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「NILEHCIM」(ニレッチム)東京ガイド 

 「食」も将来的には、今世紀に入り突如不振になった「音楽」のように行き詰まることがあるのではないかと、ふと思った。いや、待てよ、料理は主婦やプロをも含め作り手の絶対数が多いので、符割りや人間の耳に聞こえる音の限界がある音楽とは違うか。「作り手」と「受け手」に分けた場合、作り手の比率の多さについては、食が音楽をはるかに凌駕する。

 ミシュランの星の定義は、本業がタイヤ屋さんだけあって「旅行してでも食べに行きたい料理」とのことだ。てことは、東京に住む我々は旅行でもないのに安易に食いに行ってはいけないとも考えられる。ウン~、これは我々貧乏人にはとても都合のいい解釈だ。相手が「MICHELIN」なら、オレ風超B級グルメガイドを創刊するしかない。英文字の逆読みである「NILEHCIM」(ニレッチム)とでも命名しておこう。

 ニレッチム・東京ガイドの定義はこうだ。「忙しい時や給料前に、財布を気にせず、300円前後で味覚も腹も満足させられる、食事の体裁があるもの」としよう。「まぁ~なんてみみっちい~」と、お叱りを受けるかもしれない。人は多くの場合「旨いもん食いてえなあ~」より、「なんか食っとかなくちゃ~」のほうが頻度は高い。「料理を考えるのもかったるい」時にはもってこい~のガイドになる。

 私の場合は、立ち食い蕎麦部門では「浅草橋 ひさご」の天ぷらそば=300円。コンビニ惣菜セット部門では、「99ショップ」のお稲荷さん4個入り=99円、同店の生蕎麦のカップめん=99円、向かいのファミマのおでんの具(蕎麦の上に乗せる)=100円の組み合わせで、税抜き300円だ。お湯を入れた状態で向かいのファミマに走る。とっても料理になってるなあ~。

 などと、男なので食べ物の組み合わせの発想に乏しいのがとても残念だ。女性であったら、人には言えないほどみみっちいけど、見た目豪華に食卓を演出する料理を実は知っているのかもしれない。年末のこの時期、このようなことを書いている自分は、まるで「マッチ売りの少女バエ」ではないか。蝿の種である「猩猩(ショウジョウ)蝿」は、「少女蝿」ではないのだよ。みんな知ってるよね。エエッ!オレだけなの、知らなかったの。
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犯罪を牽制する地上監視衛星 

 坂出三人不明事件の捜査に、地上監視衛星を使えないものであろうか?過去の事例から人権に抵触するような発言もネットで飛び交っている。事件当日、雲さえなければ、犯行推定時間の連続映像データをたどることにより、犯人のその後の行動は解明できると思える。四国は未解決の殺人事件が多い。山林が多く、人口が密集していないなどの地域性もあろうが、東京でさえ上祖師谷一家四人強盗殺人事件の凶悪犯は野放しのままである。その周辺、世田谷区では監視カメラの設置が相次いでおり、その後何件かの事件解決に貢献していると聞く。

 発生後、すぐに発覚した事件であるならば、初動捜査で大勢の機動捜査隊を用い犯人の足取りを迅速にたどることにより解決に至るケースも多々ある。しかし、数時間たった場合、状況証拠などが隠滅され足取りが途絶えることが多い。気候の変化により匂いもかき消され警察犬を用いた捜査も困難になる。犯人の心理を読み、大勢の警察官の足を使って犯人を追い込んでいく従来の捜査方法には限界がある。人の記憶に基づく証言や物的証拠は時間と共に風化するのが世の常だ。過去の映像は、それらを確かなものに近づける力がある。

 21世紀に入り、人々の生活は地に足が着かないような仮想現実の粋に益々入りつつある。人に見られていなければ何をやってもいいといった、それが誰であるか分からない「匿名」という風潮をネットが加速させているのは事実だ。身勝手な一時期の感情は、ネットゲームで戦う時のような怒りに変り、果ては実際に殺人まで犯す。ここまで来るとリセットされる前に、過去の形跡は誰でも調べが付き、それにより牽制できるシステムが必要になる。監視衛星導入は決して警察人員の削減に結びつくものではない。検分を多面化させ、早期解決に貢献するに違いない。

