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平成21年 年末に書く 

 「日々の行動があればテーマは向こうからやってくる」とある本で教えられた。それが理由で「頭痛が痛い」のようなタイトル「針小棒大な戯言」というこのコラージュ・ブログを続けている。が、全体を貫くようなテーマは全くやって来ない。こう景気が悪けりゃ、福の神もやって来ない。客も年内発注になると言いながら、その後、連絡も無く、28日(月)から正月休み。注文もやって来ない。来ない尽くし。例年、振込・支払の確認があるので銀行営業日の今日30日まで営業をするが、世は不景気、28日で終わらせることが実は出来た。しかし先週末、一度だけ名刺交換しただけの客からトラブルの相談があった。

 その彼女は、無責任にも来週月曜から正月休みに入るので、月曜日、引き継ぎの担当者に会って欲しいと言った。同じ部署の違う担当者から受けている仕事もあり、断わる訳にもいかない。早速、翌週月曜、約束の時間に客へ行った。引継ぎ担当者は若手の新人。彼女が付けたクレームは、仕事のポイントが分かっていない新人によって更に大きくなり、一人歩きしているように思えた。すべてを作り直して、年明け15日の納入は完全に無理である。そこで、どのようにすれば納期に間に合うかを教えた。出来ることのみをヤレと。

 気心が知れた十年来の担当者には、私が関与したことは知らせていなかった。しかしどこかでそれを知り、私に電話があった。もう一度、修正ポイントをまとめてメールが欲しいと言った。彼に頼まれたら絶対に断われない。それで昨日に突入。大掃除でもして、一年を締めくくろうと予定していたが、出来なかった。そして今日だ。7時には出社。地下鉄はガラガラ。中吊り広告を見ると、佐野厄除け大師の広告。そこにはデカデカと厄年の生年が書かれている。自分はもしや厄年ではないか?と思い、とりあえず探した。ある筈もない。

 「日本自体が厄年なんだろう」と、考えることにした。来年はいい年にしたいなあ。いい初夢も見なけりゃならない。最近、夢も見ない。私が記憶している最後の夢は、神輿を担いでいる有難い夢だった。痔の手術後、はき古したTバックのようなガーゼのフンドシを一週間もはかされ、若く綺麗な看護士さん達に検診の度、見まくられ辱められたのが原因だ。夢の中では、担いだこともない神輿を、ユルユルのガーゼのフンドシを締め颯爽?と担いでいた私だ。ということで、今年はこれでお終い。「皆さん、よいお年をお迎え下さい!」
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「ニンテンドーDSi LL」と「漢字の正しい書き順」 

 先月、家内から誕生日のプレゼントとして、4.2インチ×2画面の ニンテンドーDSi LLを貰った。この画面の規格4.2インチというヤード・ポンド法の長さの単位は分かり辛いので、センチ・メートルに換算すると約11cm。既に持っている初代DSは約3インチ=7.8cmだ。この画面対角線での規格も分かり辛いので、縦横の長さを測ってみた。自分で定規を当てて測ったので正確ではないが、初代DSは横62mm×縦47mm、今回の大画面DSは横88mm×縦65.5mm。画面が大きいので眼にストレスを感じない。CMでは、野際陽子さん出演のあのDSだ。

 私が持っているソフトは、『漢検』、『TOEICテストDSトレーニング』、『山川・詳説日本史B』の3つと少ない。それぞれをこの大画面のDSで試したところ、何と言っても『漢検』に最適であることが分かる。英語の場合、文字自体が画数?も少なくシンプルなので、小さい画面の初代DSでも私にとって問題はない。ところが、漢字の場合、画数が多いので細かい部分を認識することがとても困難であった。このLLサイズのDSは、大画面になりそれらをおおよそ解決したと感じた。また、タッチペンで書き込む時も、大きい文字で書かなければならないので、誤魔化しが効かない。

 初代DSでは、分からない漢字の一部分を、近い形であろうイメージでさっと誤魔化して書くと、正しい漢字に変換される時も多々あった。自分の為にはならないが、ゲームであるなら正解だ。それがLLサイズのDSの場合、タッチペンが認識するスペースが増えたことで、少なくなったような気がする。気合を入れ漢字のトレーニングに励まなければならなくなった。これも漢字トレーニングソフトとして深みが増したということになろう。ソフトのみついて言えば、漢字を書く際、書き順が違う場合、正しい漢字に変換されない場合が多々あった。この微妙な部分が好きな私だ。

