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加藤陽子著 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ」(朝日出版社) 

 裁判員制度の場合、ジュリーはバーディクトでジャッジメントではない。(←コレ、私の枕言葉。あまり意味は無い、英単語暗記のテクニックだ) クラウゼヴィッツの『戦争論』には「戦争とは政治(外交)の延長線上にある」と書かれている。そうか、だから「外交」という英語diplomatと「軍隊を展開させる」という英語deployは接頭語も含め5文字位が同じなんだ!と思い込み、過去数十年にわたりこの2つの単語をクラウゼヴィッツの名言に関連付けて覚えた気分に浸っていた。しかし、接頭語は片や「2つの」という意の「di」、片や「下降、分離、否定」の意のdeであり、全然違うことについ最近気付いた。飲みながら偉そうに人に語らなくて良かった!と、サイ・オブ・リリーフ(安堵のため息)。

 「差別」という意味の英語「discrimination」はよくよく考えてみると、接頭語の否定を意する「dis」が、犯罪の意味の英語「crime」を打ち消している。白人社会ではいまだに「差別は犯罪ではない」という時代遅れ且つ高慢な単語が生き残っているのであろうという独自の解釈が頭を占有する。これはかつて、今でも?世界を席巻しているアメリカのグローバル・スタンダード(高慢標準)の傍系であるポリティカル・コレクトネスに抵触し、政治的に妥当なものではないのではないか?と浅~く考える。ま、一つの英単語を分解した場合、その起源はラテン語にあったりフランス語にあったりと様々なので、高慢な私の逆差別、逆言葉狩りなのかもしれないが・・・・・・。

 と、つらつら「ぼやき」を書いてみた。ある本を読んだ影響が少しある、否きっとあるのだろう。東京大学文学部教授・加藤陽子先生が書いた『それでも、日本人は戦争を選んだ』(朝日出版社、定価1,700円+税)という本だ。高校生向けに日清戦争から太平洋戦争まで、日本人の政治的な選択が書かれている本なのだが、とても分かり易い。「あったりめえよ!高校生向けなんだから」と思うなかれ。目から鱗がこけら落としとでも言おうか。私にとり歴史解釈の初興行が多い。サブタイトルとして「普通のよき日本人が、世界最高の頭脳たちが、もう戦争しかないと思ったのはなぜか?高校生に語る――――日本近現代史の最前線。」とあった。

 一番シビレた件(くだり)はココだ。67ページの「統帥権独立という考え方は、山県有朋が、西南戦争の翌年、1,878(明治11)年8月に、近衛砲兵隊が給料への不満から起こした竹橋騒動を見て、また、当時の自由民権運動が軍隊内へ波及しないように、政治から軍隊を隔離しておく、との発想でつくったものです」の部分である。私として先の対戦の最も大きなきっかけは、1930年のロンドン軍縮会議以降に起こった統帥権干犯問題にことを発していると単純に考えていた。統帥大権がどのような理由でいつ作られたかまで思いが至ることは無かった。この本を読み、11条~13条の統帥大権は、「政治から独立させるという考え」を山県有朋が作ったことを初めて知った。その後、政治家が政争の為、その独立が干犯されたという解釈に到達し、更には軍部がそれを利用した。

 国民的人気があった西郷隆盛に胆を冷やした山県有朋が慌て、自由民権運動による民衆の意思が軍隊にまで入らないようにする為であったとは――――高校生は皆知っているのかなあ~?ちなみに東大教授の陽子さん、私とタメ歳なんだな~、コレが!

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渋滞緩和を目的としたハイブリッド道路 

 日本語に翻訳された中国人のブログをネットで見ていたら、「渋滞時、反対車線を逆走しないできちんと並んでいる日本人ドライバーは、バカが付く程、正直かつ律儀である」と書かれていた。我々としては当たり前、中国人としてはひどく驚くべきことなのだ。そう言われてみると思い出す♪遥かな尾瀬野の小道、中国出張時、車の送迎で時速100km超えセンターライン越えの大逆走で、何度も死にそうな怖い経験をしている。しかし、この指摘を生かし発想を転換をすると、渋滞時には車線が増える道路を積極的に増やすことで渋滞緩和につながるとの結論に辿り着く。

