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今年も有難うございました。 

 嗚呼!私は今日これから来年にかけて、サナギのカラを破って蝶になろうとしている。今年の元旦は、蝶ではなく胴体も太く夜行性である蛾になってしまった。羽根の隣粉を撒き散らし身を削った観のある、過ぎ去ろうとしている今年のこの状態はまさに「毒蛾唯損」であった。大殺界も手伝って「浅香唯我独尊な蛾」であったのだ。

 故人である哲学者の池田晶子さんは小学校以来、年賀状を書いたことがなかったと今日の産経抄にあった。そもそも年賀状で「今年の目標」なんて宣言するのはおかしい。私達は今を生きているのであって、「今年」なんて観念の中にしか存在しない。だから三が日が過ぎて日常の生活が再開されると、「今年の目標」は見事に忘れられていくのだ、と。

 私の場合はどうか?存在しない物を創り上げる職種上、創造力などの観念的思考が、過去から今を悟るより必要になる。その年の最後の日までに絶対にやり遂げなければならないものというのはないが、少し先の目的へ向かう目印の目標は必要になる。そのように考えると、今は未来の目標を設定しながら生きているといえる。

 仕事では客に自分をアピールし優先順位を高める必要がある。その手段として年賀状を送る事は私にとりとても大事な仕事になる。決して浮世の義理ではない。携帯電話の番号までしっかりと大きく書き込んでおく。思い出して年明け早々に仕事の電話をいただく事もある。そうしないと、オマンマ食い上げだ。

 自分を人にアピールできるような「今年の目標」はどんなに小さくてもいいから立てるべきだ。人がそこに介在している以上、新しい何かが確実に生まれる。目標を立てることなく、自分の内側から自分の存在の輪郭が浮き出てくる事はない。外に向かって自分の存在を発信する「目標の設定及びその行動」で、外側からあらゆる人々に削られ人の存在は確立する。たとえ三日坊主であっても効果はあると信じて生きようではないか。

 今年も一年間お付き合いいただきまして本当に有難うございました。来年もみなさまにとって更に良い年になるよう心よりお祈り申し上げます。よい年をお迎えください。じゃあ~ね~!
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仕事納め 

 銀行営業日最終の今日、午前中に客からのすべての入金が滞ることなくありました。そして、その入金された金を、まるで神主さんがお祓いのときギザギザな白い紙が付いている棒(名前がわかんない~)を振るように、協力会社各社へ振り分け支払うといった、今年最後の儀式、自転車操業の極みを恭(うやうや)しく、そして厳(おごそ)か、霊験(れいげん)あらたかに執り行ったことをここにご報告いたします。結局、口座には何も残んないジャンって感じだが、ようやく今年の仕事が終わったゼ、って感じの安堵のため息、サイ・オブ・リリーフ。

 水星人プラスの私はようやく大殺界の年が終わる。来年から、また種蒔きの年に戻る。お日様と共に目覚め、そして自然の摂理に従って生きよう。暗くなったら♪お家にか~え~ろう。ハウス・シチューの生活とでも言おうか。いや、言うまい。シウマイ、は崎陽軒。我を捨て人のために生きよう。ひとり○ムスンとでも言おうか。いや、グッド○ィルグループの総帥はなんであんな葱坊主のような髪型なんだ。あの髪型さえなければ、このような失態はなかったのではないか。現場に人を売っ飛ばすのは、ヤクザのお仕事だったはずだ。

 昔、港湾労働者や人足といった日雇い肉体労働者は泪橋などの一定のエリアにいたものだが、昨今はバラけている。ネットカフェやファーストフード店など全国各地に分散された。仕事にありつけなく今日の飯に困りゃ犯罪が起こる。ヤクザがそのエリアの治安まで買って出ていた時期は今ほど問題はなかったはずだ。そもそも人買いの会社が、何故家賃の高いズーヒル・ギロッポンに入らなければならないのだ。ヤクザ以上にうわまえをはねているのが、分かりすぎるほど分かる。全国を統括する業務だけなら、家賃の安い地方でいいではないか。

 と、いつものようにまとまりがなくツラツラと書き綴ってしまったが、この状態は私にとってこのうえなくいい。仕事納めの翌日には、家内とお祝いをしたくなる。一番いい牛を買って、食わせてやろうかなあと思うのだ。牛肉の仕入れ量が最も多い会社には当然、いい牛肉が集まる。この経済原理を基に考えれば、マクドナルドか吉野家が当家には妥当だ。約半世紀弱を生き、おせち料理にも飽きていた。おせちに飽きたらカレーもね。雑煮はトロトロのお餅が好きです。象さんも好きです。好きです!つぼ八。八坪の家には♪レースのカーテン。子犬の横には、あなた~、あなた~、あなたは既に死んでいる。アチャ~、アチャアチャアチャ~。

