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日本の常任理事国入りに言及する朝鮮日報の社説 

以下、朝鮮日報より引用

【社説】日本の常任理事国入りを支持したブッシュ大統領

 米国のブッシュ大統領は25日、国連総会で演説を行い、「日本には国連安全保障理事会の常任理事国となる資格が十分にあると信じている」と語った。日本としてはこれほどありがたい話はなかったことだろう。その前日にはイギリスのミリバンド外相が日本やブラジル、インド、南アフリカ共和国の常任理事国入りを支持することを明言した。

 国連の安保理拡大問題をめぐっては数年前から国連改革の一環として浮上し、激しい外交上の駆け引きが繰り広げられてきた。そしてその中心となってきたのが日本だ。日本はすでに膨大な資金力と外交力を背景にかなりの加盟国の支持を取りつけたと言われている。日本は安保理非常任理事国選挙の際には、ライバルだったモンゴルに3億5000万ドル(約400億円)を提供することで、選挙を棄権させている。

 日本がここまで来られたのも、現実的には世界第2位を誇る経済力によるところが大きい。だが日本は他の国とは明らかに異なる、特殊な国だ。まず日本はアジア全体に筆舌に尽くしがたい苦痛と傷跡を与えた第2次世界大戦の責任を認めようとしないでいる。また被害国がいくら反発しようとも、日本の首相や閣僚はA級戦犯の位牌がある(編集部訳注:原文ママ)靖国神社に団体で参拝している。さらに日本はアジア11カ国で推定10万人の女性を強制連行し、日本軍の慰安婦として動員したという歴史的事実すら否定している。安倍前首相はこの問題について「つくりあげられた話」としている。そしてこの問題に関し、米下院で非難決議案の採択を進める動きが強まるや、安倍前首相は被害者でもないブッシュ大統領に謝罪した。

 日本はこうした考え方が自分たちの常識であり、アジアの国々にもそうした独りよがりの考え方を常識として受け入れるよう要求しているのだ。だがアジアのどこでも、そうした日本の考え方を常識として受け入れるところはない。アジアの視点から見れば、日本が安保理の常任理事国入りをもくろむことそのものが、非常識な行動以外の何物でもない。日本が国連でもアジアを代表する国として安保理常任理事国になれば、それはアジアの人々の感情を逆なでする結果となることだろう。

 一方、同じく敗戦国であり、また同程度の経済力を備えながらも、徹底した自己反省を重ねて生まれ変わったドイツの常任理事国入りについては、米国にもイギリスにも積極的に支持する姿勢は見あたらない。米国やヨーロッパにとっては、ヨーロッパが経験した苦痛は容易に忘れられない問題であっても、アジアが経験した苦痛はしょせん他人(ひと)ごとでしかないということなのだろうか。

朝鮮日報/朝鮮日報JNS 記事入力9月27日

 ここで自分のために歴史の復習をする。

 日本と中華人民共和国は1972年に日中共同声明を出し国交を樹立した。その文面は1978年の日中平和友好条約締結の時に踏襲した。その内容には主権・領土の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉が記述されている。中国側は賠償金請求を放棄する代わりに、日本側からODA等の莫大な経済援助を勝ち取り、国の経済成長に繋げた。1972年に中国へ乗り込んだ田中首相の中国に対する外交政策能力は尊敬に値する。この期を逃すと、日本も中国も戦争の体験者を失い戦争体験者同士であるから可能になる交渉も出来なくなると読んでいた。ソ連との関係に疲弊し、長引く文革で更なる国内問題を抱え、経済的に困窮していた中国は日本に恩を売る形で莫大なODAを勝ち取った。中国内で代表的なODAの実績の一部として、現在の北京空港や上海浦東空港もODA資金で建設されたものであるが、その記念碑は片隅に追いやられ中国人民の知るところにはならない。

