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吉野家 VS 松屋 「カルビ焼肉定食戦争勃発」 

 「チェッ!柴崎コウ暑くちゃあ~やってられねえなあ~」と、精彩を欠くオヤジ駄洒落に「クククッ!」と自爆しつつ、午前9時半には事務所を出て、山手線内をまるで蜘蛛の巣を絡めたように走るメトロとトトロ(都営)を、あたかも「酸っパイダーマン」の如く自由自在に操り、3つの主要都市(街か?)に果敢に営業をかけた私だ。これは昨日のお話し。(←最近、昨日と書き出すことが多いので後に持ってきた) 当日の出勤は早朝6時。気温26度。涼しい風に吹かれながら自転車で出勤する気分は、まるで避暑地の軽井沢。ひしょちをヒチョリで出勤チマチタ、タラちゃんでちゅ~。

 午前中最後の客は超高層ビルの40数階。昼12時近くになってしまうと、各階ともにエレベーター前は昼休みに出かけるサラリーメン&ウィミンで溢れ返る。軽く10分はエレベを待つことになる。待っちゃ~いられないと非常階段で降りたこともあるが、東京湾観音・高崎観音並み、いやそれ以上の階段を降りることになる。このビルの段数を呑気に数えたことは無い。(地下鉄人形町駅の階段の段数はココ) まして今の時期、汗だくになる。運良く、客の資料のパターンをパクった見積もりを提出することで話は決着。クリエイティブとは言い難い!が、ま、いいか!おかげで混雑に巻き込まれることは無かった。

 こうして12時前には事務所に戻ることが出来た。「さて、メシをどうしよう?」 昼に食べる習性がない私だが、今日も腹ペコだ。チャリで近所の店を数軒巡ってみたが、どこも行列が出来ている。すぐ諦め事務所へ戻った。デスク・ワークで時間を潰し(どっちが本業なの!)2時位に食いに行こうと考えた。そして2時過ぎ、吉牛が松屋に対抗して同じ「カルビ焼肉定食」を新メニューに加えたことを聞き試食と称し行くことにした。松屋のカルビ定食は\680-、対する吉牛は\580-、なんと100円も安い。まさに戦略的価格、これは吉野家が松屋に送った果たし状に他ならないと思った。

 松屋のように「ちゅめた~いボクの大好きな生野菜」はあるのかな~?と思いきや、ちゃんと定食に入っていた。ドレッシングはゴマ・ドレだけ。松屋のように2種ありサッパリ系の黒酢ドレッシングも選べるようにしたい。カルビのタレもある。メインのカルビの肉自体は薄いが、全体のグラム数はきっと両社同じくらい、だが、松屋のように脂が多く筋張ってないカルビ。「これってきっと吉野家が勝ったんじゃないの、松屋に!」が私の感想だ。私の後からは、年配の男性客が多く来店してきたがその6人中半分は「カルビ焼肉定食」をオーダーしていた。松屋より100円安く、脂も少なく、年配者には人気のメニューであることを実感する。ノンカロリーと謳い「和風浅漬け風ドレッシング」を投入して選択肢を増やせれば尚いい。

 私もこの暑さを乗り切る為、肉でも食べて精をつけようとは考えるが、焼肉屋に行こうとまでは考えない。胃や腸をいたわる年齢になった。夜の焼肉は翌朝辛い。昼時の安い焼肉定食くらいの量が丁度いい。松屋は先払いの食券制で、その半券が領収書になっており便利であると以前書いたが、吉野家もそれに対抗したのか、私が今まで気付かなかったのか、後払いの会計の際、「レシートはお持ちになりますか?」と聞くようになっていた。とてもいいことだ。ある意味、私にとって領収書は有価証券、それも額面が低いので流動性が高い。(なんのこっちゃ?でも、分かる人には分かるのだ) 

 この夏、吉野家がそのスケールメリットを生かし戦略的に松屋のシェアを奪うべく戦っているのがよく分かる。この積極的な価格の引き下げ・価格の差別化で、我々消費者はその恩恵に授かることができる。が、反対に牛の世界では一体どのような葛藤があるのか?実際に牛の会話を聞いてみることにしよう!子牛(男の子・名前はグリル):「パパはいつまでボクと一緒にいてくれるの?」 牛のパパ:「最近、毎日のようにビールを飲まされているので、それそろお迎えが来る時期かなあ?オマエだって安心出来ないよ。フランス料理には欠かせないからオマエのほうが先に逝くかもしれないなあ~」 子牛のグリル:「嫌だヨ~、パパ~(涙)」 牛のママ:「私なんて絞られるだけ乳しぼられて・・・・・・。いっそ早く牛肉になりたいくらいだわ!」 子牛のソテー(娘):「私もママと同じ人生を歩むのは嫌よ!絶対に」 司会:「これらの話を総括致しますと、牛の世界に『少子高齢化』が来る事は決してないことがよ~く分かります。以上現場中継でした」。
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昔懐かしいアイス風な「グリコのパピコ」 

