スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

8月末 

 8月は一度も台風がなかった。中国の陰謀か。赤道近くの海水を摂氏26度以上にしない方法が既に開発されていたり、オリンピックでも披露した薬剤を積んだ小型ミサイルを雨雲に撃ち込み、事前に雨を降らせ雨雲を消滅させる方法を取ったのかもしれない。日本では台風がない分、通り雨がやけに多い。通り雨、そして蝉時雨、これまた通り雨、またまた蝉時雨と、蒸し暑さに蝉のうるさい鳴き声も相まって、それはそれは、なんとも梅雨が仕返しに戻ってきたような8月であった。

 通り雨ならまだいい。最近では集中豪雨が多発している。ゲリラ的豪雨と新聞にあった。これにより車が市道で水没して女性が亡くなられた。同時間に同じ場所や近くで車が冠水した。消防や警察は、本人からも電話を受けていたにもかかわらず、他の電話と勘違いし、救助にも確認にも行かなかった。これは行政の責任問題だ。目撃者も数人いた。水没現場は栃木県鹿沼市茂呂の東北道高架下の市道。目撃後、他に打つ手が無かったのか。現場の人のみぞ知ることか。

 自然は四季折々、その表情を変え、人の心を和ませると思いきや、時に猛威を振るい人命をも土に帰す。地球の主を気取っている人間様は、それでも自然に歯向い、便利で快適な環境を得ようと必死である。そんな驕り高ぶった人間に、この2~3日、雷様もゴロゴロ・ピカピカとお怒りのようだ。ライオンも、人間に付けられた汚名を挽回しようと涙ながらに抗弁した、「百獣の王はオメエ等人間だ」と。ママ:「夜のあなたって野獣ね」。ボク:「パパって野獣だね」。パパ:「だからオマエが生まれたんだ」。

 人間が生まれ続ける限り、地球に平和は戻らない。自然の怒りも収まらない。ボク:「人間が地球の自然を破壊しているの?」。パパ:「そうなんだよ」。ボク:「じゃあ、ボク、地球のために子供作んないよ」。ママ:「パパの○○家の家系にとっては初めての童貞ってこと?」。パパ:「う~ん、きっとそうだねぇ」。ボク:「ドウテイって何?僕の前に道がないから高村光太郎の道程?」。パパ:「ああ、自然よ、乳よ、乳の気迫をボクに満たせよ」。ママ:「ボクがオカマになっちゃうじゃない!!」。
スポンサーサイト

怒りの昇華現象 ~殺傷事件の原因 

 ここ一連の無差別殺人事件や親殺しだけでなく、殺傷事件そのものの根本原因、すべてに共通している原因は何かと考えた。親から躾として受ける愛のムチや、子供時代の喧嘩で暴力を振ったり振るわれたりして、それによる精神的・肉体的な痛みの経験が無いことが大きな原因であるのではないか。自分自身に痛みの経験がない限り、人の痛みを思いやることは不可能である。怒りに、家族や地域、職場など様々な社会のしがらみがまとわりつき、自暴自棄になり犯行に至ると考えられる。

 子供時代に、容易に越えられない壁が沢山あることを認識させる何らかの試練をあえて選択させることが肝要であろう。人間は他の動物と違い理性がある。しかし、理性が未発達な子供はサル山の猿となんら変わらない。理性と暴力は真逆の方向にあるように思えるが、理性で暴力を認識する脳の学習において、暴力を受けない限り暴力の痛みは知り得ないものである。だからといって、親が無理やり子供に暴力を振るえばいいという訳ではない。痛みが必ず伴う格技教育などは最適な試練になると考える。

 昨今の殺傷事件は「怒りの昇華現象」と言えよう。理性で考え得る便宜的ステップの「怒り→暴力→殺傷」の中間である暴力を経過することなく、怒りは直接殺傷へと変貌する。暴力自体の認識や経験が少ないゆえ、怒りと殺傷が隣り合わせになってしまったとしか考えられない。また、殺人ゲームなどのバーチャル体験がそれを加速させる。これは私感だが、自分を体力の限界まで追い込み追い込まれた経験のない人ほど、これらの事件を起こす確率が高いのではないだろうか。