 日本と韓国は1965年に日韓基本条約を締結し、日本は韓国が朝鮮半島を代表する唯一の国家であることを確認し、国交を回復した。日本は合法的に韓国を併合していたため、韓国に対して国家賠償をする立場になかった。そのため、日韓基本条約本文においては、賠償について一切触れられていないが、日韓基本条約に付随する経済協力協定によって経済協力金を以下のように支払った。無償協力として3億ドル、円有償協力として2億ドル、民間借款として3億ドル以上であり合計8億ドル以上も払っている。ちなみに当時の韓国の国家予算は3.5億ドル程度である。国家予算の2倍強だ。また、これには日本国が韓国人に個人賠償請求を含めた賠償金も含まれている。個人に対する賠償は韓国政府が、日本のかわりに支払うということで賠償金を受け取っており個人に対する賠償金3.6億ドル中(国家予算1年分強)、韓国政府が個人に支払った賠償金総額は約1600万ドルたらずであった。この賠償金についてはいまだに韓国では完全に公表されていない。何故、この国家間の事実に蓋をし日本に対して謝罪を求めるのであろうか。

 先の大戦で、ユダヤ人、非ユダヤ人をあわせ約1,100万人もの人々を殺害したドイツは、その責任はあくまでナチスにあり現在のドイツ国家には無いという立場を堅持している。ドイツに隣接するすべての国を蹂躙し世界史上無いホロコーストを行ったドイツが、そのすべての国に対して国家間の賠償等という言葉を口走ったら最後、国の破綻は必定であることが分かっているからである。また戦勝国が国家賠償をドイツに強く求めない理由として、同じ白人の国であること、戦後になりロシアに国を分割されてしまったことへの温情もあるのではないか。国家間での賠償は一切無いが、検証された殺戮に対する個人補は行っている。

 A級戦犯とは、そもそも近代法のタブーとされている事後法で裁かれ分類された戦犯である。第二次世界大戦以前は国家機関として行為した個人には刑事免責が認められるとされていた(国家行為の法理)が、第二次世界大戦の敗戦国の指導者達には国家行為の法理は適用されず、犯罪者として刑事責任に問われたため、この処置は法の不遡及に反するという指摘がなされている。法の不遡及とは、実行時に適法であった行為を事後に定めた罰則により遡って処罰すること、ないし、実行時よりも後に定められたより厳しい罰に処すことを禁止した、近代刑法における原則である。日本政府としては敗戦後これを受け入れざるを得なかったが、サンフランシスコ講和条約第11条の手続きにもとづき関係11ヶ国の同意を得て、A級戦犯は1956年に国際的に釈放された。A級戦犯に対し外国人と日本人の認識や感情的な違いを多く感じることがある。大日本帝国憲法の中に首相の定義が明記されていなかったことや、輔弼など軍政の範囲についての争いで統帥権干犯問題が発生したことにより、ナチスのような国家社会主義が蔓延し、多数のA級戦犯といわれるヒトラーと同格の独裁者のような悪人がいたように考える外国人は多いのではないだろうか。

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「エン・スト」そして「ライ・スト」 

 「エン・スト」とはエンジン・ストライキの略である、と思い込んでいた時期があった私だ。車のエンジンが、労働条件の維持・向上その他の目的を実現するために、エンジンが集団的に駆動業務を停止することを「エン・スト」という。違う、違う、そうじゃない。「エンジン・ストップ」の略であったことはその後気付いた。私はこのようにして、あそこに毛が生え、見た目大人になってからも人知れず、今日でさえも一歩一歩大人への階段を踏みしめながら登っている。毛の生えたノロマな亀とでも言おうか。全く例えが適切でない。でも、糸の周りのセロファンに金色の毛の生えた亀が印刷されていた糸が母親のミシンの中にあったというガキの時分の記憶がある。

