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暫定税率の賞味期限 

 暫定税率や賞味期限、両者ともその言葉の曖昧さがまず問題になる。「暫定」という言葉は特に曖昧だ。この論議や法制化にまず必要なのは「暫定の期間」であろう。1974年が施行年であるガソリン暫定税は34年間続いている。34年間続いたものを、今現在でも「暫定」と考える感覚は異常だ。言葉は「暫定」であり当時としては臨時の措置であったであろうが、すでに「確定税」と化したと認識するのが妥当であろう。歳入の代案もなく廃止だけを唱える党もおかしい。

 化石燃料である原油は当然、その在庫に期限がある。将来的に希少価値になることが分かっているガソリンの税を下げることは、長い目で見て日本経済にとって良いのか悪いのか。もっとも原油需要が多いこの時期をはずして慎重に議論すべきことである。一時的に経済は良くなると考えられるが、減税して国民に還元されるのか、暫定維持で道路工事に税金が投下されたほうがいいのか、その乗数効果を考えた場合、道路工事に軍配があがるのは自明の理と考える。

 暫定税撤廃で国民に還元された場合、貯蓄に回りかねない。このあおりを最も受ける運送業には細かい措置を講じる必要がある。高速料金を下げ、ここで還元させる等、具体的に考えるべきだ。現状の自家用車の燃費効率を上げる方法も、もっと盛んになっていいはずだ。ガソリン15%の値上がり分をカバーするように、燃費効率が上がればいい。または、パスネットでの土日の割引など、公共交通機関の需要を喚起させ、あわせて消費も活性化させる等など。

 なんか先行き暗い話が多い。もっと日本経済が活性化し明るい日本にする方法はないものだろうか?前もこのブログに書いたが、グルグルと東京を回るJR山手線を「東京メリーゴーランド」と改名し、電車を鮮やかにペインティングし、夜は華やかなイルミネーションで飾る。ギネスにも登録して世界最大のアトラクションにしてしまうのも内需拡大にはいいのではないか。各駅とも発車のベルや案内を別々のアーティストに期間限定で依頼する。少しは明るい気分になる。皆、外出したくなる。電車ごとにスポンサーが付けば可能だ。ガンバレ!ニッポン!
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日光、結構、もう結構!日光から東京へのポタリング 

 正月になまった体をどうにかしなければと、日曜日、念願の日光から自転車で東京に戻る約150kmのポタリング?に挑戦した。5時起きで東武浅草駅6時20分発「東武日光駅行き」快速に乗った。久々の片道電車の旅である。ガソリンが高騰しているこの時期、片道1340円のチケットは安い。6両編成の前2両が、東武日光駅手前の下今市駅で切り離され、後ろ4両は、会津田島行きになる。先頭車両はトイレ付である。閑散としている2両目の後方に自転車と共に乗った。次の駅、北千住でゴルフに行く客が多数乗り込んで、騒がしくなってきた。

 電車は、埼玉県に入った辺りから猛スピードで鬼早くなって来た。ガタピシャと車両をきしませながら、かっ飛んで走る。筑波山(標高877m)が車窓右側、低い朝日の方向にポツリと見え、次第に後方へ流れていった。間もなくすると、栃木駅を過ぎた辺りで、車窓の左側に雪をまばらにまとった男体山(標高2,488m)が見えてくる。天気予報では曇りのち雪であったが、この時間は快晴で、「世界の車窓から」の気分に浸った。車内に差し込む日差しがなんとも心地よい。「ああ、今日はいいポタリングになるんだろうなあ」と、思わず期待させる、車内ではそんな雰囲気があった。

 日光駅に到着した。肌を刺すような鬼寒さだ。「寒痛い!」。雪を降らせる寒波が襲ってくることは分かっていたので、とりあえず、ももひき、自転車用パンツ(スパッツのようなもっこり系のもの)、そしてアディダスのアウターパンツと三段構えであったのだが、それでも足りないのではないかと、不安になる寒さだ。約1分で自転車を組み立てた。観光であるなら、逆方向で近くの東照宮でも参拝しているところだが、走るのが目的であったので、迷わず目的地東京方向に向かった。杉並木の通りは、陽が遮られて寒い。まして下り坂なのでスピードも出て体感温度も下がる。