ねじれたハート 

 涼しいねぇ、最近。気温は避暑地並だ。オリンピックも無事?終了した。人の頑張りに自分を重ねることもなくなり、何故か心安らかで静かな月末を迎えようとしている。自分のことに集中できるので営業日和とでも言おうか。振られっ放しの案件を詰めようと、打ち合わせに行く気満々な私であるのだが、客は遅い夏休みで不在が多い。今回の北京オリンピックは特殊であった。私の中の愛国心と全体主義の意識を更に増長させ、自分や国の在り方を深く考えさせられる祭典であった。竹島問題も、韓国野球の対日戦や金メダルですっ飛んだ感がある。

 民主主義が人類の至上原理のようにのたまうが、共産党の中国と自民党の民主社会主義的な日本は、一党独裁においては変わらない。国民の利益を代表する議員候補者は、当選して議員になってしまえばこっちのもの、官僚の利益をあまねく代表する。そのような理念の捻じれた人達が選んだ代表があの「お飾りの権化=福ちゃん」だ。民主主義の属性の一つ多数決が生きているようで、実は死んでいる。「これって民主主義じゃあないなあ」と、皆思っている。今の政治体制のまま構造改革は絶対に不可能。政治の抜本的改革こそまず必要だ。

 あっ、そうそう。先週の土曜日の野球、日本対アメリカ戦、AMラジオすべての局が同じ内容を放送しているのにはビックリした。全体主義の片鱗と衰退するラジオ局の事なかれ無難主義を垣間見た気がする。日曜日は、おファカ(墓)参りの帰りに北島康介の実家、「北島商店」に行った。西日暮里駅方向から車で明治通りへ向かう途中の左側にある。メンチ・サンドでも記念に買おうかと行列覚悟で向かったが、残念なことに休業中であったので通り過ぎた。ゼンマイで泳ぐ北島人形でも作って、北島人気にあやかりたいと、出来もしないことを思いついた私だ。

 この夏唯一の発見は、ロッテのアイスクリームでお気に入りのクーリッシュと爽以外のアイスを発見したことだ。その日を振り返ると何も食べていなかったことに飲んだ後気付き、深夜のコンビニ(サンクス)で弁当を買って帰ろうとした。レジが混んでいたのでアイスの冷凍庫を眺めた。旨そうなピカチュウ・ミックスフルーツ味を発見した。が、その横に、レモンとバニラホイップのアイスがあり、オトナはコッチだと思い買ってみた。程よいレモンの酸っぱさとバニラの組み合わせがとってもいい。少し溶け出したくらいのほうが柔らかくって美味しいよ。今日はこの辺でおしまい。


「♪ファはお墓のファ」 ドレミの唄より 

 先週、雨の週末、盆休みには親戚の初盆で自分の先祖の供養が出来なかった為、土曜日は一人で父母両家の墓のある埼玉県深谷市にある2箇所のお墓参り、日曜は足立区谷在家にある家内のご両親のお墓参りへ家内と共に出かけた。2日間で墓参りをハシゴしたとでも言おうか。土曜日、一人なので深谷市へは臨海副都心線で途中乗り換えれば一本で行ける電車を選び、折り畳み自転車を持って出かけようと考えていた。ところがあいにくの雨。仕方なく車で出かけた。片道約80kmだ。この時期、渋滞もないと考え首都高以外は使わず、新大宮バイパスから中山道を使った。

 私の車の場合、燃費からガソリン代を距離換算すると1kmにつき約23円かかる。往復で3,680円也。これに首都高の高速代往復料金。一人は高い。更に憂鬱な雨。その憂鬱に更に追い討ちをかけるオリンピック日米野球の実況中継。負けゲーム。食事をしようにも、最後に何があるか分からない。オマケに渋滞にも巻き込まれ、試合終了後の3時過ぎに食事を摂った。メシを食べようと、街道沿いに目を凝らしていると、意味不明な「やきそばフライ」の看板を数件発見。なんでも、焼きソバをお好み焼きのような小麦粉のシートで包んだものらしいのだが・・・。