 昨日は午前9時頃から異常な暑さ。午前中、打ち合わせの約束があったので、自転車で神田神保町へ向かった。朝7時頃から仕事をしていたのでとても腹が減っていた。そんじゃあ、打ち合わせからの帰りに日本橋本町にある讃岐うどん「半次郎」にでも寄って「ぶっかけうどん」でも食うか!と考え、暑いのにあえて自転車を選んだ。歩いた場合、私の事務所からその店までは「ぶらっと昼飯」の距離ではない。自転車があると行動半径が広がる。昼飯も広い範囲の中から選ぶことが出来るのだ。打ち合わせして、昼飯食い終わって11時40分。

 信号で止まっているだけで汗が吹き出てくる。甘いデザートでも食べなけりゃ午後仕事にならないと感じた。コンビニに寄り、おいしさと健康がキャチフレーズである「グリコ」のアイス「パピコ・チョココーヒー」をOLのようにオフィス街で買った。ロッテの「クーリッシュ」も好きではあるが、最近は食べ易さで「パピコ命」。安いビニールの容器に入っているアイスを、その先端をポキッと折り、硬く凍っている場合は手のひらで暖めておもむろに中味をチュバチュバと出して食う。ま、昔あったゴムの風船に入ったオッパイアイスみたいな感じかなあ~。

 事務所へ持ち帰り、いざデザートタイム。果てしない着信メールの行列を整理しながら、二本ある内の一本の凍っている先をシャリ~ンとへし折った。そしてチュバチュバしながらメールの返信を始めた。何件かを集中して返信し10分は経ったであろうか。もう一本に手を出し、先端をシャリ~ンと折ろうとしたら、破けるような感じがした。直後、ジュルジュル~と液体が流れ出し、着ていたTシャツに跳ねた。コーヒー味のアイスは、冷たいコーヒー牛乳に変貌していたのであった。しょうがないのでそれをゴクッとひと飲み。味気ねぇ~。

 「コイツはさっさと食べなければいけない部類のアイスなのだな」とは学習した。が、注意書きに「冷凍庫から出した場合、10分ほど経過するとコーヒー牛乳になっちゃいますよ」とか書いておいてほしい、いや、書くわけない。常識だ。凍っている先端をポキッと折り、その先端の内側に僅かながら残っているアイスのカスを、金持ちも貧乏人も皆、あたりまえにきっと食べるのであろうと想像がつく。誰に言われなくとも「もったいないマインド」が働く。実際の注意書きにはこうあった。「吸い口に舌を入れる等して遊ばないように注意して下さい」と。

 「やっちゃうんだよな~、貧乏人は!」 私もやった、舌入れたなあ~。30~40年前、お店のアイスの冷蔵庫の半分くらいはこの長いビニール容器に入ったアイス・キャンディー風アイスだった。手のひらの熱が中味に伝わり易く溶け具合を調整できるのが良かった。反面、ハイテク風なクーリッシュの容器は熱が伝わり辛く、硬く凍っている場合、吸っているとリンパが痛くなる。中味がすぐ溶けないのが難点だ。ウイダーインゼリー等、流行の容器と全く同じ。何層かのラミネートの構造は違うのかもしれないが、もっと手のひらの熱で溶けやすい容器にしてくれるのならクーリッシュを買ってあげる!ロッテさん。

心と身体の解凍 

 「圧縮の反対語は伸張だ(怒)!解凍の反対語は凍結でしょうが!」と、中国の会社に圧縮したデータをメールに添付して送り、確認の為、拙い英語で電話しながら、どのように英訳したらいいのだろうかと一瞬考え込んだ。英語のボキャブラも少ないので、「解凍して下さい」は、「melt the data」。そんじゃあ、解凍の反対は凍らせるだから、「the frozen data」とした。相手はとても寛大且つ理解力がある中国人。いいのか悪いのか話は通じた。英会話は勇気と知恵だなあ~と自分を励まし、今更、過去を振り返り英語の勉強を怠った自分を責める事は全く無い。

 先週の土曜日、午後3時に自転車で自宅をスタートして約60km走った。午前中は車検の為、レインボーブリッジを渡った隣町・芝浦のディーラーに車を持ち込んだ。タイヤは全取替えしないと車検が通らないので、事前に取ったオートバックスの見積もりより安くとネゴった金額で依頼。その後、三田駅まで歩き、前日夜に降り出した雨で置き去りにした自転車を、江東区菊川の高砂湯まで引き取りに行く。都営新宿線に乗り換えるが、急行に乗ってしまい大島へから2駅戻る。自転車で自宅へ戻る途中、あっそうだ!後部荷台を取り付けよう!と、思い付きで木場のイトーヨーカドーへ立ち寄った。

