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バーチャル会社設立 

 「お掃除」をキーワードとして思いつく会社といったら「ダ○キン」だ。昭和の中頃、住居のダイニング・キッチンは一般化し、フローリングの部屋が増えた。私の実家でも昭和45年頃、宅配され2週間おきに交換されるワックス付きの雑巾やモップを使っていた。その流行に乗り、ここまで巨大な会社になったのであろう。この会社に対抗し得る同業他社は見当たらない。公取に引っかからないのか?とある時、飲みながら思った。ま、今じゃ量販店やホームセンターへ行けば、そのようなお掃除用雑巾やモップはたくさん売っている。官僚が気にかけるはずもないか。

 女子高生や女子大生がお昼頃以降、東京都下で通勤ラッシュ時ではないガラガラの電車に一人で乗っていると、そこにニヤケながらコートを着て近付いて来る怪しげなおじさん。そして彼女の前へ来るや否や、コートを開きアソコを見せる。おじさんは全裸であった。まさしく変態、痴漢だ。この行為を私はなんと言うか、そうこれも「ダ○キン」という。その行為とは真逆でまじめな会社である「ダ○キン」のキャッチ・フレーズはコレだ。「喜びのタネをまこう」。このフレーズをこの変態おじさんにあてはめると、とってもおぞましい。コートを開いて種をまかれりゃ誰だってたまらない。

 会社のほうの「ダ○キン」に対抗する会社が無いなら、いっそ作ってしまおうと、これまたある日、これまた飲みながら考えた。痴漢行為の「ダ○キン」に対抗するつもりは毛頭無い。新会社は社章も必要だ。「ダ○キン」はモップのイメージがある。その棒と毛の組合せと考えると、なんとも男らしい。そのように同業社として消費者に認知させ、完全に差別化できる社名と社章が必要である。そこでふと思い付いた。男らしさに対抗し女らしさを前面に出そうと。ジャジャ~ン、社名を発表しま~す。その名も「ダ○マン」です。社章のイメージは亀の子ダワシ。

 設立後、不動の業界一位「ダ○キン」を脅かすべく「ダ○マン」社員は一丸となり、ついには旋風を巻き起こす。襟のタワシをモチーフとした社章がキラキラと眩しい。キャッチフレーズは「喜びの種をまいて!」とちょっと受身だ。そんなある日、男子学生が東京都下でガラガラの電車に一人で乗っていると、そこにニヤケながらコートを着て近付いて来る怪しげな厚化粧のおばさん。そして彼の前へ来るや否や、コートを開きタワシのようなアソコを見せる。おばさんは全裸であった。まさしく変態、痴漢である。この女性の行為を私はなんと言うか、そう「ダ○マン」という。おばさんは「喜びの種」をとても欲しがった。

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ゲップとオナラ 

 ゲップとオナラ。この組合せはもはや夫婦、否、血の繋がった兄弟のようなものだ。ゲップは、胃に溜まった空気やガスが排出される現象を言い、多くの国で人前でのゲップはマナー違反となる。オナラは肛門から排出される気体で、腸で発生するガスも含むとある。オナラはどうもマナー違反ではないらしい。私の考えとしては、ゲップは弟、オナラは兄だ。ゲップをこらえた場合、消化された食べ物がそのゲップを押しやりながら胃から小腸、大腸へ行き、直腸に溜まったガスが肛門から排出される。ゲップは食道から胃へ行き、怖気づいて帰ってきてしまう。弱虫だから弟なのだ。

 一方、勇敢なゲップは十二指腸へ進みオナラの赤ちゃんとなる。長い旅に出るのだ。この時点で果たしてゲップはオナラになると言い切れるか?十二指腸のガスがゲップとなって出てしまった場合、オナラが口から出るという前代未聞、とてつもない悲劇となる。神経質な人ならば、ゲップのたびにトイレに行かなければならない。また、ゲップが出る場合、鼻が近いので否が応でも臭いを嗅いでしまう。口から十二指腸は近いのでまだゲップであるとしたほうが皆安心だ。長い小腸の半分くらいまで辿り着けば、きっと逆流は無い。そこで初めてオナラと言っていいのではないか。