 ネットが蔓延し意識の中の国境は更になくなるであろう。生の人間に触れ合う機会が減少すれば同じ文化を共有する時間も当然減る。したがって、同じ日本人であっても違う文化を持つ人間が増えるということだ。行動を一緒にしない限り、相手の行動パターンを把握するのは無理だ。相手を思いやることは不可能に近い。日本の中での多国籍化とでも言おうか。更には、人口の減少が前提の日本では、今後海外から流入する労働者の多国籍化も必至である。先人曰く「お天道様はお見通しだ」が、いまこそ必要なのではないか。

お客様は神様です 

 来年度の予算取りのために、来週早々に商品サンプル数点を製作しなければならない。毎年、今頃の時期に約一ヶ月の期間を貰い、商品企画からそのサンプル作りまでを受け持つ。今年もそろそろだなあと思い、とりあえず担当者に連絡しておいたのだがメールが返ってこなかった。こちらも年末へ向け忙しかったので、すっかり忘れ三週間が過ぎた。すると突然、担当者から連絡があった。来週までに、完全な形の商品にして提出しなければならないと。

 「しょうがねえ奴だ」と思いながらも、その夜打ち合わせに出かけた。出かける前の電話で「私はその期間にやり切る事ができるか否かは分かりません」と、胸糞が悪かったのでとりあえず言っておいた。「他社にも振って下さいね」と、モノによっては出来ないモノもあると念を押しておいた。エンドユーザーからは、きっと早くに言われているであろう仕事の責任を、すべて私にねっちょりとこすり付けてくるに違いないと感じたからだ。行ったら案の定、スネ気味だ。

 担当者第一声は「今日は次の打ち合わせもあり、時間が押しているので10分位の手短な打ち合わせでお願いします」と、上段から振りかむって来たのには驚いた。「オメエは一体、おいくつなの?」と思わずにはいられなかった。彼のアシスタントである新人女性からは焦りビームが出まくりだ。上司がこれじゃあ可哀想だ。普通ならオリエンシートくらいまとめて要点を絞って打ち合わせに臨むのがお仕事じゃない?自分が忘れていたくせに焦りまくって、果てはスネる。

 話しまくってどこに要点があるのか、全く検討も付かない。とりあえずエンドユーザーの要望らしきものはすべて聞いた。その訳分かんない話から、エンドユーザーの意向を推測し、私から商品案を淡々と伝えた。今、一番大事なのはこの期間で出来る物と出来ない物を振り分け、要望に沿った商品数点に絞り込むことではないか、と軽い説教を含み話した。実はこんなことになるであろうと予測し、事務所を出る前に短期間でのサンプル試作を中国に打診しておいた。

 用意していたサンプル数点を見せた途端、「それにしましょう」と即答された。じゃあ、今までのテメエの長い話は何だったんだよ!と怒りがこみ上げて来たが、今夜の酒に溶かすことにした。10点以上のサンプルを事務所に持ち帰り手配するのは大変だ。過去の仕様書を掘り起こし、現物に近い物がある場合、写真を添付して中国と連絡しあわなければならない。色もエンドユーザーの希望色に合わせなければならない。手短な10分は、すでに一時間以上経っていた。

 私の競合である同業他社が2社待っていたらしく、アシスタントの女性がその対応に回されたようだ。これで、この段階において私の受注確率は三分の一から100%になった。その後、その会社の別担当者との打ち合わせがあり、待つ15分くらいの間、その2社との話の内容が聞こえてしまったのだが、両社とも「無理なものは無理」の一点張りであった。このように、無理を押して受注確率が高まる仕事は嫌いではない。大手ではできないところに我々零細企業のステージがある。

 その後、更にオマケが付いた。サンプルを短期間で作ることが可能になり、俄然やる気を起こしたスネオ君はきっと心の余裕も出てきたのであろう、更に追加でサンプル数点を、まるで客の要望が今日あった風にアシスタントの女性を通し電話があった。きっと忘れていたに違いないと思うのであるが・・・。女の子に強く言っては可哀想であると思い「やるだけやりますが、ご説明したとおりその期間では間に合わないかもしれない」と言った。

 スネオ君にアシスタントの娘がいじめられちゃあ可哀想だとまたまた思い、念のためスネオ君には追加サンプルは受けるが遅れる旨のメールを入れておいた。なんで人の会社の人の部下まで思いやっちゃうのかなあ?と思いながらも。そして、またその後、資料や仕様書を探し、メールで写真を送りーの、スカイプで中国のエージェントとお話ししーので決着させた。こんな日は、事務所の机の上やテーブル、コピー機は荒れ放題、荒れる。

 スカイプは便利だ。昔であったら通話料だけでも膨大な料金になったところだ。国際電話料金一ヶ月10万円くらいは当たり前の時期があった。今では一ヶ月五千円もしない。土曜日は出社だ。他の会社から依頼されたサンプルも手配しなくてはならない。今回のように、休日出勤し労力をかけても全く受注に結びつかない時もある。「全か無か」だ。手配し切った充実感は残るが、全く金にはならない。ま、しょうがない。仕事が決定した瞬間の喜びのみに生きる私なのだから。

見知ゅらん国のミシュラン なんで生駒軒なの? 

