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定額給付金の支給時期 段階的手法を取り入れ年内早くに! 

 定額給付金は、弱者救済の社会政策か消費活性化の経済政策か?という議論、そんな悠長な余裕はない。実施することを決定した以上、選挙前の人気取り対策等とは考えず早めに実行するべきだ。日本のGDPは前期比0.1%減、年率0.4%、2四半期連続で減少していると今朝の新聞にあった。今後、その減少が更に加速するか否かは政府の実施時期と国民の消費にかかっている。

 給付金総額が2兆円であるので、政府支出は前年度実質GDP約560兆円の0.35%という割合になる。2兆円の支出は2兆円の所得を生む。この所得の消費比率を支給一回目は100%とする方法がある。支給全額を、完全消費させる為に、レシートや領収書添付等を義務付ければ、事務手続きの煩雑化するが、貯蓄に回ることは避けられ、第一回目は乗数1となる。

 初期支給額は、このような条件付施策で理論的に全額が消費される。その後は貯蓄比率が考慮される。2次消費以降からは限界消費性向や貯蓄性向があるので、波及の過程で総額は徐々に減衰する。生まれる所得の総和は、無限級数の和である。したがって乗数は、消費比率をC=0.5とすれば、1/1-cになる。Cを便宜的に0.5とすると、乗数は2になる。

 つまり政府支出2兆円に対して、合計で4兆円の所得を生むことになる。そして、第一回目の完全消費された2兆円をこれに加えれば、所得の合計は6兆円になる。この総額は、前年度GDP比率では1%を超える。政府の施策時期の決定で、今期のGDP算出の期限内に入るか、入らないか、3四半期も半分まで来ており、年末も近く、既に瀬戸際の時期である。

 実行開始日を早急に決定し、定額給付金の通知が届かなくとも、レシートや領収書で立て替えた証明ができれば良しとするべきであろう。また、消費活性化の為、ばら撒いただけに留まらず、1月の正月明けから2月の消費停滞期には、例えば、週末に限っては、公共交通運賃の一部無料化などを実施し、人を家から外に出し、消費の下支えを行うことも肝要であろう。

 民間企業であれば、財やサービスを販売する前には宣伝広告、販売開始と同時に販売促進を当たり前に実施する。その後、売上高における経費の検証や効果測定。計画を継続するか、修正するか。これら企業の販売戦略・戦術は、広くマーケティングと呼ばれるものだが、噛み砕けば、企業と消費者を財・サービスを接点とし、双方が同時に喜ぶことの出来る状況を作り出す手法である。

 政府の定額給付金もマーケティング手法を取り入れるべきだ。選挙前の人気取り政策と言われるような一過性のものであってはならない。施策の効果はGDPという数値となる。この結果の数値こそ政府の人気を左右すべきものだ。拙速でも今会計期内にその効果は確実に期待できると、その計画や数値的な経済効果を国民に詳しく説明し、即実行すべきだ。消費に重きを置いた経済政策として、意義ある大実験でもある。役所も煩雑な業務に追われる事になるが、役所運営の原資が税金にある以上、ご理解いただかなければならない。
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電車の中の一人笑い その笑いの原因を分析する 

 昨日、半蔵門線に乗った際、正面の女性がうつむき人目をはばかるように一人で笑っていた。これはまだマシなほうで、堂々と笑っているアブナイ人も時たまいる。寒くなるこの時期、発生しちゃうんだなあ、こういう人。ある種、地下鉄内でのテロリストだ。昔は、私が何か粗相をし、口元に食べかすが付いていたり、社会の窓が開いていたり、ラジバンダリ!と、全くの赤の他人の笑いで、私自身、不安にさせられたものだ。だが、人生の達人になりつつある今は違う。その笑いの原因を推測・分析し仮説を立てたことで、その不安は四分の一に軽減した。一人笑いの原因は、大きく4つに分けられるのだ。この発見はノーベル賞ものかもしれない。それらは以下だ。

1) 私の何かがおかしいのが原因
2) 私以外の人の何かがおかしいのが原因
3) 本人の思い出し笑いが原因
4) 本人自体が行っちゃっているのが原因(精神的に)