 一昨日、長野県諏訪市から東京の帰りに大河ドラマ「風林火山」で有名になった甲府市の「武田神社」へ立ち寄った。信玄が居住した躑躅ケ崎館跡地だ。時間も早かったのでその後ついでに昇仙峡へ行った。渓流沿いを散策し車へ戻ってさあエンジンをかけようとキーを回したのだがポコポコと音がしエンジンがかからない。バッテリーが切れたようだ。専門のロードサービスがあるのだが担当者からの返事が遅かったのでJAFにも電話をした。JAFは50分で到着するとのことなのでJAFを選んだ。待っている間に雨が降り出した。10分後唐突に、バッテリーが蓄電されたとの神の啓示があり、エンジンをかけてみた。一発でかかった。

 すぐにJAFに電話をしたところ、快くキャンセルを受けてくれた。約一万円儲かった。エンジンがかかった以上、この先東京のメンテの工場までエンジンを止めるわけに行かない。ゆえにガソリンも入れられない。またかからなくなる可能性が十分にあるからだ。ガソリン残量は200kmと表示されている。甲府から東京間だと十分な距離だ。渋滞で止まる事無く走り続けてくれれば全く問題はないのであるが、中央道の渋滞で完全に止まるケースに何度もあった。東京到着後、家内を一旦自宅で降ろし荷物も降ろそうとしたが、バッテリーが弱いせいかトランクも開かない。トランクに鍵穴が無いことに始めて気付いた。その後、無事、東京のディーラーにたどり着いた。

 この前車検をしたばかりなのだが、検査の結果バッテリー切れであることが分かった。「おいくら万円くらいでしょうか?」と尋ねると、「4万円くらいです」と返事があった。「高いんじゃないの」と心の中でつぶやいた。但し、特殊なバッテリーで取り寄せるのに一日かかるということである。ということは、今日はマイカーで帰れないということだ。ディーラーよりスーパーオートバックス等の方が在庫があり単価も安いケースがある。値段を比較しなかった自分を悔いた。一時間も待てばそのまま新しいバッテリーを積んで帰ることも出来た。また、ディーラーに車を引き取りに行かねばならない。「全く面倒くさい!」。

 そして昨日、旅行に行った習性が取れず滅多に食べない昼飯を食った帰り、食後の一服をしようとタバコに火を着けようとした。ライターは電子式着火なのだが点火しない。今度は、「エン・スト」ならぬ「ライ・スト」である、とボーッと考えた。同じことは二度続くものだなあと私の悪い頭は考えた。「違うでしょ、それを考えるなら二度あることは三度あると、次の心配をするんでしょ!」ともう一つの悪い頭が教えてくれた。一分後、またもや神の啓示があったので火力のレバーを弱くして着火してみた。すると、車のときのように静かに着火したではないか。ほっとした私は深く煙を吸い込み落ち着きを取り戻した。するとどうであろう、ニコチンによって冴えた頭が「ライ・スト」じゃなく「ガス・ケツ」だよと教えてくれたではないか。大人の階段をまた一歩登った私であった。

皇居の周りを走る人 

 今年の夏は激暑だった。炎天下と地下鉄を交互に繰り返し客に行かなければばらないのか、と考えただけで「これ以上、仕事要りません」という気持ちになる。客が千代田区、港区、渋谷区に分散している私が、こんな時に使う手が自動車での移動である。夏の期間、夏休みが分散されているせいか、路上の駐車スペースの枠も比較的他の時期に比べて空いている。冷房の効いた車で仕事へ出かける癖が付くと、地下鉄等、汗臭い公共機関は使えなくなる。

 打ち合わせも終了し、夕方の6時から7時位にかけて一旦事務所へ戻る。その時に必ず通ることになる道が、皇居を周回している道だ。この時間、夏だからまだ明るい。そして暑い。こんなに暑いのにも関わらずジョギングをしている人に多く出会う。青山通りから桜田門、祝田橋を経由して日本橋に帰る場合は、お互い同方向、時計回りに走っている。市谷・神田神保町方面から北の丸を経由して帰る場合は、お互い逆方向だ。皇居マラソンは時計逆周りが正当であるらしい。