 それらに惑わされず、憂鬱な気分できっと痛んでいるであろう胃を気遣い、気持ちは既に一直線、消化のいいウドンにしようと決めていた。この付近、熊谷あたりもウドンは昔から有名である。駅前にも有名店があることは知っていたが、そこに辿り着く前に見つけちゃったわ!「丸亀製麺」。迷わず入り、「ぶっかけ醤油うどん(大)」を注文。桜海老のかき揚げが無かったので聞いたところ、すぐ揚げるとのこと。盛は都内より1.5倍くらいデカイ、と、感じた。かき揚げも同じくデカイ。おにぎり取らなくって良かったと、年齢なりに節制ができるようになった自分を褒めてあげた。腹も満タンだ。

 食欲を満たした後は、お墓に向かうだけだ。ドレミの唄の「ファはおファカ(墓)のファ」を、針飛びレコードのように陽気な気分で繰り返し歌っているうちに、おファカに到着した。外は雨。線香に火を点けようと頑張ったが傘を持ってはなかなかだ。車に戻り社内でライターで火を点けた。私が口ずさんでいた歌は線香だけあって、♪「青雲、それは君が見た光、ボクが見た希望、青雲、それはふれあいの心、幸せの青い雲、青雲」。なんと、完璧に歌えた私だ。点火した線香の束を持ち、車から墓場へ向かった。入り口のお地蔵さん達にも、一人一本線香を大盤振る舞いした。

 雨の墓場を、とってもラテンな気分で陽気に口ずさみながらおファカに向かった。♪「ドは土葬のド、レは霊柩車のレ、ミは実が出ちゃうのミ、ファはおファカのファ、ソは葬式のソ、ラは 来世のラ、シは死人のシ、さあ、歌いましょ!」と。ミだけは、脈絡のない箸安めな歌詞だなぁ。私は当家歴代、最後の長男として、おファカに到着した時点で気持ちを切り替えた。恭しく粛々とご先祖様にお祈りした。その様は威儀正しく、近寄りにくい厳(いか)めしさをも持ち合わせ、お参りは無事執り行われたと、両親及び親戚の皆様と関係の無い各位にはここにご報告しておこう。

 その後の母方のおファカも、翌日の家内のご両親のお墓も、♪「ファはおファカのファ」な気分を、おファカの前で一転させ、恭しくお参りした。

カレーを食べて記憶力アップ 

 以前、私のブログで、日本の諺「味噌糞一緒」と同義の諺は、日本以外にないのか?という研究論文を発表した。私が研究などするはずも無く、勝手気まま指任せに、イメージを膨らませ、一体結論は出るのだろうかと不安にさいなまれながらも書き始めた。すると、書いている途中、結論に行き着く前に、諺の神様が私に降臨し、そしてインスパイアされ、新しい諺?を、実に即興で2つも作り出してしまったのだった。一つは、「味噌屋が味噌に糞をする」。もう一つは、「豆腐屋がオカラにゲロを吐く」だ。

 これら偶然の副産物である新しい諺の意味は、前ブログでも書いたが、確認の為もう一度説明しよう。もう賢い諸君はお分かりだと思うが、2つとも「これをやられちゃあ、たまんない」とか「これをやられちゃあ、おしまいよ」程の意味だ。「味噌糞一緒」を親とすれば、その遺伝子を確実に継承した諺の子供達といえよう。と、いつもながら結論から遥か彼方に反れてしまった反町ジャパン。金が欲し~の星野ジャパンだ。「味噌糞一緒」と同義の諺は、なんと、インドにあったと、私は推測でテキトウに結論付けた。

 それは、「カレー糞一緒」。実にこの諺に含まれている2者は似て非なるもの、食べようと思っても片方は食べられないもので、「味噌糞」と全く同じである。両者は正反対にあるものだが、風邪などをひいて鼻が詰まった場合、本来、食べられない方を食べてしまいそうな程、その見た目は、サブイボが立つ程酷似している。そういえば、「カレー風味の糞と、糞風味のカレーのどちらかを食べろと言われたら、いったいあなたはどっちを食べる?」なんていう、ファッキン‘な問題もあった。私なら間違いなく「ゲロ味のオカラ」だ。

