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昨年のゴールデンウィークの旅 

 昨年のゴールデンウィークは「関ヶ原古戦場と周辺名所旧跡の旅」に出かけた。岐阜大垣のホテルからは関ヶ原までは国道21号を走り約15km。「関ヶ原の合戦」は1,600年。その古戦場を散策し、石田光成の缶バッヂを2個買った。そこから国道365号を北西に約15km走り、姉川古戦場跡へと向かった。30年遡って1,570年が「姉川の戦い」。織田・徳川軍と浅井・朝倉軍の激戦跡地とは思えない長閑な田園風景。川の幅は東京で例えるなら神田川レベルと小さい川。その後、更に365号を北西に約10km行き、浅井長政・お市の方の悲劇の舞台となった小谷城址へ。

 小谷山は標高395m。平地に険しくそびえ立っている。その山頂に小谷城があった。房総三山でマザー牧場のある鹿野山は353m。それより高い。車で登ると急な坂道はどこまでも続く。堅固な天然要塞である反面、兵糧の調達は大変であったはずだ。姉川の戦いの約4年後、1,573年に落城。秀吉はその軍功で信長からその地・今浜を拝領、信長の一字を貰い受け長浜と改名。落城した小谷城の資材を使い琵琶湖沿いに長浜城を築城して城持ちになった。ここ長浜市まで来ると、琵琶湖北端は近い。そこには賤ヶ岳がある。落城から約10年後の「賤ヶ岳の戦い」の古戦場がある。

 大垣から現在40kmの距離。あと僅か約10kmで賤ヶ岳。1,582年の本能寺の変の翌年、信長亡き1,583年に秀吉と柴田勝家が戦った場所である。この戦いの最中の「美濃返し」は有名で、秀吉軍は大垣城から賤ヶ岳手前の木之本までの丘陵地帯約50kmを、5時間で走破し勝利を決定付けた。地図を見ると関ヶ原の北には伊吹山(標高1,377m)があり、大垣から賤ヶ岳手前の木之本まで、伊吹山に阻まれ直線コースは不可能。国道21号と365号を使い、今日私が走った道程が最短距離である。胴衣や甲冑を付け山あり谷ありの道をたった5時間、よく走り抜けたものだと感心する。

 この美濃返しを一回体験してみたいと、旅行前から地図と睨み合っていたのだが、事前にネットで見た賤ヶ岳の登山道入り口の写真などから雰囲気が小谷城址付近と変わらないであろうと考えた。光成の佐和山城址と彦根城址も行き、逢坂の関も抜け、ついでに京都へも行ってみよう!と当日思いついたので賤ヶ岳行きを急遽取り止めた。後付けの言い訳としては、お市の方の悲しみに触れるのは小谷城址で十分だとも。光成のバッヂは2個も買うくらい光成好き、佐和山城跡へは絶対に行きたい。

しかし、諸々の都合でスルーして、彦根城址へ行った。光成死後、徳川四天王の一人井伊直政がその軍功で山城であった佐和山城に入城するが、これを嫌い、すぐに琵琶湖湖畔に平城の彦根城を築城。その時の資材は、佐和山城、長浜城、小谷城のものであるとのこと。国家が統一される過程の中で、山城から平城は共通。小谷城→長浜城、佐和山城→彦根城と弱肉強食の論理を強く感じるが、今でいえばエコノミー&エコロジー。きっと資材の質が飛びぬけて良かったに違いない。

 そこから大津市へ入り、これも薄っすらと行ってみたいと夢見ていた山城国と近江国の国境「逢坂関」へ。「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関 (蝉丸)」 「夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ (清少納言)」 蝉丸の歌は、「行く帰るも、知るも知らぬも、別れては逢う」と無常を切々と歌い上げる一方、清少納言の歌は、漢文の素養と本歌詠み風?を鼻にかけたイヤミな女、と思わせる対照的な歌になった場所がまさにここ逢坂の関。こういう女の逢坂の関は、いとも簡単に関所が破れご開帳、本人自身がはかることの出来ない大きな鳥の空音を出し、同時に琵琶湖に流れ出るくらいの大洪水、淫乱緞子(ドンス)ってな感じ。←コレ、余分だったかなあ~、清少納言ファンの皆様、ゴメンナサイ。