 今回、標高約550mの東武日光駅から出発し、東京へ戻る道は下り坂のみ、決して坂を上るようなことはないであろうとの想定だ。下り坂が多ければ漕がなくて済み、150kmは楽勝且つ、坂だけは自動車並みに走れて時間短縮も来る。栃木県を過ぎ、茨城県に少し入り、利根川を渡り埼玉県の幸手市へは入らずに五霞から関宿橋に行き、江戸川サイクリング・ロードで東京へ戻る予定であった。日光駅から、鹿沼、小山を抜け、4号バイパスの小山市出井交差点まで58km。そこから利根川橋まで28km。関宿橋から自宅まで約60km。合計146kmである。

 出発して4号バイパスに辿り着く58km間で最も驚いたのは、すれ違う人の少なさだ。日光杉並木通りは人がいないとしても、鹿沼市役所近辺でさえ見当たらない。たまに歩いているのは、おばあさんくらいであろうか。自転車も走っていない。寒いので外出を控えているのか、自転車に乗る習性が沖縄のように場所的にないのか、皆若者は車にしか乗らないのか。スギ花粉の時期は自転車向きではないことも分かった。そんな閑散としたコースで突然、人だかりを発見したのは下都賀郡壬生町本丸の街道沿いにある「ラーメン二郎」であった。

 12時前であるにもかかわらず、大きな駐車場は車で満杯、プレハブ造りの安い店舗の周りを取り囲むように約100人くらいの客が並んで待っていた。駐車場にとめられない客は、100m手前の臨時駐車場から歩いて店舗に来る。大盛況だ。実は人はたくさんいたのだった。並んで待つ時間はない。栃木名物・佐野ラーメンのような、手打ちで縮れた太麺、さっぱり系のスープの店はコース沿いにないかと探し、12時頃に一軒発見した。同じ栃木県だからまだたくさんあるだろうと通り過ごしたのが失敗であった。その後、全くなかったのだ。

 仕方なくラーメン屋を見つけ、餃子・チャーシュー麺と平らげた。出発から86km地点である利根川橋に到着したのは、午後3時半くらい、西の空の陽はすでに傾きかけている。東京の自宅まであと60kmだ。そこから6km走った地点で急激にやる気が萎えてきた。「やめた!」と決めた途端、自転車は4号バイパス芝原交差点を右折して、東武幸手駅へ向かっていた。桜の開花の時期、幸手市へは権現堂桜堤へ何回か来ており、前回、江戸川サイクリングを関宿から東京方向に向かったこともあり何故か縁のある場所だ。「幸手知ったる他所の土地」とでも言おうか。

 日光駅から幸手駅まで100km。「いいや、100kmで」と、自分を許した。自転車を畳んで4時38分の半蔵門線直通中央林間行きに乗った。事務所に車を止めてあったので、人形町を目指した。次の駅で隣に中目黒行きが止まっていた。本来、これに乗り換えなければならないのだが、疲れすぎていてその判断もつかなかった。うとうとしながら途中で気付いたが、既に押上駅に到着していた。すぐ浅草線に乗り換え人形町で電車を降りた。駅からすぐ近くの駐車場で、鍵を探したが無い。なんと、今日早朝、事務所を出る時、事務所のドアに鍵を付けっぱなしであったのだった。

 ここで反省。冬のポタリング?否、ツーリングは短距離にするべきである。花も木も枯れた冬場は、写真を撮ることも出来ず、人もいない。なんも面白いことがない。ただ孤独にさいなまれ走るだけでご褒美も何もない。日照時間が極端に短い。ましてや大寒の1月20日だ。寒いなんてもんじゃない。今回の企画は外した。日光のこのコースは春には杉花粉でやられるに決まっている。もうすぐ立春だ。房総か三浦半島あたり、菜の花の咲く海沿いのポタリングを考えよう。もっとゆったりと、焦らず急がずの旅にしよう。

ピーマン君とニンジンちゃんのヒソヒソ話し 

ピーマン君とニンジンちゃんのヒソヒソ話し

 ピーマン君とニンジンちゃんは、冷蔵庫の扉を開けた一番下にある野菜室の中で今日も仲良く一緒に住んでいます。そんな二人に最近、とっても悲しいことがあり、とってもつらい毎日が続いています。「どうして?って」。 その理由は、このおうちに住む子供の兄弟に、とっても嫌われていることが分かってしまったからなのです。ピーマン君とニンジンちゃんは、ママが3日前にスーパーで買ったのですが、なかなかその兄弟に食べてもらうことができないのです。