 これら、恐ろしいまでに私が勝手に繁殖させた諺の家族を、具体的な名詞から抽象的な名詞に置き換え整理すると、頭の混乱も無く、糞を食べる危険性も半減する。それは「食べ物排泄物一緒」だ。すべてはこれに置き換えられる。というより、この諺こそ全体集合であり、部分集合の「味噌糞一緒」の更に親、ご先祖様といえる。面白くは無いが。と、ここまで、「カレーを食べて記憶力アップ」の読売新聞の記事を見て、その記事に絡もうと頑張ってきた。しかし、それを発表したのが、武蔵野大と米国のソーク研究所であったことが災いした。

 カレーの研究に「ソーク研究所」が絡んでいたとは・・・。私はこれを読んで一瞬固まった。なぜなら、この研究所を業界用語で言えば「クーソ」になるのだ。なんと言霊の皮肉なこと。せめて、「ソーミー研究所」くらいの、軽い名前であったらこのブログは無かった。そして、その記事には、更に私を畳み込み喜ばせるがごとくに、「カレーのスパイスの一種ターメリック(ウコン)から作った化合物に記憶力を高める効果があることが動物実験でわかった」とあるではないか。「ええっ!う○こ」と、ウコンを読んだのは言うまでもない。

 インド人の頭の良さは「ウコン」にあったのか。アルツハイマー病など脳疾患の予防にも役立つらしい。北京五輪の野球を見て、韓国チームが最後まで踏ん張れるのは、きっとニンニクの効果に違いないと確信し今日まで餃子を食べ続けていたが、明日からはカレーを食べなくっちゃと、いつものように軽~く世間に流され、意志薄弱な意志を新たにする私なのである。カレーは「脳味噌」にいいのか!?。と、また味噌が出てきた。書き出したら止まらなくなるので、この辺でさようなら。

日本国民全員が一人一万円を使う日 

 「ちゃんとお金払ってお仕事をお願いしてんだから、手配するのを忘れんじゃねえよ!」と、面と向かって言ってやりたい奴が昨日も現れた。前日もメールで確認し、それでも危ないんで当日も電話で確認したところ、あたふたした挙句、書類が足りないとのご返事。ちゃんと佐川急便で送ったから社内を探してと再依頼。あったら電話しろといいたいところ、我慢してこちらからまた確認の電話。本来ならば、使いたくない会社なのだが、仕入先がそこを使っているのでしょうがなく使っている。

 こっちとら、オリンピックの影響で納期遅れになるとまずいと思い、赤字覚悟で船から飛行機便にわざわざ変えてやった。発注の日が遅れたにもかかわらず、納期は同じとはこれ如何に?値上げも譲れないとはいったいどうして?ああ~、すぐ金になる歩合制の仕事がしたいなあ~。オレが女だったら、仕事終わってからキャバクラに勤めて、その赤字分を取り返すのになあ~。男のサガか、意志の弱さか、飲みに行って、金を払い憂さ晴らしするしかないなんて不平等だ。

 客からは利益を削られ、仕入先からは命を削られる。なんてボクって不幸なの?盆明けで皆、モチベーションが軒並み低い。私もだ。このままで、収穫の秋は訪れるのであろうか?竹中平蔵さんが先日、産経新聞に書いてたけど、福田新内閣の閣僚は、‘90年代の「失われた10年」で財政拡大するマクロ政策を取った「バラマキ派」と、消費税引き上げで財政再建に走り日本を危機に陥れた「増税派」が、要職を占め、「失われたX年」再来の可能性を示唆していた。

 またしても「構造改革」は遠のくなぁ。麻生さんの批判もあった。株取引で300万円以下の配当金については無税にするとはトンデモ話しだと。このニュースをテレビで見たとき、タンス預金が世に出回っていいんじゃないと思った私なのだが・・・。「こうした税の減免は、英語で「TAX EXPENDITURE」(税による支出)といわれるように、これは政府の実質的な支出なのである」と。証券不祥事もあり株取引が低迷しているこの時期、麻生さんに賛成しちゃうなあ~。