 女性も多く見受けられる。ここから私のボーッとしたプロファイルが始まる。きっと大手に勤めていて時間内で多いギャラ分の仕事をそつ無くこなし、仕事が多い場合は昼休みを削って就業時間内に仕事を終わらせる。タバコは吸わない。ジョギング後、社に戻って完備されたシャワーを浴びる。皇居の周りは警官が多いので、ポスターに顔写真が載る指名手配犯でもない。ジョギング中、すれたら痛いイボ痔も無い。短パンからはみ出る脱腸も当然無い。

 これらの人は優秀であるが逆も考えられる。官庁も多いので、若くして窓際に追いやられ、その閑職に甘んじているストレス・レスな人。天皇家に恨みを持ち、毎日集団で走って磁気を作り出し天皇皇后両陛下の健康を損ねようと企んでいる不届き者。これとは逆に磁気を作り出して、天皇家の血行を促進させて長生きしてもらい、女系天皇を認める皇室典範の話し合いの時間を稼ごうとする者。その他では、セントラル・パークで走り癖が付いてしまったジョガー等など。 

 南風がアスファルトやビルの間を通り抜け熱風に変わり、排気ガスも多く、皇室警備にも支障を来たすような場所を、何故この人達は走らなければならないのだろうと凡人の私はボーッと考える。中毒以外に考えられない。ここは体に毒だ。私がタバコを吸うように、中毒だから走っているのだろう。気象庁と竹橋会館の間を駿河台下に向かい橋を渡り、錦町河岸を右折し神田橋交差点も過ぎ、鎌倉橋の交差点の一個手前の道を左折してすぐに銭湯「稲荷湯」がある。ここは皇居ジョガーの溜まり場になっている。これで少しは人間らしさも感じられるか。

 参考までに皇居一周は5km。レインボーブリッジの一般道は橋の下の信号から信号まで4km。レインボーの車道は自転車も原動機付き自転車も通行不可能である。

秀逸なる「産経抄」 

まさにその通り、言う事無し。産経抄は、またもや、ぶれない視点で日本の「今」を浮かび上がらせた。 

以下、産経新聞SankeiWeb「産経抄」より引用

 日米安保条約は昭和26年に結ばれた。それまで「占領軍」だった米軍を日本の独立後も残すためという面が強かった。だが日本には基地を提供する義務があるのに、米に日本を守る義務は明記されていない。条約としては不平等なものといってよかった。

 ▼それを正して「片務性」を解消しようとしたのが昭和35年の「安保改定」だった。ところが国会での論戦が始まると、野党の社会党などが「そもそも安保などいらない」と、議論を振り出しに戻してしまった。現実の国益論議を神学論争にしてしまったのである。

 ▼国会が混乱すると、こんどはマスコミが「強行採決がケシカラン」と批判を強める。「岸首相(当時)の強権的姿勢のせいだ」となっては、論点は限りなくぼやけてしまった。結局、誰も「安保改定」の意味などわからないまま国全体が混乱に陥ったのだ。

 ▼今のテロ特措法をめぐる状況もよく似ている。問題は海上自衛隊がインド洋で行っている多国籍軍への補給活動を続けるかどうかだ。それだけである。そのためには、これまでの活動の成果や国際的評価、国際状況に大きな変化があるか、などを考えればすむことだ。

 ▼ところが、小沢一郎代表ら民主党は「そもそも補給活動が間違っている」と、やはり論議を振り出しに戻そうとしている。それは国連が「謝意決議」までしたインド洋での各国の活動自体を否定するものだ。日本が参加するまでの議論も無視した不毛な反対論である。

 ▼真の狙いは補給活動阻止よりも自民党への揺さぶりかもしれない。これも安保改定当時の社会党の姿勢と似ている。そうだとすれば「アンポ」の後、冷静に戻った国民から次第に見放されていった社会党と同じ道をたどらないとはいえまい。

(2007/09/22 05:14)