 他の場所にもあるはずだが、すでに江東区と中央区を結ぶ永代通りの永代橋では、通勤ラッシュの緩和の為、朝は上り車線が増え、夜は下り車線が増える。私の記憶では全5車線で、真ん中の車線を上部の○×の信号で規制し渋滞方向の車線にしていたような気がする。渋滞方向は3車線と反対車線は2車線のように。それが両側4車線であっても、片側3車線と1車線の組み合わせで十分機能するはずだ。それらを地方の観光地でも取り入れ、渋滞の無い観光地として観光招致の目玉・呼び水にしたらいいのでは?と考えた。先日、日光のいろは坂を登る際の渋滞時に・・・・・・。

 その考えは高速道路にこそ適用すべきだと発展した。東京から観光、仕事、帰省などで頻繁に起こる大渋滞。帰省ラッシュやUターン・ラッシュ時の状況を考えると、渋滞の反対車線はいつもガラガラ。渋滞緩和の策を考えると、中央に仕切りがあったり、東名高速のように完全に上下道が分離されていたりするので、拡張工事以外思いつかない。土地買収なども含め莫大な費用もかかる。政治家を通じ一部の人が金銭的に豊かになるだけで、反対車線のガラガラ状態は拡張された分、更に促進する。なんとも二律背反、もし自分の金を出すならば許しがたい工事と言えよう。

 そのように考えると、主要道の両側車線を中央で仕切ったり、完全に分離させて、将来の交通量に合わせ今後拡張することは、人口が確実に減少する日本においては大きな無駄、税金の無駄遣いに他ならないといえるのではないか。高速道では、渋滞が発生する場所は既に特定されている。今後は中央分離帯が無い道路を作り、自動車の性能に任せた制限速度以上のスピードはどの場所であっても確実に取り締まれる法律と設備を完備させ、上下車線に中央分離帯があるところは、それを取り払い渋滞している方向に車線を組み入れられる仕組みを作ればいい。

 今後、前近代的な道路を造るのは完全に止める。中央分離帯がなく状況に応じ車線中央が移動する道路を極力造る。そのような変幻自在なハイブリッド道路であれば、上り坂で速度低下が発生し渋滞が起こりやすい道路も、反対車線の一車線を組み入れ解決したり、上り車線のみ拡張したりと、反対車線がガラガラになるような矛盾は抱えず一回造れば金もかからない。将来を見据え日本の道路事情を考え尽くした画期的な道路になる。当然、税金も削減でき、無料でも納得できる。スピードを出せる道路ではなく、快適に自動車が流れる道路こそ必要である。

 また昔から渋滞緩和の解決策としてよく指摘されている事に、なぜ高速の出口を多く造らないのであろうか?ということがある。きっと高速の入り口・出口付近から立候補した政治家の政治的圧力があるのだろう。高速料金の段階的な無料化といっても、受け入れ体制が整わない、もしくは、道路のハイテク化の発想がなければ、大都市周辺の高速道路は低速化し大渋滞に陥るだけである。今後、日本の道路行政においては、新しく道路を造ることではなく、今ある道路でいかに快適に走れるかを研究し尽くす必要がある。と、2時間かけて日光いろは坂を上り切り、中禅寺湖周辺の紅葉を見ながら結論に達した私だ。

’09年 紅葉狩り 

 晩秋の木々の葉が紅色に染まりゆく姿は儚くも美しい。と、いとおかしな遺伝子の命ずるまま、紅葉狩りに出かけた。苺や葡萄も「狩り」であるが、落ち逝く寸前の葉っぱをこよなく愛し、その鑑賞を「紅葉狩り」と称した日本の祖先は皆詩人、ある種芸術家でもある。紅葉に心、心に紅葉の色付きを重ねる。遺伝子の乗り物である我々の肉体は、更に自動車という乗り物に乗り、渋滞なんぞなんのその。モバイルなモービルでモーブル尽くしの状況へ陥る。「あれっ!パリの有名な美術館の名前は何だっけ?」 と、指任せに打ち込んでいたら前置きがとても長くなった。

 今回、紅葉狩りの目的地は栃木県の日光中禅寺湖周辺に決定。車で宇都宮から今市を抜け日光市に入ってから「いろは坂」を登るルートは、ガキの頃のトラウマがある。東北道のような高速も無い時期、千葉の実家を朝5時に出発し、日光街道の大渋滞に巻き込まれいろは坂の下に到着したのは午後2時。それから「いろは坂」の渋滞に3時間強、中禅寺湖到着時、あたりは真っ暗。紅葉狩りどころではなかった。いろは坂途中にはトイレが無く、道端や木の陰で立ちションや座りションをする姿を頻繁に見かけた。私も然り。私の場合は座りポトンであったが・・・・・・。