 ミシュラン東京版の話を書いていたら、無性にB級グルメ魂がうずいたのであろう、一昨日は門前仲町の「生駒軒」、昨日は浅草橋の立ち食いそば「ひさご」へ自然と足が向いてしまった。最近のお気に入りは「生駒軒」である。昔ながらのさっぱり系中華そば(650円)が気に入っている。そこにのっているチャーシューがまたまた旨い。そのチャーシューに魅せられて通うようになってしまった。チャーシュー麺は850円だ。

 その店のチャーシューは、豚バラを巻いて無理やり接着したような脂っこいチャーシューとは訳が違う。一個の肉の塊をきちんとハムのように切り、断面がとても滑らかなのである。チャーシュー自体でダシを取っている風でもなく、肉の味が逃げていない。歯ごたえも味もスカスカなチャーシューではない。脂っこいチャーシューにはうんざりし、チャーシュー麺自体嫌いになっていたのだがここで考え方が変わった。スープは少しコンソメ入ってます風で野菜の甘味を感じる上品な味だ。

 門仲一帯の中華屋にいえることだが、麺は他の地域より柔らかめが多い。初めて生駒軒に入った時感じたのも麺が柔らかいことであった。麺以外はすべて良くとても惜しいと感じた私は、二回目に入店した際、「麺固めでお願いします」と頼んだ。これで更に良くなった。ここのスープは人により多少好き嫌いがあるかもしれない。場所は、門前仲町の交差点から永代通りを木場方向へ約100m位向かい、三菱東京UFJとドトールの間の細い路地を左折しコインパーキングがある路地を越えた右側にある。

 都内に住んでいれば誰もが目にする「生駒軒」であるが、この生駒軒には定義がある。発祥はなんと私の事務所近く、人形町の甘酒横丁とのこと。その店からのれん分けが始まったらしい。その店を発祥とする正統な「生駒軒」の定義とは、①「生駒軒のれん会」に属している②「生駒軒相互親睦会」の会員である③墨田区向島にある「児玉製麺所」から麺を仕入れている④ラーメンは500円⑤ラーメンの具の基本は「わかめ・チャーシュー・メンマ・長ネギ」の4点⑥梅干が置いてある⑦生駒軒のロゴの使用が認められている。引用はココ 


 となると、私が通っている生駒軒は正統ではない。ま、いいか。外に大きな看板はなくうろ覚えだが、「中華そば」と赤い字で書かれた看板だけであったような気がする。また今日にでも人形町の「生駒軒」総本舗へ自然と足が向いてしまうのであろう。あ、そうそう、飲み友達から教えてもらった「アンドリューのエッグタルト」をまた食いてえなあと思い、昨日ザギンの客へ行った帰り、2丁目メルサ裏の店に行ったけど未だ閉店したままであった。

 夏にも、「ああ~食いてえ~なあ~」と仕事途中で立ち寄ったのだが閉まっていた。仕方なしにネットで調べて大阪の本社に電話したところ、フランチャイズの店主が病気で一時閉店していると言われた。「早く良くなってほしいなあ」と見知らぬ人の快気を祈る私なのであった。一個180円だ。埼玉の朝霞台の店が最も近いと思っていたら、ジュクハラの明治通り沿いにもあるらしい。そっちに客いねえんだよなあ~。誰かメールオーダーで食わしてくんねえかなあ~。注文するならココ

 なんでラーメンからエッグタルトなんだよ!とお怒りの声が聞こえそうな感じだ。見知ゅらん国のミシュランの格付けで頭がコンラッド・ホテルだ。とにかく、エッグタルトお待ちしてます。皆で食べて「舌打ち」しよう。それを言うんだったら「舌鼓を打とう」でしょ。「した・つづみ」か「した・づつみ」のどっちが正解でしょうか?「した・づつみ」は誤用から転じた語であるが、慣用的な俗用形として「づつみ」でも正解。役に立たねえか。