 それから京都へ向かい、改修工事中の幕が張られて中が見えない銀閣寺へ行き、さっさと高速に乗って岐阜大垣に戻った。これで、以前、奈良へ行った時のように、この時代の場所と距離感覚を体現出来た。私としては大収穫。奥深さは全く無い旅。この旅行の後、グーグル・アースでこの近辺を眺めれば、私にしか見えない私の足跡がくっきりと見える。地図の中で、歴史的な大事件のあった場所に、自分自身の足跡を重ねるのがなんとも好きな私だ。大垣から賤ヶ岳までの「美濃返し」のルートは、歴史の出来事や流れを体感でき、久々のヒット。一方、先月連休の桶狭間、長久手、熱田神宮、伊勢神宮は空振り三振であった。今回のゴールデン・ウィークは全く予定のない私だ。千円高速が最後なので奈良も四国もきっと大渋滞。そんじゃ、都内や近郊の名所・史跡巡りでもしようっと。


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液晶テレビと葛飾北斎 

 液晶テレビの2009年の世界シェアは、韓国のサムソン電子が2,735万台でダントツ1位、韓国のLG電子が1,628万台で2位。これら韓国2社合計が4,363万台。以下、日本のソニーは1,525万台で3位、シャープが978万台で4位、東芝が848万台で5位、日本3社合計が3,351万台。(朝鮮日報より引用) 日本は約1,100万台分、韓国に水をあけられている状態だ。

 現在、韓国の首位を脅かしているのは、追従するこれら日本の企業ではなく、新規参入するアメリカのグーグルとアップルであるとのこと。テレビの液晶画面や心臓部が日本製で、常に対日貿易赤字の原因であることはあまり問題視されていない。グーグル・アップルは、インターネットから動画やソフトウエアーをダウンロードできるパソコン機能付のテレビで今後新規参入するらしい。

 日本から見れば、首位独走の韓国、追い上げる米国で、挟み撃ちのような状態。韓国だけでなくアメリカにも日本の技術は当然供給され、アップルやグーグルブランドに隠れてしまう。きっと日本の企業もこれらの脅威を感じ、独自に新機種を開発していることであろう。世界の消費者にとってのテレビは今や生活必需品の筆頭、家庭にいながらにして世界を見聞できる利器である。

 海外の消費者は、完全な商品の外に刻まれたブランドが大事なのであって、分解しなければ見ることの出来ないブランドに関心はない。内部がどんなに高性能であっても外にあるブランドに使われている下請け一業者に過ぎないと見る。企業における商品機能の新発想やデザインは、それを採用・決定するスピードがすべてであり、日本に比べ韓国やアメリカの企業はトップダウンで早い。

 ビジネスにおいて日本人はあまりにも平等。海外は区別ならぬ差別の意識があり、上下関係でビジネスを構築する。海外企業は「日本の技術を使ってあげている」という認識、かたや日本の企業は「技術を提供させていただいている」という謙虚でどこまでも能天気な姿勢。これでは世界から下請けとバカにされる。商品を丸ごと開発し、日本製ブランドを世界に売りまくってやろうという意気込みが必要である。

 これだけ優れた技術を持っているのに日本が下位に甘んじているのは、貪欲な主張に欠けていることと、企業内での決定が遅さの2つが原因であろう。それが世界市場で日本製品の占有率を下げている。決定も以前より早くなったのであろうが、企業文化を改善するのはとても難しい。であれば、当面、どのような方法で海外の消費者に日本製の液晶テレビをアピールし買ってもらえるようにすればいいのか?