 順番待ちで一時間半かかると言われたが、そこを何とか!と交渉し30分で取り付け作業は終了。待ち時間には本屋が定番。その間、普段であるなら余計な本をたくさん買ってしまう。ヨーカドーの本屋もポイントが付くが、ポイント集めの為、書籍の購入は御茶ノ水駿河台下の三省堂と決めている。が、月刊誌を見るとついどこの店であっても「旬は今だ」と買ってしまう。何の為に財布を膨らませる元凶の三省堂カードを持ち歩いているのかが分からなくなる。本屋は避け、スポーツ用品売り場で、ナイキのウエストポーチを探してみる。アディダスのように種類がないのが残念。

 午後一時には自宅に到着した。菊川の銭湯から自宅までは約10km。昼飯を食べた後、昼寝して、また自転車でお出かけ。この10kmを足せば合計70km走ったことになる。市川市に「野鳥の楽園」があり、頻繁に車で近所を通るのに一度も行ったことが無かったので自転車で行くことにした。頑張ってはいるのだろうが、品川区の大田市場となりにある「東京港野鳥公園」のほうが大きな池の周りを散策できるので私は好きだ。隣にある城南島海浜公園も羽田発着の飛行機が見え子供が喜ぶのではないだろうか。お台場フジテレビの横道を真っ直ぐ青海埠頭へ行きトンネルを2つ潜ればすぐだ。

 市川大橋が架かっている江戸川沿い妙典のサイクリングロードを走り、旧江戸川に架かる江戸川水門を渡り東篠崎に出た。時間は6時。北へ向かう時間はないので、旧江戸川沿いを河口方面である南に向かう。途中、セブンイレブンでグリコのパピコをチュバチュバと食べスーパー銭湯に立ち寄った。「パピコって旨いなあ~」。その後、湾岸道路の荒川河口橋の急な坂を登り切り、下り坂に差し掛かる前に北西を眺めると隅田川花火が線香花火より小さなサイズで打ち上がっている。10分くらい花火を堪能し8時には帰宅した。夕飯後、自転車の後部荷台に座布団を括り付け体重約50kgの生き物を乗せ「ガンダム」を見に行った。違反だが・・・・・・。

 翌日も朝7時から折り畳み自転車でほぼ同じルートのポタリングへ出かけた。昼戻りで走行距離52km。前日、後部荷台を取り付けたのは通勤用で変速機付きアルミ製のブリヂストン自転車。買って約7年になるが、アルミ製なのでピッカピカだ。事務所に置き去りにする場合は雨晒しだがアルミ製なので全く錆びない。さすがブリヂストン。パパチャリも買うのなら若干高いものをお勧めする。いつも長距離を走っているのは、折り畳み自転車の「ダホン」。クロスバイクは事故ったので前後輪取り外した状態のままで乗ることは出来ない。今年の盆休みはクロスバイクを修理し、往復200km、日帰りの墓参りにでも出かけるか。日々の自転車通勤(往復20km)のお陰で、体調は抜群にいい。

カタツムリの親子問答 

 季節は梅雨。「ああ~、このジメジメとした湿気がなんとも爽快!タマラナイなあ~」と、紫陽花の葉の上をカタツムリの親子が2本の糸を引きながらそぞろ歩きをしていた。お父さんカタツムリが言った。「おっと、メーアーリーフーだぜ」そして「かめあたま」とも。呆れた息子のカタツムリが言った。「お父さん!今時、業界用語を使うのはお笑いのアイツと大橋巨泉だけだよ~、カッコ悪い!」 お父さんカタツムリは言った。「そうオマエに言われるんじゃないかと思って『かめあたま』を付け加えておいたのさ。決して漢字に変換して音読みしてはいけないよ、ボク!」 息子のカタツムリはこう切り替えした。「これって業界用語じゃないよね?パパ」 お父さんカタツムリは言った。「そうだよ。逆さまから読んでごらん」と。「アッ!パパ分かった。『また雨か』だね」 と、自分で書いていても嫌になる位のつまらない話をしながら、否、させながら終わりのない旅を続けるカタツムリ親子。

 「カタツムリにとって世の中で一番怖いモノって何?」と息子のカタツムリはお父さんにきいた。当然、旱魃(かんばつ)やカンカン照りの太陽との答えを期待していた息子であったが、お父さんの答えは一味違った。「やっぱ、一番怖いのはなんて言ったって人間だなあ~。それも特にフランス人。『カタツムリだ~』と日本の子供たちに言われても全然怖くないけど、フランス人に『エスカルゴ~』って言われたらそれこそ捕まえられ喰われちゃうからネェ~」。「次に怖いのは何?」と息子がきいた。「ん~、コーラと塩かなあ。コーラに浸けられると巻貝が溶けちゃうんだ。そしてナメクジと勘違いされて塩ふられちゃうんだよ」。「あっ、パパ、それに近い話知ってるよ!今このくだらない話を書いてるオヤジが以前の短編『ヤドカリ君の冤罪』で同じようなことをたしか書いてた。ヤドカリの貝殻が無くなっちゃってエビに勘違いされたって話。ボクたちはその焼き直しっぽいネ」

