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自転車通勤 「断続も力なり」 

 未来における通学・通勤などの交通手段を考えた場合、都市においてもっとも適した乗り物は、自転車に近い形の乗り物であろう。しかしながら、SF映画を見れば現在の自動車と同サイズでタイヤがないものや、空を縦横無尽に飛ぶ乗り物が主流である。これはきっと映画監督の想像力の欠如だ。または、娯楽として映像内でのカッコ良さを演出する手段として仕方なく使ったものなのだろう。省エネ・省スペース・健康など、未来志向的キーワードをすべて満たす乗り物は自転車以外にない。究極は徒歩?これは乗り物とちょっと違う。

 私も約2ヶ月前から、雨の日や飲む予定がある日は除き自転車通勤を始めた。通勤に約10kmの道のり。当初はコツがつかめず、約1時間かかった。その後、起伏の激しい橋は極力避け、事務所まで急がずに漕ぎ約40分になった。電車通勤の場合、2回の乗り継ぎでほぼ同じ時間。ラッシュもない。それならば自転車通勤と考えが固まってきた。太腿の筋肉もつき、足腰がとても安定してきた。筋肉がついたせいであろう、関節の痛みも無くなった。前にも書いたが、自転車で走ることは、扇風機に向かって走るようなものだ。また、朝晩、街の匂いを存分に嗅ぐ事も出来、生きていることを実感させられる。とても気分がいい通勤手段なのである。

 フィットネスクラブが安全であることは十分承知だが、カゴの中のハムスターが車輪の中を走るように同じ景色を見ながら、固定され退屈な自転車を漕ぐことはきっと出来ない。通勤に自転車を使うようになり、休日に自転車で出かけることが少なくなった。経済評論家の勝間さんも多忙ゆえ、自転車を始め、体重が6km減り、心肺機能は「18歳並」になったとのこと。この「忙しさゆえ」というきっかけこそ違えども、筋肉は徐々に付いてきているので、この先、きっと体重も減り、心肺機能も改善されるであろう。精神年齢「18歳以下」は相変わらずだ。

 「継続は力なり」とは、私の座左右に散らかしっぱなしの銘だ。意志薄弱な私のこと、勝間さんのように忙しくなった場合、そこで気力が失せ自転車通勤が終わってしまう可能性もある。「座右の銘」をさらに緩め、「座左右前後の銘」と銘をとっ散らかし改め、「断続も力なり」としておこう。ああ~、気が楽になった。

引用:読売新聞(YOMIURI ONLINE)


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フェロモン自爆事件 

 今週も終わる。その今週、一番アッタマ来たのは、申請した特許の拒絶通知が来たことだ。某社の謀略であることは分かっている。話せば長い。私の特許をこの世から消し去る為に弁理士を使い、その費用として50万円はかかったはず。ならばロイヤルティーとしてその金を私に払ってくれれば、私としては100%の粗利になった。ついでにもっといい企画も提供出来た。最高の牛肉を、「人形町今半」隣の吉野家で、今半の香りを嗅ぎながら食べることも出来た。ふうん~だ、いいもんね~、もっといい特許を考えて百万長者になってやる~。(←なんともトホホな志)

 のように、アッタマ来た私は、訴訟を起こそうとは考えなかった。ヤドカリの貝殻ほどの会社と、身の丈は心得ている。が、なにか仕返しのアイディアは無いかと事務所近くの図書館へ向かった。そう、私には上司も部下もいない。秒単位で迫り来る様々な案件に対し、秒単位で決裁していかなければならないのだ。(←おおっ!デキるビジネスマン風じゃあないか) いやいや、そんなこたぁ~ない。ゆっく~りと、出来れば先に延ばし決裁しているのが実情だ。図書館の中に入ると平日の午前中であるにもかかわらず、座る場所も無いほど混んでいた。

