で「怒り」が込み上げ、コップに逆流し水を濁す。

 ようやく打ち合わせが終わり電話をすると、事務所のスタッフが聞けば終わるような用件であることがほとんどであった。電話に出たら最後、客から名前を聞かれ時間を切られることもあり、他人の責任を背負うのは真っ平御免とただポケベルの呼び出しだけに徹する上司も含め姑息な野郎が大勢いた。

 私の周りの営業たちも皆忙しかった。午前中、事務所には電話が殺到し、何本も仕事を抱えている人の頭からは湯気が立ち上がっているようにも見えた。自分から相手に電話をかけているにも関わらず、途中から別件を思い出してしまったのであろう、相手が出ると「どちら様ですか?」と尋ねる人も頻繁にいた。そういう私も電話をかけた相手が分からなくなる事が頻繁にあった。私の場合、周りの人に気付かれないように一旦ガチャンと電話を切るテクニックを覚えたので、人に笑われる事は無かった。

 そんな忙しい時代が懐かしい。今は少し忙しい時はあれど「鬼暇」が多い。「鬼熱い」時代が来ないかなあ。



 
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