 私として考え付くことは、日本文化、日本らしさを前面、液晶画面に出す販売だ。先日、テレビで「葛飾北斎」を見たのだが、北斎こそ唯一世界にアピールできる日本人であることが分かった。その絵画のコンテンツをテレビのHDに入れる。1999年雑誌『ライフ』の「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に日本人でただ一人エントリーされた。世界での評価はすこぶる高い。

 「これが北斎ブルー 他社の液晶より青が美しい」等。フランス人の心を鷲づかみしそうなコピーを作る。また、「日本の四季」や「織物」「陶磁器」など、日本を代表する華やかで鮮明な色使いを堪能できるコンテンツをHDに内蔵し、スライド・ショウで見ることが出来る機能を搭載する。日本製液晶テレビの購買動機に大いに貢献する。日本文化を付加価値とした商品、日本企業だからこそ出来ることであって、韓国やアメリカ企業には当然出来ることではない。企業ブランドとメイド・イン・ジャパン。このダブルネームを掲げ世界で勝負すべきだ。

上海万博 パクリ問題 

 5月に開催される上海万博は、今パクリ問題で大騒ぎ。知的所有権も全世界で考えると大変なことになる。取得した権利の主張はもっともである。しかし、限られた条件や範囲の中での造形や音の並びかたには限界がある。似通ってしまうものだ。悠久の歴史の中で、知的所有権の概念が生まれたのはつい最近である。今後、100年、200年と時間が経過するうち、きっと権利でがんじがらめに縛られ、世の中訴訟だらけ、何を作っても似ているような状況に陥ることは間違いない。今後、パクリだ、パクリだ、と騒ぎ、まるで当事者を犯罪者扱いしたり、権利の主張を声高に叫んで相手を陥れるのではなく、金銭を伴う権利の移譲を速やかに行えるような方法論を講ずるべきであろう。

活字という小舟 

 「いったい、春はどこ行っちゃったの?」のような、憂鬱な日々が続いている。こんな時期、精神バランスが崩れ、心がやられそうになる。仕事はそこそこ、忙しくはなってきている。が、寒かったりお日様が照らなかったりする日が続くとどうもダメ。自分に向かい合ってしまう瞬間によく出くわす。自分の内面との会話は昔からどうにも苦手だ。だから、活字という小舟に乗り漕ぎ出す。すると邪念が消え失せる。人の人生や経験に触れ、己の非力を思い知る。

 「活字という小舟」。この言葉は渡部昇一訳アーノルド・ベネット著『自分を最高に生きる』の最後、渡部先生の解説の中にあった言葉である。心がヤラレテはイケナイと思い、たまたま営業の途中にあったブックオフで先生の本を運良く見つけ100円で買った。啓発本もたまにはいい。本編で語られている「規則正しい知的な生活」は到底できない私だが、その解説の中でこのような感動的な言葉の発見があった。「活字という小舟」に乗った成果がすぐに得られた。

 その前までは就寝前、ベッドの中で山本七平著『日本の歴史』を読んでいた。日本人学の大家だけあり夏目漱石著『こころ』と日本史・日本人論の擦り合わせのクダリが長く、どうにも読み進まない。以前読んだ『こころ』には、理性的な人間が崖っぷちに追いやられていく恐ろしいほどの暗闇が描かれていた。このジメジメした時期、あえてこの本を読み解く為『こころ』を再度読もうという気はおこらなかった。「小舟に乗っちゃあ、また理解不能で楽な舟に乗り換えて」のような状況が続いていた。

 読書こそが渡部先生のいう「活字という小舟」なのであろうが、このような稚拙な自分のブログも「活字という小舟」である。自分のブログはその日の体調に左右されるので「活字という帆船」というべきか。現在、読みかけの本は5冊。以前のように集中して読み切れる本がない。歴史小説へ向かうと、面白くそこから戻ってこれないことも分かっている。数年前、伊藤整著『小説の方法』を参考に、純小説を体系的に読もうかとも考えた。こう天候が悪けりゃ心の重心は高いまま。フラフラしている。決めきれない日は一体どこまで続くのか?

日本語の節度 

 なんか最近、新しい言葉が目白押し。このままいったら、記憶や記録の限界を超えちゃうんじゃないの?特に、英語、中でもそれを省略して英単語の頭文字をくっ付けたヘンテコリンなヤツが異常に多い。今から見れば、昭和の時代はまだ少なかったなぁ~。戦後すぐならGHQ,経済成長期にはGNP、あっ、そうそう変体の頭文字とってH(エッチ)もあった。Hが行き過ぎればWH。世界保健機関はWHO。マイナスイメージが無い発展的な略語が多かった。