 公共の場で堂々でも遠慮がちでも一人で笑える人は、とても雑な神経の持ち主で、ある種度胸があると考える。一人だけで話している危ない人と、同じ人種だ。私なら一人笑いを堪える。その薄気味悪い笑いに気付いたデリカシーのある人は、その不思議な笑いに傷つく。自分の何かが原因じゃないだろうかと。精神構造がガラス細工でギヤマン体質の私もそうだ。年末も押し迫り、100年に一度の世界恐慌の嵐が吹き荒れているこの時期、このような人は更に増えてくる。感受性が高くデリカシーがある人は、上記分類を参考にし「自分が笑われている確立は25%」と考えればとても楽になる。

 特に分類4番目の人には対策を講じる必要があろう。一人笑いで他人を不幸にするテロリストだが、うろたえ慌てることはない。反撃方法も考えた。笑っている奴と目があった際、笑い返す。「微笑み返し」だ。友達と一緒なら、自分に落ち度は無いはずだから、そいつを指差して笑い返してやるのも手だ。それによって、笑っているオカシな奴は我に帰り反省する場合もある。それでも止めない場合、しつこくすることは禁物だ。本当に行っちゃってる人なので、次の駅で電車が止まり、ドアが開き、そして閉まろうとする寸前に降りる。とにかく逃げるのだ。さすれば、ストーカーされる心配はない。

 この分類は、「人の心の持ち方」に関する大発見だ。人の心に無断で入り込むメンタル・テロリストを、自分の心の持ち方、または、対抗措置を講じ如何に撃退するかに関するオバカな論文である。田母神論文に対抗しようとチッピリ意識した。田母神論文の内容については私もほれ込んだ素晴らしいものであったが、書いた本人が撃沈されては軍人トップとして本末転倒だ。私はこの発見で、私のブログを読んでくれた人の何人かはテロから救出することが出来るのだ。心の戦争を勝利に導くことができる。田母神論文に私は勇気付けられた。だが、言論戦という戦いが始まり、その田母神参謀本部長は撃沈されてしまった。返す返す残念だ。

田母神元航空幕僚長 言論地雷「村山談話」を踏む 

 田母神元航空幕僚長の論文は過去から現在における歴史の私的解釈で、村山談話は近隣諸国に配慮した日本の包括的理念であり折衷論というべきものだ。前者の現実論は、戦後、事実として検証されたものであれば正しい。その検証を無視し国益を守ろうとする他国は間違いであると考える。村山談話については、戦後、米国の占領から東京裁判の判決を受け入れサンフランシスコ講和条約で独立し敗戦国として正しい手続きを経たのに、戦後50年の大事な節目で国として謝罪したことは間違い、その他の配慮や理念は正しいと考える。

 私は仕事の中で、大なり小なり日本人であることを証明する場面に何度も会い、レベルを計られることも多い。ゆえに必然的に愛国心が高まった。善・悪の二元論。敗戦すれば悪い国。日本にも差別はある。近隣国は更に激しい差別社会である。近隣諸国の儒教的見地から日本を見れば、朝鮮は兄、中国は父という認識がいまだに大きい。ましてや、その末っ子に植民地支配(私は他国と違い搾取が少なかったので植民地経営と考える)された。その後、米軍と戦い日本は負けた。被支配国は戦勝国と第三国になり日本は敗戦国となった。

 戦後63年。世界のパワーバランスはまさしく核の上に成り立っていることは、核の誇示で戦争にならない北朝鮮と、核がなく戦争になったイラク・アフガニスタンと米国の関係・交渉を見ていても明らかだ。世界地図で日本を眺めれば、朝鮮半島、中国、ロシアを日本列島というパラボラ・アンテナが耳を傾けているようだ。兵法、鶴翼(かくよく)の陣形だ。しかし、敗戦でその鶴は死んだ。日本国土は米国に好都合の天然要塞化した。米国軍事基地や空母・戦艦等太平洋上の配備を見るに「共産主義の防波堤」であることは間違いない。