 今夜も冷蔵庫の中からヒソヒソ話しが聞こえてきます。「ぼくたちやさいは、こどもたちにおいしくたべてもらって、こどもたちがじょうぶなからだになってもらうためにうまれてきたのに…」と、さみしそうにピーマン君は言っています。「のうかのおひゃくしょうさんのおじさんとおばさんが、あめのひもかぜのひもゆきのひも、やすむことなくいっしょうけんめいわたしたちをそだててくれたのに…」と、半べそをかきながらニンジンちゃんが言っているのも聞こえます。

 二人は、なぜ、自分たちだけが嫌われているのか、その理由がまったく全く分かりません。自分の色が緑色やオレンジ色であることが嫌われる原因なのかとも考えました。でも、アイスクリームやお菓子だって、緑やオレンジ色が多いことが分かったので、それは原因ではありません。「ここのおうちのパパやママは、ぼく達や他の多くの野菜のお友達も、たくさん食べてくれます。なぜ、子供達が特にぼく達だけを嫌うのだろうか?」 一度、人間の子供になって聞いてみたいとも思いました。

 次の日の夜のことでした。そんなピーマン君とニンジン君のヒソヒソ話しは、話しながらも二人の気持ちが次第に高まり、ヒソヒソ話しとは言えないくらいに声が大きくなってしまいました。偶然、ママが台所に戻った時、あまりにも熱のこもった大きい声なので外まで聞こえてしまったのでした。ピーマン君とニンジン君の気持ちがママにはとてもよく分かりました。パパとママの子供たちのことを、これほどまで真剣に考えてくれているピーマン君とニンジンちゃんにママはとても感謝しました。

 翌朝ママは、小学校一年生のお兄ちゃんと、一つ年下で幼稚園に通う妹にお話をしました。ママ:「ピーマン君もニンジンちゃんも、あなたたちと同じように、大事にお百姓さんに育てられたの。お百姓さんの愛情があって元気にすくすくと育ったのよ。だから、小学校や幼稚園のお友達と同じお友達なの。お友達には思いやりが必要だから、好き嫌いは絶対に無くさなければならないの。分かった?」。子供達(おじいちゃんに買ってもらったDSで対戦しながら):「わかんない~、嫌いなものは嫌い~」。 と、今時の子供達ではこのお話もきれいにまとまらないのでした。

ヤドカリ君の冤罪 (旧作の焼き直しバージョン) 

超短編小説(1) ヤドカリ君の冤罪

 ヤドカリ君は第二次成長期に差し掛かり育ち盛りだ。彼の住まいである巻貝の殻は、この前引っ越したばかりなのにもうパツンパツンになってしまった。出入りするのもひと苦労だ。このままでは体が抜けなくなり、昔の中国の纏足状態になる。体より少し大きめなサイズの殻を捜して引越ししなければ、大人になれない。焦ったヤドカリ君は「今日こそは引越しよう」と、心に決めた。
 
 ヤドカリ君はすぐ、自分に合う殻はないかと近場を見渡した。近くの殻は皆小さい。ヤドカリ君は海面を見上げた。陽が燦々と何本もの揺ら揺らとした筋になり眩しく降り注いでくる。海中はどこまでも青く、海底の砂はどこまでも白い。色とりどりの小さい魚たちが、不定期に動く緑の長い海草の間を縫うようにじゃれ合って泳いでいる。大きな岩を避けながらゆっくりと5分ほど歩いた。

 少し先に丁度いい大きさの殻を見つけた。その先を見ると、殻の反対側から自分と同じくらいの年齢であろう女の子のヤドカリもその殻に近付いてくる。彼女はパンパンになった巻貝の殻を苦しそうに背負い、興味深そうにその殻を見つめながら近付いて来る。「かわいい女の子だなあ」と、足を止めて見入ってしまった。その間にも、彼女はその殻に更に近付いていた。