言い訳 

 年末は酒を飲む機会が多い。毎年のことだ肝臓がやられて肌が痒くなる。乾燥していることも原因の一つか。あまり医者や薬に頼らない私だが一丁薬でも塗ってみるかと薬局へ行った。コマーシャルでうろ覚えの薬があったのだが思い出せない。名前が思い出せない薬を商品棚から探すのはかなり厄介だ。これはレジでヤクザに、じゃねえや薬剤師に聞くしかねえと思い立った。「すませ~ん」と言葉を発している瞬間、薬名を思い出した。「フェ○○ー○軟膏下さい」と、私の意志とは裏腹に私の口は商品名を発していた。その時、何故か周りの女性は皆ドン引きであった。店員の女性は丁寧に紙袋に包んでくれた。たしか「デリーケートな肌の痒さ」に効くとコマーシャルでは言っていた。ううっ、デリケートじゃなくってデリケートゾーンか?と思うや否や、「家内に頼まれたんです」と言い訳をし、薬局から逃げるように立ち去った。

 私が三十台で仕事もバリバリの時、ストレスが原因で痔になってしまった。人にも言えないし、普通の痔とはちょっと違う、ワンランク上のお客様しかなることのできない「痔漏」という痔になってしまったのだ。そんじょそこいらの痔と一緒にされたら困るくらい痔の中でも難病であるのが痔漏だ。先天的なもう一つの早くて困る私の病であった「○漏」と合わせ、不幸にも「W漏」になってしまったのだ。そんじゃあ、しょうがねえなあと思い、薬局へ向かった。その前に「あかひげ堂」にも行く必要があったのだが・・・。コマーシャルで聞きなれた♪「痔にはボラギノール」の歌を愉快に口ずさみながら軽快なステップを踏んで店内に入った。

 痔は初めてであり座薬なんか絶対に無理!と思っていたので、口から飲んじゃえばいいんだ位、軽いノリで買いに行った。レジの周りに客がいないことを確認し、大きいはっきりとしたイギリスの公爵のような低いトーンで言った。「ボラギノール下さい」と。よく見るとレジにいる白衣を着たネーちゃんはとてもカワイ娘ちゃんで、その目をクリクリ、ウルウルさせながら薬を取ってくれているではないか。そのカワイコちゃんを見た途端に羞恥心がこみ上げてきた。あのコマーシャルの最後の殺し文句のような言い訳「お父さんの」という言葉が脳裏をかすめた。この歳でそれは言えない。じゃあ「お母さんの」、それもおかしい。そんじゃあってことで、落ち着き払った中尾彬のような低音で「家内のなんですよ」と言い、その場を和やかにした私なのであった。

年末の独り言 

 「過ぎるんなら、早く過ぎちゃえよぉ~、今年!」。「じらすんじゃねえよ、来年!来るんなら、早く来いよ~」。てな、時期が今か。今年はとても充実した年であった。睡眠時間を削りここまで仕事に取り組むことが出来た自分に感心する、なんて一度でいいから書いてみたい。睡眠時間を削って酒を飲み、事故では命を少し削った。「エッチになればなるほど硬くなるものは、なんだ?答え:鉛筆の芯」。「削っても削っても懲りない奴は誰だ?答え:オレだ」。

1:小学生の久雄君はプールの時間、和美ちゃんの水着姿を眺めていました。すると何かがたっていました。一体何がたっていたのでしょう?答え:時間
2:青森の高校生カップルが河原で熱心にしていることで、最初の言葉が「せ」で、終わりの言葉が「す」のものは何? 答え:せけんばなす(世間話)
3:そこには愛があります。硬く長いものを静かに入れます。初めての時は痛みがあります。血も出ます。終わったあとは人間に生まれてよかったとの充実感もあります。それは何?答え:献血

 「オメエは高校生か!!」と、怒らないでやって下さい。今の時期、とっても童心に戻りたい私なのです。あ、そうそう、先日みんなでカラオケ行っちゃった。みんなオレより若干若いんだけど、歌が古いんだよ。中村雅俊や桜田ウンコのオンパレードだ。あっ、オレは松田聖子の「秘密の花園」を歌い損ねた。前の携帯電話には、自分のレパートリーをメモしてあったんで、すぐに入れられたんだよね~。自分のレパートリーさえもなかなか思い出せない今日この頃。