 昭和から平成にかけて、IDやらEDやらDVやらEVやらAVやらETやら、もう訳分かんない~。AVは昭和から引き継いでいるけど、とっくにAD(アダルト・ディスク)になっているのでは?家庭内暴力じゃなくって家庭外の場合、IV(インターナショナル・バイオレンス)。飛行場じゃネエヨ!ってか。EVなんか意味がカナリ多くね?エレべーターや電気自動車、企業価値もEVだ。散々お世話になった白いBVDのブリーフ。そしてブリーフとは全く関係無いDVD。

 仕舞いにゃ、日本語まで頭取られてKYと来た。こんなのばっかり聞かされてっから、古式ゆかしい大和言葉が失われていく。英語の頭文字が幸わう国、日本。一体、誰の陰謀なんだ!GHQか?日本語教育を止めさせて、アメリカ51番目の州にしようと未だに考えているんじゃないの。アメリカの西部開拓の延長線上にペリーの襲来=米寇があった。戦後、60数年経った今もまだ続いているのだ。アメリカなんかじゃ、日本語の略語なんぞ誰も知りやしない。

 そうそう、ペリーはなんで「来航」なんだと!やったことは日本に対する恐喝なのにとっても柔らかい日本語になっている。なんか「ペリーの御来光」のような神がかりな感じ。対して蒙古は「襲来」。「来襲」との違いは分からないが、「蒙古の来襲」とすると、「蒙古の今日、明日、そしてまた来襲~、バイバイ~」のような大らかな感じになる。そっか、言葉の中に時間を感じさせたくなかったのか!「蒙古の来襲」になると「おととい来やがれ~」みたいになっちゃうからね。

 野放しにしていいのか!これらの言葉を。言葉狩りという人もいるであろうが、言葉狩り、大いに結構毛だらけ猫大好きフリスビー、犬じゃない!猫関連の外来語もすごく増えた。ペット・フードなんて昔は無かった。飯に味噌汁かけて「ハイ、出来上がり猫マンマ」が主流。「スローフード」のように私も提唱しよう「遅い言葉」と「遅い生活」。長くても漢字が多くても、若干音に角があってもいい。子々孫々まで大事に引き継がなければならない私達の日本語なんだから。

極薄スライスひらひら牛かけごはん 

 期間限定に誘われて食っちゃった!「極薄スライスひらひら牛かけごはん」。そうご存知、吉野家の牛丼。並盛り一杯270円。食いながらも、考えさせられてしまう。これを食べる私は果たして社会的に正しいのかと。デフレを増長させているのは私ではないのか?いつものように、具の分量に対しご飯が多い。そんじゃあと紅生姜を入れて白いご飯が見えないようにと体裁を整える、そんな細やかな気配りを自分にするミミッチイ私。そのように考えながらも食い終わり、いつもとは違う後味の悪さに襲われた。マスは正直。その近所、他のチェーン店はガラガラの閑古鳥がホーホケキョ。

 先週末は歯痛と頭痛と風邪でダウン。先々週の土曜からは、おっ付けられ仕事をやっつけていたので、その土曜日に限って東京埼玉と朝から忙しく動いた。うららかな桜咲く街道を車で走りながら、久々の光のどけき春の日に達成感もどきが咲き乱れ。いとをかし。その後、火曜日から毎日有明某所へ分納し、木曜日には終了。ハラハラドキドキの仕事だが、このような仕事が定期的に週に三本もあれば私の不景気は吹っ飛んでしまうのに、とも思った。みんなぁ~待ってますよ!やっつけ仕事。その不可能を私が可能にしましょう!可能姉妹。おっつけ仕事もOKです。

 高速道路の料金がまた変わる。道路行政は滅茶苦茶。決めきれない頭の悪さを、試験だの実験だの、言葉に隠し偉そうにしてんじゃネエ!オメエラには料金改定案しか思いつかないのか!前にも、上下線に仕切りが無く、交通量に応じて車線を増やせる高速道路を作ればいいと書いた。現状踏まえてじゃあもう一発、東名上下道を全線のぼり、中央道上下道は全線くだりにしちゃうなんてどう?これを数時間おきに切り替える。渋滞がなけりゃ東京→大阪間は約6時間。数学強い人に計算してもらってインターの入口出口をうまく切り替える。実現したら壮大な実験だなぁ~。