 平成7年の村山談話の一節、「わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対する償いとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなる」とあるが、持つ持たないをも含めた「核の議論」さえ許さないという一部の意見が横行し、過去の償いも御霊を鎮めることもままならない。近隣との協調及び日本の将来を示唆したが、13年経っても核の廃絶に対し何もなされていない。

 渡部昇一氏のように英文学が専門で、GHQの言論統制で創られた戦勝国に媚びる学閥系、国公立系ではない論客ならまだしも、防衛省官僚であった田母神氏が、戦後、検証されたものや公文書などを盾に公務員という立場で戦時中の日本は正しかったと論ずる行為は、「村山談話」という「言論の地雷」を政府が継承している限り、浅はかであったと感じざるを得ない。田母神論文は、『月刊正論』をオピニオン誌とした産経新聞の読者である私にとって、よくここまで簡潔にまとめ上げたものだと驚嘆に価する論文ではあるのだが。

 もっとも防衛のプロであり、組織のプレゼンス・アイデンティティー・モチベーションを高める為にはそのような理論武装も当然仕事として必要なのであろう。政治的に村山談話が作用する限りオフレコという手段で組織内では機能させるべきであるが、「言論の自由」を主張する前に公的立場を熟慮し、世間一般に公表すべきものではなかったと考える。もし、ペンネームで投稿し賞金を辞退したという現役防衛省の高級官僚であったとすれば、この論文の影響力は内外で計り知れないものになっていたであろう。表面的な行為の良し悪しではなく、論文内容の吟味が活発になったと考えるからである。論文の内容が素晴らしいだけにとても残念だ。戦略・戦術のプロ、田母神氏は論文を公表する戦術を誤った。この問題を、諜報戦と捉えれば明らかに負けだ。「村山談話」という地雷も踏んだ。軍人のトップが戦術を間違え、敵の弾に当たって死ぬのではなく、味方に捕らえられ市中引き回しの上、首を晒されている状態だ。航空幕僚長を辞めてもらって結果的に日本は助かったのではないか。

今日は休刊日 

 今日は休刊日。「休んでんじゃネェヨ!需要があるんだからもっと働け!」と、新聞の無い今朝のトイレ。両手が手持ち無沙汰、居心地の悪さにとってもムカツク私。仕方なし昨日の新聞を読み返す。せっかく優勝した西武が可哀想だ。明日の新聞では、きっと忘れ去られているに違いない。敗れた巨人は醜態を検証されずラッキーだ。讀賣新聞、明日の紙面構成は果たして如何に。

 天気がとても悪かった先週末。やること無いんなら野球でも見て安く上げようと、にわか野球ファンに。昨日、ハンズにサンプルを買いに行き、7時には帰宅しテレビ観戦と相成った。土曜日の試合はオモロ~だったけど、昨日の試合は実につまんなかった。「野球中継がなくなるこの時期、夜、やる事がなくてつまらなくなる」とは、実家の75歳のオヤジの言葉だ。

 趣味のない父は、「野球命」。だがテレビ観戦のみ。野球が終わるこの時期、命の灯火が途絶えるような感じなのであろう。昼夜消えつつ物をこそ思え、か。そういえば、この時期は例年、寒さも増し私も何故か切ない。父は酒が昔から飲めない。甘い菓子でも持っていってやるか。と、思いながら、過去5年間の自分の売上分析をしたらある法則に気付いてビックリ。言えないけど・・・。

 昨日、柔道百キロ超の石井がニュース・バラエティーに出演の際、「怠るものは不満を語り、努力するものは夢を語る」と、座右の銘を披露した。私の中で、彼の金メダルとこの一言だけで、マスコミで見聞し定着したマイナスイメージはすべて払拭された。「60億分の1」は私もそうだ。異種格闘技での「60億人の中の一位」に、彼なら着実に上り詰めるであろう。

ダイニング・バー「SASA」 In Gate Front Midtown(=門前仲町) 