 呑気なヤドカリ君はまたまた焦った。せっかく見つけた次の住まいが、今まさに知らない女の子に取られようとしている。のんびりしてはいられないと悟った彼は、着ている殻を瞬時に脱ぎ捨てた。裸のほうが数倍早く殻に辿り着けると考えたのだ。女の子は恥じらいがあってか殻を脱ごうとはしなかった。「早い者勝ちだゼ!」と走り出すや否や、彼の後ろからパトカーのサイレンがけたたましく鳴った。

 あろうことか彼は、スピード違反でヤドカリのお巡りさんに捕まってしまったのだ。近年、不法滞在者が増えているヤドカリ王国の警察は国際化されている。ヤドカリ・インターポールのお巡りさんは、外国の言葉であるエビ語、カニ語、ヒトデ語、ハマグリ語、アワビ語等、様々な言葉を話す事が出来るエリートだ。

 同じヤドカリ語族であるにもかかわらず、ヤドカリのお巡りさんのヤドカリ君にたいする第一声は、なんと外国語のエビ語であった。「アナタハ、ドコカラキマシタカ?エビア~ン?トレビア~ン」。お巡りさんはエビ語で職務質問をした。エビ語が全く分からないヤドカリ君は「ぼ、ぼく、ヤドカリです!」と言った。ヤドカリ語を話す事にとっても驚いたお巡りさんは「うそつけ!どっから見てもエビじゃないか!」と、見た目がエビのヤドカリ君の嘘に怒り狂った。

 一旦殻を脱ぎ捨ててしまったヤドカリ君は、どこから見ても猫背なエビにしか見えない。その容姿ゆえ彼が何を言ってもお巡りさんは信用してくれない。不法滞在・スピード違反・全裸の容疑で現行犯逮捕されてしまったヤドカリ君は、署に連行されることになった。すでに大きな巻貝の殻に辿り着いた女の子のヤドカリちゃんは、周りを見渡し恥じらいながらおもむろに殻を脱ぎ、セクシーな引越しの真っ最中であった。

 手錠をかけられ連行される途中、パトカーの中からそれを覗き見していた思秋期で全裸のヤドカリ君の横には、とっても美人なヤドカリの婦警さんもいた。どっちを見ても幸せ一杯なヤドカリ君は突然、体のある一部が、彼の意思とは裏腹に大きくなっていることに気付いた。婦警さんもその異変に気付き、顔を赤らめた。そして、またまた軽犯罪防止条例で再逮捕されてしまった。なんともついてない、男の子丸出しなヤドカリ君なのであった。



緊急医療 執刀医の増やし方 

 患者が、手術のうまい医者、へたな医者を見極めることはとても大変なことである。学生時代に勉強が出来、学問においては常に主席であった人が、必ずしも手先が器用であるとは限らない。執刀医には向かない。頭はいいが手先が不器用な人はたくさんいる。もっも厄介な医者は、頭が切れても、メスは切れなく(手先が不器用)、やたらめったら性格がいい人か。執刀の技術は全く無いのにその医者の人柄に惚れてしまい、お任せな患者になってしまう可能性もある。

 手先・指先が器用であるということは、ある種運動神経がいいということだ。視力も必要だ。視力が良くなくてはピンポイントで執刀することもおぼつかない。これらの条件を満たす人に、大学の医学部に入学できる偏差値は必要ない。日本人は世界の中でも手先が最も器用な人種だ。モノ作り・技術大国を支えてきたのは、日本人のDNAに刻み込まれた勤勉・器用の二つの要素に他ならない。そう考えると、医療、特に執刀の現場は住み分けが可能になるのではないか。

 臨床医学の深い経験と知識を持った医師と、執刀医の共同作業にて手術を執り行えば、手術は今より効率的になるであろう。本人の希望もあろうが、幼少の頃より手先が器用であることが分かっていたり、またはその推薦がある人は、厚生省認可別枠を作って優先的に執刀の専門医になれるようにしたらいい。映画でいえば監督と役者の関係になる。ネットワークが発達した昨今、監督者は現場にいなくともセンターで指示を出すことも可能だ。

 このように執刀する医師の別枠を作り、医師不足である緊急医療の現場に役立てる。「神の手を持つ執刀医」と呼ばれる有名な医師もいるが、その離れ業とされるメスさばき等、職人技を継承するには手先が先天的に器用であるという要素が絶対に必要であろう。現状を鑑み、これらの継承者が出てこないのは、医学部の教育に欠陥があるか、厚労省の許認可に問題があると思わずにはいられない。今こそ、職人としての医師の枠を作るべきである。