 この書き順をソフトに加えるか、ゲーム器自体に内蔵してくれれば、私にとっては最高のものになる。仕方がないので、漢検ゲームと平行してネット上の『漢字の正しい書き順(筆順)』というサイトをフル活用していている。漢字検索で、調べたい漢字を打ち込む。その筆順はアニメーションで表示され、画数、部首やポイントなどすべてが書かれている。また、その部首をクリックすると、同部首の漢字がすべて表示されている。なんとも親切な個人サイトだ。漢字さえ書ければいいという年齢も過ぎた。文徳の為、意思疎通の道具として発展した漢字。筆順にも従順な私になった。

お見送り 

 景気低迷で年末の日本は大混乱。今年の10月くらいからだろうか、電車に乗ると頻繁に聞こえてくるのは「人身事故の影響で・・・・・・」というアナウンス。昨年の自殺者の数はたしか3万3千人。きっと今年は昨年を上回るであろう。今の時期、例年ほどクリスマス・ソングも聞こえてこない。政府の施策も無く、失業し生きる為にと選択せざるを得ない結果としての犯罪、も、増えるに違いない。「出口の見えないトンネル」は続く。更には、同盟をなおざりにした朝貢外交。優先順位第一番であろう雇用創出のアイディアなど、どこからも聞こえてこない。

 不景気で世の中は益々物騒になる。昔は鍵をかけずに外出ができた。現在、家族全員が外出するような家庭では個々が鍵を持ち、その都度、鍵の開け閉めをする時代となる。私が千葉の実家で暮らしていた時代、外出する際には、家には母がいたので鍵を閉めるという習慣すら無かった。その後、独身時代の一人暮らしを経て、鍵はかけなければならないものであるということをようやく知った。現在の家は、オートロックなので、玄関の鍵はかけなくても家内は安心して家にいられると安易に考えていた。が、そうでないことがつい最近分かった。

 出社時に家内は玄関で見送ってくれる。それは一体、愛があるからなのか?夫婦の馴れ合いによるものなのか?と、ある日、考えた。その時は答えが出せなかったが、これまたある日、それを思い出し、恐々と家内に尋ねた。すると、その答えはコレ!「鍵をかけないと物騒だから」。「これが最後、二度と会うことが出来なくなるかもしれない」のような、緊張感溢れる玄関。そこに存在する愛。それの形が多少は変わり、ぼやけたものでもよかったのだが・・・・・・。が、それを聞いた私は、うな垂れ、溢れる涙を抑える事ができなかった。

 家内の心の中を察するとコウだ!「早く出って行ってよ!鍵、閉めたいんだから~」と。夫婦になり約20年間、玄関に愛は無かった。愛は幻だった。私の心の幻覚であった。家内に聞いてしまった浅はかな自分を責めるしかない。

 千葉時代、鍵を持つ習慣の無かった私ゆえ、今のオートロックに甘え、鍵を閉めることは無かった。一階のエントランス横には交番もある。なんともVIPではないか。それも泥棒に対し、強力な牽制・抑止力になる。更に施錠は不必要と考えた。この20年間、「鍵をかけるついでに見送っておこう」というのが、彼女の「見送り」の偽らざる全貌であったのだ。その証拠に、私がドアを閉めた途端、「ガッチャン~」と内側から鍵を閉める冷たい金属音が私の後頭部に響く。「見送り≦施錠」か。夜の巷に一人で繰り出したくなった私だ。

歴史脳を行動で解きほぐす 「岩宿遺跡」 

 先日、埼玉県深谷市で法事があった。そのついでと言ったらご先祖様に怒られるが、車で北へ約25kmの場所、群馬県みどり市笠懸町にある「岩宿遺跡」へ一人で行った。2,000年に発覚した座散乱木遺跡の捏造事件までは、その立場が脅かされたが、「日本史の第1頁」という立場を守り続けている日本最古の遺跡である。山川出版社の高校生用詳説日本史Bには、第一章「日本文化のあけぼの」-1.文化のはじまりが1ページ目で、太い黒文字の順番から羅列すると、更新世、完新世、氷河時代、日本列島、新人、日本人、石器時代、打製石器、磨製石器、岩宿遺跡と更新世の重複を除けば、第十番目に出てくる日本の歴史教科書では最重要な言葉でもある。