 私が幼少の頃、チョコやプリン等の甘いものがあまりにも美味しく、最後の一口を口の中に溜め、飲み込めない時期があった。母からは頻繁に「早く飲み込みなさい!」と怒られた。その貧乏ったらしいガキの私を一発で躾けたのは祖母のこの一言だ。「早く飲み込まないと、口の中でウンコになっちゃうよ!」と。それ以来、食べ物をウンコにしちゃあイケナイと思い、慌ててあまり噛まないで食べるようになってしまった私だ。どこでゲップがオナラになるのかという純粋な疑問にとても似ている。「食べ物とウンコ」というタイトルでも、今日のように下品なブログがきっと書けるであろう。

 いや、このように分割してしまう私も勇気がない。ゲップとオナラ、食べ物とウンコは団子三兄弟ならぬ四兄弟といったほうが分かりやすいのかもしれない。密接な相関関係があるのではないだろうか。早速、整理してみよう。食べ物を噛んでいるうちに噛み砕かれた食べ物に空気が混ざる。それを飲み込む際、食道の空間にある空気も食べ物が塞ぎ押しやりながら胃へと運ぶ。次に噛み砕かれた食べ物が胃へ運ばれる。その食道にある食べ物同士の間にある空気も胃へ運ばれ、同じ行為が何度も繰り返される。「ゲップが出るわけだなあ~」と書きながら感心した私だ。

 この胃に入った時点で食べ物はウンコ、ゲップはオナラになるとする学説を発表した日にゃ、世界中が食欲減退、スーパーの食品売り場は寂れ、外食産業も滅び、人類もきっと滅亡してしまうであろう。だから、食べ物とウンコ、ゲップとオナラの境目をはっきりさせないのだな!と日本医学会の陰謀に気付いた。だが、待てよ。食べ物が胃から出た場合、人はそれをゲロというではないか。ゲロをこらえてウンコにするべきか?口から吐いたものはウンコなのか?というまた別の問題に辿り着いてしまったではないか。堂々巡りだ。私には手に負えないので今日はこの辺で。

ちっちゃな外食、見つけた! 

 夜、外で酒を飲む前に軽い夕飯を必ず食べるようになってきた。歳だなあ~。それまでの私は、食えば飲めない、食ったら酔えないといった感じで、酔う為に食わない時期が続いた。ストレス弱いので、その日の嫌なことはさっさと忘れたいという理由からそのような食生活になった。量的に丁度いいのは牛丼や立ち食い蕎麦だが、毎日牛丼では飽きるし、蕎麦アレルギーであることも判明したりと、食のバリエーションが減ってきた五十路前のポンピング・ブレーキ状態だ。

 先日は初めてお弁当の「Hotto Motto」に行った。店頭で海苔弁と牛丼を融合させた「のり牛めし330円」を大々的に宣伝していたので、期間限定の安さに惹かれとりあえず買ってみた。弁当屋には滅多に行かないので若干の不安はあった。店は大盛況、5人は座って弁当待ち、3人は注文の為並んでいた。その後につくと、3人すべてが20円高い「のりタル牛めし」を続け様に注文した。郷に入れば郷に従え。私は「タル」の意味も分からずそれを注文した。

 レシートに書かれた私の番号を呼ばれた時、店の客は誰もいなくなっていた。そこで勇気を出して店員に聞いた。「タルってなあに?」と。すると中国の小姐であろう、たどたどしい日本語で「コレヨ!」と、小さなパックに入っている20円のタルタルソースを見せてくれた。海苔の上に乗っかっている白身魚のフライにつけるオプションであったのだ。早速、事務所へ戻り食べてみた。なかなか旨い。白飯も艶々で美味しい。今、お弁当屋さんもなかなか旨いのだなあ~と感心した。

 330円の値段には含まれているフライ用のソースが残ってしまった。ソースは返すので10円アップにしてくれればいいのにとセコいことまで考えた。だが、この料金も期間限定なので2月7日を過ぎれば100円増しに戻る。するときっと牛丼チェーンへ戻る奴もいる。逆に「のり牛めし」の虜になる奴もいて、そいつらが利益を押し上げるという戦術なのだろう。それにしても、外食チェーンやお弁当屋さんが繰り広げる客単価300円前後の戦いは凄まじい。’80年代は海苔弁・ちくわの天ぷらでたしか270円だった。

 その他、最近のお気に入りは天丼の「てんや」だ。胃の調子が悪い時、天ぷらの油は大敵だが、ここの油は全く大丈夫。ここに入ったのも最近だが、最初はメニューが多く悩んだ。そんな「てんや」でメニューを見て悩んでいたある日、客の一人が堂々と「上天丼!」と注文した。それを聞いた私は「カッコいい~」と惚れた。食に悩まない真の男の姿を見た。若い時分に、蕎麦屋で千円以上もする上天丼を平気で注文する大人を見てカッコいいと思った私だ。いつかはベンツ、いつかはポルシェのような憧れがあった。