 新党「たちあがれ日本」。これは「相互介護党」?金や人脈のない若手政治家が立ち上がれない仕組みや状況、罠を過去に散々作っておいて、「若手が立ち上がらないから我々老齢政治家が立ち上がるのだ」とは?この人達の不確かな言動から、国民目線などカケラも無いことが分かる。政界や官僚を姑息に牛耳り、頭や体を使わずして権力の座にい続けようとのエゴを感じる。少し前、下手なソフトボールを嫌というくらいメディアで見せつけたエロ爺さん山拓が集団になったようなイヤラシさ。石原さんもこれに加担するようじゃ、そろそろだ。どこまでが本気なのだろう。都知事辞めて、参院選に出馬するのだけは止めてほしい。

『感動!』 

 『感動』 そういえば最近、感動することを忘れている。若い頃は生活圏が狭い。それは徐々に拡大する。小中高大社会人と大人になるに従い、新しい地域や人に触れるにつれ、実体験として些細ではあるが感動に出会ったものだ。やがて社会人も数年経ち、社会の現実を知り、己の無力を思い知らされ、自分自身で限界を設定してしまったような一時期は、全くといっていいほど感動することはなかった。仕事が出来る諸先輩たちに憧れるだけで、あえて自分らしさを否定した。自分を目立たせず、一般社会・日常に埋没させ、衝突を避けていたので感動がなかったのかもしれない。

 自分自身が、精神的に物質的に社会の中で何者かであることを理解することは大事である。が、それは反面、自分の限界を設定し、自身の思考や行動にリミッターをかけてしまうことにもなる。「私はここまでの人間だから」と諦めてしまうことになりやすい。西行や芭蕉は晩年、日本各地を巡り、自然や神社仏閣を訪ね短歌や俳句を詠んだ。自分の限界を取り払い自然に同化し、八百万の神が宿る日本に生きる、生かされている思いや感動を歌にした。800年後の現在でも、当時と同じ感動を共有できる日本人共通の無形財産に変えた。このような崇高な感動やその表現方法もある。

 自然が創った造形や移ろいやすい瞬間美には、「人間は生かされている」という感動を覚える。創造物としての人間の小さな存在や、悠久の時間の中で瞬間を生きていると謙虚に思える。西行の時代と違い現在の感動は、交通手段が発達し、感動の個人差はあれども、金を出せば誰でも買えてしまうものなのかもしれない。また、読書も然り。不朽の名作といわれるものを読めば、感動は自ずと手に入る。数年前の大学センター試験で作家・江國香織さんの短編『デューク』が前文掲載され、それを試験中に読んですすり泣く受験生が続出して話題になった、と今日の産経新聞にあった。

 これら書物や新聞や人から伝え聞いた感動や感動的な話しは、ある種の感動には違いないが、私として共感・共鳴の部類であり、つま先から頭のてっぺんまでをも貫くような本当の『感動』ではない。思考や人生を変えるインパクトはない。私自身の経験では、思考を行動に変え人と出会ったことで、感動を得たことが数回ある。期限を切らない思考は、感動へは至らず余計な心配になることも経験済みだ。私が考える感動とは、まずは現状の自分の限界を取り払い、思ったことをすぐ行動に変え、新しい社会や人に出会い、一緒に仕事や生活を共有するなかで、直接人から自分自身で体験し感じ得るものである。行動がなかったので感動がなかったのかと、ブログを書きながら気付き反省した私だ。

日本の行方 

 今の日本は地球を漂流する『いかだ』のようだ。国家としての目標が何もない。50年後、100年後の日本をイメージさせるものすらない。40年くらい前を振り返ってみれば、小説やアニメなど、21世紀の未来を描いたものが多くあった。皆、明るい未来をイメージして仕事や勉強と頑張ってきた。今はどうか?大人や政治家に想像力・創造力が全く感じられない。ある一定の年齢層の一部の人達が、未来をすべて食べ尽くし、満腹になって動けなくなってしまったような観もある。

