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 2008年07月 

パラパラ漫画 

 私が中学校1年の時、数学の教科書の右上の端に描いたパラパラ漫画は、今でも忘れられない傑作だ。中1の冬、野球部に所属していた私は6kmのランニングを毎日のように嫌々こなしていた。そんなランニング中の冬のある日の事、時間は日も暮れかかっていたので5時半くらいか。旧街道沿いを「ファイオー!ファイオー」と掛け声をかけ、いつもながら嫌々走っていた。その街道沿いに「モーテル〇〇入り口」という看板があり、我々が走っている真横の、その入り口である細い道から男女を乗せた車が突然出てきた。走りながらではあったが、よくよく見るとそれは数学の男の先生と保健室の若い女の先生であった。野球部は当然大騒ぎになった。

 2年生の永井キャプテンは、ものすごいキャプテンであった。皆を立ち止まらせ、「この事は、今すべて忘れろ!」と、大騒ぎしている我々に諭した。「先生たちはあの道の先に別の用事があったのだ!」と言い切った。今考えればすごいことである。13~14歳の少年がそのように言ったのだから…。チンチンに毛が生えたばかりの我々は、そんなキャプテンの言葉をも無視し、執拗に抗弁した。「あの道の先は、行き止まりでモーテルしかない」と。実際に小学校の頃、よくカブト虫を採りに行ったので、我々一年生はここら辺の道にはとくに詳しい。

 永井キャプテンは、野球部全体にかん口令を敷いた。絶対に誰にも言うなと。この前までキャピキャピの小学生だった我々は誰にも話すことが出来ないことにストレスを溜めた。誰かに言って、スッキリしたいと思った。翌日、この出来事をパラパラ漫画にすることを思いつき、その数学のエッチな先生が担当する授業中に着手した。まず構想を練るため、ノートを一枚ちぎって8コマ漫画で絵コンテを描いた。終わって2人が出てくるところでは面白くないと考え、モーテルに入っていくとこで、ばったりと野球部と出くわすという設定にした。

 直線の街道を遠近法で描き、遠くに「モーテル〇〇」の看板がピンク色に点滅しているところから始まる。手前にはリア・ウインドウから見える先生たちの車だ。リア・ウインドウからは、はっきりと男女の先生たちが見える。コマを送るにしたがい、点滅している看板が近付いてくる。先生たちの車からも、モーテルに入ろうとエッチな意思表示の黄色いウインカーが点滅し始める。遠近法の街道の向こうからは、カラスのような20人位の野球部が埃を巻き上げながら走ってきて徐々に大きくなってくる。ウインカーを点滅させている車は、左折して看板の右奥に消えていく。野球帽をかぶった集団は、車が入った方向を見て「ポツネン?」と立ち止まる。

 この絵コンテをパラパラ漫画にしていく作業はとても楽しいものであった。当時、新商品であった蛍光ペンを使い、看板のネオンの回りをグルグルと走っている黄色いネオンや、ウインカーの点滅などのパラパラの時の表情を事細かく再現した。同じクラスの野球部仲間からは天才ともてはやされた。部活が終わってから、それをキャプテンに見せた。キャプテンは笑いながら、「そこまでにしとけ」と言った。才能を発揮し、自力でストレスを発散した私であったが、絵コンテを自宅の自分の勉強机の上に置キッパにしたことは悔やまれた。 お袋は、それを発見し、なんとオヤジにチクったのだ。オヤジは会社から帰るや否やものすごい剣幕で怒った。

 「これを説明してみろ!」「説明できないんなら歯を食いしばれ!」と怒るオヤジ。先生の不倫を説明したいところであったが、キャプテンとの約束もあるし歯を食いしばることにした。往復ビンタが飛び絵コンテも破かれた。数学の教科書に描いたパラパラ漫画が見つからなかったのが、不幸中の幸いだ。「こんな芸術は、オヤジには分かるまい」と心の中で舌を出す私であった。今でも、あの年齢にして他人では絶対に考えつかない、複雑に入り組んだ人間模様を軽快なタッチで描いたマンガを、よくぞ作ったと思っている。実家へ行き、納戸から中学時代のその教科書を探してみたい。貧乏性なお袋のこと、絶対に教科書を捨てていないはずだ。不倫していた二人は、その後どうなったのであろうか。保健室の先生は、すぐに他校へ転任してしまったのだが・・・。

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