スイカの独り言 

 ボクはスイカ。ウリ科に分類される植物なんで、日本語で「野菜か果物か」と聞かれれば野菜だけど、英語圏では「ベジタブル」ならぬ「フルーツ」なんだ。昔は町の八百屋さんが多かったので、丸ごと買っていく人が多かったけど、今じゃスーパーでカットして売られてることが多いかなあ。海水浴のシーズンになると、海岸では火曜サスペンスのような「スイカ撲殺事件」が頻発するんだ。いつからだろうか、目隠しした人がバットでボクを殴って喜ぶ「スイカ割り」の的にされちゃうんだ。人間は喜んでるけど、ボク等にとってこれほどの恐怖はない。

 それから人間に去勢されオカマにさせられちゃう「種無しスイカ」はもっと悲惨だ。人間様にかしずく宦官のようではないか。人間は残酷だ、とっても身勝手だ。ボクを食べる時の食べ方も色々だ。皮の白い部分まできれいに食べる人もいるけど、白い皮の手前で赤い果実をいっぱい残す人が多いのもやりきれないなあ。「何でそんなに赤い部分を残すの?」って一度聞いたんだけど、その人は「カブトムシの匂いがする」って言ってたなあ。カブトムシの匂いじゃあなくて、ボクを食べたカブトムシに付いた僕の匂いが本当なんだけど・・・。

 最近一番頭に来たのはボクと同じ名前のカードがボクより有名になってることかなあ。「スイスイカード」の略で「SUICA」なんだろうけど、関東人は安直過ぎるんじゃない。関西の「イコカ」のほうがヒネリがあっていい感じがするなあ。今じゃあ、「SUICA」の方が有利だ。ボクじゃあ、「SUICA」は買えないけど、「SUICA」だったらボクが買えるんだもの。スイカの集合の中でボクは部分集合的な存在に成り下がってしまったんだ。スイカ共和国を作ったら「スイカ裁判」を始めて「JR東日本」を訴えてやる。

 核家族化が進み一個丸ごと買えなくなったんで、カットスイカが売れるようになったらしいんだけど、人間は人間の都合でボク等をいじっていくんだろうなあ。四角いボクも売られている。これは陳列棚に置いたときに安定し人間にとって便利でいいらしい。そのように未来のボクのいじられ方を考えていくと、きっと四角い状態で小さいスイカにされるに違いない。ボクの存在自体が「丸くて」「大きくて」「重くて」「冷蔵庫に入れ辛くて」と、人間にはとっても不便なんだろう。小さく四角いスイカになって生き残っていくしかないんだろうなあ。きっと。

お坊ちゃん国家 

 麻生氏も福田氏も抽象的な言葉が多過ぎて、政局の先行きが全く見えない今日この頃の日本だ。星新一の小説で、地球で各国が争っているところに宇宙から怪獣がやってきて地球連合が結束して退治することになり地球が平和になったとの話を思い出した。テロのような見えない敵に対しては国際社会が結束し日本もその中に入って協力することは国際常識であるし人間としての常識でもある。補給は兵站を担っているのであって、前線での軍事活動のような危険は少ない。

 いっそのこと、精神・肉体的に優れている外人傭兵を日本のグリーンカードを与える条件で募集し、日本人を指揮官とした外人傭兵部隊を結成し、現状のような兵站を担う活動をさせたらいいのではないかと、ふと思った。自衛官に対する派遣手当ても相当な金額であると聞いているからだ。殺生の現場を知らずに食肉を平然と食べ束の間の幸せを感じているのと同じで、国際テロとの戦いを憲法を盾に傍観し、自分だけの平和に浸っていることの矛盾が何故分からないのだろうか。

 本当の「平和」なんてものは無い。今、平和だと思っている人は思い込んでいるだけである。平和は理想であって、現実は大きくも小さくも日々戦いだ。理想はあくまでも理想で現実になることは無い。資本主義経済も競争原理が働いているので戦いだ。戦後、経済で立ち上がることが出来た有色人種の日本はまさに世界史上の奇跡であろう。ある時までは、米国から世界地図を見て共産国との防波堤と揶揄嘲笑されていた日本である。