パンとワイン 

 パンとワインといえば『新約聖書』にある「最後の晩餐」の件が有名だ。「人はパンのみに生きるものにあらず」との言葉にもパンは出てくる。パンには絶対ワインだなあと思えるようになった昨今だ。キリスト教発祥地はベツレヘム、今のイスラエルであるが、インドやセイロンや静岡でなくほんとに良かった。それら3つの地域であったならばワインならぬお茶(tea)になっていたところだ。

 共観福音書によれば、最後の晩餐でイエスはパンを取り、「これがわたしのからだである」といい、杯をとり「これがわたしの血である」といって弟子たちに与えた。もし、インドやセイロンで最後の晩餐があった場合、イエスはパン・ティーをおもむろに掲げ、「これがわたしのからだである」といい、杯をとり「これが粗茶でございます」といった途端、弟子たちはドン引きした、となる。

 かなり前置きが長くなってしまったが、この西洋の食文化の基本である「パンとワイン」を日本に置き換えた場合、「米と酒」だ。「ライス&ライス・ワイン」か。食いながら飲む組み合わせとして「米に酒」はちと考えられない。試したことも無い。キリスト教概論・倫理学の講義を受けていた頃、この「パンとワイン」の組み合わせも、「米と酒」のように考えられないものであると思っていた。

 ところがどっこい、カチンカチンに硬いフランスパンでも実に赤ワインに会うんだなあ、これが。ドライイーストの香りと小麦の甘味がワインで増幅し、安いワインでもワイン自体に深さを感じる。ミシュランな?香りが鼻に抜けた後、アルコール分が口の中いっぱいに広がる。双方の旨みを引き出す。チーズやハムなんていらないじゃん、と、本来皆さんは既にあたりまえにやっていることを、最近覚えた私なのでした。かつては「♪パンにはやっぱりネオソフト」でした。

イトーヨーカー( ITO YORKER ) 

「ニューヨーカー」ならぬ「イトーヨーカー」(ITO YORKER) 

 若かりし頃はニューヨーカーに憧れた。時と共に、そんな憧れも忘れ去り気付けば「イトーヨーカー」になっていた。イトーヨーカーになってしまえば、これは意外と私らしくてイケてるんじゃーあないの、と思ったりもする。いつの間にやら作ったポイントカード。これは便利だ。ポイント2倍の日もある。店舗では限定品の半額セールもある。衣料の品質は値段の割りにものすごくいい。ユニクロが有名になる10年以上前から衣料業界ではイトーヨーカドー基準なるものがあった。これが日本中の衣料の品質を向上させたことは有名だ。日本の衣料業界に大きく貢献している企業だ。そして我々はその恩恵を今受けている。

 衣料品は隣国・中国で製造したものが殆どである。大量発注しているので、イトーヨーカドー基準は中国衣料の品質向上にも貢献している。世界の工場・中国の品質向上に貢献しているということは、世界の品質向上に貢献しているということだ。世界最高峰の品質管理基準を持ち、大量に発注できる為であろう、素材も抜群にいいものを仕入れる力がある。革やダウンの素材品質も抜群にいい。ダウンはハンガリーのホワイトグース(750フィルパワー)なる最高級ダウンを使用し、セールでなんと7千円くらいであった。このように仕入先は中国だけではない。ブランド他社の同等のダウンであれば、この価格の上に1~2万円は乗っかるはずだ。

 駐車場は4時間までタダで年末・年始以外は駐車場待ちすることも少ない。遅い時間に行けば、惣菜系はほとんどが値引きされている。全国に展開している店舗は、広い敷地にほぼ一律3~5階建てである。都内だけでも、その上に20階建て以上の分譲マンションを作ってくれれば、買って住みたいくらいだ。ここに住めば間違いなく「イトーヨーカー」と皆に言われ羨望のまなざしで見られるに違いない。文筆業や広告関係の人の利便を図るような住居にすれば、量販店としての理解は持ちながらも、商品の流行り廃りに関して多くの注文をつけることが考えられるので、品揃えを活性化するにはいいであろう。