 「カタツムリ、デンデンムシ、マイマイなんて人から呼ばれているうちが華。殻が溶けたり壊されたりしたら最後、ナメクジとして生きていく決心をしなければならない!それこそ、銃弾が飛び交う最前線に全裸で突進していくようなものだからね」。息子のカタツムリがきいた。「じゃあ、ナメクジのほうが劣ってるってこと?どっちが生物学的に進化した生き物なの?」 「実は無防備なナメクジの一部はカタツムリが進化した生き物なんだよ。巻貝が無い状態でも生きることが出来たんだね」。「じゃあ、平和な時代が長く続いたってこと?殻が無くなってナメクジになったら、カタツムリと同盟を結び守ってもらえばいいんだ」と息子のカタツムリ。「でも近隣の状況を考慮して安全保障は今一度考え直し、殻を整備することも選択肢の一つだね」。と、柔らかめの物語を志し書き始めたのに、今回はどっちつかずの「軟硬不落」状態で強制終了してしまうのであった。つまらなくってゴメ~ン、スミマメ~ン!

短編 『新・藪の中』 

1:ある講談師の「見るマナー」の話

 最近の寄席には「子供にも見せたい」という子供連れのお客さまが増えてきた。先日、国立演芸場でトリをとらせていただいた寄席では、仲入り少し前に楽屋入りし舞台袖から客席全体を確認した。前列左端に小学校低学年と幼稚園生らしき姉弟が2人座って足をぶらぶらさせていた。
 
 私は少し不安になった。以前、新作の発表の際、幼児が騒ぎヤマ場が台無しになってしまい、それがトラウマになっている。今回のトリでは、「赤穂義士伝」の中の「南部坂雪の別れ」を語るつもりでいた。その中でも四十七士の名前の読み上げ部分がもっとも聞かせどころで子供が騒げば集中できない。
 
 いよいよ私の出番になった。心配していた子供達が騒ぐ事も無く、ヤマ場を迎えた。会場はそれまでの掛け声も消えシーンと静まり返った。四十七士の読み上げも無事話し終えた。満場の拍手を浴び袖に引っ込むとどっと汗が出た。
 
 楽屋口を出ると、さっきの子供を連れたお母さんらしき人とすれ違ったので私が挨拶をすると、子供を促して一緒に「有り難うございました」と返してくれた。「あぁ、この親にしてこの子あり」。端の方に座っていたのは、子供がグズればいつでも退場しようと思っていたのであろう。そうあって欲しい。子供の教育うんぬんの前に、親のマナーが大切だとつくづく思った。


2:子供を連れたお母さんの告白

 あの日は、朝から本当に大変な日でした。主人が、父親の誕生日のプレゼントに寄席のチケットを主人とお母さんの分も含め3枚取ったのですが、その日の朝、お父さんの持病である心臓発作があり、家族全員で主人が運転する車でかかり付けの病院に行きました。
 
 お昼頃には、父の発作も治まったのですが年齢も年齢とのことで、主治医から寄席に行くことは無理であると言われました。父はベッドの上で私に、チケットもあることだし、いい機会だから子供達も連れて寄席に行ってきなさいと言ったのでした。病室と病院の廊下をバタバタと騒がしく行き来していた子供達も昼過ぎにはグズってきたので、成す術を知らない私は一つ返事で子供達を連れ出し寄席に向かいました。
 
 後妻として嫁いで一ヶ月にも満たない私は、私に懐かない可愛げの無い子供達を連れて退屈な病院を出るしかなかったのです。寄席は私も初めてなので、子供達を静かにさせるために寄せの前にデパートのおもちゃ屋さんへ行って寄席中静かにさせるためにおもちゃを買い与える事にしました。当然、その場で買うことはしません。あらかじめ品定めをさせておき寄席を静かに見る事ができたら、その帰りにまたおもちゃ屋に戻って買ってあげると約束をしただけです。

 あのガキ共は一旦買ってあげたら、それまでですからね。前妻や父母は怒る事が全く無く徹底的に甘やかせて育ててきていますので…。さらなる保険もかける必要があると思ったので、そのデパートの隣りにあるファミレスにも寄席後、連れていって大好きなハンバーグを食べさせる約束もしました。
 
 そこまでしたのに子供達は寄席中、グズり足をバタバタさせていました。その度、なんとかオモチャとファミレスで釣って静かにさせていました。主人は寄席の途中に迎えに来る事になっていたので、なんとかそれまで頑張ろうと思いました。何度も主人にメールを入れましたが、なかなか来る気配はありません。そろそろ限界を感じた私は、私の睡眠薬を半分に割り子供達のジュースに入れました。
 
 今日子供達はお昼寝をしてなかったので、睡眠薬の効果はてきめんでした。子供達がまんまと寝てしまったので寄席のトリを迎える前、主人に電話をしようと一旦演芸場の外に出たところ、外は大雨が降っていました。傘も無いので私と子供達だけで帰ることも儘なりません。仕方なく寄席の最後までいる事になってしまったのです。