 おっと気付けばもう金曜日。今週はたった4日、大損をした気になる。暇にかこつけて土曜日も休んでしまう体たらく。休み無く働きてぇ~。忙しさに勝るほどの喜びは無い。勤労の喜びは尊い。選ばれし者ではないが、プロテスタンティズムの倫理が私の中に強く働き作用していることがわかる。何言ってんだ、この葬式仏教徒が!と、怒んないでね。醤油だって、薔薇だって、憂鬱だって書けるんだから。役者・大杉漣の「漣」(さざなみ)って漢字のシンニョウは、点が2つなのか、それとも1つでいいのか?答えは、どっちでもいいらしい。と、暇なんで仕事以外のいろんなことを考えてしまう。

 私がよく出没する門前仲町のダイニング・バー「SASA」。 ここのスタッフの24才の女性は記憶力抜群だ。歴代将軍鎌倉9代・室町15代・徳川15代と教えたらいとも簡単に2日で暗記し、そんじゃあってことで、歴代天皇125代を教えたら、約4日間くらいで覚えてしまった。そんな頭いいんなら、受験勉強やり直し医学部を受けろと勧めている。ドラマ「コードブルー」の新垣ちゃんを目指せと、焼酎を飲みながらハイテンションで説得しているのだ。この店のママのお兄さんは、元力士、相撲甚句やタイガー魔法瓶のCMで有名な「大至さん」だ。たまに店でお会いすることがあるが、謙虚で優しい方だ。体だけは謙虚じゃない。とてもデカイ。

 もっぱら私は一人で。その他の客も一人であったり、複数であったり、ラジバンダリ。(←おおっ、やっと使えるようになった!時遅しだが・・・) 常連とその他の客が半々で、ある種、いい緊張感がある店かもしれない。常連ばかりの場合、私のエロトークは炸裂し、しゃべりすぎて終いには顎が痛くなる。ネタが無くなれば、私の鞄からロディアの手帳を取り出しネタチェックも怠らない。革の手帳の消耗品であるメモ帳が無くなった場合に備え、同じロディアのメモ帳も伊東屋で買っておいたのだが、家内に使われてしまった。仕方無し、百均で買ったメモ帳を入れさせられている。サイズはピッタリだがとっても惨めだ。

 夜の現役を引退した今のほうが、行動が伴わない分、エロトークも知的且つ論理的になった。(←当社比較) 酔うと誰かが私に乗り移るのだろう、きっと。私はもしやメシアなのではないか?思うようにもなった。(性の電動こけ○じゃあねえや、性の伝道師だ) 自営の客も多い。私がスカウトしてこの店を紹介し、それ以来常連となったOPという、見た目はクール実は極悪人、その一人を除けば、客皆がとても気が利く。

 この店は、門前仲町を流れる運河沿いにあり、花見の季節は店内からじっくりと花見が出来る。ここを覚えたら、公園で陣取りしてゴザを敷いた花見は出来なくなる。酒も食べ物もトイレだってある。花見の時期にありがちな寒波に襲われることもない。ロケーションも抜群!リバー・ビューじゃねえや、運河だからアナル・ビューか。いや、違った、キャナル・ビューだった。お花もビューだ。と、何故か今日は、お店の宣伝になってしまった。皆さん、来週あたり、この店でお会いしましょう!!

 最後に一句。 
       
  晩秋の 夜の巷を 流るれば 彷徨(さまよ)い止める SASAの葉なりけり

黒人初?の米国大統領 バラク・フセイン・オバマ氏 

 かつては絶版問題にまでなった「ちびくろ・サンボ」。マークの黒い人が人権問題となったカルピスのマーク。人権重視、ポリティカル・コレクトネスが正しく?作用しているように思われていた近年であったが、今度の第44代の大統領選に勝利した民主党バラク・オバマ氏。「黒人初の大統領」との表現はいただけない。彼はケニアと米国の混血であるので、正確には黒人ではない。貧困な家庭に育った訳でもない。日本のメディアは、なぜ大統領の冠を平気で「黒人初」と入れるのか?朝日新聞まで。おっと、勝谷さんになるところだった。