 古代から近現代史に至っては、歴代天皇125代(+北朝5代)を暗記することで興味を持って学ぶ術(すべ)を知った私であるが、「原始はどうもな~」と、今一歩踏み出せない状態にあった。ある日、「原始を語らずして日本史を語る無かれ」と、無くなった祖父母の霊が私に囁いた。「そんじゃあ~、祖父母の法事のついでに行ってくるか!」となった。頭ではなく足で勉強しろとの仰せだ。終戦翌年の1946年、納豆の行商を営みながら考古学を勉強していた相沢忠洋氏が、切り通しの道となっていた岩宿を通りかかり、切り通しで露出していた赤土(関東ローム層)から、石器を発見し日本前史を更新した。相沢氏は頭ではなく、自分の足を使って遺跡を発見し歴史を塗り替えた。

 そう、歴史を学ぶ姿勢には、相沢先生を見習い、まさに行動こそが重要ではないか。と、脳が萎縮してきた私は思う。私が教科書で学んだ時の岩宿遺跡に対するイメージは、群馬県ゆえきっと山奥の湖畔に近い場所であろうと考えた。しかし現地へ行ってみれば、渡良瀬川が何万年もの年数をかけ作った扇状地に遺跡群は点在。発見前の歴史研究家の間では、浅間山、榛名山、赤城山の度重なる噴火で、一万年以上前、縄文時代の前のその地には、人が住むことは不可能であると考えられていた。日本史全体で縄文以前は無いとされていたのだ。それを納豆の行商をしながら、熱心に岩宿へ通い日本史の時代を掘り下げた。

 納豆を食べる時も、旨いと思うだけではなく、相沢先生に感謝しながら、味わって食わなければならないと単純に考える私だ。ちょっと勉強になったので、行動重視、休日には近場の大森貝塚にでも行ってみようかと思っている。縄文時代の象徴のような大森貝塚。ここの発掘調査は、日本の近代科学としての考古学のはじまりと言われている。米国の動物学者であったエドワード・S・モースが研究の為、私費で来日し、1877年6月、横浜から新橋へ向かう汽車の窓から大森の貝塚を発見した。明治維新後、新橋と横浜間の鉄道開通は1872年(明治5年)。その5年後、1877年(明治10年)の大森貝塚発掘調査。汽車の窓から貝塚発見のエピソードは、年号も含めとても覚えやすい。

 岩宿遺跡は、東京から東北道を使い館林ICを降りて約35km位。片道行程は105km。帰りには佐野のアウトレットへも寄れる。関越道の場合は、花園ICで降り、深谷市の血洗島(物騒な地名だ)にある渋沢栄一生誕の家と記念館に立ち寄り、岩宿遺跡へ。片道全行程約115km。帰りは東北道へ向かい、佐野のアウトレットへ寄って帰る。日帰りコースで歴史のお勉強とお買い物。維新後、殖産興業政策の立役者「渋沢栄一生誕の家」はとてもお勧め!ボランティアの方が彼の生涯を切々と語ってくれる。彼は「日本資本主義の父」と呼ばれた元大蔵官僚であり実業家。第一国立銀行、王子製紙、日本郵船、東京証券取引所など数々の企業の設立や経営に関わった。そんな彼が二十歳の頃、尊皇攘夷に目覚め、高崎城の焼き討ちや倒幕を計画したとボランティアの方から聞いた時にはとても驚いた。財閥クラスになれる企業家であるにもかかわらず、それを捨て、国民の利益を最優先した人である。エピソードも交え楽しみながらとても勉強になる。子供がいる方にはとてもお勧めのドライブ・コース。子供の日本史のテストの点数が5点以上はUPすること間違いなし!是非とも歴史を実体験してみては?