ミシュランの格付け 

 レストランを「星」の数で格付けするフランスの「ミシュランガイド」東京版が22日発刊される。世界で22カ国目、アジアでは初めてである。107年の歴史と権威を誇るガイド本の判定に、熱い目が注がれている。最高の三つ星を獲得した店は今後、メディアにうるさく付きまとわれることであろう。常連客が入れなくなり、不特定多数を相手に商売繁盛の行く末はいかに?この欧米特有の格付けはいかがなものか?である。

 日本の国自体でさえも、サブプライムローンによる被害をばら撒いている国の格付け会社に格付けされている。なにを有難がって欧米人に、和食や寿司までも格付けされなくてはならないのか。そもそも「店も屏風も広げると倒れる」と言われている。昨今、偽装で騒がれている吉兆も広げすぎた結果、このありさまだ。星を付けられたら最後、あらぬ方向に行ってしまう可能性があることも心得るべきである。

 まずい肉をどのように上手く食べさせるか?この行為は料理でもあり、ある種の偽装ともいえる。料理も含め食材加工自体、偽装の境界線を出たり入ったりするものであることを、日本国民は早く知ることが肝要だ。小さい話しで恐縮だがバブル全盛の頃、私が朝昼晩と通った立ち食い蕎麦屋は、メディアの取材を一切拒否した。常連が毎日決まった時間に入れなくなっては困るであろうと主人は言った。三ツ星レストランのように料金が高ければ、誰でも入れる訳ではないのだが。

 と、星に「お願い」することはあっても、「お食事」とは縁遠い私だ。今回、庶民の代表としてチリンチリンと警鐘を鳴らしてみた。料理は食べた本人の主観が優先する。育った環境により味の捉え方は違う。旨ければ料理、まずければ偽装になることもある。そんな危険をはらんでいるのが料理であろう。

ボジョレー・ヌーボを解禁一週間前に飲んだ場合 

 先週、誰よりも早く解禁前の「ボジョレー・ヌーボ」をギロッポンで飲んでいたら突然、警察の手入れをくらった。シーエックスの小野ちゃんと一緒であった。誰かが密告したのだろう。「昨年よりは甘く若々しい感じ」と能書きをたれながら味わっていた矢先だ。その後、鑑識課がそのワインを調べたところ「赤玉ハニーワイン」であることが判明し、翌朝釈放された。酔ってりゃあ~炭酸が抜けたファンタ・グレープを飲まされたって、「例年よりサラッとしているが飲むほどにコクを感じる」なんて言っちゃうかもしれない。(シーエックスは、JOCX-TVではなく、航空自衛隊次期輸送機CXでもなく、キャセイ・パッフィックのこと)

 と、ギョウカイであったらこのようなネタになりそうな勢いの「ボジョレー解禁」だ。そもそも、こんなワインが世の中にあること自体知らなかった。学生時代、友人がビストロでバイトをしており彼から学んだ。ワインへの興味は全く無かったので、薄っすら聞きかじった。「ボンジュール!ヌード」みたいな、「裸婦よ、こんにちは~」みたいな、私の鼓膜を震わせ耳小骨に響き脳に音が達した途端、未知の単語は蓄積されたイヤラシイ音に置き換えられてしまうのだ。そんなイヤラシイものが毎年11月の第三週の木曜日に解禁なのか、ってな感覚だ。

 世間ではこの時期、クリスマスだってそこら中で解禁じゃあないか。自由経済の基本理念である競争の原理は、このワインにどうして働かないのであろうか?フランスの法律に従っているのであろうか?香り付けが上手いサントリーがその年のボジョレーの味を研究・予測して「プレ・ボジョレー」を早い時期から作って売れば、案外売れるかもしれない。そんでもって本物は、輸入コストの高い空輸では無く、船を使えばもっと安くなる。予想して作ったワインと飲み比べするのもいい。なんでも、ボジョレーはおフランスだったら500円位とのことだ。

 今年のボジョレーは酸味を少し感じた。その他は、その前に違う酒を飲んでいたのですっかり忘れた。この程度、私が「ボジョレー」を話題にしたことにつきまして、熱烈なワイン・ファンの皆様、大変失礼致しました。

オヤジ尽くし 

 なんか最近ちょっとやばい。車に乗る時、聞くはいつものNHK。「オヤジくせえ野郎だぜ」と、鏡をのぞけばそこには確かにオヤジがいる。どうあっても自分は若いんだ!と思いたがっているのであろうか。昨日も、久々行った小料理屋の大将に、髭の白髪が増えたと指摘された。なのに、嗚呼なのに、加齢などは自分に限っては絶対に無いと思い込み、それが理性も超越し半ば信仰と化した状態が未来永劫に続くのであろうか。このままでは老衰して死んでもまだ自分は生きていると錯覚し、果てはオバケになって世間を騒がせることになる。