 見た目で肌の色が黒ければ黒人なのか?じゃあ、松崎しげるは黒人か?日本のサーファーは?歴代の大統領が白人であったので、一括りに黒人としたほうが簡単だからであろうか?正しく記すなら、嫌な言葉だが「有色人種」が適切なのではないか。この一人論争自体が人権問題に引っかかりそうで怖い。まるで米国に住む人種は「エボニー&アイボリー」の2種だけのようでもある。もし、将来、日系アメリカ人が大統領になれば、「黄色人初の大統領」とするのか。と、どの報道を見ても聞いても、「黒人初」とは、合点がいかない。

 理念と現実はまさにこのようにも違ういい例が、米国風「人権思想」なのかもしれない。米国の場合、白人があくまでも主体で、その他多くの人種は面倒なので一括りに黒人と便宜的にしているのか。オバマ次期大統領は見た目が黒い。故に世界中の黒人の誇りになった。が、私も同じ有色人種、黄色人である。「有色人の誇り」と、日本のメディアが書いてもいいのでないか。一括りに「黒人初」と書き立てる日本のメディアは不遜だ。何故だか、日本人は白人に近い肌の色であると勘違いしている、そんな上から目線を感じる。

 先の戦争の更に前、白人中心思想のダーウィン『進化論』では劣っている人種とみなされていた有色人種の国が、なんと白人の国ロシアに戦争で勝った。「日露戦争」だ。ロシアに苦しめられていた日本の最果て、ヨーロッパのお隣の「オスマン・トルコ」は国を挙げ日本の勝利を祝福した。有色人種でも白人の国に勝てたと、日本の勝利に勇気付けられた国は多い。昨今、世界中で人種差別撤廃はすでに為されたと錯覚している日本人は多い。白人優位は未だ変わらない。白人の心の中まで見透かすことは我々有色人種には出来ない。

「小室哲哉」 詐欺よりもっと大きな犯罪がある 

 私の場合、小室と言えば「直樹」だ。この方は「ソ連の崩壊」を見事に予測・的中させた大先生である。その後の著作、経済・憲法・中国の各『原論』もオバカな私にはとても分かり易く、ことあるごとに読み返している。地政学の大家・倉前盛通著『悪の論理』では、ソ連のアフガン進行を予測・的中させ、暇な学生時代、この先生もすごいと読み耽っていたが、その後社会人になり、それ以上の大先生現るといった感じ、素人でも分かるよう工夫して書かれているのが「小室直樹」大先生の著作の数々だ。上智大学名誉教授の渡部昇一先生はもっと好き。小室先生はその次に好き。ゾウさんはもっともっと好きです。

 この不景気な昨今、なぜだか新聞やテレビで小室と言えば「哲哉」だ。「どうでもいいじゃん!」ってな感じなのだが、みなさんはいかがですか?この不景気をいかがお過ごしでしょうか?私として小室哲哉は、日本の音楽業界の「失われた90年代」を作り出した張本人、悪の権化に他ならない。うるせー打ち込み(コンピューター・ミュージック)のビートに歌謡曲を乗せ、好奇心旺盛な少年少女を虜にしてもてあそび、本当の音楽の在り方を無視した悪い奴である。機械が演奏しているので心が欠落、温かみの片鱗もない。深みのある芸術としての音楽を、インスタント・カップ麺的音楽に変えてしまった。本当に悪い奴だ。

 レコーディングも打ち込みのコンピューターなので、スタジオ・ミュージシャン要らず、金かからずで、メガヒット。儲かるに決まってんジャン、テンメンジャン、あっちジャン、コッチジャン♪。ほぼ、一人でぼろ儲け。こんな音楽が流行っていたので、スタジオ・ミュージシャンもかつてのように育たなくなり、その後の音楽シーンにいかなる悪影響を及ぼしたか。またその損失も計り知れない。プレーヤーではなく、コンピューターのオペレーターが音楽をやっていたという方が適切か。ビジュアル的には楽器を演奏しているフリ。まさにバーチャル・ミュージック。日本の音楽に大きな穴を開けたことの方が、彼の犯罪としてはデカイ。
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