 その後、大人になってしまった私だが、一人で上天丼を注文する事は未だにない。鰻でも松竹梅とあれば、竹にするパンピーな私である。そんな憧れ続けた上天丼は「てんや」で570円。死ぬ前に一度は「上天丼」と言ってみたかった私にとり、いまやドリーム・カム・トゥルー。そんなある日の「てんや」で、きっと初めて入ったであろうおばさんたち4人が、あれこれメニューを見て悩んでいた。その横で私は堂々と「上天丼」を注文した。すると、おばさんたちは私を尊敬と憧れの眼差しで見つめ、全員が私に続き上天丼を注文した。皆さん、言ってください、「小っちぇな~、オメエは!」と。

コップの中の濁った水 

 学生時代のバイト仲間でI君という男がいた。彼と出身高校は違ったが同じ千葉県人で同級生。にもかかわらず彼は後輩、手下、子分のように私に懐き、「隊長、隊長!」と私を呼んだ。私も「そんじゃあ」ってことで、バイトのノウハウを事細かく彼に伝授して可愛がった。昼食なんぞはバイトの合間に適当に取りたいのだが、食事に出ようとすると彼は私について来る。金魚の糞のような奴だった。今でもそうだが、昼飯を人と一緒に食うのはどうも苦手である。酒を飲みながらの夕飯ならまだしも、男同士がお手々をつないで昼食に出る姿はどうもみっともない、恥ずかしい。

 私の場合、ランチは常に日替わり一発。メシの選択肢が多く、それに悩む自分であっては情けない。食えればなんでもいいのである。ところがI君はどうだ!顔に似合わずいつもフレンチトーストにアメリカン。コイツのほうが禁欲的なヤツなのかと思いきや、聞けばそうではない。「一番、安いから」がその理由であった。彼に懐かれ彼の隊長になってから、バイトの日は彼と一緒に飯を食う羽目になってしまった。私は早く食うことに必死で、彼がどのように食っているかなど全く興味はない。が、しかし、彼の食べ方の特徴が徐々に分かってきた。彼は三角食べをしていたのだった。

 まず最初にフレンチトースト、次にコップの水、最後にアメリカンコーヒーと。これを延々と繰り返す。いつも対面にいるので仕方なしに観察してしまっていた私だ。そんなある晴れた日、おぞましい現象が水のコップの中で繰り広げられていることに気付いた。私たちが座っていた南の窓際のカーテンの隙間から、一瞬、テーブルに陽が差し込んだ。それはまるでスポットライトのような一筋の光のように。そうして彼の水が入ったコップがくっきりと浮かび上がった。フランスの印象派ルノワール作『舟遊びの昼食』のテーブル上の透き通ったコップのようであったと言いたかった。

 そうではなかった。コップの中は汚く濁った水が入っていた。茶色と白が混ざったような、カフェラテ色とでも言おうか。高校時分、実験で観察したまさにチンダル現象そのもの。液体の中の分子の対流がくっきりと浮かび上がった。濁りの原因は、トーストの耳部分の茶色とその中のミルクとタマゴだ。彼の口の中からコップの中へと、フレンチトーストの噛み砕かれた邪悪な物質が逆流していたのだ。その後、時間が経つごとにコップの水は鮮やかに?色付き濁っていく。そしてよせばいいのに彼は水のおかわりを所望する。都度、ウエイトレスはそのコップを覗き、水を注ぐ彼女の手は必ず止まる。

 その後、昼食へは2~3人の後輩が入れ替わり立ち代り私に付いてきた。いつもI君と一緒であったので、皆、コップへの「汚物逆流現象」を知り、また私たちは2人っきりになってしまった。バイトの女の子なんぞは、「私、耐えられません!」と濁った水に気付くや私に言い、昼食時、その店にも来なくなった。コップが都度洗われるのは分かるが、あの濁ったものが一度は入ったかもしれないコップで飲む事はできないと言った。バイト最後の夜、打ち上げの席でI君は私と兄弟の契りを交わしたいと言い、酒の入った彼の盃を私に飲めと言った。当然、私は断わった。兄の盃で弟分は飲むものだと。知っている奴らは大笑いしていたが、あの女の子だけは笑っていなかった。
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