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♪ハッピ着てバス停~ 梅雨~ 

 梅雨は寒暖の差が激しい。自律神経がやられるんで気を付けよう!仕事のトラブルや納期が迫っているのに発注にならない糞詰まり状態もあり、気分が滅入る。憂鬱になる。「自律神経出張症」じゃなかったんだ~、「失調」だったんだ~と、あらためて考えたりもする今日この頃。気分をラテンにするにはどうしたらいいの?と、今年はその対策を考え実践している。大きくも小さくも多くの問題を抱え、明日に向かって生きていかなければならないのだから~。

 その簡単な方法の一つとして、仕事で夜遅くなったとき、近所のラーメン屋見っけての餃子か。餃子、そしてビールと注文する。ニンニクがジワジワと体に効く。アツアツの餃子を口に入れ、「アッチィ~」と食う。口内粘膜がヤケドし水ぶくれしてはがれる。「痛ッテェ~」ってな感じだ。ミジンコのような小さな熱さと、ボウフラのような小さな痛みで、アレレのレ~、今日のストレスがどっか行っちゃうんだなあ。あとは、フウーフウーしながら餃子を食い続ける。

 餃子が残り一個になった頃、今日のメインディッシュは何にしようかと悩みに悩む。すると、爬虫類のように小さい脳ミソの中にあった仕事の悩みは、食の選択の悩みに切り変わる。2つの悩みを同時に抱えて考えることの出来ない私ならではの都の八重桜とでも言おうか。頭の中はいま九重十重に悩みける。一つのことに。小学生時代、母親が先生に宛てたアンケートもどきに書いた私の特徴「優柔不断・意思薄弱」は、今もなお健在だ。

 そんな時、「おばさん、麺類は何が美味しいの?」と聞いてみる。するとおばさん、「うちは何でも美味しいよ」だ。「アア~、それじゃ決められネエ~、じゃあ、タンメン」と、先日と同じメイン丼にしてしまう。「メニューでさえ冒険できないオレってダメ人間?」と落ち込む。しかし、タンメンが出てくる頃には「さっきの悩みはナンだっけ?」と、生来の記憶力の悪さに少しのアルコールも手伝って、すっかり忘れ去っている。小さい脳はとっても便利だ。

 そうそう、先週末は医食同源と、愛知県産のウナギ買っちゃった。あれって、偽装だったんだ。でも旨かった~、中国ウナギ。そして月曜日はお友達と「鱧(はも)のフルコース」。鱧の産地は聞けなかったけど、今旨い鱧は国産より韓国産らしい。スーパー銭湯二回、銭湯一回とゆっくりと風呂入ってサウナも入って。木曜なんて「餃子2枚!」よ。週末なのに元気なわけだ。来週月曜日は月末だ。「ああ~神様!今月も無事に来月を迎えられそうです。ラーメン」。
 
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振り込め詐欺 電話にあえて出ないという選択もある 

 振り込め詐欺による被害は「毎日、一億円が冷たい穴に消えていく」と、朝日新聞『天声人語』に書かれていた。先週末、その被害者救済法が施行された。裁判無しで銀行が凍結した口座から騙し取られた金が戻ってくる。この程度の法律で被害が少なくなるとは、到底思えない。なぜなら、高齢者の人口比率は今後益々上がり、その比率に従い、詐欺はありとあらゆる手法で増え続けると考えられるからだ。電話が身近な分、詐欺も更に身近なものになる。

 ‘90年代まで、私の業界では「パクリ屋」が横行した。休眠会社を10万円位で買い、新会社を設立する。展示会等で新商品を売りに出ている会社に近付き、大量の商品購入を匂わせる。展示会に出展している以上、その実績がほしい会社は売り急ぐ。ここがパクられる原因になる。通常の会社であれば、先に現金を受け取り商品を発送する。しかし詐欺犯は、どうしてもその商品は明日まで必要で、その後は必要でないことを強調し、一旦様子を見る。

 上司への相談もなく、相手の会社を調査することもなく、この時点で発送してしまう会社や営業担当がまれにいる。相手はハナから代金を払う気持ちなど無いので、高い見積もりでも通ってしまう。一旦、納入してしまえば倉庫は善意の第三者、その倉庫から商品を取り戻すことも儘ならず、その倉庫自体、納入後すぐに他の倉庫へ転送する。支払いはほとんどが120日の手形。その手形が現金化される120日の前に会社はもろとも無くなる。