 「オマエら、働けよ!会社の社長が泣いてるぜ!」と、言いたい位多い、きっと営業マン達。中にはスーツ姿でDVDの映画を鑑賞している輩もいる。サラリーマン時代、時間調整で喫茶店に入り次の客との打ち合わせに備えたが、大きな受注を軌道に乗せた後、サボったこともたまにはあった。営業は売上ありきで如何様にも、だ。が、しかし、今のご時世、リーマン・ショックで、更リーマン、更なるリーマンショックに見舞われているのではないのか?会社から携帯電話を支給されている人は特に注意が必要だ。会社で検索サービスに加入すれば、どこにいるかがピタッと分かるんだよ~。

 そいつら「サボリーマン達」をかき分け、奥の棚へ颯爽と向かう私。本棚の横にある椅子にも居るわ、居るわ、ネクタイ緩めて、寝てるわ、寝てるわ、の更リーマン。目的の棚に到着し立ちながら本を読んでいると、なにやら線香臭い、古臭いニオイが私の周りに立ち込めてきた。次なる棚に行き本を読んでも、また同じニオイがする。「これはきっとお爺さんの加齢臭に違いない」と踏んだ。お爺さんが立ち去った後、私がその場所へ行き、偶然に偶然が重なったものだと思った。が、次の棚へ行っても同じ加齢臭。「犯人のお爺さんは一体どこにいるのであろうか?」

 と、戸惑いながらトイレに入り、洗面所で手を洗っているとそこにもやっぱりアノの臭い。私は鏡の中の自分に問いかけてみた。「鏡よ、鏡よ、鏡さん!この加齢臭を持ったお爺さんは一体どこにいるの?おせ~てっ!」と。すると、鏡の中の私は怒りながら大声でこう言った。「そこにいる~!オマエの臭いだ~」と。私はあまりのショックで崩れるようにその場に倒れた。(照明は消え、スポットライトが主人公を照らす) 「今日、暑かったからな~、自転車通勤で汗もかいたし。その体臭が朝付けたオーデコロン(○ル・サーチ)と化学反応を起こし、あらぬ方向のニオイになり、私を貶めたんだろうなぁ~」(影のナレーション)

 「一体どれくらいの時間、ここに倒れていたのだろう?」(スポットライトは消え、徐々に窓からの天然光が舞台全体を照らす) 気を取り戻し、ゆっくり立ち上がって鏡を見た。すると鏡の中の私はケラケラと笑いながら、「仕事しろよ~オマエ~、図書館で寝ている人となんら変わりないジャン!」と、私に対してやさしく諭したのだった。「暑い時期はYSLのオーデコロンにしよ~っと」。この自分自身で繰り広げた丁々発止?のフェロモン事件(日本名:加齢臭自爆事件)のせいで、調べ事は頓挫し、当然、仕返しも出来なくなった。知恵の差を利益にすることも儘ならず、トボトボと図書館を後にする私なのであった。(赤信号の横断歩道をうつむきながら渡る主人公 効果音:クラクションと帰宅途中の幼稚園児たちの騒がしい声=園児の知能と同レベルをことさらに強調)

再燃する「第二次すき焼き論争」  「豚丼」は「牛丼もどき」なのか?それとも・・・・・・。 

 営業の帰り、昼飯を取ろうと、迷った挙句、結局、久々、吉野家に入った。BSE問題で牛丼が一時発売中止になった時、なぜか無性に牛丼が食べたくなり、築地本店を自転車で探しに行った私だ。が、築地市場場外を探したが見つけられなかった。場内にあったのだ。ならばネットで調べ、近い味の牛丼を自らの手で作ろうとまでした情熱大陸のはかせ太郎。味のポイントは甘い白ワイン。わざわざ牛丼の為にキレの悪い安価な白ワイン(モーゼルは違う)を買う気にはなれなかった。ならば、もっとも簡単で味が近いとの意見が多い「エバラ・牛丼のたれ」を買った。輝ける牛丼全盛期に想いを馳せ、涙ぐみながら牛丼をかきこんだ。