東大教授・加藤陽子を援護する 

 以前、このブログで加藤陽子著『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を読み、とても分かり易く興味深い本であると書いた。日本の近代史が専門である東京大学の教授である彼女が、中高生への講義の機会を得て、その講義の質疑応答をまとめ一冊の本にまとめた画期的な内容のものだ。明治憲法の天皇大権における「統帥権」については、憲法発布以降、激変する世界の時局に鑑み、日本国はそれらに対応すべく、いつからどのように解釈がなされたのかを、今まで私が読んだ歴史解説書の中では唯一丁寧、しかも分かり易く書いてあった。

 その後書店で『月刊 正論』を買う際、隣に積まれた『月刊 Will1月号』を立ち読んだ。すると「加藤陽子・批判」が特集として組まれていた。その中では、歴史評論家や歴史を専門とする教授陣、大の男4人が揃いに揃って彼女は勉強不足だの、この本は読んでいない等の批判を繰り広げていた。一人ずつ、その本の一部分を拾ってはピンポイントで批判、自分の知識を披露するといった感じで、論点が全く定まっていない。1月号に続き翌月号へ続くとされていた。きっと批判し足りないのであろう。大の男4人 VS か弱き女性1人。

 なんとも女々しい限りの男達。ここで彼女の抗弁を聞けるわけでもない。このような多勢による力任せ、一方的な状況を世間では一体何と言うか?そう、「弱いものイジメ」と言う。私が歴史に興味を持ったのは、単に受験の為に記憶するという学問ではなく、その当時の状況やその当時の人の気持ちを思いやることが出来る唯一の学問であることをある日知ったからだ。歴史観は勝者のものになりがちであるが、負けた方の正義もあったのではないかと思いやる。自分の命を賭して戦う義とは一体何かと、自分なりに考えたりする。

 守るべきものや弱者に対する思いやりが、一体歴史にどのように作用してきたのか?と考えてみる。「歴史は虹だ」とは、渡部昇一先生の本にあった。「思いやり」を前提に、見る人や場所によって解釈は様々なのである。それが歴史だ。そもそも、多勢をもって一人の解釈を一方的に批判するような、歴史家の基本、人としての基本である「思いやり」を持たないニセ歴史家に、人を批判する資格などあるはずもない。「男4人も揃いに揃って寝ぼけやがって!顔を洗って出直してこい!」と言いたい。

 男なら男らしく一人で論戦が張れるような勇気がコイツ等誰か一人にでもあればとも思う。翌月号にも続くらしいが、一度では言い足らず男共が雁首揃えまた女一人を批判するつもりなのか?出版社に躍らせられていることや、愚かな自分のイジメに気付くデリカシーがなければ、オメエ等には人に歴史を説く資格は無い。このイジメを続ける限り人間失格であるとも言っておこう。彼女と東大の権威を勝手に重ね、それに恐れ情けなくも多勢になったのか?様々な解釈はあっていい。しかし、個人に対する批判は堂々と個人でやるべきである。

お得な「都バス〈共通〉カード」 

 買っちゃった~、「バス〈共通〉カード」。健康、節約?の為と自転車通勤であった私だが、年末のこの寒さには勝てなかった。以前からバスはよく使っていたが、これはパスモの支払いでいい!としてきた。カードであると割安になるので、バス内で買おうと考えたこともあった。都バスの事務所が近くにあれば購入時、きっと領収書を発行してくれるのだろうが、通勤圏にそれはない。バス内で運転手さんに「領収書下さい」と、言う勇気もなかった。が、先日、お勤めご奉公の時代を思い出してみれば、交通費を出金伝票で精算していた自分がいた。取っ手が外れ、底が貫けている私の記憶の引き出しが開いたのであった。

 早速、バス内で買った。前回、パスモと回数券が入ったビニールケースを落としてしまったので、一万円のカードはあえて避け、5000円分のカードにした。買ってカードを見れば、な、な、なんと!5,850円と書いてある。850円も儲けたことになる。なんというお得感!運転手さんとのやり取りの中で850円も稼いでしまった。その時間はたった約15秒間。一分に換算すれば3,400円、一時間なら204,000円、八時間ならば1,632,000円。一ヶ月の実働日数を20日間とするならば、32,640,000円にもなる。これでこの不景気は乗り越えられる、一人勝ちだ!と真剣に思った私だ。

 そうして気持ちにゆとりが出た私は、「バスに乗るのはきっと今日が最後だ!」と考えた。月収三千万、年収約四億円。ま、これは仕入れなので、半分を粗利とし、月収1,500万円でもいい。これを自分の一生の生業にし、六本木ヒルズに住もうとまで思った。バスカード御殿もありえる。ビジネスモデルはコレだ!誰にも教えないで欲しい。このブログを見た人だけの秘密のアッコちゃんにしてネ!では、説明しよう。5,000円を払って5,850円になるのであるから、本来200円で25回乗れるところ29回乗れることになる。この29回を5,000円で割れば、172.41円。計算上面倒なので173円が原価だ。