 販売条件を付ける会社にも盲点がある。三回目の取引までは現金、それ以降、締め支払い金額の枠の設定があるのだが、この金額枠が大きい会社が狙われやすい。三回まで、少ない金額で取引をしても、それが実績になり、4回目からの締め支払いでは枠いっぱいに買われ、すべてパクられる。このように詐欺をする場合にも、元手となる現金が必要であったりするのだ。顔も相手に見られ、元手も必要なリスクのある詐欺が「パクリ屋」であったといえよう。

 このパクリ屋は約10年前頃から消えた。不景気もあり、パクリ屋の話も広がり、おいそれと商品を発送する会社が無くなった。そして、パクリ屋は皆、リスクも元手も無く電話一本で出来る振り込め詐欺に転向したと聞く。すべては緊急を装った電話で、相手の弱みを突き、焦らせ急かされる。電話に出たら最後、相手の土俵に引きずりこまれる。電話は必ず留守電にすることを心がけ、緊急を要するような電話こそ疑うようにする講習会を開催する。

 近所への手前、その留守電内容を相談するのに躊躇する人もいる。隣町同士が協力して、第三者のボランティアがすぐに出動できる態勢が必要である。自治体ぐるみで電話詐欺による防犯システムがあることこそが、詐欺犯罪を抑制するものであると考える。詐欺犯が留守電に入れた伝言は、隣近所、町ぐるみで聞かれており、一対多で対抗しようとする姿勢、ある種の恐怖を覚えさせる防犯こそが肝要だ。詐欺犯の会話は巧みだ。一旦話してしまえば、誰でも引きずり込まれる。あえて電話に出ないという事前の心構えが今後もっとも大事であろう。

台湾船の事故 

 沖縄県の尖閣諸島近海で、日本の領海に入った台湾の遊漁船と海上保安庁の巡視船が衝突し台湾船が沈没した。死者は出なかったが、衝突の過失を海保が認める時間が長かった。それ故、台湾の立法院で日本非難が噴出し軍艦を出せ!との大騒ぎになった。領海を侵犯すれば、侵犯した側に非があると普通は考えるのだが・・・。しかし、それが起こったのは、尖閣諸島近海、日本近隣のアジア人、日本人を除くすべての人々のDNAに刻まれた中華思想、その対象エリアだ。

 日本が国として形がない紀元前から文明先進国中国ではすでに儒教が行き渡り、国同士の関係において、中国を中心とし、そのもっとも辺境であり未開の地であった日本をアジアの中の末っ子と蔑む歴史があった。中国5,000年の歴史から考えれば日本は未だ新興国扱いだ。更に先の大戦で敗戦したこともあり、領海という約束事も適わない。敗戦の負い目から謝罪外交を繰り返し、抗弁する論理立てである第一歩、「領海」を言い出すことさえ出来ない。そんな卑屈な国民だ。

 東アジア地域にある日本と台湾を、地政学的中華エリア(文明は、中国を中心としその周辺国及び辺境地の野蛮民族に伝わる)の辺境地であると他国の歴史に鑑み謙虚に、そして冷静に考えた場合、両国が争い消耗することで利があるのは、中国に他ならない。先の戦争で、日本と戦ったのは中国共産党ではなく台湾現政権である国民党であった。しかし、両国は戦後、米国の支援で復興した共通の歴史があり、対日感情はアジアの他国と比較して悪くないのが現状だ。

 中華思想・故事成語から引けば、中国の戦国時代、戦国の七雄の燕・趙・秦の三つ巴の関係に似ている。強国秦に近い趙が、弱小国燕に攻め入ろうとしていたところ、燕の窮地を救おうと縦横家である蘇代が趙の恵王を訪ね、両国が戦って疲弊するうち強国秦が「漁夫の利」を得てしまうと説得した。その故事成語、歴史に学び今の状況を例えると、日本は弱小国燕、台湾はさながら趙、そして強国秦は今の中国だ。その策を講じても、秦はB.C.221年に中国全土を統一した。

 日本と外交がない台湾であるが、領土・領海という日本の原則を基本に台湾をうまく説得する必要がある。今、燕の蘇代に代わる人が日本には必要だ。秦は全土を統一し敗戦国の人々を土木工事で酷使した。その人々が行き交い悪い情報が全土に広がり、わずか15年間で滅びた。今の中国も、ネットやテレビの普及で情報が錯綜している。それらの情報を統一し、人民に利益のある他の政治的仕組みが出来た場合、共産党の国土維持は不可能であろう。