 持ち株会社が出来てからは、元親会社よりも、利益で勝った元子会社セブン・イレブン風の時代にそぐわない配色の看板が気になる。でっかいセブン・イレブンが出来たような錯覚に陥る。あの看板にしてから、その近所にあるコンビニのセブン・イレブンはきっと売上が落ちているのではないかと心配してしまう。量販とコンビニの違いはあれども消費者の視覚を混同させ、系列企業であるのに競合している観がある。もっとシンプルに、北欧やドイツの看板のようなビジュアルが必要だ。あっ、そうだ、アートディレクターの佐藤可士和さんにでも頼んでみたらいい。その存在をしっかりとアピールしながらも、町に違和感なく溶け込むビジュアルを制作してくれるはずだ。

 まあ、こんな優秀な量販店にケチをつけたついでというわけではないが、惣菜をどうにかしてくんない?と思うことが多々ある。ここ10年はほぼ同じ惣菜だけで、すべて食べ飽きてしまった。餃子やその他揚げ物の惣菜は油でベトベトしているイメージを持った。そう強く感じるようになったのは、餃子を買おうとし、そのケースをつかんだ時からだ。ケースの外が油でヌルヌルしていた。餃子は特に売れ筋のようだが、あのシニャ~とし油が染みた皮の雰囲気が私としては今風ではないと感じる。焼きから時間が経っていたり持ち帰ると更にそう感じる。ヘルシー志向やダイエットブームなのだから、カロリー控えめの油を使ったり、焼いたり揚げたりした時の見栄えをもっとカラリとした風にするなど、買って食いてえ~と思わせる調理方法も考えて欲しい。

 テレビで放映していたのだが、系列のセブン・イレブンで売れ筋の「おでん」は、重役試食会までも設け具の作りや味・ダシにこだわっている。元親会社であるイトーヨーカドーは、惣菜に関して、それらの手順を踏んでいないように感じる。店子任せか。なにせ、代わり映えのしない同じ惣菜メニューが何年も続いているのだから。地域性も重視して欲しい。私が行く店舗は、江東区木場であるのだが、このエリアにあってレバーフライが無いことは到底考えられない。マルエツだってイオンだってレバーフライは必ずあるし売れている。会社がデカすぎちゃって、組織の硬直化が始まっているのであろうか。

 そんな理由もすこしあり、最近、惣菜を買うときはイオンにも行くようになった。ついでに衣料品やニンテンドーDSまで買ってしまった。ポイントも付かないのに・・・。人それぞれ買い物に行こうとする動機は違う。買う目的の物は、当然先に考えるが、その後、旨そうな食材や惣菜を買って帰り、腹を満たしてこそすべてが、今日一日が終わると考える。腹が満たされてこそ、イトーヨーカドーで買い物をして良かったという満足感・充実感がこみ上げて来るのではないか。部分的にだけでいいから、一ヶ月ごとに惣菜を新しいものに変えるとか、地元の名物の「レバーフライ」や深川名物「深川丼」や「あさりめし」を置いてみるとか、そんな努力をしてほしいと謙虚に考えるイトーヨーカーなのである。

 そうそう、そんな理由でポイントカードを最近頻繁に使ってないのが残念だ。イオンでポイントカードを使える日は20日・30日だけ、それも5%引きだけである。反面、イトーヨーカーは、イトーヨ-カドーのレジで毎回カードを出して、ポイントが貯まる。それをとても楽しみにしている。月に2回、行けるか行けないか分からない限定された日に出向いて5%引きで買い物をしたほうが得なのか、いつでも行けばポイントが貯まるほうが得なのか、この損得を比較する計算は、算数も弱く日時の限定が嫌いで、その日の小さな達成感だけで狂喜乱舞する私は、間違いなくイトーヨーカドーを選んでしまうであろう。

 その貯まったポイントでモノを買ったとき「開いてて良かった」ならぬ「嗚呼!生きてて良かった」と、イトーヨーカドーに感謝する。自称イトーヨーカーとしては、このポイントカード(アイワイカード)にランクをつけてもらい、カードとしてのステイタスをダイナースやアメックス並みに上げたいと考える。いつかは、リッツ・カールトンやコンラッドで宿泊の際、このカードでギャランティーしてみたものだ。「オレさあ~、アイワイカードのプラチナ持ってんだぜ!」。「何言ってんの、オレなんかとっくにブラックだぜ~」なんて会話が聞こえてくる日がくるかもしれない。大げさか。頑張れば、「イトーヨーカー」は増殖するに違いない。