 なので、この定番ルートの日光正面突破は、自分で車を運転するようになってからも避け続けていた。兎にも角にも、いろは坂の登りの渋滞には散々パラ懲りている私なのだ。じゃあ、日光へ行くときはどうするんだ?答え:「関越で行きま~す」 渋川の先の沼田インターで降り、吹き割の滝で休息し、尾瀬の横を走り、時には金精峠で金精にお祈りしたけどその後の効果は全く無し、今では金精のヌケガラその名も片平サナギ、戦場ヶ原を通り抜け、竜頭の滝、中禅寺湖と国道120号を一っ走り。渋滞は中禅寺湖の鳥居付近にあるくらいで、その他はとてもスムーズである。この国道120号、吹き割れと金精のとってもエッチな組み合わせが、なぜかこの時期、おセンチな私の琴線に触れる。

 これは日光へ正門ではなく勝手口から入る方法と言えよう。一泊出来るなら土曜日の午後出発、渋滞が緩和された時点で関越道に乗り、沼田に一泊して、翌朝上記ルートで寄り道しながら日光へ向かうのがベストだ。渋滞がないのでストレスが全くない。ゆえに一時期は拠点を沼田にしてドライブしまくったこともある。ビジネスホテルは直前でも空いているし、日光方向の東方面ではなく、逆の草津方面や浅間山や嬬恋を通れば軽井沢へも全くの渋滞無しで行くことが可能だ。そう、軽井沢へも勝手口から入れるのである。まるで「奥さ~ん!米屋で~す」のような気軽さではないか。「来週、お客さんが来るので、プラッシー1ケースお願いね!」。

 これは私独自の策ではない。古代中国の偉人、名前はたしか北島三郎、が著した「ヘイ!兵法」にも書かれている。「戦いは正を以って合し、奇を以って勝つ」と。正面突破が正なら裏から攻めるのは奇、正攻法が正なら奇襲作戦は奇、すなわち相手の裏をかけということだ。男なら誰もがそうだが、裏筋はきっと――――今日は指がようやくノッてきたが止めておこう。せっかく情緒漂うお話にしようとここまで頑張ったのだから。そんでもって、そうそう、やっぱ渋滞は敵なのだ。敵に対して無策とはなんとも情けない。その時、いろは坂で渋滞緩和の秘策をふと思い付いた。それは次のお話にしよう。

 最後にこれだけは書いておかねばならないと思ったことを書くと、実は今回、正面突破であった。ここまで読んでくれた人には詐欺師のブログを読ませたようでとっても気まずい。嫌いにならないでネ。ちなみに今回はゆっくりと東京を午前10時半出発、東北道一発でいろは坂の手前までで午後12時半、いろは坂は大渋滞であったが、約2時間で中禅寺湖に到着。男体山に被る雲も途中で晴れ晴天であった。だからブログトップの写真が撮れた。正面突破でも比較的スムーズだったといえよう。が、が、が、たとえそうであっても、沼田からのルートはものすご~くお勧めだ。是非、今年は試してみてネ!きっとセンチメンタルな松本伊予、ジャーニーコニカな井上順な紅葉狩りになること請け合い、お煎餅は、ばかうけ(青のり)がとっても美味しい季節なのだから。

インコンビニ状態 ~ お茶の効用 

 事務所の隣にあったコンビニがなくなり、現在、とってもインコンビニ状態(inconvenience=接頭語に否定のin )にある。インコンビニとは誰が言ったか私が言った。朝6時から夜の9時まで営業するシックス・ナインであったなら話のネタに持って来いであるのだが、残念にもセブン・イレブン、しかし終日営業なので正式にはオール・デー・ロング、とってもコンビニエンスなコンビニであった。ATMもあり、お茶のペットボトルやおにぎりも安売りがあり、頻繁に買ったものだ。

 昨年来、不景気対策としての早朝出勤が増え、交通機関に乗るにも始発前で自転車通勤が多くなった時期があった。今、自転車は週の半分くらいだ。自転車通勤なので、ある程度の重さの荷物も積める。絶対にやってはイケナイ自転車の二人乗りで家内を乗せ台場のガンダムを見に行く為、後輪上に荷台までも取り付けた。ビジネス・バッグ以外に、自宅と事務所間、運べるものがあるのではないか?とぼんやりと考えた。「そうだ!お茶を運ぼう」と。