 日本は、台湾が台湾省になることなく台湾国としてあり続けて欲しい。中東からのライフライン、タンカーは必ず台湾近海を通る。これが封じ込まれ先の大戦に日本は突入した。台湾の玉山、かつての植民地時代に呼ばれた「ニイタカヤマ」に登ってしまった反省が日本にはある。日本の流行・文化を快く台湾の若者が受け入れてくれ、両国同士、交流は近隣のどの国よりもある。中国という不安定な政情の大国が隣接する同条件を持った台湾と日本は、共に友好関係が常に必要であることを説かねばならない。

「崖っぷち犬」と「マンタの出産」 

 あの有名な「がけっぷち犬リンリン」が家出をしていた。抽選で飼い主になったおばさんが首輪を緩めたら、それを振りほどいて逃げ去ったらしい。3週間あまり3匹の野良犬と行動を共にし野良犬になりかけていた。保健所は好物の「ちくわ」をわなに入れ捕獲した。現在、保護センターで病んだ心をリハビリ中とのこと。子犬は生後3ヶ月位で人に接するとよくなつく。リンリンは崖で保護された時、すでに生後半年を過ぎていた。人間に保護されたリンリン自身、本当に幸せなのか?

 保護という美名の影に、見え隠れする捕獲行為。人間が強引に自然界を支配する象徴的行為であるともいえる。根っからの野犬は、人に飼いならされて幸せなのであろうかと、犬の気持ちになり考えてみる。せっかく、野犬3匹の友達も出来、自分は犬であるとの自覚も芽生え、楽しい毎日を送っていた矢先、大好きなチクワの罠にはまり、捕獲されすべての自由を失う。動物のトップに君臨する人間、「地球は人間のもの」との独善はいかがなものか。

 話は変わる。沖縄のちゅらうみ水族館でマンタが赤ちゃんを出産した。
子供:「ネエネエ、パパ、マンタの子供はどこから生まれたの?」。
パパ:「それはねえ、マンタのマンタからだよ」。
子供:「じゃあ、マンタのママはどこから生まれたの?」。
パパ:「それはねえ、マママンタのママのマンタからだよ」。
子供:「じゃあ、ボクはどこから生まれたの?」。
パパ:「ママのマンタからだよ」。
子供:「じゃあ、・・・」。
微笑ましいパパとボクとの会話は、日が暮れるまで続いた。ママに聞こえない所で。

災害時住所と防護用「さすまた」 

 6月は秋葉原通り魔殺傷事件、岩手・宮城内陸地震と、予期不可能な災害が立て続けに起こった。その折りに触れ、今後日本に住み続ける以上、どこに住もうが人的災害や自然災害は決して人ごとではないと感じる。とても身近なものになった。今後更にそれらが頻発しその間隔も短いものになるのではないか、という不安がある。

 我々を襲うものにもよるが、人に襲われた場合は、ある程度の護身術、災害に襲われた場合は、サバイバル術などを身に付けておく必要がある。バブル崩壊後、キャンプ等のアウト・ドアが流行し、RV車やミニバン、テントやランタンを所有する家庭が増えた。それらを災害時、いかに有効に使えるか、今から町内会や自治会で話し合っておくべきだ。

 それら災害時に役立つものは、普段からすぐに持ち出せるような場所に置く。災害時は、避難する場所を決め、テントの区割りもあらかじめ決め避難時の住所にする。その場所も被害に遭う可能性があるので、予備としての住所も用意する。そうすれば、災害発生時間が日中で家族が学校や会社に出勤していても、帰る住所ができる。

 日本に住んでいる人すべてが災害時住所を自治体に申請する。書中見舞い、年賀状にはその住所を必ず書く。ネットのメールにも常に災害時住所を入れておく。このように、災害が発生した場合の連絡先をはっきりさせておけば、救災側も被災側も連絡が取れる安心感がある。孤独にならずに済む。携帯電話は常に使えるとも限らない。

 災害後の避難生活は原始生活になる。こんな時にこそ、手紙や救済物資などが確実に届く住所があれば心強い。人に襲われた場合はどうか。刃物を持って集団に向かってくる暴漢に対し、逃げることは禁物だ。格闘技や剣道の心得がある人が集まり、「棒」や「さすまた」で立ち向かわなければならない。繁華街では今後、「さすまた」は必需品になる。