超クライアント 

 「おっ、オ、オマエ~!新年早々また電話でオリエンかよ~」。年末に同じ問題を起こさないようにって、あれほど確認しあったんじゃあ~ないの?バカは死ななきゃ直らないってほんとだな~。忙しいので会う時間が作れないだと~!!今日という今日はもうアタマきた。と、思いながらも電話口から聞こえる雑音と共に薄っすらとした声を、汗をかきかき一生懸命にメモしている私だ。みなさぁ~ん~お元気ですか~?

 「何様だ~!貴様!!」。「あっ、お客様ですか、そうですか、神様ですねぇ、ハイハイわかりました」的な、優柔不断な私は今年も健在だ。「酒だ~、酒持って来い~!」は夜にしようと、物分りもとてもいい。なんか、こう、媚びない職種はないものか?超クライアントになりたい~、と思っても今更なれるはずもない。「有難うございます」と決して言うことなどない職種に憧れる日々はこの先ずーっと続くのであろう。

 お寺の坊さんか神社の神主になればそれは叶うかもしれない。それらの仕事の奥は深いであろうがやることは定番化できる。不良品もでないだろうし納期遅れもない。死人が不良品になったら大変だ。坊主のお経が下手で死人が生返り返品されたような話は聞いたことがない。お塔婆のササクレが指に刺さり、全国紙でお詫び広告を掲載しなければならない事態も考えられない。でも人の死に直面するのはやっぱり嫌だなあ。

 じゃあ、神社だ。お料理の神様でも作って飲食店関係者や婚約した女性を呼び込むのだ。代表的な香辛料のショウガを神様にして冠にした「ジンジャー神社」なんて語呂が良くって大盛況って感じだ。ニンニクでもいい。「ガーリック・ジンジャー」と命名しよう。戻りカツオの刺身が食いたくなる音の響きだ。もっと欲張って、食の伊勢神宮を目指して「さしすせそ神社」でもいいか。さとう・しお・酢・醤油・ソースだっけ?

 おおっ!コレは絶対当たる。大手調味料メーカーがお参りに来てたくさん寄付が集まるに違いない。その調味料にあう新鮮な食材は黙ってても集まり私は太る一方だ。高須クリニックで脂肪吸引することになるかもしれない。それも経費で落とそう。経費ついでに顔の整形手術もしてしまおう。お金を貰っても「有難うございます」という必要はないのだ。「お参りご苦労様です」と上から言えばいい。と、夢見る「イエ~ス!高須クリニック」な私なのであった。

ねじれ 

 新年の挨拶回りがあるので、この時期だけワイシャツとジャケットを着る、そんな日もある。朝、そんな私に家内が言った。「なんか合わないんだよね~」と。色の組み合わせがどうも気に入らないらしい。昨年よりも少し痩せたので、今どきの若者の流行に便乗しピタ系のイタリアンなテイストでジャケットを着こなしているのではないか?と、自分に暗示をかけようとした矢先のことだ。

 「なんで~」と聞くと、どうも私の顔がイケテないらしい。更に追求すると「酒焼けの赤ら顔が色のバランスを台無しにしている」と言われた。こんな感じで朝から家内のにイジメにあうと、普通の人なら引きこもる。だが、私の場合は人並みはずれた強靭な忘却力に支えられ、不死鳥のように蘇る。三歩歩くだけですべてを忘れる。「今、何て言ったっけ?」と。

 携帯電話の某バンクが10日から新しいサービスを始めると宣伝している。某バンク同士の通話であると、着信音の最初に「プププッ」という音が入るとの事。昨年までその会社の携帯電話であったのだが、家内のauに無理やり転向させられてしまった。家内はGLAYのテル(さん)の大ファンで、かつてのボーダフォン時代は私と2機で家族割りであった。だが、auからGLAYフォン(GLAYファン向け)が発売された。