 大人がこれでは子供の想像力も当然衰える。未来を熱く語る大人がいなければ、子供は空想しかできなくなる。想像から思いやりを差し引いたものが空想だ。そうなると子供は、血を見る怪我や人との摩擦で心に傷を負うことのない、もっとも安全なバーチャルの世界で遊ぶ。こうして、生命力のないひ弱な子供たちはどんどんと増殖し大人になっていく。生きようとする強い生命力が減退すれば、他人や自分の命でさえも疎かにする。昨今の様々な犯罪がそれを物語っている。

 自由や平等は、行き過ぎると人間を弱くするということも分かってきた。企業のコンプライアンス、ISOや消費者へ向けた取り扱いの注意なども行き過ぎて滑稽ですらある。日本人の良心に任せる部分が昔のようにあっていい。人との信頼で成り立っていたものをあえて過剰なサービスに変え余計な仕事を増やすことは果たして正しいのであろうか、とも思う。これらの行き過ぎやり過ぎの原因は、新しい仕事や市場を創造しようとする意思がないからに他ならない。

 課題は、「天然資源がない国の将来をどうするか?」になる。明治維新と全く同じ。これは先の戦争の一因にもなった。答えとして「世界一の海洋国家を目標とする」は必然である。未来を見据え、土地買収の必要がない造船と港の整備、飛行機の製造と空港の再構築を公共事業で活性化させ、世界中に日本の船舶・飛行機が網の目を張るように航行する。輸出入手続きを簡単に世界で代行できる業者を増やす。乗り物で人が動けば仕事の情報も多く入る。他国で買って、また違う他国に売る。

 このような「世界一の海洋・技術・情報国家」としてのイメージを持ち、10年、20年先のビジョンと計画を持ち、そこに集中的に公的資金を投入することで、先細りの日本経済は活性化すると信じている。政治家が地元の利益の代表であるかぎり、内向きの政治は今後も続く。世界的な日本企業であるトヨタを、政府としてアメリカから守れないような恥ずかしい政治は続く。ユダヤ人や華僑のように世界におけるプレゼンスを高めるには、必要な国へは職人や技術者が介入できる「失った産業」を取り戻す方法も国として講じるべきであろう。

「ホントですか?」 

 「うそっ~」、「マジで?」は、我々が若い時によ~く使った言葉。最近の若者からよく聞くのは、「ホントですか?」だ。そんな時、心の中で私はこう相槌を打つ。「ホントだよ!ヽ(`⌒´♯)ノ」と。そしてその後の会話にその言葉が頻出すると、心の奥底から言い知れぬ何かがメラメラと込み上げてくる。そう、脳内怒り物質だ。それが脳内に分泌され、そして血流に乗り体を巡り、終いには皮膚からも脂汗に混じり噴出する。これはきっと加齢臭の原因のひとつになるのであろう。

 やっぱ、歳を召され天に召される日も近く、天にましますくらいに加齢すると、感情の抑制が効かない。加減乗除があるならば、この加齢臭を消臭する減齢臭があっていい。新発売!消臭オーデコロン、「無臭だ!」。絶対売れそうにないネーミング。乗齢臭はもっとクサ~イ。それを消すのは除齢臭。そんなオヤジが集まれば粋な加齢衆の三度笠。放つニオイは縦横無尽に加減乗除。足しても引いてもかけても割っても、決して落ち着くニオイにはならない。

 「ホントですか?」を聞き、こっちに怒りがあるのに逆ギレされ、「臭~い、もういい加減乗除にして!」とも言われかねない。こりゃヤバイと、その怒りを鎮めるため、「果たして怒っている自分は一体全体人間として正しいのか?」と自問してみた。加減乗除だけに演繹法で論理立てて説明していこう。まず「人の振り見て我振り直せ」と、謙虚に思わなければ誰からも好かれるおじさんにはなれない。ふむふむ、これは人生における一般的・普遍的な前提だなあ~。

 我々の時代はどうだったのか?「うそっ~」、「マジで」という言葉は、いまどきの「ホントですか?」に勝っていたのだろうか?「マジで」は、「まじめに?」=「まじめな話で?」を省略したもの。この時点ですでに勝敗がついてしまった。品格のない体言止め・用言止めが、「ですか?」という丁寧語に勝てる訳がない。若者よ!自信を持ちたまえ。君達は正しい。君達のほうが数倍すばらしい日本語を使っている。と、いつものようにお下品極まりないブログを書きながらも意気消沈する私だ。「マジかよ~!」と。