本当の勝負の仕方 

 スピード社製の水着。夏の北京オリンピックへ向け話題沸騰中の「勝負水着」。約7万円、薄さゆえ4回位の着用後、破れてしまうらしい。着て勝負した挙句、破れてしまう儚い「勝負水着」。そんじゃあ、着て勝負と意気込み、勝ちに気付く間もなく脱がされるのは「勝負下着」か。脱がされる記録を次々と更新できる「下着」も、勝負するには欠かせない。

 アングロサクソンが作ったこの水着は今、デカイ顔で世界を闊歩している。もしコレがアジアの国、日本で開発され記録を次々に更新したらどうなったか。オリンピックの委員会で、間違いなく「使用中止」の憂き目に会っていたのではないか。バレーや柔道などのスポーツに限らず、社会思想でも戦争でも自分に不利なルールはさっさと変えてしまうのがWASPのやり方だ。

 「タバコが1,000円に」。その税収を見込み早速、超党派で委員会を作り検討を始めたとのこと。「勝手にやりゃあ、いいんじゃない」。タバコが、子供や吸わない人にとって害になるのは分かっている。酒とは違い百害あって一利無しとも言われているが、私は吸わない人に迷惑をかけなければ「気分転換の一服」の効果は絶大であると今だにそう思っている。

 私のように精神的に弱い人間にとり、タバコは欠かせないもの、であると思う。一時、禁煙していたが心の病に襲われる予兆を感じ、その寸前で喫煙を復活させた。紫煙をくゆらせ、じっくりと考える時間を持てるようになった。今では、タバコに助けられた、とプラス方向に思っている。タバコは害であり税金を取りやすいと安直な考えなのであろうが、政治家はそれ以上にやらなければならないことがある。

 タバコの税収はたしか、2兆5~6千万円だ。タバコの値段を3倍にしたところで、コレが3倍の9兆円になるわけもない。禁煙する人が当然増えるわけだから税収はあまり変わらないのではないか。タバコ税収が減る可能性もある。政治家にとり、税収が増えれば儲けもん、減ったら減ったで健康と医療費削減の為と、どっちに転んでも許されてしまう好都合なものだ。

 タバコ農家の廃業が相次ぐ可能性もある。本丸である行政のスリム化はいったいどうなったのか?地方及び国家公務員約400万人の夏のボーナスだけの総額は、タバコの税収2兆5~6千万円に匹敵する。民間のように一律のリストラは無理だ。ならば徹底して採用を抑えればいい。「利は元にあり」。人件費を削減すれば税収の実質は上がる。

納期の神様「納期様」、その弟の「ペナルティー様」 

 最近、客に振り回されている。毎日が修正修正の連続だ。それも夜8時過ぎ。すぐに電話には出ず携帯の着信を確認する。伝言が無い場合は、明日に回そうかなあとも思う。その怠惰な気持ちが命取りになる時がなぜか多い。だから、仕方なく電話をかけなおす。すると、とんでもない、恐ろしい修正なのだ。前回OKであったロゴが今回はNGとのこと。「やめてよ~、そのパーツも印刷も全部終わっちゃってんだけど・・・」。こんな李婦人じゃねえや、理不尽なことってあり?とはいえ、クライアントがダメちゅうもんは、ダメなのら~。エージェントに対して私がいくら踏ん張ったって、時間の無駄、無駄毛の処理、のような虚しい時間が過ぎてしまう。

 やり直しにかかる費用はひとまず置き、我々の神様である「納期様」へまっしぐらに進まなければならない。この納期様は普段、にこやかに笑っておられるのだが、この掟を破ったら最後、へんてこな外人の「ペナルティー様」をお呼びになる。そしてそのお怒りを受けさせる。このユダヤ商法からお生まれになったペナルティー様は戒律もある最も怖い神様だ。商売の神様「八幡様」でも敵わない。バッタバッタと小さい会社であれば、2つや3つ、簡単に潰す神様なのだ。その戒律の一番目には「汝、納期に遅れることなかれ」、二番目には「汝、不良品を出すことなかれ」と続く。そして最後には「汝、何時だ?」とダジャレ風の質問で終わる奥深い戒律である。