 例えるなら私の行動は、失った古代文化を取り戻そうとしたルネサンスのようだ。イスラム圏に古代ローマ・ギリシャ文化が継承されていたように「エバラ・牛丼のたれ」の中に吉野家は脈々と生きていた。ちょっと濃い目だが・・・・・・。豚肉の中でその味を継承しようとした「豚丼」は、私独自の宗教裁判で異端とした。私一人で懸命に復興させようとした14世紀から男性世紀の狭間でカンペイな諸運動を「ルネッサンスーチン女史軟禁からの復興」という。十字軍宣言があった「クレルコウモン会議」になぜ「ヨシテねアヌス1世」が登場しないのか?500年も違うから登場するはずもない。

 なぜ、吉野家の看板の「吉野家」のロゴ上に、人差し指がある方向を指しているマークを入れないのか?と、誰が言ったか、私が言った。ヤクザの親分の通夜の場合、親分の格によって、通常は内側に巻き込んだ状態で描かれている中指・薬指・小指がない場合もある。三本指すべてが無く、まるでゴム鉄砲で遊んでいるようなマークが描かれている案内を見たら要注意。銃弾が飛び交う可能性が高いお通夜だ。姓が吉野さんのお宅で不幸が起きた場合、葬儀場近くの「牛丼の吉野家」はどのような対応をするのか?そんな場合、葬儀場への案内の紙と同じように、看板上に指差し案内をつけて欲しいものだ。

 お話のイントロが長過ぎた。では、本題だ。店へ入った私は迷うことなく「牛丼並みと味噌汁」を発注した。汁はたくさん欲しかったが、「シルダク」なのか「ツユダク」なのか?どちらが正しいのか?また迷ってしまったので言えなかった。女性がこの言葉を発しているのをマトモに聞くことが出来ないシャイな私だ。店員:「お客様はいかがですか?」 女性客A:「私、あそこは並でシルダクなの」 女性客B:「私のあそこは、大盛りでツユダクなの」と、会話中の「あそこ」は多分無かったが、そのように聞こえたことがあり、赤面した記憶がある。

 また話が逸れた。戻そう。私の後の客は2人とも「豚丼並」。そんな異端な「牛丼もどき」を、この時代に食べる奴がいるのかと思いきや、次の客である着物を着た上品そうなお婆さんと孫、その孫も「豚丼」を注文した。するとお婆さんは孫にこう言った。「お婆さんに遠慮すること無いのよ!お婆さん、お金いっぱい持ってるんだから牛丼にしなさいね」と。その刹那、客も店員も店全体が固まった。「豚丼」はまるで貧しさの象徴であるが如く言い切るお婆さん。重苦しい空気が店全体に漂うことなく滞留した。私にそれを突破する術はない。特に「豚丼」を先に注文していた客が一番固まっていたはずだ。お婆さんに無差別に発砲され撃沈された状態とでも言おうか。

 豚丼より50円だけ高い牛丼を頼んだ私も、たった50円ポッキリのミミッチい優越感などあるはずもない。偶然、店内放送で「ショウガは体内の代謝を良くします」との音声が流れ、正面の豚丼を食べていたおじさんが、豚丼の上に赤いショウガをたくさん乗せ出した。

 おじさんは、決して豚を隠しているのではない。きっと照れ隠しなのだろうと大人の私はその状況を思いやった。「豚丼」は、「牛丼もどき」でとっても異端であるとした私ではあったが、お婆さんの発言は全く冗談にもなっていなかった。無差別テロに近い。孫が空気を読めていたら「牛丼より豚丼が好きなお友達はいっぱいいるよ、お婆ちゃん」と言えたかもしれない。これを豚丼を注文した客が聞けば、そのお友達と同じである客はいくらかは救われたはずだ。豚であろうが牛であろうが、私でさえ味を途中で分からなくなるほど強烈な出来事であった。だったら豚丼を注文すれば良かった。豚丼を注文した客たちの本当の苦しみをココで書けたかもしれない。「50円高くても牛丼にすれば良かった」と。

4年前と全く変わっていない、進歩の無い自分に驚くばかりだ↓
「第一次すき焼き論争」 すき焼きは牛かブタか?