給食 

 私の通った新設小学校にプールが出来たのが小学2年生の一学期。それと同時に給食も始まった。それまではお弁当であった。家庭の事情が最も反映されるのが母親の手作り弁当。周りの弁当を見回せば、友人達の色とりどりの弁当からは子供の私にでさえ彼らの親の愛情が伝わって来る。反面、自分の弁当を見ると切ないほど質素、愛の欠如を感じた。戦中、戦後の弁当のようだ。聞いただけだが。白飯とおかずが一品。その一品のおかずに当初はマルシン・ハンバーグのみ。少し経ってからは、ソースがかかったイシイのハンバーグとチキンボールが一日交代で続く。時たま、違うおかずが入っていたが思い出せないくらいこのパターンが入学当初から一年強続いた。

 そのトラウマで、「お湯に入れてハイ!3分」シリーズは今でも嫌いだ。母親の美的感覚や味覚の欠如が、これら犬の餌のような弁当にしたのだろう。共働きで忙しさもあったはず。戦中や戦後の貧しい子が、お弁当を手で囲んで食べている漫画があったが、そのようにしたいと何度も思った。その後、日本経済は右肩上がりに成長するが、母の弁当だけは成長が無かった。学校の都合で給食の無い日には、「早弁」という手法を身に付けた。腹は減っていないが、3時間目終了後の10分休憩に弁当を食ってしまうのだ。そうすれば、自分の弁当を友達に見られないで済む。そうして昼休みのチャイムと共に校庭へ真っ先に出て野球やサッカーをする。それも一人で。

 だから給食は好きであった。皆で同時に同じものを食べられる。なんかとっても平等。残った給食は全部食べられる。学級閉鎖があればあえて登校し、クラスのハイエナ仲間と共に満腹の限界に挑戦する。小学校でバイキング!みたいな感じだ。そんな給食の献立を作る栄養士の先生は若くてかわいい独身女性だった。「こんな旨い給食を作ることができるなら結婚してあげてもいいよ!」と、先生を見かける度、駆け寄って生意気にも言ったものだ。この先生と結婚すれば、朝昼晩と三食すべて給食が食えると真剣に考えた。そのように「給食大好き!先生大好き!」な私であったが、子供らしくない友達も多くいた。彼らは大人びた表情でこう言う、「給食はまずい!」と。

 給食好きが転じて先生も好きになった。その先生が作った献立の給食が「まずい!」とは大好きな先生を侮辱されているようでとても腹が立った。登校する喜びは、給食と先生以外に無かった。そんな私の人格をも否定されているように思えた。しかし、そのようにノタマウ友人の家庭のほとんどは裕福。当然、お弁当の時は色とりどりの豪華弁当持参だ。今思えば、いいもんばっか食ってやがるんで舌が肥えていたんだな、と分かる。そんなある日の掃除時間、机を台にして天井の汚れを雑巾で一生懸命拭いていたところに、たまたま給食の先生が教室の前を通りかかった。高い場所にいた私と先生の目が合った。その途端、先生は驚き慌てて教室のドアを開け駆け込んできた。

 「危ないじゃない!」と、机の上にいた私を抱き寄せ床に降ろした。一瞬のことであったのでキョトンとし状況を理解できなかった。しかし徐々に、先生から発する強烈な母性を感じ、時間と共にそれが愛に変わっていくのを感じた。お互いに熱い何かが通い合った。その時、私にとっての愛は抽象的な観念で、先生は母親の代わりなのか?女なのか?全く理解不能であった。だが数年後のある日、先生のアソコから体内に侵入し先生の子供になりたい!と薄っすら思ったような記憶が蘇った。これは間違いなく愛だ。愛の芽生えだ。マザコンというねじれた愛だ。この時、給食の先生が男であったなら私の愛は一体どう歪んだのであろうか?アソコから入ること自体、狭すぎて不可能、あっ、反対側に穴が……。否、愛が芽生える余地など全く無かったであろう。
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