 オヤジっぽさの象徴である「肩こり」は今に始まったことではない。既に小学校時分からこっていた。6.3頭身のデカ頭を支えなければならない首はとても負担があり可哀想だ。この前、マツキヨで千年灸を購入した。銭湯から自宅に戻り何度もお灸を点けては貼り、を繰り返した。右手薬指の腱鞘炎には効果があると鍼灸師の友人から聞き試してみたのだ。ついでに首や肩にもお灸をした。足裏のツボを刺激する木製の踏み台にも乗っている。足裏はとても痛い。なんでも、ツボの神経が反射し臓器が活性化するらしい。なんだ!やってることは全部オヤジそのものじゃあないか。

 さらにオヤジの極みは食にも現れた。ニンニクがとっても好きになったのだ。桃屋の瓶詰め「キムチ・ニンニク」を健康と美容のために食べている。それも冷奴を平たくした上にトッピングして。これまた美味しいんだなあ、このニンニクは。そして翌日までニンニク臭を持ち越さない。これらボディーケアから食までをすべて自分に施すと、翌朝の寝起きがとてもいい。特に風呂から出て足裏のツボを刺激すると何故か絶好調だ。今日も頑張ろうという気が満ち溢れる。しかし待てよ、映画「シックス・センス」の主人公のように、私は既に死んでいるのかもしれない。無駄な澪標(みおつくし)なのかもしれない。「わびぬれば 今はた同じ」なのに。

電話での話し方 

 仕事上、さまざまな会社に電話をかける。そこで気になるのは、相手の応答だ。ま、自分もまともな話し方を誰かに学んだという訳ではない。そもそも電話での話し方が上手いとも思ってない。が、誠心誠意、相手にきっちりと話の内容が伝わるように努力はしている。伝わらなかった場合、それだけでその後の仕事がすべてダメになる。一番気になるのは特に女性、事務的で気持ちの入っていない冷淡な口調だ。

 その口調は大概、棒読み風の話し方、そして何故か語尾を延ばす。人を小バカにしたような口調だ。その話し方からは、いかにも自分は仕事に慣れてます、貴方の用件をきっちりとさばいてます風に聞き取れる。大体、このような電話での口調は、新人の場合は上司から引き継がれる。悪癖と感じるので伝染すると言ったほうが適切か。そのような部署は、きっと誰も彼もが皆一様にこの口調なのであろう。

 先日も某大手運送会社に問い合わせしたところ、この冷淡な口調に遭遇した。話し方が一本調子なので、なかなか聞き取れない。聞き取れない部分を聞き返すと、「まあまあ、最後まで聞いてください」と説教めいたことまで言う。これが民間の会社の応対なのかと、途中、怒りがこみ上げてきた。怒るとそこで自分のパワーを失うので、どこまでそうなのか聞きながら観察することにした。最後までであった。これは完全な病気だ。

 このおぞましい電話の中で、仕事としてのすべての手配はやり遂げなければならない。手配も終わり電話を切ろうとすると、「ガッチャ~ン」と相手から先に電話を切られた。「やっぱ、嫌な女だぜ」と、思わずにはいられなかった。仕事上、交渉事などは全く無いにもかかわらず、自分は仕事がデキルと勘違いしている女に違いない、とか、他の客からあまりにも強い口調で言われた経験が何度もあり、このように無機質な女に成り下がってしまったのだろう、などとも考えた。

 こっちも上品な?口調でしゃべってんだから、せめて同じような口調で応対するのが常識的な大人であろう。もし、その女性が仕事口調と普段の口調を完全に分けているのならば、そのような人は絶対に信用できない。事務的な、または営業的な甲高い口調で話す人は全く信用しないことにしている。話しの先に何かの嘘があるか、自分のバカさ加減をそれらの口調で覆い隠しているのか、どちらかであると思うからである。普段のトーンで普通に話せば良いのにと、こんな簡単な事が出来ない人と接する度に、とても残念な気持ちになる。