 クリスマス・イブ・イブの日曜日は、自転車で都内を散策した。人大杉。銀座を抜け、日比谷公園からイチョウの落ち葉が敷き詰められた潮見坂の歩道を登り、国会へ向かった。官僚に牛耳られ立ち行かない国政に傾国を発した。日本は地理的にはアジア圏であるが、外交においては環太平洋圏であることを基本にすべし。中国に朝貢するなかれ。河野洋平ならぬ江の傭兵を再生産するなかれ。胡(フー=who)の傭兵?になるなかれ、福田さん。

 その後、赤坂、表参道、原宿、渋谷と走り回った。とにかく歩行者の数が半端でない。車も大渋滞だ。渋滞した表参道を車を縫うようにして走った。チャリは便利だ。早い。私が学生時代、一時期住んでいた代々木公園横のアパートが取り壊されているという噂を聞き行ってみた。新しいビルが既に建っていた。先日、ジャズ・ピアニストの巨匠オスカー・ピーターソンが亡くなった。このボロアパートでよく聴いていたものだ。繊細且つエレガントなタッチで、モダンジャズを止揚したジャズ・ピアニストとでも言おうか。

 生きていく限り、自分の周りの何かが喪失し何かが生まれる。時間は意識の中にある。ゆえに過ぎようとしている今年を失うことはない。苦しかったり、楽しかったりしたことを思い出せばその時間を喪失することはない。未来も意識の中にある。意識の中の未来は無限だ。無限に期待できるから頑張ろうと思える。受身ではダメだ。能動的に生き切ってこそ本当の喜びがある。と、分かっちゃいるけど、できなかったんだなあ~、今年も。

メリークリスマス from ODAIBA 



クリスマス・キャロルの矢沢です。ヨロシク! 

 今年もクリスマスがやってくる。セニョリータとロリータに似たネーミングの「ネムリィータ」がやってくる。ヤンチャな彼女は神社にお勤めをしている「救いの巫女さん」だ。と、「きよしこの夜」の歌詞をぼんやりと聞き、そのように理解した子供時代であった。「眠り給う」は「ネムリィータったら、もう~、やんちゃなんだから!」のような感じか。

 泥棒や銀行強盗がかぶるニットの「目出し帽」は、深くその意味を考えたことも無く「メザシ帽」であると、これまた思っていた。この歳まで・・・。かぶった見た目が、魚のメザシのように思えたのか、はたまた、プロレスで目出し帽のような覆面をかぶったデストロイヤーの両目を、アブドラザ・ブッチャーが指で突いていた(目刺し=メザシ)イメージがあったのか。

 「ご飯」と「おみおつけ」はどちらが格上か?漢字で書くと分かるのだが、「御飯」と「御御御付」だ。当然、御御御付だ。御門より御の数が多く偉くなってしまう。広辞苑に「おみおつけ(御御御付)=味噌汁の丁寧な言い方」とある。おみおつけを漢字で書くと、このように「御」が3つも付くことも、残念なことにこの歳で初めて知った。

 今日午前中、もっとも私が嫌いな場所である銀行に行った。警備員も銀行員も私を警戒しているように感じる。私は何も悪いことをしていないのに、銀行に行くといつも何故だか後ろめたい気分になる。とっても銀行が嫌いな私なのだ。敷居が高い銀行なんかなくなっちゃえばいいんだ。セブンイレブンいい気分のATMで十分だ。そうもいかないか。

 と、「銀行員の目は矢の如し」ならぬ「光陰矢の如し」な今週であった。明日も明後日もメーアーリーフーらしい。なんもできないじゃん。嫌な年末だ。

任天堂DS 漢検 

 現在も、私のバカは加速している。そんじゃあ、脳でも鍛えっかと暇があれば手頃なDSの漢字検定を一生懸命やっているオバカさんな私だ。皆さん、この慌しい年末、いかがお過ごしですか?この文章もそうであるが、手書きではない。指まかせに打ち込み、そして漢字に変換している。私がもし、筆まかせ・ペンまかせに書いた場合、誤字・脱字の連続で、この時期飲み疲れている人は、更に吐き気をもよおすだろう。

 仕事柄、人の前でメモを取ることが多い。ゆえに恥をカクことも多い。汗もかく。せめて、一般社会人レベル並に漢字を優雅に書いてみたい。薔薇や憂鬱なんて漢字は書けなくていい。客に「メモをコピーさせて下さい」といわれた時が特に恥ずかしい。簡単なのに分からない漢字をカタカナで書いていたり、ヘンテコで適当、まやかしの草書風漢字のオンパレードだ。それらをメモから一掃したい。そう考え子供もすなるDSの漢字検定のトレーニングをやっている。