 そうそう、失われた10年での追加経済対策は130兆円、GDPの26%にも達した。にもかかわらず、平均成長率は1%であったとのことだ。構造改革が進まないならば、いっそ国民一人が必ず「一万円を使う日」を作り、休日にしたらいい。レシートを提出すれば年末調整で還付される。こういう実験的且つ平等なバラマキこそ今の日本には必要なんじゃないかなあ。減税のように、限界消費性向0.6~0.7%を気にする事無く、皆全額使い切るんだからいい結果になるかも。

 不景気な2月くらいにその日を設定すれば、年末までにはケインズのいう乗数効果が働き所得が増え、税収もアップする。であろう。国民一人一万円だから、総額1兆3000億円かかることになる。先の130兆円無駄遣いより、平等感があっていい。公共投資の資金を国民が先に立て替えて支出する方法って今まで無かったんじゃないかなあ。ケインズがいう景気拡大の為の公共投資の概要は、必要の無い穴を掘って、また埋めて、それの繰り返しであっても、乗数効果が働き国民所得が上がるといったようなことだ。過去の公共投資も平均成長率がたった1%であったのだから、不必要な穴の工事にバラマかれたようなものだ。消費のほうが経済成長を数倍期待できそうだ。

盆休みと北京オリンピック 

 盆休み中、北京オリンピックの野球が連日あり、そのナイター中継をダラ~ンと見ていた。球場は、天安門前の東西の道(興復路か?)を西に向かった五裸松(ごかしょう?)体育中心にある。上空から球場を撮影した場面があり、球場が3つ連なっている。「なんだ!!球場は五箇所じゃなくって三箇所じゃあねえか!」と、日本一、否、世界一静かなツッコミを入れた私だ。

 北京駅から北京飯店横の道を北上すると、有名な「鳥の巣」がある。その名前をはじめて聞いた時、実に安い名前だと思った。スパイダーマンや高級マスクメロンと同じとしか見えない筋を見ていると、鳥インフルエンザが中に凝縮された大きな塊にも見える。国威発揚の象徴ならそのスタジアムの名前を高級食材の「ツバメの巣」とかにすれば良かったんじゃないかなあ。

 8月14日夜のオリンピックはものスゴかった。日本は、野球では国民党と戦い、バレーボールでは共産党と戦った。台湾が民進党から国民党になった為、歴史的に「夢の饗宴」ならぬ「悪夢の饗宴」が時を越え実現してしまった。こんなバカなことを考えながら2画面で観戦した。両試合終了後、すぐに時計は12時を回り、終戦記念日になった。結果は過去と同じだ。

 野球の日本対韓国は、日本が負けたがいい試合だった。日本を応援しながら、「内角投げちゃあいけないよ!」と思った瞬間、投球はそれに反してドカ~ンとホームラン。その後、九回表で韓国が得点を重ねる。九回裏の日本も、逆転はならなかったが得点を入れ頑張った。韓国の選手は皆紳士で高い技術を持っていた。世界を知っているだけあり、とても好印象を持った。

 北京オリンピックのオープニング・セレモニーがCGだの口パクだの喧しいが、いいじゃないの、そんなこと。他国が演出したエンタテインメントを、自国のほうが最先端であると驕り、今の価値観で裁くのはおかしい。公害問題も同じだ。東京オリンピックは、たまたま経済成長の前期で、田子浦や東京湾のヘドロ、公害警報の前の時期で運が良かった。

 土曜日も日曜日も、自転車で走りに出かけたが途中で雨が降り出した。両日共20km走り途中からプールに向かった。皆、四金蛙王から刺激を受けているせいか、平泳ぎをする人の比率が心なしか増えたような気がする。平泳ぎは腰に負担が掛かるので、クロールとウォーキングに精を出す。自転車は腰の負担がない。反面、自転車操業は精神的な負担が大きい。では。