ネギとフランスパンの功罪 

 「くっそ~、昨日はジャスコに行きそびれた~」。帰宅途中、♪「二十日、三十日は5%オフ~」と口ずさみながら、軽快にチャリンコを漕いでジャスコへ向かっていた。が、突然、頭をよぎった気になるマウンテンバイク。途端、そのチャリが展示されている豊洲のホームズへ、同じ歌を口ずさみながら向かった。ジャスコ以外で百万円の買い物をしたとしたら、5万円の損だ。その教訓も忘れてその後、ホームズの2階で食料品を買い自宅へ帰った。結局、ジャスコに寄ることはなかった。

 自転車で買った帰りにいつも後悔する食料品は2つ。ネギとフランスパンだ。両者は自転車の前のカゴには長過ぎる。きれいなネーちゃん(奥さんも含む)が、オシャレな自転車の編んだカゴの中にフランスパンを入れて帰る姿は、まさしくパリジャン風。反面、私の場合は、ナウマンゾウのウンコの化石を運ぶヘンなオジサンと見られているのではないか。私がネギを持っていれば、「この人はきっと風邪をひいたのだな」と、誰も私を料理に結び付けることはないだろう。

 買い物帰り、細い歩道で人や自転車とすれ違う時には、特に細心の注意を要する。幼児やご老人に気付かず、バゲットやパリジャンの先端が頭にぶつかったり目に入ったりし、傷害事件、果ては殺人事件になる可能性も考えられなくはない。ネギは一本ならまだしも、大体がお得な?三本セット。毛利元就の「三本の矢」の逸話?のように、ネギも三本集まれば凶器と化するのだ。

 そのような大まかで浅い考えから、危険のないよう細長い食品を自転車で持ち運ぶ際は背中のリュックに挿し入れる。はたから見れば、「間抜けな忍者」か、はたまた「鴨が葱しょって」の「太った鴨」に見えるに違いない。「パリジャン」ならぬ、私の出身地千葉の「チバジャン」もしくは千葉弁ならば「チバダッペ」だ。ぱっと見がとっても間抜けで、決して悪い人には見えない、と思う。

 その証拠に、この姿で自転車に乗り颯爽と帰宅する際、必ず通過する近所の交番の前で「こんばんは!」という私の挨拶に対し、お巡りさんも警戒心なく「こんばんは!」と気さくに返してくれる。ネギとフランスパンを背負ってない場合は間逆だ。お巡りさんは私を警戒しガン見しながら低音で「こんばんは」と返す。この2つを背負ってさえいれば、私はどこでもフリーパスなのかもしれない。

 バゲットは編んだバケットに入っているから、バタールはバターが練りこまれているから、パリジャンは表面がパリパリしているから等、調べることなく私なりに培った考え方すべては、とても残念な結果であることに、そう遠くない過去のある日気付いた。パンとルイ・ビトンの「エピ」も、蝦のように背がカクカクとのけぞっているからでもなく、蝦の尻尾のように筋ばっているからでもない「稲穂」の意味のフランス語であることも分かった。大人は努力なんかしなくても、普通に生き恥を晒しているだけでいろいろなことを理解するものだなぁ。

民主党代表選 名門「鳩山家」という「御旗」 

 民主党代表選の結果、麻生対鳩山という構図になった。戦後間もない吉田茂対鳩山一郎の対決は、約60年を経て世襲した孫同士の「因縁の対決」として続いている。昨今の世襲論争は一体何だったのか?と思わせる。「戦後体制は未だに終わっていない」ことを象徴する出来事だ。

 世襲であれ何であれ、国会議員を大きく分類すると、根っからの党人と官僚出身者に分かれる。官僚出身議員は、出身省庁での調整は得意であろうが、改革には二の足を踏む。そこで党人の出番だ。そのように議員は政局上、狡猾な超エリート官僚を説き伏せたり、ある時は官僚のプライドを損ねること覚悟で説得する必要がある。官僚を説得する為の「必要条件」とは一体何なのであろうか?