 それはさておき、中国のビジネス・パートナーに早速連絡しなければならない。このやり直しの衝撃を受け、顔は脂ギッシュになってくる。気持ち悪いので、ビオレU脇の下サラサラシートで顔を拭く。向こうもムコウで「電話に出ようか、どうしようかなあ?」と悩んでいるようで呼び出し音が鳴りっぱなし、そして、留守電。2回3回と連絡しようやく電話に出る。「やめてよ~」のような深いため息。国際電話じゃあ高く付くと、事務所に戻らせスカイプで連絡しあう。私が客に少し反発するようにムコウも少し私に反発する。PCに向かいながら説得するのだが、手は知らぬ間に勝手に、先ほど顔を拭いたサラサラシートで机の上やPC周り、灰皿の周りをきれいにお掃除をしている。

 適度な脂分がワックスのような光沢を生む。机がピッカピッカになるのだ。生産スケジュール表を互いに確認しあい、2週間先までに工場に再投入すればいいとの話しで決着が付く。当然、出来ちゃったモノの金は私が全額支払う。仕事終了後、エージェントは大概折半にしようと言う。クライアントにそれを請求する勇気がない。頭悪いんじゃないの? てなことをやっていると、時間は今日と明日の境目に近付く。♪「お家へかへろ~」by山崎まさよし、と車に乗って一路スーパーを目指す。「今日は何にしようかしら?」とオカマっぽく考える。イトーヨーカードーは閉店間際なので、ジャスコへ向かう。「安売りしてるかしら?」とおもひながら、いとおかし。

 「おおっ~、火曜日の得の市だわ!」と喜び、餃子9個入り99円を2個買う。ニンニク味噌漬け198円も買う。そして究極の食材を見つける。セール外で315円、アルミの容器に入り直接火にかけられる「モツ煮込み」があった。水150mlを入れ5分煮込んでくださいと書いてある。これに豆腐を入れようと、豆腐も買った。そして家へ帰り早速煮込んでみた。美味しい。この小さくチープなアルミの鍋の中に幸せが凝縮されている。場面は変わる。--そして雪の降る街頭で、モツを一個つまんでは食べ、その度、暖かい暖炉のある家庭にいる幸せな自分を想像した。そして最後のモツを見つめながら、最後のマッチもすり、少女はゆっくりと天へ召されるのであった。納期の神様の胸に抱かれて。メデタシ、メデタシ。

自分の不幸を無差別にアピールしようとする意識=無差別殺傷事件 

 現実の社会に不満を持ち、このような一連の無差別殺傷事件に及ぶ犯人はすべて男だ。自分が思うようにならないことを社会に責任転嫁する。社会が悪いと思い込むのが常だ。出来ない自分を責めることはない。犯人がすべて男であることも、犯行動機や原因を解明する根本に必要な条件である。原始的生活の中で培われたオスの戦う本能や遺伝子が、何かをきっかけにあらぬ方向に作用したと考えられる。逮捕後、男は「世の中が嫌になった。生活に疲れてやった。誰でもよかった」と供述した。こうした無差別の殺人や未遂事件は、昨年までの10年間に67件起きている。犯人に共通する供述の「誰でも良かった」という病んだ心を作り出した原因の究明を急がなければならない。若者を無差別殺人に駆り立てたものは何であるかを徹底的に解き明かす必要がある。そうしなければ、この事件で亡くなられた方々やその遺族の無念を晴らすことは出来ない。

 元来、人間の社会への参加は、たとえ血の滲むような日々の努力を積み重ねたとしても、葛藤や挫折が常に付きまとい、閉塞感を感じさせるものである。些細な目的達成を、成功や幸福と自分で思い込めば成功・幸福であり、本来、第三者の評価は必要ない。刹那的ではあるが精神衛生上良好な意識の状態がそれらであろう。心のバランスを取ろうと、一時的に他人や社会へ責任転嫁する時もあろうが、やはり、その不満は自分の能力に問題があると考え直すのが普通だ。成功や幸福自体、断片的なものであり永続的なものでは決してない。日々努力し挫折や葛藤の中に断片的に成功や幸福が連なるイメージのような、さっきまでの幸福、これからきっと訪れるであろう幸福、のように考える瞬間が、人間を人間として満足させる成功であり幸福である。ゆえにこれらは個々の意識の中にある概念であり、絶対的なものではない。