中国 河北省の省都・石家荘 

 「毒入り餃子」事件で一躍有名になった「天洋食品」。河北省の省都「石家荘」にある。今から16年前の‘92年、「石家荘第一印染廠」という国営公司に、生地印刷の立会いで出張した。北京も河北省であるが、特別行政市なので省都ではない。北京がある省の都なので、少しは栄えているかと思いきや、とってものどかな田舎街であった。北京の南々西方向へ約350km位の場所であろう。北京でチャーターしたマイクロバスがパンクし、しょうがないからと汽車ポッポにしようと軟席(一等席)の予約を取ろうにも取れず、どうしたわけか長距離の寝台バス?という何のこっちゃ?みたいなバスで行くことになった。北京の駅の周りには 出稼ぎの流民が溢れている。戦後の日本、上野駅の周辺もこのような感じであったのだろう。

 中国人の通訳に「寝台バスじゃなくって、リクライニング席のバスじゃあないの?」と、笑いながら聞いてみたが、彼は寝台バスと譲らない。「何だって行ければいいじゃあないの」との客の一言で短い論争を終わらせ、一時間後に出発するバスを待った。バスが到着し窓の中を良く見ると、本物のベッドが2~3段に横たわっている。通訳の日本語は正しかったのだ。彼は窓を指差し「ほらね」のような顔している。ベッドの半分が起き上がり、その部分はリクライニングになる。時間は夕方の6時。到着は12時頃とのこと。トイレは無い。ビールはヤバイということで、免税店で公司へのお土産として買ったウイスキーを皆で飲むこととした。途中、舗装されていないガタゴト道も多く、その揺れも手伝い、皆酔いに酔った。

 途中、起きて外を見ると、大きな都市を通過中なのであろう、まばらなオレンジのナトリウム灯の下や暗闇の中に多くの人がいることに気付く。隣に寝ていた某大手レコード会社系の常務曰く「ヒトデは海にいる。中国じゃあ人手はそこらじゅうにいるなあ~」とのダジャレを子守唄に寝付いた。どういう訳か中国では滅多に無い12時かっちり、定刻通りに石家荘駅近くのホテルに到着した。ネオンもホテル以外なく、人気も全く無い暗い街である。繰り出そうにも繰り出す繁華街など無く、チェックイン後、皆静かに寝入った。朝起きてホテルの窓から外を見れば、駅につながる道には自転車で通勤する人で溢れかえっている。近所の公園横にある大理石で出来た豪華な博物館だけが、この街の中でひときわ異彩を放っている。

 駅から真っ直ぐなセンター通りの突き当たりに目的の印刷工場はある。天洋食品の現地映像を見ていたら、16年前と周りの風景は一変していたが、どうもこの通りの突き当りで同じ場所にあることに気付いた。駅前の映像も出てきたが、昔の面影も無い程、りっぱな建物が乱立しているのに驚かされた。当時、博物館横の公園では、皆真昼間からビリヤードに勤しみ、多くの手打ちラーメン屋台が出ていた。パンパンと音を立て打っている麺を食べようと皆で屋台でラーメンを注文した。折り悪く風が強かった為に麺にはまばらに巻き上がった砂がブチブチと入っている。うどんのようなラーメンだ。食ったがコシがなく砂でジャリジャリして、スープの味もない。「

「畳の上の金と銅」 「水上の金と王者のメンチ」 

 妹の義父の初盆が15日にある。例年旅行に出かけるのだが、今年はその日が中間にあり、どうにも動きが取れない。東京湾大華火は前倒しで10日に開催された。この時期、世界は北京五輪に沸き、静かにその裏と言っては大変失礼だが、高校野球も白熱している。柔道のヤワラちゃん、子育てしながらの銅メダルには感服の至りだ。本当にお疲れ様。金を取っていたらそれこそ大変、次の4年間で体も心も壊れてたんじゃないかなあ。今後はプレッシャーから解放され、普通の生活を取り戻すことが出来るようになる。内柴の金、中村の銅も含め日本を代表し象徴するスポーツ「柔道」で、「畳の上の金と銅」は、日本人の誇りだ。