 オバカな私がこのDS漢検トレーニングをやっていると、なんと発見が多いことか。勉強に励んできた人には分からないであろうが、発見だらけである。最も多いのが、書き順違いだ。書き順が違うと、DSペンで書き込んだ漢字は画面上で同じ漢字にならない。何度、書き直しても、表示される漢字は、私が書いたものと違うものになる。しょうがないので、ネットで書き順を検索する。その書き順通りに手書きすると、ちゃちゃんと変換される。

 バカの披露ついでに、究極のおバカだと家内に笑われた漢字書き取りがある。「ゼンゴサク」=「善後策」だ。広辞苑によると「うまく後始末をつけるための方策」とあるが、産まれてこの約半世紀弱、「前後策」だと思って生きてきた。どうりでペンで「前後」と書き込んでも正解にならなかった訳だ。かつても今も私の仕事は行きつ帰りつになり、やりっ放しになってしまう理由がこの齢で初めて分かった。「前後策」であったからだ。

 私の家内は、これまた私の家内だけあり、漢字の書き取りで「クオンの理想を掲げる」の「クオン」は、聞いたこともない、日本語じゃない、韓流スターの「クォン・サンウ」だと怒っていた。「久遠」=仏教用語で時の無窮なこと。久しく遠いことであるのだが・・・。漢検二級でこれだから、今後一級に昇級した場合、聞いたことも見たこともない漢字が出てくるのではないかと、ワクワクする。バカはバカなりにDSで楽しむことができる。


ポタリングと銭湯とさくら吹雪 

 9日の日曜日は折りたたみ自転車でポタリングに出かけた。走行距離は約40km。荒川サイクリング・ロードへ入り、その後は下町散策だ。ポタリング終盤には、いつものように銭湯に入る。清澄白河にある「辰巳湯」によるのが定番化していたが、最近は墨田区横川にある「大黒湯」に行くようになった。ここのサウナは広い。「辰巳湯」は階段式のサウナであるが、ここはフラットだ。リゾートホテル並みのサウナの広さと言っては大げさだが、四畳半位はある。サウナの後に入る水風呂は小さいが、キンキンに冷えている。

 水は口が広い蛇口から常に出しっぱなしになっている。勿体無いので止めるとまた誰かが出しっぱなしにする。それがこの銭湯の常識らしい。この骨の髄まで染み渡る水の冷たさが、辰巳湯の浅い広い水風呂には無い。サウナから出ると皆この狭い冷たい水風呂に潜るようにして頭まで浸かる。これがなんとも気持ちいい。辰巳湯の水風呂は水深30cm位なので、頭を浸ける場合、腹這いか仰向けにならなければならない。車に轢かれた全裸のカエルのようで、とてもみっともない姿を晒すことになる。

 大黒湯はタクシーの運転手さんに教えてもらった。仕事が終わり気分転換をしようと、本来ならば人形町の事務所から歩いて辰巳湯に行くところ、時計は10時半を回っていたので慌ててタクシーに乗った。その時に是非今度、墨田区の大黒湯にも行ってみてくださいと勧められた。その後、ポタリングの途中、この近所にある有名店「もつ焼き・まるい」を探そうとしていたら偶然に大黒湯を発見したのであった。その日は土曜日であったせいか、もつ焼き屋は外まで並んでいた。それじゃあ、ひとっ風呂あびっか、となった。

 と、このように長々と大黒湯のことを書いたが、9日はかなり迷ったのだがその近所にある業平4丁目の「さくら湯」へ行った。ここもサウナがあり有名な銭湯である。マンネリから脱するには大胆に環境を変えることも必要であると天の声が聞こえた。サウナ付銭湯の料金630円でこれほどまでに悩む私は、確実に貧乏人のDNAが先祖代々受け継がれているに違いない。何かの発見があるだろうと新規の銭湯を選んだ。湯船は小さく4つに小分けされており、ミスト風呂も別にある。サウナは小さく3人でいっぱいになる。

 そのサウナで、「さくら湯」だけあり、なんとも寒いさくら吹雪を二つも発見した。お隣の人も前の人も背中にりっぱな刺青が彫られている。刺青された皮膚からも普通に汗が出ていた。このように汗が刺青から吹き出る光景を見たのは生まれて初めてであった。こいつらに負けまいと、根性でサウナに入っていたのだが、彼らは意外と早く切り上げて出て行ってしまった。こんなこともあり、清潔な銭湯ではあったが、やはり「大黒湯」に行けばよかったと後悔した。銭湯を出て、四つ目通りに出る途中、ソフトバンク王貞治監督のご実家のラーメン屋さんの暖簾分けで有名な「五十番」があった。今度行ってみよう。