 これは自分で考え付いたわけではない。友人のY君と新宿のライブを見に行った際、彼のバッグの中に空のペットボトルが二本入っていた。「自分で朝お茶を入れて節約している」とのこと。大手勤務の彼もこのようにして自分を律しているのだから、今にも消えそうなロウソクの炎のような零細企業を細々と営んでいる私も、彼以上に自分を律する必要があると思ったのだ。それまでは、隣のコンビニで一回に4本はお茶を買い一日で飲み切った時期もあった。

 このように大量に飲む時期もあり、忙しくなると全く飲まない時期もあった。タイミング良く、静岡県の川根まで行って購入した400gで千円の川根茶が自宅に大量にあった。やめればいいのに人件費とガソリン代・高速代(まだ1,000円ではなかった)を入れて計算したら、とっても高級茶になっていたのだが・・・・・・。ま、それを朝起きポットで湯を沸かして、急須で三回に分け約一リットル分のお茶を作る。その2本のペットボトルを持って自転車で出勤する。

 お茶を毎日多く飲む時期は、老化したカサカサの肌がスベスベになることも分かってきた。ポリフェノールやらカテキンが身体に作用しているのであろう。ポリフェノールには抗酸化力があり紫外線やストレスから身を守る効果もある。カテキンは殺菌作用もある。「じゃあ、残ったお茶は肌に塗っちゃえ!」とばかり、手に塗るとこれまた肌がスベスベ。私の最も好きな都内に数箇所ある天然温泉の銭湯は黒湯だ。それらの銭湯も入れば肌がスベスベになる。

 化石燃料にならなかった朽ちた木や葉の成分が溶け出し黒湯になっている。お茶も葉っぱだから、塗ればきっと同じ効用があるのだろう。そう考えると、ペットボトルのお茶のポリフェノールとカテキンの含有量を他社より多くして販売し、その数値を宣伝することにより確実に売上が伸びるのではないか、と考える。健康や美容の為、「中へは飲んで、外へは塗るお茶」「肌の乾きも潤すお茶」であればきっと売れるに違いない。手に塗ると効果的と謳った場合、厚労省の許可が必要か?ならばOLの間でクチコミで流行らせればいい。

ブログ・トップの写真は10月18日の日光(半月山の展望台から南方面を撮影)

小恍惚 

 その小恍惚とでもいうべき精神状態は、晴れ渡る秋空の午後、突如として私に降臨した。商品の必要検査基準項目10ヵ所の内の一項目だけが検査の結果、基準値以下であった。それについては、過去の経験から当初より予想できていたので、メーカーには検査基準をクリアする方法をあらかじめ示唆した。しかし、商品として検査協会基準では合格、エンドユーザー基準では不合格になってしまった。日本のメーカーであればどのメーカーでも検査時だけ、合格を取る必要があるので行っている秘策がある。分かったと言っておきながら、分かってなかったのだ。専門家であるにもかかわらず、彼自身の判断で秘策無しで合格するだろうと踏んだらしい。これにより、その生産調整と客への報告で事務所に一日拘束されることとなった。予定はすべてキャンセル。

 納期は確定しているので生産を止めるわけにはいかない。結果が出た以上、生産は進行しながらも、その解決方法を素人でも分かるように文面で提示するしかない。生産と平行して再検査を行い基準値をクリアするしか方法がないのだ。「もし、次の検査も通らない場合どうしよう?」と誰もがビビる。私もビビる。メーカーは存外呑気。「あの方法ですね!」と言い切り、私を安心させた担当者が憎くもある。彼を怒れば尚疲れ、修復する作業に手間取る。客は不安で、メーカーは呑気。その客の不安を除去すべく、鳴門の渦潮のように激しさを増すプロジェクトの渦巻きの中心にたった一人で身を投じなければならない。「我蘇る」という言葉を念じながら・・・・・・。(「蘇我」の地名はヤマトタケルノミコトの妻が「我蘇り」と言ったことに由来する。「袖ヶ浦」はその妻の袖が流れ着いたことから)