 それは今もなお「名門出身のオーラ」であると言えるのではないだろうか。ゆえに今回、民主党内の代表選では、小沢の傀儡と言われるのを承知で、国民が内情を知り得ることのない官僚に対抗する措置とし、その怖さを知っている議員はこぞって「名門の御旗」欲しさに鳩山氏を代表に担いだと推測する。

 ところで、代表選後の鳩山氏の錦の御旗ならぬネクタイ。宝塚出身の奥様の「金メダルを意識した」見立てだそうだが、センス無し。安い棒アイスを包む金紙か、はたまた安いおせち料理に貼られたのしがみにも見えた。「せめてネクタイくらい自分で選べ」と伝えなければ「裸の王様」状態は今後も続く。

 選挙戦に強いという神話を持つ反面、昨年の連立政権失敗では辞めると駄々までこねた小沢氏。賢明な民主党議員は、神話を作り出した立役者金丸のような大きな後ろ盾も無く、献金疑惑も置き去りにした小沢氏を、民意を敵にしてまで守ろうとはしないであろう。

 次の政権政党として恥じない「名門」の御旗を掲げ、政局における官僚とのバランスを取りたい本音と、鳩山の小沢派支持が偶然に重なり鳩山氏が代表になったと私は読んだ。政権に近付いた民主党議員誰もが抱いているマニフェストとは真逆の本音、「官僚怖い」を、国民や支持母体に打ち明けられるはずもない。

 代表選時での彼らには、国民以上に官僚のほうが怖く映っていたはずだ。民主党は、まるでドブ川で代表経験者という沈殿物が上がったり下がったりと対流している様だ。沈殿物をボウフラに変えたほうが適切な例えか。小沢氏が油膜を張り、成虫になっても決して飛び立てないような状態とでも言おうか。

腐った官邸 「鴻池祥肇官房副長官が13日辞任」 

 国政の中枢である首相官邸、そこで首相の全実務を補佐・主導する立場である内閣官房副長官3人のうちの一人である鴻池祥肇(こうのいけ よしただ)副長官。その立場を他国に照らせば、アメリカのホワイトハウスで大統領を補佐するトップ3の一人と置き換えられる。コミュニケーションに長け、尚且つ頭脳明晰でなければ勤まらなく、相当な激務の役職であるはず。国家の危機管理として新型インフルの対策・対応に追われる先月28日から熱海で女性と不倫ゴルフ旅行とは、国としての緊張感も危機感もあったものではない。

 そもそも、国民の血税が原資である議員JRパスで新幹線を使い、女との不倫旅行を週刊誌にスッパ抜かれるご本人の危機管理自体に最も問題がある。本人に不倫旅行の小さな緊張感と危機感らしきものがあったとしても、それに勝る股間の緊張と暴発の危機感が優先し、旅立ったのであろう。欲望に負け、国民を裏切り置き去りにする体たらく。自らの危機管理に才能が無い人が辞任したことで、国益は守られたとも考えられる。相手の女に、彼は無頓着との認識があれば、女が不倫の危機管理を主導しバレずに逢瀬を楽しめたはずだ。

 以前も週刊誌にスッパ抜かれている。辞任の理由は表向き「健康上の都合」とのことだが、私として補足すれば「下半身の健康が極めて良好な為」か。これも病気の一つだ。不倫は一人では出来ない。相手あっての不倫だ。鴻池副長官だけでなくその女も含め、楽観的で懲りない「バカップル」のベスト・オブ・ザ・イヤー、本年度優勝候補と言えるのではないか。

週末の戯言 「出来ることから始めよう!」 

 とても重宝していた事務所隣のコンビニが連休中に潰れた。ATMは無料、ゆえに会社の金庫代わりに使えた。腹が減ればおにぎりを買い、喉が渇けばお茶や缶コーヒーと、冷蔵庫代わりにもなっていた。タバコは扱っていなかったので、無くなった際にすぐ買いに行くことが出来ず、これはこれで健康の為に良かった。半年前のこと、200mと離れていない場所に、同じコンビニが出来、売り場面積も広くタバコも扱っている。コンビニ乱立の影響をもろに受けたのであろう。‘00年以降、ここ人形町も賃貸マンションの建設ラッシュ。証券化されている物件が多いと聞く。それゆえ空き室が多い。それに加え先のリーマン・ショックに始まる百年に一度の大不況。夜間人口は増えるはずも無く、24時間営業は販管費がかさみ経営を圧迫したのであろう。