3:小学校低学年の女の子の告白

 ママが病死してもうすぐ1年になります。ママが入院している時、パパは朝、弟を幼稚園に送っていくのですが、いつの日からか弟がこう言うようになりました。「幼稚園の先生は、ボクの先生じゃなくパパの先生になっちゃった」と。「日曜日にパパは僕の代わりに幼稚園にいっている」とも言いました。何人かのお友達からも、パパが先生と一緒に車で出かけているのを見たと言われた事もありました。

 ママが死んでからは度々先生が来る様になり、ママがいなくなった寂しさでしょうか、弟はとてもそのことを喜びました。先生はその後、頻繁に家に泊まっていくようになりました。ある日、パパと先生が二人揃って私達を呼び、「今日から先生をママと呼びなさい」と言ったのです。「先生はママじゃない」と私と弟は、しばらく泣き続けました。

 先生はその後、幼稚園を辞めました。パパが出張の時はとくに、ママのように私達をデパートに連れて出かけたりするようになったのですが、玩具売り場やファミレスに私達を置き去りのまま、2~3時間は戻ってきません。携帯電話に電話やメールがあると、お友達に会う約束があると言いながらいつもいなくなってしまうのです。戻ってくる時は、きつい香水の匂いがします。
 
 弟と二人きりでお留守場を任された時、死んだママがよくこう言っていました。「ママの代わりになって、ちゃんと弟の面倒をみるのがお姉ちゃんの役目よ」。わたしは弟をあやしながらママの帰りを待ったものです。ママや近所のおばさんたちには、「いつも静かでおりこうさんね」と褒められたものでした。「本当に手間がかからない子ね」ともよく言われました。

 お爺ちゃんもよく私達をお出かけに連れて行ってくれました。お爺ちゃんが好きな寄席にもよく行きました。聞いても難しくて全くわからないのですが、静かに聴いてなさいとママに言われていたので二人でいつも静かにしていました。お爺ちゃんはいつも静かにしている私達を誉めてくれました。


4:巫女の口を借りたる亡くなったママの告白

 私も実は後妻でした。私は娘が幼稚園に通っていた時の幼稚園の先生でした。私にも懐かないその子供達を生んだ前妻は、職場によく子供達を連れて行ったと聞いています。講談師であった前妻は、まだ二人の子供が物心付かないうちから自分が出演しているビデオを見せていました。母親が仕事で外出している時、二人がグズったら母親の講談のビデオをかけるだけで静かになったと聞いています。私も結婚した後、その事をお母さんから聞きました。そのビデオの中でもなぜか「赤穂義士伝」が大好きで、意味がわかるわけではないのですが一発で子供達は静かになりました。
 
 娘は、子供の仮面をかぶった悪魔のような子でした。今の母親は幸運なことに私の妹です。私が死んだ後、主人との結婚を決意してくれたのですが、娘の嘘に翻弄されノイローゼになってしまいました。主人の病弱な両親に迷惑をかけまいと子供達と買い物に出かけると言いながら病院通いを隠しています。


※この話は平成18~19年にかけて産経新聞に連載された神田 紅(女流講談師)さんの「暮れない日記」を基にアレンジした作品です。
 

トイレ研究(4) クソ真面目に糞を考える 

 私の朝のお勤めの時間は長く険しい。前日、夕食と称し発酵した食物から搾り取った液体を流動食として摂取することが多いのが原因である。固形物を食す事もたまにはあるが、ほとんどの時間、飲むことに費やすのが現状である。このような食生活を送り、人並な短時間のお勤めと、社会的に認知されているスタイリッシュな流線型の物体は期待できるはずも無い。誰に見せても美しく、そして恥ずかしくない「美しい糞」を出産してみたいという気持ちに駆られるようになった。忙しい朝、それを流し忘れたとしても、その後にトイレに入った人が「なんて美しい黄金なの!」と驚嘆し、間近で食い入るように見詰めて貰えるような、惜しまれながらも去り際がカッコいいような、水流に飲み込まれていく姿に郷愁や匂いが漂うような、そんな分身を生んでみたいと思うようになった。

 健康的なものの重さであれば、引力の9.8Gに助けられ途中途切れる事も無く、和式の場合は白い陶器のお皿に上品に盛り付けられる。洋式の場合は、モロキュウが味噌に刺さった感じとは真逆のイメージ(←これイメージとても難しい)、はたまた、アサヒビールの本社ビルのように、ウンコがビルに刺さっている状態を90度左へ回転させたような近代建築物のような感じになる。誰もがその形状の美しさに魅了され、ギリシャの彫刻のような気品ある完成度と、熟練した職人の手によって磨かれたカリン糖のような食をそそる艶は、後世に語り継がれるものになるであろう。大きければ大きいほど、そのものが例え長くても重力に助けられ所要時間も短くなるに違いない。このような出産が可能になれば、大腸粘膜との摩擦により出産には快楽が伴うので、長々と新聞を読むような無駄な行為は止め、出産の快楽と共に朝の神聖な儀式に集中できると思う。この摩擦の追及は、男女の組み合わせを逸脱する危険な領域に言及することとなるので、今回はやめておこう。