 それらを細かく電話連絡を取りながらもまとめ上げ、提示した客もその方法しかないと納得し、後はエンドユーザーに最終確認を取るだけという段階になった。あとは野となれ山となれだ。午後一時であった。思ったより早く今日の仕事としては解決できた。本来ならば、昼食も忘れ、キャンセルした客に電話を入れて訪ねていくところだが、とても腹が減っていた。早速、自転車に乗って出かけた。遅い昼食のサラリーマンで街はごった返していた。その時、昼食は規律正しい生き方をしている人への、誰もが邪魔することが出来ない絶対的な権利とご褒美なのかもしれないとふと思った。「だからあんなに並んででも混雑する昼休みに飯を食うんだ」と。きっと権利の行使であるに違いないと悟った。

 ただ単に対策を提示しただけで、きっと今日の仕事はそこまでであろうと自分で思い込んでいただけなのだが、私としてはその仕事は終わったという小さな満足感があった。天気もいいしなんて気持ちがいいのだろうと。秋葉原方向へ軽快に自転車を漕ぎ、「神様!アリガト~」と思った瞬間、フワットした言い知れぬ感覚に包まれた。その間、0.5秒。脳ミソがとても気持ちが良くなったのだ。スプラッシュ時の動物的な感覚とはちょっと違う。「これを恍惚状態というのかもしれない」。合法的な脳内麻薬がきっと出たのであろう。「小恍惚」だ。きっといい方向に思考が向かうのではと期待した。初めての体験だ。恍惚は、きっと次もあるに違いないと確信した。中恍惚から大恍惚へと。衰弱した精神状態の恍惚じゃあない。ふわっとする恍惚だ。♪恥骨じゃないのよ恍惚は、あっはん~(明菜ちゃんのフシで歌ってネ!)

耳掻きの文化 

 三省堂か丸善のどちらかは忘れたが、書籍購入時のレジ前に耳掻きが置いてあった。5年位前の話である。価格は二千円以上であったが、先端のワイヤースプリングで耳垢を掻き出す特許商品であった。シンプルではあるが、日本人の独創力と技術の高さを誇れるスグレモノであると感じた。すかさず手に取り、書籍と共に会計し、領収書の但し書きは書籍代とした。セコイ奴だ。読書に集中できるカフェインやハーブ系のガムや飴などもレジ横に置いておくと、領収書族はセコさ全開、絶対に書籍代として買っていくであろう。高まる鼓動を押さえつつ家へ帰り早速使ってみた。匙タイプ耳掻きに比べ、先端の鋭利な感じも無く、繊細な耳の穴の皮膚にとても優しい。

 これは贈り物にもいいなあと思い、「そうだ!中国のビジネス・パートナーに送ってあげよう」と考えた。-----だが待てよ、ガキの頃、実家に民泊したドイツ人が、我々日本人が耳掻きをするのを見てとても怖がり驚いていたことを思い出した。大陸系だから「中国も耳掻きの習慣は無いのではないか?」と咄嗟に考えたのであった。耳クソじゃねえや耳垢自体の性質は民族によってかなり違う。日本人でもサラサラ系からペースト系まで5種類くらいあるらしい。私はサラサラ系の次、カサカサ系民族だ。かつては、耳垢がまとまるとゴソッと耳の中で剥がれ、鼓膜に衝突したりもした。最近は飲酒喫煙でペースト系民族にもなる不特定双方向性民族である。

 ネットで調べると、中国には耳掻きの文化は無いとのことであった。「よかった、調べて!」。もう少しのところでこの最新式耳掻きを買い、他の仕事のサンプルと共に送ってしまうところであった。「どうだ!」と、耳掻きをしない国の人に日本自慢をするところであった。これだけ耳掻きの種類がありそれらを売っている国は、どうも日本以外にはなさそうだ。爺さんになって耳毛が大量発生したら、いったい耳掻きにどれだけの影響を及ぼすのであろう?なんていう心配を外人はきっとしないのであろう。目クソ、耳クソ、鼻クソ。他のクソは掻き出さないが、耳クソだけは懸命に掻き出す神経質でヘンな民族と、日本の耳掻き文化に気づいた外人はきっと思うに違いない。