 この金額以上で客に売れば商売は成立し、ヒルズ族にきっとなれる。まず、バス停でバスを待つ人にこのように営業をかける。「都バスには、現金で乗られますか?」と。「はい」と言った人だけに向けて「では190円にマケておきます」と言う。190円で売ることが出来れば、17円も儲かる。客から現金200円を受け取り、10円のお釣りを返す。それからカードを渡す。そうしてバスが来たら客にはこう言う。「バスが発車したらすぐバスの窓からこのカードを私に投げてくださいネ!」と。停留場から去り行くバスを追いかけ、ヒラヒラと舞うカードを拾ったらまた次の客に営業をかける。

 これを繰り返す。「商いは飽きずにやるからアキナイ」。雨ニモ負ケズ、雪ニモ負ケズ。一時間に4本のバスが到着するバス停で、一本のバスで4件の商いが成立すると、17円の利益×4人で68円。バス4台で一時間272円。ここまでの計算で賢明な私はついに気が付いた。日本の最低賃金にも満たないと。272円×8時間で日給2,176円。と、どこからこのお話がこんなにも夢の無いものに変わってしまったのか?甘い商売など世の中に無い!と自戒し、本業に専念するしか生きる道はないと、ここまで書き連ねながらようやく悟った。大きい金額にも、細かい金額にも結局はザルな私なのである。あっ、それと、このカードの端数、5,850円の50円は一体どうなるのだろうか?と悩んでいる。誰か教えて!

パンツに包まれ見えない名前 

 昨日は午後一に、御茶ノ水の客へ打ち合わせに行かなければならなかった。ここで悩むのが、交通手段。人形町から都営地下鉄浅草線で東日本橋乗換え、新宿線へ乗り継ぎ小川町で降りなければならない。この東日本橋駅から馬喰横山駅まで乗り換えの地下通路は長く果てしない。そんじゃ、機動力のあるチャリで出かけよう!と決め、防寒用の革手袋をはめ御茶ノ水へ向かった。30分ほどで打ち合わせ終了。事務所へ戻る際、なるべく違った街の景色を堪能し、視覚に刺激を与えながら神経を解きほぐそうと、神田辺りの細かい路地をジグザグに走った。

 雑多とした神田駅周辺を抜け、中央通りを越えた辺りでふと気付けばいつもの道。そして、磁石に吸い寄せられるかのように、また「中華・香満」の前を走っていた。前回、始めてこの店の前を通り過ぎた後に、ありえない名前であることを遅れて認識した。次のブロックで再確認しようと自転車を折り返した時にこけそうになった。この店にはいつかブログ・ネタのために入ってやろう!と思っている。ネットでの評判はまあ普通。故に躊躇している。中国江蘇省鎮江市の名産品である「鎮江の黒酢」は使っているのだろうか?出前の電話にはどのように出るのか?銀行の窓口ではどのように呼ばれているのか?呼ばれて恥ずかしくはないのか?考え出すと眠れない日々は続くよどこまでも。

 そう考えながらチャリを漕いでいると、ふと、北朝鮮の金正日の元秘書、現在の夫人であるキム・オク女史の名前が頭をかすめた。先月、日本の大手新聞社の新聞にはすべてカタカナでキム・オク女史と書かれていた。他の北朝鮮の著名人はすべて漢字の表記なのに一体全体コレ如何に?カタカナで書かなければならない理由は一体何なのか?そこで活用出来るのは、私の取っ手の外れた知識の引き出しだ。19世紀後半、李氏朝鮮時代、独立党に親日派のキム・オク・キュンという有名な人がいた。この人を漢字で表記すると「金玉均」。これから推察すると、彼女の漢字名は「金玉女史」となる。だからどの新聞も漢字名を隠そうとした。そこに好奇心が向かうのは人の性だ。

 この事実を私としてどのように表現したらいいのだろうか?「パンツに包まれ見えない名前」とでもしておこう。カタカナ表記というパンツで人為的に局部、否、金玉という名前を覆ってしまうから、余計にその中身に興味を抱く。イヤらしく感じるのだ。有り体に「金玉女史」としておけば、ブログに書かれる事は無かったはず。彼女が日本へ来て、銀行へ行く事はきっと無い。が、もし、来日しちゃって滞在することとなり、銀行なんぞへ行っちゃった日にゃ~窓口業務は一体どうなるのか?彼女を呼び出す場合、機転の利く銀行員であるなら音読みにして「キン・ギョクさん~」と呼ぶことであろう。不幸にも私が銀行の窓口担当であるなら、音読みという手段に辿り着くこともなく、午後3時まで知らんプリするに違いない。とっても不器用な私ゆえ。