 そのような快楽を伴う快適な時間を過ごす為には、小腸と大腸を雑巾のように搾り出すような体内作用をもたらすツールがあるとさらにいい。下半身が「スゥー」とする何かを考えればいいのである。例えば、「ブランコ型トイレ」などがあったら最高であろう。公園に設置されているブランコの座る部分が、すべて便器になっている。そこに座ってブランコを前後に高い位置まで漕ぎ上げ「スゥー」としながら、重力とさらには遠心力にも助けられ用を足すのである。4人家族であるならば4人分の「ブランコ型トイレ」があれば、家族のコミュニケーションは活性化し、他人も羨む絵に書いたような円満家族になること請け合いだ。

 この欠点は、最後に拭く事が出来ない事くらいである。拭かなくても人間は死なないので些細な事だ。そんなデメリットを差し引いてもこの「ブランコ型トイレ」は優れものである。拭かなきゃ生きていけないと贅沢を言う家族がいる場合のみ、公園でもブランコの横には大抵、噴水があるので、家にも噴水を作りウォシュレット代わりに使えばいい。家族そろって「ブランコ・プレイ」。あまりにもほのぼのし過ぎて、SMを連想する人は決していないであろう。

 もう一案は、3Dタイプのトイレマットを作ることだ。マットの中の3D映像は、東尋坊のような高い崖から数百メートル下の岩礁だらけの荒波が砕ける海が見えるものであったり、超高層ビルの屋上から地上の道路にる豆粒のような車や人を見渡すことが出来るものもいい。高所恐怖症の私などは、恐怖のあまり、さぶイボ(鳥肌)が立ちきっと「お漏らし」してしまう。トイレなので漏らしても全く問題はない。「小が大を呼ぶ」連鎖が大いに期待できる効果絶大なマットになる。ま、余談であるが「マット・プレイ」と名付けておこう。

 トイレに要する時間は人様々であるが、私が80歳まで生きると仮定し生涯大小に要した時間の合計は、なんと627日間になる。約2年間もトイレに入っていたことになってしまう。罪を犯し服役するのと同じ期間、海外留学、駅前留学、家庭内留学、トイレ留学のようにトイレに入っていたことになる。やはり、この時間の過ごし方を真剣にもっともっと「糞真面目」に考える必要がある。
 

ハイブリッド車に必要な警告音 

 先日、営業の為、自転車で銀座をのらりくらりと走っていた。プランタン裏のABCマートあたりの車通りの少ない道を走っていると、後ろから何かの気配を感じた。振り返ると私の自転車に車が追走していた。それも音もなくとても静かに。驚いた私は当然、すぐに道の端に避け停止した。横を走り去った車は、今日本だけでなく世界で最も有名な車、日本技術の最高峰である「トヨタ・プリウス」。モーターで走る際のプリウスは、エンジン音が無い。ゆえにとても危険だ。車道に歩行者が溢れかえっている商店街などでは特に危険な存在になる。

 モーターで走行する際、歩行者にその存在を知らせる為にICで警告音を出す工夫が必要だ。クラクションとは違い、エンジン音のように連続した音を発する仕組みだ。もしかすると、あのトヨタのこと、既に開発済みで搭載しているのかもしれない。乗っている人のみにやさしく、周りの人には、巨大な鉄の塊が忍び寄る怖い存在であるのが、人ごみの中を走るハイブリッド車なのかもしれない。このハイブリッド車にIC警告機を搭載した場合、Aボタンを押せば「ヘリコプター音」、それに歩行者が気付かない場合、Bボタンを押し「ワルキューレの騎行」。

 更に気付かない時、Cボタンで「マシンガン」。そして最後にはボリューム全開。車の前の歩行者すべてが、まるで蜘蛛の子を散らすかのように、旧約の出エジプト記でモーゼが手をかざして海を割ったかのように左右に急ぎ逃げることになろう。ここまできたら警告音ならぬ騒音公害。せっかくのいいお話が台無しだ。ハイブリッド車は売れに売れているらしいが、この売れ行きが続くと、モーター走行時はとても静かなので、車に気付かない歩行者が頻繁に接触事故に遭い、特に商店街での人身事故率が高いという結果を招きかねない。その前に対策が必要だなあ~と、想像力を働かせた私だ。

 ま、音を専門に研究する機関に依頼して、その音を聞いたら黙っても道を譲りたくなるような音を開発すればいい。例えばAボタンで「SL機関車の音」。更にはBボタンで「汽笛」。まるでどこかの遊園地にいるような気分に浸れ、歩行者の気分も和らぐ。まだある。「豆腐屋さんのラッパ音」や「竿や~竿竹」とかもいいなあ~。この提案にプライド高きトヨタやホンダが乗るとは到底考え辛い。SM嬢の「そこをお退き!」もいい。Bボタンは当然「ムチの音」。乗ってる人の品格が問われることとなろう。