先週末の自分観察日記 

 11日(日)は午後3時から折りたたみ自転車で、江東区深川北スポーツセンターの温水プール、それからいつもの辰巳湯へ行った。最近のお気に入りコースだ。当日の走行距離は25km。MP3に入っている音楽はチャカ・カーンとアル・ジャロウだ。このコースを巡った後は、とても調子がいい。プールでは、左ひざに少し痛みを感じるので水中ウォーキングを泳ぎの合間に入れることにした。運動する機会が減っているので無理に泳がないようにしている。

 水に入ることによって、自律神経系の強化につながるといわれている。ストレス解消にはもってこいだ。手頃で料金も安いプールと銭湯での気分転換。最近、これに勝る健全な方法は考え付かない。特にプールをあがった時の全身を静かに襲う「けだるさ」が病みつきになっている。全身の筋肉がまんべんなく疲れとても心地よい。普段、体の疲れより精神的な疲れを感じるほうが多いので、この種の疲れでアドレナリンの分泌が活性化するのではないだろうか。

 前日にはDVDで、いまさらながら映画「フライ・ダディー・フライ」を鑑賞した。勧善懲悪を地で行き、期待を裏切らない娯楽映画であるようにも思えたが、その実、訴えようとするメッセージはかなり深いところにあると気付いた。V6岡田君が演じる青年がおおよそ以下のようなことを主人公役の堤真一に言った。「人は問題が起こると、往々にして現在を凍結するが如く保身のために、恐れなどの感情に支配される。それゆえ未来に立ち向かおうとはしない」。

 日曜夜には「硫黄島からの手紙」を鑑賞した。「父親たちの星条旗」は観ていないが、巨大市場日本へ向けたクリント・イーストウッド監督の媚びへつらいを感じた。小津や黒澤を多分に意識した形跡がうかがわれるが、日本や硫黄島にあった家屋、路地等の造りが新品同様にきれい過ぎる。私の中にあるDNAが納得しなかった。アンチ武士道ともとれる「死を選ぶより、国や家族のために生きて戦う」といった欧米風メッセージを発しているのだろう。

 「父親たちの星条旗」も見てないくせして、くどくどテメエの意見ばっか言ってんじゃねえ!と、怒りの声が聞こえてきそうでもある。栗林中将が、日本の敗戦の大きな要因である陸軍・海軍の確執に悩む部分に踏み込めたのは舞台が「硫黄島」であったからであろう。この時代からすでに官僚主義の弊害があったことを見事に捉えた映画であったとも言える。でも、ダメなんだよねェ。なんて言ったら良いのか、「オマケ」の属性は拭えない。早速、「父親たちの星条旗」を借りてみよう。さらにその属性が強まったら嫌だなあ。

大手新聞社の一斉休刊日に思う 

 未だ大手新聞各社は休刊日を同日にしている。これは談合だ。公取は何故勧告しないのか?さあ今週も頑張ろう!とドアポストに朝刊を取りに行き、それが無かった時の寂しさといったら・・・。まるでトイレで大きいほうをした後に、ペーパーが無いことに気付き虚しさがこみ上げてくるような感じか。休刊日のニュースを翌日配達の新聞紙面で取り上げると、それはもう新聞ではない。「新聞紙」か「古新聞」になる。ニュースに賞味期限を作れないものか?

 ま、新聞配達員に更なる休暇が必要であることは理解できるが、各社違う休刊日であってもいいではないか。来年1月から日経・朝日・読売の大手3社が共同でポータルサイトを作り、新聞販売でも提携するとのことだが、休刊日が同じであれば販売コストは間違いなく減少するであろう。同じルートを3社の配達員3人が配達するより、一人の配達員が部数は増えても3紙配達するほうが数倍効率はいい。その分、雇用は減少するが。

 紙媒体としての新聞を維持することが主な目的らしいが、本当にそのようなシステムの操作だけで顧客満足度は得られるのであろうか?各社競わずして談合することで、より良いスクープや社独自の論調を維持することは可能なのか?ある種生産手段の共有化ともいえるこの提携の意図するところは、次第に社会主義に近付いていくといった認知を受けやしないか。マスメディアは、第三の権力と言われ、本来弱者の味方でなくてはならないはずだ。

 権力の提携により更に権威化されるとでも言おうか。第一の権力は「政官界」、第二の権力は「経済界」、そして第三の権力が「マスメディア」である。「政官界」と「マスメディア」に挟まれ日本を実質的に牽引する「経済界」は板挟みになる。両面から権威を振りかざされ逃げ場が無くなる。どこかの国の「吊るし上げ」のような状態が頻繁に起こるのではないか。そのような予兆のひとつであると思えるのが新聞各社の「一斉休刊日」なのである。
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