 成功し幸福であると考える人が、自分のその状況を社会にアピールしたくなった時、どうするか?努力もなしに幸運に恵まれ大金を得た人であるなら、高級外車を買ったり高級マンションを買ったりし、それらを身内の人間以外にも、無差別にアピールするのではないだろか?自分の成功や幸福を更に飾り立て、自分の存在を誇示するのが儚くも人間の性である。反面、失敗し不幸であると考える人が、通常であるならば伏せる自分の置かれた状況を、逆に強く世間に訴えたいと考えることもありえる。努力したと自分では思い込んでいるのに不幸に襲われたと感じる人は、不幸やその境遇は、無差別に自分に襲ってきたと受身で考えるのではないだろうか。特に自分を正当化するような甘え癖が付いて育った人は、その傾向が顕著であると考える。通常なら思いも及ばない「無差別」との関連はここに原因の一部を見出すことが出来る。

 自身の努力や能力不足を棚に上げ自分を常に正当化し、過去の家庭環境や現在の社会に責任転嫁する。人から能力不足を責められたり、非難されたりすることを最も嫌がる。自分本位なこのタイプの人は、育った環境が表面的には厳しいが、常にどこかに「甘える」逃げ道がある。社会に参加する以上、人に接すること無しで人生は成り立たない。人は誰しも我があり、それを他人とすり合わせて中和させる。我侭が角(つの)や牙であれば、論理的な他人や暴力的な他人、弱い他人にすり合わせてはじめて、他人の強さや弱さ、加減を知り、自分を知る。自分自身を厳しく律することをせず、「甘やかされ」、それに「甘え」て、現実から逃げ回る。このような甘えから努力もせず自分の目標も見失うので、今込み上げている怒りの、その対象さえも分からなくなる。ゆえに無差別にキレル。そして怒鳴る。回りは黙って傍観する。他人事だ。アブナイ人であるとの認識しか持たない。暴力を振るってでも諭してあげようとする人などいない。

 更にこのような性格に輪をかけ増長させるのが、バーチャルの世界だ。鬱積したやりどころの無い感情を殺人ゲームで晴らす。ゲームに逃げ込む。そのバーチャル体験に自分自身の感情が徐々に重なり、ゲームであっても本気で怒るようになる。凶暴性はゲームで果てしなく増長する。あらゆる殺人アイテムを用い、怒りの対象を次々と撃ち殺す。殺人のプロになったような気になる。ゲームは得点を競うものであるので、計画性が伴う。通信対戦であれば、リアリティーが増す。今回の無差別殺傷事件は、ゲームの要素をすべて含んだものである。殺人アイテムとしてのミリタリーナイフと殺人ロボットとしてのレンタカー、携帯サイトへの犯罪予告の書き込みと経過報告の書き込み、計画的な犯行、怒りの対象がぼけている無差別殺傷。この原因になったであろうゲームを、このままにはしておけない。ゲームは、若者を殺人鬼に変貌させる原因の一部となり、殺人シュミレーターになってしまったのであるから。



秋葉原・無差別殺傷事件は模倣犯 

 8日に秋葉原で起こった無差別殺傷事件は、付属池田小学校で起こった児童8人が死亡、教員を含む15人が負傷した‘01年6月8日の事件からちょうど7年目に起きた。これは単なる偶然ではない。付属池田小事件の2年前、’99年9月8日、東京都豊島区東池袋の東急ハンズ前で女性2人が殺害された通り魔殺人事件、その三週間後、JR西日本下関で5人が死亡、10人が重軽傷を負った下関無差別殺人事件を模倣し奇しくも踏襲している。

 ‘99年9月8日、東池袋通り魔殺人事件の被告の犯行動機は、「環境の不平等を原因とする苛立ち及び人生への絶望」。包丁と金槌を振り回して犯行に及んだ。同年9月29日、下関無差別殺傷事件の犯人は当日レンタカーを借り、歩道からガラスのドアを突き破り駅構内に侵入し60m暴走し7人をはねた後、車から降り包丁を振り回しながら計8人を無差別に切り付けた。この下関通り魔事件の模倣犯になりたかったと明言したのが、付属池田小事件の犯人である。

 付属池田小の無差別殺傷事件の犯人(’04年9月14日死刑執行)は、「ダンプで商店街へ突っ込もうと思った」とも発言した。そしてその事件の後、‘05年4月2日、仙台アーケード街を暴走して3名死亡、4人が負傷した無差別殺人事件。同年12月、模倣犯が同じアーケードを暴走し7人が重軽傷をを負った無差別事件。そして今年の3月23日には、JR常磐線荒川沖駅の駅構内からショッピングセンターへの通路で起こった無差別殺傷事件につながる。