 経済成長の中で黙っていても所得が増え平和ボケしてしまった人達は多い。戦後からここまで来た様に、他国に与えられた国のシステムを守ってさえいれば自分だけの平和は継続すると考えているのであろう。さにあらず。今日、世界のシステム自体が狂ってきているのである。国連は先の対戦の戦勝国の機関なので、いくら日本が金を出そうとも常任理事国入りは儘ならない。中露が感情的に許すはずが無い。米国も世界の警察としての立場が危ぶまれている。世界通貨としてのドルも危ない。

 国際社会における日本はこの世界のシステムの歪を、傍観するのか、積極的に介入するのか、の瀬戸際に立たされていると言っていい。国際貢献に躊躇する日本を海外から見れば、「おぼっちゃん首相」ならぬ「おぼっちゃん国家」と見くびられよう。その点、安倍元首相の政策は文武両道の武士道が貫かれ、世界の中の主権国家・日本の在り方を十分に考えさせられ、我々が今に甘んじる事無く頑張らねばならないと思えることが多かったように感じる。

 せっかく政治がここまで来たのに、派閥が大手を振るい総裁を選び8年前に逆戻りしそうな観がある。「戦後レジーム」に逆戻りか。渡辺昇一先生がいう「敗戦利得者」のシステムや思想にまたもやとっぷりと浸かろうとしているのか。日本の中で配分される先々の原資は「通商」の基にある「外交」にあるにもかかわらず、国際協調を御座なりにし派閥という多勢に支えられた利権で税金を食い荒らそうとすのであろう。「お坊ちゃん国家」「おたく国家」「引きこもり国家」と外国から言われぬよう、時代を見据え時代と共に変わり行く国際常識にもきちんと対応しなければならない。

嗚呼、勘違い 

 産まれたばかりの子犬のチワワが人里離れた山奥に捨てられていた。捨てられてもう二日目になる。それを見ていた母親狼がチワワに近付き、たいそうお腹が減っているあろうチワワに母乳をあげた。母親狼のオッパイにかぶり付き小さな尻尾をパタパタと振りながらゴクゴクと飲み続けた。一年後、そのチワワは少し小さいがりっぱな狼になった、と思い込んだ。

 産まれたばかりの子猫の三毛猫がアフリカの草原に捨てられていた。捨てられてもう三日目になる。それを見ていた母親ライオンが三毛猫に近付き、たいそうお腹が減っているあろう三毛猫にに母乳をあげた。母親ライオンのオッパイにかぶり付き両手でじゃれ付きながらゴクゴクと飲み続けた。一年後、その三毛猫は全くをもって小さいがりっぱなライオンになった、と思い込んだ。

 大きなゾウガメの甲羅に酢をかけ続けていたら、甲羅が柔らかくなってスッポンになってしまった。一匹を一家四人で食べきることは不可能であったので、一ヶ月間かけて食べ続けた。いつも仕事疲れのお父さんに精力がついたことで、夫婦は円満になりお母さんは妊娠した。お母さんが妊娠すると、それでも飽き足らないお父さんは外に愛人を作った。幸せであった家族は破局した。

 男の子は、大きな鯉が沢山泳いでいる池に縁日ですくった出目金一匹を放した。出目金は自分は鯉であることを疑わず、二年後に大きな鯉と同じ大きさに成長した。どこから見ても、大きなヒレの生えた出目金であるにもかかわらずだ。男の子は、出目金を池からすくい上げ、マウストゥーマウスで出目金の口に息を吹き込んだ。どこから見てもフグになった。男の子のお爺さんは精力が付くといけないと自重して食べなかった。