 この逼迫した日本の経済や安全保障。いい解決方法はないものか?経済活性化の対策としては、時間はかかるが最も確実な方法は少子化対策に他ならない。北のミサイルの再発射に備え、与野党一致で戒厳令を敷き、午後8時以降の外出を禁止する。会社では残業も出来なく、ワーク・シェアリングが促進し失業対策にもなる。10時以降は冷蔵庫以外、照明器具等の電気の使用を禁止し、ロウソクの元で家族や男女の絆を温めるようにする。ロウソクが身近なものになればSMも促進する。PCや携帯のメールは当然禁止だ。暗い中、何の遊びも無い状況の中、やることは一つ、二人は一つだ。避妊具も禁止する。ミサイル発射に怯えながら体内ミサイルを発射する。数年先は無理だが、20年、30年先、じわじわと確実に日本経済を支える大きな要因になることは間違いない。

 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を決意した」という日本国憲法の前文があるが、この諸国民=外国人の公正と信義に信頼を置いていたならば日本は亡国の道をまっしぐらに突き進むこととなろう。日本人にとって平和とは、「神棚に鎮座しているような犯しがたい崇高なもの」という意識が横行しているように思えるが、諸国民たちはそうは考えていない。「平和とは戦って勝ち取るものだ」との意識が大半であろう。その国やその民族の歴史に鑑み、他国をまず差し置いて、はじめに自国民の利益があることそのものが平和という意識なのではないか。平和は与えられるものではなく、自ら戦い血を流し勝ち取るもの。文化も歴史も考え方も異なる外国など信用するに及ばず、が世界的な考え方なのであろう。そういう考え方を持った諸外国に日本の安全保障を委ねる憲法前文とは是如何に。

 その前文を私なりに翻訳?すれば以下のようなものになる。「自国の平和を勝ち取る為には日本との戦争も辞さない覚悟である諸外国の自国本位な疑わしき公正と、自国の都合で約束を守ったり破ったりすることもしばしばあるので信義ならぬ真偽に、日本は生真面目に信頼して、われらの安全と生存を決意した」。良識ある人なら「お人好しもいい加減にしろ!」と確実に言うはずだ。寅さんならその場を去れば事済むが、日本のお引越しは儘ならぬ―――――。でも、待てよ。中国国内に土地を買って移住するのも手だ。日本の気候に近い核ミサイル基地周辺数箇所に散るように国民約三分の一位が定期的に移住する。事実上の「核シェアリング」になる。退職後、年金で生活する人にとって気候が日本に近く物価が安いとなれば、期間的な移住でもいい。半年も住めば、往復のエアー代の元も取れ、きっと貯金も出来るに違いない。

 ミサイル基地の隣ゆえ移住者の安全保障は当然のこと万全である。北のミサイルなんぞは屁のカッパ。軍事大国中国の腕に抱かれ、吼えまくる子犬のようではないか。このまま憲法改正も自衛隊の軍昇格も儘ならぬのであるなら、経済・安全保障共に解決できる最善の方法はこれしかない。北朝鮮はこれまでの外交を反省しアジアの介護国として近隣諸国に手をあげ、土地や人民によるサービスの提供と引き換えに、他国から経済協力を取り付ければ生きる道は自ずと開けるのではなかろうか?と性善説に基づき考えてしまう私なのだが・・・・・・。ここまで書いて孟子に準ずるとは懲りない私だ。外交はやっぱ荀子でしょうね。


GW 千均高速の旅 「関ヶ原古戦場」 

 GW中は百円均一ならぬ千円均一高速で岐阜・京都へと出かけた。「関ヶ原合戦」の地政学的検証(←なんと大袈裟な)を現地で試みたいという思いをかなえる為だ。約20年前にお世話になった、関ヶ原の近くである大垣市の社長が引退されたという噂も聞き、先方の都合が合えば訪ねてみようとも考えていた。関ヶ原と社長のご自宅が近い岐阜・大垣市にホテルを取った。大渋滞が予想されたので5月1日(金)の夜8時に出発した。途中、何箇所もの大渋滞に遭い、大垣のホテル到着は翌午前3時で約7時間もかかった。東京から東名高速を百キロ単位で考えると、御殿場、焼津、音羽蒲郡、大垣と約400km。当初の予定、翌2日の午前3時頃の出発であったら7時間は到底無理であったと思う。