 今回の秋葉原無差別殺傷事件は、ここへ至る一連の無差別殺傷事件の特徴を研究したものであることが分かる。刃物による殺傷、レンタカー(当初は大型車を希望したらしい)による殺傷、携帯サイトでの犯行予告、そしてエリアのキーワードは前回の荒川沖駅事件同様に秋葉原だ。レンタカーについては、刃物を使った完全殺人の確信に至れない、肉体的な弱さを補う犯人自身の用意周到さを感じる。ロボットを操作し人を殺傷するゲームをする感覚に近い。

 それらの要素を緻密に組み合わせ検証し、今後の防犯対策を講じる必要がある。刃物は、自身で道具や商売として使い、使い方を誤り怪我をするなどの経験があれば決して人に向けたりしない。日本の産業構造が変わり自動車や大きいダンプなどは、移動する手段や商売道具であるという認識が減った。殺傷力を持ち何度でもリセットして乗り換えられるゲーム上のマシーンであると錯覚する若者が増えつつあるのではないか。

 愛着がある自分の車であれば、自分の分身のような気持ちが湧き、このような使い方は決してしない。殺傷力のあるマシーンであると、一連の事件で一部の若者を錯覚させる恐れのある大型のレンタカーについては規制を厳しくするなど、法の整備が必要である。刃物は販売現場における更なる縛りが必要だ。無差別殺人は、ゲームの中だけではなく、ついに最もゲームに関係がある秋葉原という身近な街、外国の観光客にとり魅力的な街に出現した。ゲームを辿れば無差別殺人の原因である何らかの糸口が掴めるのではないだろうか。

タツポ上陸 

 日本成人雑誌出版協会と文部科学省は、未成年の成人向け雑誌購入を抑止する手段として、本年度7月よりIDカード「タツポ」を導入することになった。タバコ産業の「タスポ」を意識したネーミングであろう。業界関係者らは、「○ンポ」と、旭日昇天の象徴「タツ」をかけた造語で性別・年齢を問わず親しみやすいネーミングになったと自慢げに語る。
 
 このカードの申込書には顔写真とアソコの写真が必要である。アソコの写真入りのIDカードは世界でも初めてであり、平常時であるか興奮時であるかは問われない。また、平常時と興奮時の長さと硬さを申告する欄もあり、どのように書こうが自由だ。自由な故、夢も膨らみアソコも膨らむ。規制も縛りも無いユルユルなカードだ。
 
 港区お台場在住のH・S氏はこのカード申告の際の苦労話しを少し照れながらこう語った。「アソコの写真の撮影には苦労しました。アソコをデジカメで撮るとき、身をかがめますよね。メタボのお腹が辛いんですよ。撮った画像をパソコンに入れ見ると、逆さまなんです、アソコが・・・。じゃあってことで仕方なしに、カメラを逆さまにして撮り直すんですが、シャッターが巧く切れなくてねえ。とっても苦労しました。画像をPC上で180度回転させることを知ったのは3日後でした(笑)」と。
 
 上海在住のS・H氏はこう語った。「いや~、まいったなあ~。写真ですか?それがもう、白髪だらけの○毛に埋まってしまって実態が掴めないんですよ。しょうがないんで、アソコだけに、たまたま部屋にあったディズニーの「ダンボ」の鼻を撮ってみたんですが、それがソックリというかカワイイというか・・・(思い出し笑)。そういえば、家内がうまいこと言ったなあ~。「それは「ダンボ」じゃなくて「○んぽ」でしょう」と(吹き出し笑)。この写真でも申告は無事通りましたけどね」。
 
 反面、能登在住のK・Y氏は怒りをあらわにした。「私は生まれて47年、自慢といったら、太さなんです。若い頃、女の子に「カリブトの海賊」なんて言われちゃって、東京ディズニーランドの一番高いアトラクションのEチケットと同等の扱いを受けたものです。右手にレストランが見え、それに気を取られていると小さな滝に急に落ち、ビックリするんですよ~、カリブの海賊。それなのに、ああ、それなのに(泣)、円周を申告する欄がないんですよ。こんな不公平なことがいったいどこの国で許されるんですか?」。
 
 タツポの前途は多難だ。それにもかかわらず業界では女性用に「パクチョ」を検討中である。言葉をどのように掛け合わせた造語であるのかは、皆さんのご想像にお任せするしかない。当然、顔写真ともうひとつの写真が必要であることは言うまでも無い。

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