 家内は発売されるや否や、家計をかえりみず私に黙って勝手にメーカー変更をした。仕方なく家計をかえりみる私が従った形だ。もっと早く「プププッ」のサービスをしてくれていたら・・・。アイドルの女の子がCMで盛んに言っている「新サービスが始まります。『プププッ』と鳴ったら言ってください。『オナラじゃないの』」と。そう言えたのに・・・。

 月刊ウィル2月号の憂国忌シンポジウム・三島由紀夫「僕を殺す唯一の男」での中村彰彦・堤堯・宮崎正弘の対談は、三者がその時代を三島と共に生き、文春時代、実際に何度も三島に仕事で会った堤堯の体験や見解はリアルでとても興味深かった。間接的に聞きかじった評論家が書く難しいそれではない。三島事件から既に約40年も経とうとしている。

 昨年露呈した防衛省の上層部の堕落・その構造のねじれは今に始まったことではない。戦後の日本の体制の奥深いところに、主権国家として大きな問題があることを、三島由紀夫は40年も前に命を賭して警鐘を鳴らしたと改めて言うことができるのではないか。日本の治安維持・安全保障を考える上でこの三島事件はその論理的出発点に成りえるものであろう。


  

初穂料 

 毎年、神社に初詣する際、商売繁盛の気持ちを込め初穂料をお納めする。いただく領収書の宛名には社名を入れていただくのだが今年は少し違った。宛名に「上様」と先に書かれてしまったのだ。書き直して下さいとも言えない。3が日の最後であったのだが八幡様はとても混んでいた。押すな押すなの大盛況である。八幡様といえば、応神天皇・仲哀天皇が御祭神である。その神様が祭られている神社から「上様」と書かれるのはなんとも畏れ多い。私などに関しては「下々」とか「愛い奴」であろう宛名が、インフレを起こしてしまったとでも言おうか。

 昔の仲間の新年会があったので千葉の実家へ戻った。新年会は午後7時からであったので、6時くらいに実家へ行った。父は既に寝ているとのこと。母親も眠たそうだ。二匹の犬もこの時間にはいつも既に寝ているのであろう、ワンワンと吠え機嫌が悪い。父はいつも何時に寝ているのかを母に聞いた。薄暮には寝るらしい。すると今の時期、午後5時か。そういえば父は言っていた。夏はプロ野球があるので起きているが、冬は野球がないので起きていても張り合いがないと。母はきっと眠いのであろう、ぞんざいに「新年会に早く行けば」と私を急かした。

 父にとって、野球が生きる張り合いであるとは気付かなかった。そう考えると、日本とは季節が真逆、オーストラリアなどの南半球、時差があまり無い場所でプロ出身のOBリーグでも作って放映すれば元気になる人は多いのではないだろうか。現役時代に知っている選手が活躍していれば親近感も涌く。野球選手にとっても第二の現役生活に躊躇なく入れ、選手寿命が長くなる。観戦ツアーでも組めば、極寒の日本を抜け出し暖かい地で元気になれる。父にとってプロ野球が最大の娯楽であったことにも今更ながら気付かされた。

 新年会は地元の友人が50人くらい集まった。20年以上前の仲間だ。誰が誰だか、話しているうちにようやく思い出せるような、どこのオヤジなの?おばさんなの?といった感じだ。竜宮城から戻った浦島太郎状態であった。皆も私を見てそのように思っているのであろう。20年前といったら親子の年齢差に近い。友人の親と会って一緒に飲んでいるような感じとでも言おうか。定年退職の話やら、あと12年経ったら俺たちは還暦だ!など本当に恐ろしい話までもが出る。友よ、還暦は言ってくれるな!と怒りながらエロ話に話題を無理やり変えた。

 7日から通常通りの仕事に戻った。これからまた一年、昨年より確実に短く感じる一年間、仕事に邁進しなくてはならない。漢検DSで覚えた四字熟語で最も私に響いた言葉は、「精進潔斎」だ。まあ、これは今年も無理であろう。一生無理か。明日への活力は、未だ飲食の中にもある。自発的な行動から得られる経験のみが、生きていく上での張り合いになる。そうだ、今年はマンネリから脱することにしよう。行動エリアも少しずつ変えていこう。と、へなちょこな意味不明な決意をしつつ、一年はすぐに過ぎ去ってしまうの巻き~なのであろう、今年も。
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