香典 

 前職で大変お世話になった方が亡くなられて約4年の月日が経った。亡くなられたことを知ったのが約2年後。ご自宅の場所は大まかに分かっていたので、その近くの客を訪ねた帰りに二度ばかり探してはみたが、見つけられなかった。2週間前、ふと、その近所に住む配送会社の社長なら知っている可能性が高いと考えすぐ電話した。やはり知っていた。すぐにお香典を包み、奥さん宛に伺ったが留守。事務所に戻り忘れないようにとデスク横に香典袋を置き、時間を作ってまた訪ねようとスタンバっていた。その後、急に仕事が忙しくなり、行く機会を作れない状態が続いた。

 先日、午前10時までに仕上げなければならない案件があったので、早朝6時に出社しメールをチェックしたところ、客から前回のアイディアでOKとのメールが入っていた。ポッカリと時間が空いてしまったので久々洗濯でもやってみっか!と考えた。事務所用のジャージ2枚、椅子の座布団などをまとめて近所のコインランドリーで洗濯する。事務所ではリラックスする為にジャージにはき変える。それもジーパンをジャージにだ。もとから十分リラックスしているんじゃあないの?と思わないで欲しい。ジーパンは私の正装なのだから・・・・・・。やっぱ、ゴム入りジャージは楽だ!!

 洗剤もコンビニで調達し、はいていたジーパンもついでに洗っちゃえ!と自転車用の短パンにはき変えた。乾燥も含め小一時間ほどで終了。事務所で洗濯を試みたのは初めて。時刻は7時。今日のスケジュールを調整しようと、大事な仕事の客から順に時間伺いのメールを入れた。「午前中は空いてます」と。すると、日曜日に突然「たすけて~」とかかってきた電話、超アクロバット納期なのに涙にほだされ受けてしまった、否、受けさせられてしまった仕事の客から8時半に来て欲しいとメールが返信されてきた。「そうだ!その時間までに香典をお渡してこよう!」と決心した。

 車で出かけ、朝駆けでお伺いしたところ、偶然その日は仕事休みでお会いすることが出来た。お悔やみを申し上げ、香典をお渡しし、出社時間に遅刻しないよう装い昔話もそこそこに切り上げて、約束の客の会社へと急いだ。ふと、車中で急に嫌な予感がした。「薄墨で2週間前に書いた香典袋に、果たして金壱万円也は入っていたのであろうか?」 電話して聞くわけにもいかない。「中身は入ってましたか?」等と聞けるはずもない。きっと入れたのであろうが、その記憶もはるか彼方に飛んでいる。「ま、いいっか!」と割り切った。その後、お金を入れた事はどうにか思い出した。

 あの2重の香典袋の仰々しさはイケない。イケて無い。開ける方も、仰々しい袋を恭しく、開けたはいいが、中に金が入っていなければ、猿が玉ネギやラッキョウの皮を何度も何度も剥いて終いに何もなかったことを怒るように、人もきっと怒るであろう。受ける側も、「貴方の香典袋にはお金が入ってなかった」とは、言い辛い。香典の中袋に、棺桶のような窓を開け、ツェー万円の諭吉のご尊顔を拝謁できるような袋を作れば、渡す側、渡される側の両人にとって、きっと嫌な思いをすることなく、スムーズな香典のやり取りが出来るに違いない。また「金壱萬円」と中袋には書かれているのに、ゲー千の一葉のご尊顔が窓から見えれば、通夜ぶるまいか精進落とし時に遠い親戚からこっそりと指摘することも可能だ。ようやくお会い出来てお悔やみを申し上げ、ホッとしたせいであろうか、なかろうか、人の不幸をこのようにネタにしてしまう非人道的な私だ。やっぱり袋じゃないんだなあ~、中身だよ!!

短編『竹薮』(4)最終章 

 その後の僕は、たけの子は墓地の竹薮にあるといった感覚、死人の食べ物、あのドラム缶の風呂に浸かっていた竹薮の中の悪魔の食べ物という感覚に、大人になるまで支配され続けることになる。たけの子ご飯が美味しいと心底思えたのは、あの時、竹薮の中の親切なお爺さんから在りかを教わり、それを採ってハイキングから帰ってきた友達の家族と一緒に食べた、尽きぬ会話と溢れんばかりの笑顔に包まれて食べた、あの夕食の時の一回だけだ。あれが最初で最後なのである。

 親の言う事をよく聞きいい子であろうとしている友人が何故、あの時、お爺さんに石を投げたのか?子供である彼に対し、まるで友達や兄弟のように見えたご両親であるおじさんとおばさん。その前で彼はいつもいい子であろうとしていたのであろう。裏では舌を出しているようなそんな不真面目さを知ってしまった僕はいったいどうしたらいいのだろうか?一人の中に、二つの性格があって、どちらも悪い子供であるという恐ろしさがあるのだから・・・・・・。この浮き彫りになった事実を、彼の両親にどうにか伝える方法はないかとも考えた。子供の嘘に気付かず、一生騙され続けるあの優しいおじさんとおばさんがとてもかわいそうに思えてならない。