 自分はLEDであると思い込んでいる蛍がいた。

 ハワイ沖に自分はサメであると思い込んでいたイルカがいた。なにしろ、このイルカには、サメの勲章であるコバンザメが貼り付いていたのだから。人も食べるし同種のイルカまで食べる。イルカ・ウォチングのツアー客を乗せたクルーザーが来ると、波を切って走るクルーザーと共にイルカ仲間と併走し、カワイ娘ぶって人間のご機嫌取りに忙しい毎日を送っていた。しかし、クルーザーが去るとこの人喰いイルカは獰猛になり周りのイルカを食べてしまうのであった。このような生活を2~3年続けていくうちに、イルカは見る見る大きくなってクジラになってしまった。たまたま、捕鯨解禁で近くを通りかかった捕鯨船に併走し人気取りをしていたが、クジラと間違われ捕らえられてしまった。キューキューと鳴いて見せたが、時既に遅しであった。

お台場の秋の夕焼け 

 日本の政局は安倍首相辞任で大混乱だ。当面、時間軸に沿った真っ暗闇のトンネルの出口は見えそうにない。恐るべし一部マスコミ、恐るべし小沢代表、恐るべし官僚か。12日この大混乱の中でも例年のように、台場付近の東京湾をオレンジ色に染め尽くす「秋の夕焼け」の時期が来た。数分の間ではあるが、闇になることでラストシーンをむかえる「夕焼けショウ」に惹きこまれる。

 夕焼けが 台場の海に 舞い降りて
        闇が静かに かき集める哉

※深くオレンジ付いた台場の海も、次第に漆黒の闇の黒に飲み込まれていく。その情景は闇がオレンジ色を音も無く静かにかき集めているようだ。そのような闇の作業が終わると、何の変哲も無く、季節を感じることも無い、普段通りの東京の夜景になる。

台場夕焼け1


台場夕焼け2


台場夕焼け3


 夕焼けは夜のイントロだ。朝の来ない夜はない。

尻に火がつく 

 病院の洗浄式トイレが発火してトイレ一台が全焼したと新聞にあった。物事が切迫した時にいう「尻に火がつく」の新しいパターンだ。便利さの陰に潜む危険は多い。技術がいくら進歩したとしても100%の安全は無い。万が一の為に保険はある。怪我人や死者が出ない状態であった場合、10,000個に一つであるならもっと寛大であってもいいのではないか、としみじみ思う。が、マスコミはそれをネタにして金儲けを目論んでいるようでもある。お詫び広告や何やらが紙面やテレビを賑わす。

 当然、作る側にも責任はあるが、納得して買う側にも責任はある。買う側の使い方に責任があることも多い。出荷する前から不良であることや不具合があることを分かっている状態で販売するメーカーにマスコミが切り込み、世間の非難を増長させ注意を喚起することは必要である。しかし、自由競争の中、懸命に研究開発に取り組み世のため人のため延いては環境のためと、寝食までも惜しんで働いている善良な大手メーカーであっても万が一はある。

 先週の新聞で連日報道されていたのだが、一つは某航空会社で無償で配布したタオルに針が混入していたという記事、翌日は某自動車会社が無償で配った中国製マグカップの飲み口部分の樹脂に金属が混入し溶け出していたとの記事があった。作る側が意図してそのような商品を世に送り出したなら大きな問題であるが、製造上、検品不可能なミスでこれにより死傷者が出る可能性は少ない問題であったと思える。私は記事にするほどの大問題であるとは思えない。

 不良品問題が発覚したら、適宜交換などの手段を取ればいいだけの問題である。大騒ぎし過ぎだ。両メーカーが販売している商品とはかけ離れた、サービスの一環としての景品である。景品に思いを寄せた消費者が景品欲しさに商品を購入し、景品が不良であった場合、怒るのは当然であるのだが・・・。それに対し、真摯に対応をすればいいだけのことで、記事にするのは行き過ぎであろう。最近、作り手のモチベーションが下がるような大騒ぎがあまりにも多い。