センス 

 モノを等分するには、正確に等分するセンスが必要だ。と、スーパーで買ったピザをカットする度に思う。子供がいればケーキの正確な等分にもこのセンスが必要であろう。家でカットするのは私の仕事である。家内から切れとばかりにローラー式のピザカッターを渡される。今日こそはきれいに6等分しようと、まずは慎重に2等分に切り分ける。きれいに半分にするのは誰でも比較的簡単であろう。私だってできるのだから。その先、カットの2アクション目が問題だ。半分にしたものを、2対1に切り分けなければならない。これはとても難しい。この2アクション目でピザのバランスのすべてが決定してしまう。

 私は2対1にカットするセンスがない。正確に2対1にしていない2の部分を2等分に切り分けるのが最終カットの3アクション目であるのだが、2アクション目で常に失敗するのでここで喜びを得ることは殆どない。もう焼けのやんぱちになっている。6等分は難しいので、2等分の連続である4等分か8等分にすれば、すべては丸く収まるとも考えるが、6等分に挑んでしまう自分がいる。この美しくない切り分けられたピザを見て家内は言った。「私は5人家族だったんで5等分できる」と。オマエは宇宙人か?と言いたくなる。「じゃあ、やってみろよ」と、言ったことはないが、6等分にカットさせてみると実にこれが美しい。

 昨日、問題があって帰宅したのは午前4時半。何も食べていなかったので深夜(早朝?)にもかかわらずビールを飲みながらピザを食った。録画してあったNHKの「プロフェショナル・仕事の流儀」で、美術品修復専門家の実に器用な修復手さばきを見ていた。美術品が作られた時代にさかのぼり、修復に必要な当て紙なども、その時代の紙の製造方法「紙漉き」を研究し紙を再現する。まさに「匠」である。不器用な奴は絶対に無理な仕事だ。不器用とは、脳の指示通りに動作が出来ないことなので、すなわちおバかさんだ。これを見て刺激され、匠のワザでピザを6等分してやろうと考えた私であったのだが・・・。やっぱり・・・。

家政婦は来年を見た 

 先日、偶然にも来年をこの目で見てしまった。未だ存在し得ない未来がそこにあった。夢で見たのではない。実際に所狭しと並んでいた。色は黒が多い。大きいのやら、小さいのやら、多種多様な「来年のスケジュール帳」が書店の店頭で売られていたのを見たのだ。毎年私が使っているアポイントダイヤリーで果たしていいのであろうかと、それらを眺め立ち止まり考えた。スケジュール帳が薄ければ、薄いなりの仕事しか入ってこないとか、自分のレベルはこの薄さであるとか、等々。一冊に自分の仕事を基盤にした生活や将来が閉じ込められているようなある種の怖さを感じた。

 仕事のスケジュールは未来日記でなければならない。今日あった出来事を書き込むと、単なる日記になる。今日より先にどれだけ~客との約束が入れるかが、このダイヤリーを使う上で最も重要である。記憶力がいい人は別であるが、私の場合、記憶だけで出来てしまう仕事しかなかった場合、売上目標に到達することは絶対に無い。そのような場合、電話をかけまくる習性が昔から身に付いている。その際、会う約束を自然体で取ろうと、切り出す口上を考える。「ご無沙汰しております。実はですねえ・・・」と、この先は企業秘密である。

 今現在、客から私に連絡がないということは、すべてにおいて事足りているということだ。その事足りている人、満足している人に対し、疎外感を与えるような、善意の脅しのような一言がとても重要であると考える。また、同業種に転職された方の話が、客先担当者から出た場合、すぐにその担当者の承諾を受けその場から変わっていない携帯電話番号に電話する。会社が近い場合、時間があればすぐに訪ねて行く。このようにして始まる新規の仕事はとても多い。私の場合、約一年で半数の客が変わる。綱渡りのようであるがもう慣れている。

 私の仕事の目標はいたってシンプルだ。年間365枚、新規客の名刺を集めることである。これに勝るものは無いと思う。思ってはいるが、最近その数は半分以下に落ち込んでいる。きっと「実はですねえ・・・」のノウハウが薄まってきたのであろう。ハイテク社会であっても、原始人に近い私は実在するものしか信用しない。たくさんの名刺があると、自分の計画は比較的立て易い。カードゲームのようでもある。そろそろ、年賀状の時期だ。手持ちの名刺を切りながら、切り札を見極める作業を真剣にやる必要がある。
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