 反面、越えられない壁の存在を常に感じさせる僕の両親。僕にとっては怖い親としてしか存在しない。だから、悪巧みもせず普通に自分らしく両親に接しているほうが楽だ。身近に怖いものがあったほうがきっといいに決まっている。彼のあの行為さえ無ければ、墓地から入った竹薮を突き進み学校裏に辿り着いていた。大きな竹薮の現実、竹薮は一つであることを僕が素直に受け入れることが出来たのではないか、と未だに後悔している。(終わり)



 この短編は「無差別殺傷」や「家庭内教育の在り方」をテーマとして書いた。偶然、本日付け産経新聞に以下のような記事が掲載されていた。
 私立狭山ケ丘高校(埼玉県入間市)の小川義男校長は「がまんする心や耐える心を教えることは個性を殺すなどと言い、規範意識を育ててこなかった」と戦後教育を批判。その上で「人生はやってはいけないことの連続だが、そこにこそ心の豊かさやさまざまな想像力が生まれるのではないか」と話している。
(以上、産経ニュースより引用) 本文はココをクリック



短編『竹薮』(3) 

 見ていたもう一人はケラケラと笑った。そして彼の真似をして石を今まさに投げようとしている。今度は止めさせようと一歩踏み出した。が、石は手を離れドラム缶に向かい一直線。そして「ドン」と鈍い音を立てた。あろうことか石は老人が入っているドラム缶に命中してしまったのだ。皆、息を呑んだ。その瞬間、

 「誰だっ!」

 と、竹薮中に響き渡る大きな声で老人が立ち上がり叫んだ。骨だらけの痩せた上半身をドラム缶から乗り出し、鬼のような怖い形相でこちらを睨んでいる。今にもこちらに向かい追いかけてきそうだ。僕らは一目散に逃げ出した。老人に当たらないよう、石を投げているのかと思ったが、友人はそうではなかった。最初に石を投げたもう一人は、石が竹に当たった音で相手を威嚇しようとしただけだ。小屋を外して投げていた。でも彼は違った。間違いなく老人を狙っていた。これは決して勇気ではない、きっと狂気に違いない。これまでの勇気、それに対する憧れはこの時点ですべて崩れた。彼は僕にとって今、目前にある最大の恐怖になった。一緒にたけの子ご飯を食べた友人であるとは思えない。思いたくもなかった。

 みんなで谷をかけ上がり、平坦な竹薮を走って走って――――。息が続くまで走り続けた。三十分は走り続けたであろう、竹薮の向こうにあるたくさんの墓石が見えてきた。普段は灰色だが今日はやけに白く見える。周りも次第に明るくなってきた。僕らは走るのをやめた。皆、ハアーハアーと荒い呼吸をしながら今度は歩いた。竹薮の出口にようやくたどり着いた。戻る時間は思ったより早い。墓地のロータリーにある休憩所で蛇口を頬張り水を飲んだ。喉がとても渇いていたことに驚いた。皆、口々にあれは悪魔だとか、閻魔大王だとか、その年齢で知り得る限りの恐怖を象徴する名前を言い続けた。狂気の彼だけは、たけの子の在りかを教えてくれた先日会った老人に似ていたような気がすると一旦は言ったが、すぐ否定した。

 ――――間もなく、日が暮れてきた。一人が早く帰ろうと言い始めた。あんなに死の竹薮では勇敢であったのに、門限を過ぎ親に叱られることを恐れているのが分かった。僕とみんなは恐怖の対象が全く違うことに、言い知れぬ違和感を持った。まだ、話し足りない僕ではあったが、仕方無しに皆と一緒に家路に着いた。

 家に入ろうと縁側の窓を開けると、香ばしい醤油の香りがする。僕の話を母から聞いた父が、たけの子を採ってきたのであった。先週のあの美味しさが忘れられなかった僕は、先程の怖さを忘れるくらい嬉しかった。母が部屋の隅に畳んである丸いお膳の足を開き、部屋の真ん中へ置いた。そして持ってきたお釜を開けてお茶碗にたけの子ご飯をよそった。

 「いただきます」と、ほぼ同時に言った両親の後に続き、小さな声で
 「いただきます」と、いつものように言った。

 この前の味とは少し違っていたが、美味しいたけの子ご飯であることは確かだ、と自分に言い聞かせた。僕は父に尋ねた。

 「小学校の裏の林で採ったの?」

 父はこう返した、

 「墓地の横の竹薮だよ」

 その刹那、食欲も美味しさもすべてが砕け散った。僕の口の中のものは瞬時にまずいものに変貌した。箸が止まった僕に、父は続けてこう言った。

 「小学校裏の奥の竹薮と墓地の横の竹薮は谷を挟んで続いている。とっても大きな竹薮なんだ」

 僕はお腹が痛いと嘘を言い食べるのをやめた。親は僕の嘘を意外にも信じた。

 僕はその当時、地図で確認する術を持っていなかったし、そんなことが出来たとしても、野原の先にある竹薮と墓地横の怖い竹薮を続いている同じものとして受け入れること自体、絶対に出来なかった。その事実は体でさえも受け付けなかったのだから・・・・・・。(続く)


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