 東名のような大都市を連結する大動脈を選んだのは失敗であった。中央道を選べばもっと早く到着していたはずだ。後日、観光バスの運転手さんとホテルで話す機会があった。バスは2日朝7時に新宿を出発し、東名を使い京都へ到着したのは13時間後。当日の京都観光はすべて無くなったとのこと。私の場合はホテルのベッドへ向かって7時間の我慢だ。バスと比べ、私の選択はなんとも優雅だったのではないか、と考えを改めた。ホテルで十分な休みを取り、翌日は高速を使わず、関ヶ原を抜け、彦根、草津、近江大橋を渡り、京都へ入った。自分の車で京都を走るのは初めてであったので、今回は大まかに東西4.5km、南北5.2kmである平安京全体の概略が掴めればいいと考えた。改築中の銀閣寺だけは立ち寄った。

 2日目は朝食を早めに済ませ、関ヶ原へと出かけた。歴史民族資料館へ立ち寄り、古戦場跡を散策した。私は誰に促される訳でも無く、石田三成・島左近の陣地跡へと向かい、彼らの無念に思いを馳せた。三成は私と400歳違い、1560年生まれ。慶長5年、1600年に関ヶ原で破れ、六条河原で斬首。享年41歳だ。現地を訪ね、ようやくこの歳になり洗脳され続けてきた徳川史観からの脱却が出来た。これは大成果だ。私も含め日本人に多く蔓延る「勝てば官軍」、「勝てば善玉」という道理を度外視した悪しき集団的且つ島国的習性から脱却したかった。ところで関ヶ原の合戦は何世紀だ?という入試問題があった。センチュリーもミレニアムもつい9年前に経験したので現在の我々は回答しやすいが、1900年代後半の入試問題としては面白い。

 その後、関ヶ原から北西、琵琶湖の北方へ向かう国道365号を走り、姉川の古戦場跡を通り、浅井長政とお市の方の悲劇で有名な小谷城跡へと向かった。標高495mの小谷山尾根にある山城だ。国道近くに駐車場があり、皆、そこから徒歩で城址へと登るのだが、舗装された道が山頂近くまで続いており、一台の車が偶然下りてきたのでそれを真似ズルっ子し車で登った。淀殿やお江与の方等、後の女傑はこの城で生まれた。その後少し戻り、小谷城落城後、その資材を使い建てられた長浜城へ行き、また戻って関ヶ原を通り宿泊先の大垣も通り抜け、岐阜市内の金華山にある岐阜城、それからまた戻り、墨俣の一夜城跡と、なんと混ぜこぜチャンポンなこと。このようにしておおよそ、その当時の戦国武将の活動範囲を、車という文明の利器を使い手短に実体験した。

 一方的にアポも無くお会いしようと勝手に予定した社長の携帯に、何度か電話をかけてみたが、電源は常に入っていなかった。最終の3日目は、観光するか、それとも朝早く帰るか、迷いに迷った。5時起きして朝食の前、大垣市にある「芭蕉・奥の細道むすびの地」へ一人で行った。朝食後、7時半にホテルを出発し、中央道を使い帰路へついた。2~3回の渋滞に会う位で、休憩4回を含め、自宅へは午後1時着。快適なドライブであった。私の車は、時速120kmを超えたくらいから走りに安定感が出てくる。家内が居眠りを始めたらコッチのもの、追い越し車線を突っ走る車を追っかけ・・・・・・、否、法定速度は100km以下、法定速度を厳守し、天下分け目の関ヶ原に思いを馳せながら、千均高速をアウトバーンのように走る事は無かったがとても満喫した私なのであった。どうせなら、百均にすればいいのに。

関ヶ原古戦場にて
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