 技術やモノ作りに100%はない。商品を作る機械も時には故障するし、入力したプログラムを稼動させるコンピューターも故障する。作り手も「あいまいさ」と日々格闘しているのである。多くの労力と精神的ストレスを伴うのがモノ作りだ。「あいまいさとの戦い」こそがモノ作りの現場の姿そのものであり、いかに100%に近づけられるかといった大きな課題を背負い、神経を磨り減らしている。100%の「全き人間」が神と崇められるように、「全きモノ」は神になり得ない。

 ホンダがエアバックを開発し、それを搭載した車を始めて売り出した時の開発者の心労は我々には想像がつかないくらい大きなものであったはずだ。購入した客が事故を起こさない限り、開発した商品の価値が認められないといった特殊な商品であるのだから。私の記憶では、群馬でエアバックを搭載した車が始めて事故を起こし、正常にエアバックが作動し運転手に怪我は無かったと聞いた。技術の粋を集め何度もテストを行い搭乗者の安全の為に開発した商品であっても、メーカーとしてはモノであるゆえ万が一を考え不安なのである。

 近年、様々な食品の製造偽装や欠陥商品で人が死に至るような事態が続いているので、世間がピリピリするのはもっともである。しかし、メディアが不良や欠陥について小さいものまでも良識の範囲外で悪戯に報道し煽ることにより、当事者が話し合う間もなく大きな問題になることもある。確かに消費者のような個人は企業と比較すれば弱者だ。だが、問題が起こった際、100%の責任がメーカー側にあるような報道の仕方はいかがなものか。ことによっては、製造者責任ならぬ購買者責任が問われてもいいのではないか、と考える時がある。

「通商国家・日本」にとって必要な海自の給油継続 

 海自の給油活動の継続を否定し「通商国家・日本」の存続を阻止しようとする小沢代表は逆賊のようでもある。40カ国が参加するテロとの戦いで、兵站を担う重要な職責を継続全うすることこそ世界の中の日本にとって今最も必要なことであり、無駄に外交問題を増長させない効率的な手段であると考える。日本がこの給油活動を継続できなかった場合、どこの国が喜ぶかは明白だ。アジアにおける日本の存在は益々薄れ、孤立することは間違いない。一旦停止し再開する等の意見も聞かれるが、国際社会の中で日本の地位を保つ方法は継続以外に無いと考える。

 多くの未解決である内政問題に紛糾している政府は給油活動を継続できなくなった場合、外交においても大きな問題を今後抱えることになる。このような状態に陥ることを虎視眈々と狙っているのは中国であり北朝鮮であろう。日本の後方支援が得られなかった場合、両国は手をあげて支援表明をするに違いない。中国・北朝鮮が支援軍隊を送る決議をすることは簡単なことであり、結果アジアの中で両国の存在を強めるものになる。両国の今までの外交問題等は、この軍隊支援で簡単に帳消しになる恐れさえある。

 国連の存在より重いと考えられる日米安保条約の効力を受身の状態で邪推するより、行動が伴った給油という支援活動は、米国はもとより支援参加国に対する日本の信用を間違いなく高めているものである。イラク戦争に至る導入部分に米国の間違いがあったのは確かだが、それをもとにごねる小沢代表はいかがなものか。日米安保条約という軍事同盟がある以上、日本の今や将来において最も大事なパートナーを見捨てるわけにいかない。 日米の政府同士が約束した以上、40カ国も参加している以上、日本として国際公約は守り国際責任を果たさなければならない。

 給油活動の放棄により、通商が断絶し、中国や北朝鮮の存在価値が高まり、隣国から宗教問題・内政問題・歴史認識問題で攻め立てられ、ライフラインの確保も儘ならず、延いては都市と地方の格差が更に増長し今後の年金の原資も作りだせない、といった日本のあってはならない将来の姿が見えてしまう。その間、中国では北京五輪、上海万博を次々に成功させ、軍事的国際貢献においても米国にとりアジア地域で最も頼れる国として威光を放つようになろう。その大国の間に挟まれ資源の無い小さな島国の行く末はいったいどうなるのか。小沢代表には過去をどうこうではなく、現在の状態から未来を見据え、日本の国益に適った判断をしてほしい。
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