神在桜 

 台風が去ると、桜の「狂い咲き」が各地で見られるようになる。それにしても、慣習上とされる国花としての桜と菊、その一つである神聖な桜に対し「狂い咲き」とは失礼極まりないんじゃない?と、思った。なんかもっと敬愛の気持ちを込めた名前は付けられないのであろうか?と。10月だから「神無桜(かんなさくら)」とすると、神がいなくなっちゃうのでこれまた失礼だ。そんじゃあ、「神在桜(かみありざくら)」。これはいい!実際、10月の別称である神無月は宛て字であるとのことだが、それの漢字の意味を出雲大社が捉え、旧暦10月に出雲大社で開催された全国神様会議出席の為、地方には神様がいなくなるとし「神無月」という読んで字の如くの説を広めたらしい。

 だから出雲地方の10月は現在でも「神在月」という。神様が出張中、その地方を神様の代わりになって守ってくれるのが「神在桜」。「狂い咲き」と言っていた自分が恥ずかしくなっちゃうほどいいなあ~。この時期、桜だって何もすき好んで咲いているのではない。桜の葉には休眠を誘発する物質があり、それが幹を伝い開花を抑制している。その葉が数回の台風で吹っ飛べば秋の温暖な季節を春と勘違いして開花してしまうとのことだ。これで桜が勝手に狂ったわけではないことが証明される。台風のせいで少し勘違いしただけなのだ。植物にたいして「狂い咲き」と言ってしまうと、ビニールハウスで人為的に作られた花や野菜・果物すべても、ある種の「狂い咲き」になるのだから・・・・・・。

台風一過 

 東京は国際的な組織暴力団「台風一家」ならぬ「台風一過」。宇宙まで突き抜ける紺碧の空、それを斜めにぶった切る鰯雲がのんびりと浮遊する秋らしい季節がやってくる。日没時、地上からは陽が沈んだように見えても、高い位置に流れる鰯雲が夕焼けを反射してオレンジ色から紫色へと西の空を染め続ける。自然現象の死には逆らえないように、台風も然りだ。しかしながら、台風直撃にもかかわらず定時に出勤しようとする律儀な労働者たち。根性、気合いで出勤しても、客との約束や会社の規律を守ったという小さな満足感しかない。その積み重ねが大事であるという価値観なのだろう。労働者の最末端である私も当然、のっぴきならない仕事があり出勤した。

 強烈な台風であることは事前に分かっており、その先の予想は誰もがつかないような台風の中、無理に出勤していったいどうなる?「せいしをかける職業は何だ?」の答えの「F1レーサーとAV男優」だけにしてほしい。あっ、それと蚕(カイコ)。これは虫か。じゃあ、司馬遷とレフェリー。そして我々労働者だ。司馬遷のように去勢され精子を失い生死を彷徨い、たとえ「正史を書けた」としても所詮『劇弾史記』じゃあないか。------と、香港のように台風が来れば仕事や学校が休みになるような寛大な国策が必要だ。みんなで休めば怖くないのだから。政府広報がメディアを使い「外出は極力控え、明日の食料は今日のうちに備えておきましょう」とやれば消費も活性化する。

 台風予想が外れたら超ラッキー!休日なので家族でお出かけだ。「天高く馬越ゆる柵」。「秋深し隣はお外でフレンチか」等など。なんかこう、日本人が一体となり晴れ晴れするような気分にならないと年末まで日本経済は持たないような気がするなあ~。ちょっとしたニュースでいい。欲言えば、北方領土返還とかかなあ。その返還を足掛かりに新たにロシアと協調するような「環日本海シベリア経済構想」も立て、景気回復という「空気」を蔓延させる。そうすればシメタものだ。山本七平著『空気の研究』では、日本は意思決定を空気に任せる危険性があると書いてあったが、逆に好材料を掴んだ時の日本は、その空気により底なしの機動力を発揮する力があると考える。

 そのような方法で空気を巧く使うしかない。最果ての地が青森や北海道ではいけない。演歌も更に北上しタイトルも変わる。「歯舞慕情」やら「シベリア旅情」。旅行も、「夏の休暇はシベリアで!」とか「カヌーで納沙布岬から数千の島々を巡りアンカレッジへ!」。商売のネタに困ることが無い。構造改革も必要だが、経済を牽引する新ネタが今こそ必要だ。宇宙人が突然日本に降り立ち、コンパクトで無尽蔵、公害の心配も全く無い新しいエネルギーを教えてくれればもっといい。その宇宙人が三頭身から四頭身であれば更にいい。私はその惑星の芸能界へデビューする。6.3頭身の私に宇宙人たちは翻訳機を通じてきっと言うであろう。「顔小さい~」と。
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