 北島の金メダルにも興奮した。前回のオリンピックで金を取った時の「チョー気持ちいい~」発言から早4年。あの時の若さゆえの危なっかしさが全くない。「男泣き」という言葉は英語に無いらしいが(産経抄より)、あの男泣きは、4年間、自分に真剣に向き合い、あたりまえに降りかかる煩悩を一切断ち、休むことなく一つの目標のみに邁進し、それをやり遂げた男のみに許される涙だ。その涙を見てもらい泣きした私の涙の安いこと。恥ずかしい限りだ。北島は、どこかの教授が提唱した「勝負脳」を鍛え続けたらしい。この脳を鍛えるには、毎日の練習を決して休むことがあってはならないそうだ、と他人事。マイナス要因になる言葉も一切ご法度とのことだ。王者のご利益にあやかる為、実家足立区の精肉店を探し、メンチでも買いに行こうかと考える私だ。「チョー売れてる!王者のメンチ」。

餃子半額は月・水・土・日 「天下一ラーメン」 

 この時期、夏バテしないようにと、ニンニクを食べる。水曜日の仕事もなんやかんやと忙しく、9時半頃に強制終了させ、「おっ!今日は天下一ラーメンの餃子半額の日だ」と、お得感にセコク魅了され事務所をあとにする。まるで主婦の生まれ変わりのような私だ。よくよく考えてみると、朝から何も食べていないことに気付く。店に入り、いつものように発注する。「瓶ビールと餃子と中華丼」と。ビールはすぐに出てくるのだが、ザーギョーの焼きに10分かかる。その間に、ビールは殆ど無くなる。途中、隣で枝豆を発注する奴がいた。単品のツマミを思いつかなかった自分の思考力の無さに嫌気がさす。そして、ビールが空になった時、餃子と中華丼が出てきた。

 このビールを持て余す時間差攻撃から自分を守る術を考えなければならないと、店に来るたびに反省するのだが、店に辿り着いた時、頭はいつも空っぽだ。本来あるべき、最も美しい発注方法はこうであろうと推測した。最初に「餃子と中華丼!」とやっておき、7分後位に「ビール!」とやる。おもむろにビールをグラスに注ぎ、グラスを持ち上げグラスの底から泡を眺め目を細める。そして一気に一杯めを飲み干す。次に二杯目を飲みながら、小皿に醤油・酢・ラー油を入れる。疲れているので酢はいつもより多めだ。それらの作業を同時多発的に行っているうちに、「オマチドウサマ~」(いつも中国人の女性なのでカタカナにした)と食べ物がやってくる。

 一般人には普通の組み合わせにしか思えない「餃子・中華丼」の両メニューに秘められた私の大発見をココだけの人に教えてあげよう。中華丼は最後に頼めばいいと思われるだろうが、それは間違いだ。あのアンかけはとっても熱い。そのまま食べてヤケドした人も多いはずだ。餃子6個を食べ終わったくらいの時間が経つと、ちょうど食べ頃の熱さになる。ここがとっても大事だ。じゃあ、今日のレッスンを忘れないうちに復習しておこう。店に入る→「餃子・中華丼」を注文する→(7分後に)瓶ビールを注文する→(ビールを飲みながら)餃子のタレを調合する→(食べ物が出る)餃子から食べる→中華丼を食べる。忘れないうちに何度も復唱し暗記するように!

 ビールは絶対に瓶だ。グラス一杯に注ぎ、ビールの雫が垂れない様、ワインと同じ要領でボトルを捻る。するとどうであろう。酔いがまわっていく内に、老眼の目が徐々に霞み、ビールはスパークリング・ワイン、中華は、イタリアンや豪華なフレンチに大変身する。とっても「トレビアンな泉ピン子!」。餃子は大きいラビオリに変身し、中華丼はリゾット、さしずめラーメンはスープ・パスタか。と、シルクロードの歴史的意義に思いを馳せ、ユーラシア大陸は東西に陸続きであることを再認識する。テーブルの隅を見れば胡椒もある。この胡椒を求め、西洋における大航海時代が始まったのかと感動に打ち震える私なのだ。天下一ラーメンで。今日の授業料1,520円也。安っ!
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。