11月末 

 とか何とかしているうち、早くも11月は過ぎ去った。本当に短かった11月。この月、気付けば一つ歳を重ねていた。始終臭い(49歳)になっていた。先日の休み、サンプリングに家内と出かけた時のことだ。家内が突然立ち止まり、「お新香臭い~」と私に言った。始終臭いだが加齢臭ならまだしも、お新香のオイニーじゃ、ちと恥ずかしい。当日午前中は一人、大田区蒲田の天然鉱泉の銭湯へ行った。風呂を出る際、身体に付着した温泉水を流すのはもったいないので、上がり湯に温泉を使ったのが原因では?と思い、「もう一回、匂いを嗅いでくれない?」と家内に頼んだ。どうやら私の臭いではなかった。が、が、家内が私に近付き次に放った言葉はコレ!「耳毛が生えてる!!」と。

 臭いが分かるようにと一生懸命家内に近付いたら、今度は耳毛が下品に生えていると言われた。それも人の往来の激しいショッピング・モールの中で大笑い。普通の男ならこんなに辱められた場合、泣いているところだ。寛大な私はキリスト教の「右耳毛を発見されたら左耳も差し出せ」という教えに従い、「左耳はどう?」と左耳を差し出して聞いた。するとまたまた大笑い。「右と同じところに生えてる!」ときた。もう散々だ。ここまで辱められた私はお家に帰りたくなった。せっかくサンプリングして歩くのだから、ついでに運動の成果を確認しようと万歩計まで持ってきたのに・・・・・・。このように、持ちモノや体の変化も含め、加齢は更に加速し、ブレーキがかかることがない近頃の私だ。

 30日は月曜日なのに月末。午前中、納税と支払いの為、銀行へ出かけた。銀行を覗くと行内は大行列。いつもの月末の比ではない。9月決算の会社は、11月末が納税の期限だからであろう。これは時間がかかり、次の打ち合わせに間に合わないと考えた。例年、この日は混んでいる。一日位遅れても大丈夫(同級生の会計士の大先生は大丈夫じゃないと言うが・・・・・・)なので、納税は翌日に回して、支払いは事務所へ戻り、ちと高いがネットで行った。昼飯も食わず2時に約束の五反田の客へ。一時間弱で打ち合わせ終了。次なる客は目黒で4時。移動を含め昼飯を食えばちょうど4時だ。JRで隣の駅、目黒へ向かい、最近、お気に入りの飯屋へ。

 飯屋の名前は「ラーメン・ぱっくん亭」。客から教えてもらった。肉野菜炒めが旨いと聞き、それから3回は食いに行っている。その近くには有名な「蒙古タンメン」の店もある。これも食ったが、私には辛すぎて汗だく。食って30分は顔の火照りが納まらなく、赤ら顔が続く。これを食った後、打ち合わせに行ったら「熱があるのですか?」と聞かれてしまった程だ。最近よく目黒に出没しているので、客に近い駅周辺の飯屋を開拓中。客は駅の真上。約30分の打ち合わせ後、築地へ向かう。JRで隣の駅、恵比寿へ行き、日比谷線に乗り換える。この日比谷線は人形町も通り、乗り慣れているせいか、乗るとホッと安心する。築地の客へ辿り着き、打ち合わせを済ませ、人形町へ戻る。

 帰社後、来年度のプロジェクトのスケジュールと仕様書数点をまとめ上げる。来年度、中国の旧正月の元旦は2月13日。上海以北であると、この前後2週間、工場は正月休みになる。すると、2月6日から21日の日曜までの約2週間、工場は動かない。と、時計を見れば9時を回っていた。月末に営業三件はとてもキツかった。さらには、その営業先2件、否、2箇所の戦場は山手線の全く反対側なので少し遠い。兵站が延び切った状態とでも言おうか。月末、明日に納税は残したが、今月もなんとか終わったなあ~というプチ満足感に包まれ、今日は電車のある内に帰ろうと、約2時間、夜の巷へ一人で繰り出した私だ。
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