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名前方言 

 人の名字を聞き、違和感を覚えることがしばしばある。特に「中島」さんを「なかしま」と「し」が濁らないところに。そして「浜崎」さんや「山崎」さん。「なかじま」と読むのは東日本、「なかしま」と読むのは西日本とのこと。じゃあ、山崎も浜崎も濁音が無いほうが西日本か。九州ではほとんどが「なかしま」さん。鹿児島県出身の「中島美嘉」もやはり「なかしま」。逆に九州人は「なかじま」と濁るところに違和感を覚える。「さざえさん」に登場する「なかじまくん」はその筆頭であるとのこと。

 関東人の私は映画「釣りバカ」の西田敏行ふんする「はまさき」や九州出身の「はまさきあゆみ」にもどかしさを感じる。歴史や環境が違うから、この違いはどうしようもない。仕事の時は、メールなどの書き文字で対応し、打ち合わせの際も、陰険だがあえて名字を呼ばないようにすることも可能だ。この呼び名で友人がいる場合、そうもいかない。呼び方に慣れるためには、濁りの無い清音で発音する中島・山崎・浜崎さんを探し、無理矢理、近い友人になるしかない。

 もし、友達付き合いが始まった場合、名字を呼ぶ際、私の脳みそ内での変換にはとても時間がかかるに違いない。狭い日本だが地域文化の違いは大きい。ま、名前じゃあ仕方ないと諦めも付く。「名前方言」と認識すればいい。読み方を統一しようなどという考えは、誰も持たないであろう。と、書いているうち、薄っすらとあることが脳裏をよぎった。これは英語でいう「視覚方言」の逆じゃないか?と。あ~、難しいことを考えると、脳みそが沸騰して爆発しそうになる。

 「視覚方言」とは、例えば「boyz」は「boys」の視覚方言。「通路」の英訳は「aisle」で、その視覚方言は「aile」。正しい綴りの発音ができてしまう違う綴り方をきっと「視覚方言」というのではないか?誰かの発音を書き取ってみると、多くの人が同一の違った綴り方にしてしまった単語か?皆さん、自分で調べてね!「視覚方言」は、2つの単語で同じ読み方。私が名付けた「名前方言」の場合は、一つの名前で違う読み方。これが「逆じゃないか?」と思った理由だ。

 ちょっと話が難しくなりすぎて、私では解決できそうもない。追求する意欲もない。電子英和辞書で「aisle」を聞こえた通り「aile」と入力したら、「aisleの視覚方言」と表示されたことが数回あり、この「視覚方言」を覚えた私だ。十数年前、「かなり」という日本語を、若者たちは語尾を上げて発音していた。「カナリア」と発音し語尾の「ア」を言わないと、その若者たちのイントネーションになる。これは「社会方言」というらしい。また、更に解決できない方向へ向かってしまった。

 ま、ここまで考え無しにツラツラと書いてきたが、この文脈から私が言いたかったことは、一体何?と、読んでいる皆さんに逆に聞いてみたい。濁音の無い「なかしま」という言い方はとっても違和感があるってことと、方言には様々あるんだなあ~ってことか。それと「名前方言」という新語を作ったってことかなあ~。この新語は数年後、「広辞苑」に掲載される可能性がある。出典はこのブログであると書かれるのか?その時は実名を公表して仲間に自慢しようっと。その時、私の仲間に「なかしま」さんや「はまさきさん、やまさきさん」は果たしているのであろうか?
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千葉県消失 

 天気予報の電話番号は「天気になれなれ」で「177」。「なれなれ」という言葉に数字の「77」を当て、電話番号を考えたとのこと。じゃあ、時報は?というと、天気予報の電話番号と違い作者の配慮は全く無く、世間一般では「、ピッピッポーン」の「117」と覚えている人が多い。最近では、昭和の骨董品と化しているこれら番号。でも、常識問題ではかなりの頻度で出題される。私がガキの頃は、1時77分は無いので時報ではなく天気予報、と回りくどく覚えていた。「なれなれ」で天気予報とは、誰も教えてくれなかった。

 とても数字の記憶に弱い私。東京タワーは333m。これは覚えやすい。富士山は、3、776m。これもスリーセブンに1m足りないと簡単に覚えられる。スカイツリーは完成すると、634m。この地はかつて武蔵の国であったので、「武蔵」を数字の「634」にこじつけ、世界一にすべく高さを再設定したとのこと。これも覚えやすい。ここで問題発生。墨田区はたしか下総国だったはず。隅田川に架かる両国橋はかつて、「武蔵国」と「下総国」の両国に架かるので「両国橋」と命名されたのでは?

 調べたら、国境は1686年に変更され、現在の江東区・墨田区エリアも武蔵国になったとあった。明暦の大火後の都市改革で、これらの地への武家・大名・社寺の移住が促進され、お偉いさんを辺境の地・下総に住まわせるには忍びないので、武蔵国に編入する必要があったのであろう。1657年の明暦の大火前、隅田川に架かる橋は「千住大橋」だけ。2年後(4年後の説もある)に両国橋が架橋。その後、5代将軍綱吉の50歳の誕生日を祝し、1698年には新大橋が架橋。元禄バブル真っ只中。元禄元年は1688年。

 千葉県成田市にあるのに「新東京国際空港」、浦安市にあるのに「東京ディズニーランド」。いっそのこと、幕府の政策のように、千葉県の木更津以北を東京に編入してしまえばいい。じゃあ、残った木更津以南は?神奈川に編入する。それも横浜市に。乱暴な運転をする千葉や袖ヶ浦ナンバーが横浜や湘南ナンバーになったらさぞかし喜び、運転も上品になるのでは?私の実家、両親が住む千葉市は足立ナンバー?それは嫌だ。無理矢理、品川ナンバーにする。さすれば父の運転もきっと上品になる。私が実家に戻るきっかけになるかも?

お便り 

 黒ヤギさんから白ヤギさんへ、大きな便りが届いた。あまりにも臭かったので、白ヤギさんは読まずに食べた。しかたがないので、白ヤギさんは小さい便りを黒ヤギさんに放尿した。「さっきの大きいお便り、なあに?」。黒ヤギさんは面倒臭かったので、白ヤギさんの携帯電話に直接電話してこう言った。「それはオレの大便だ」と。そう言いながら黒ヤギさんは、自分の体がやけにアンモニア臭いのに気付いた。黒ヤギさんは白ヤギさんに聞いた。「さっきのオマエの小さなお便りは一体、なあに?」と。白ヤギさんはこう答えた。「オレの小便だ」と。

 このお話は有名な北欧の童話「スカトロ・ゴーツ」(邦題=愉快なヤギ達)である。大きい便りを出し、相手から小さい便りが届くのは稀だ。現代では、大小の便りは、白い陶器の渦に巻き込まれ、跡形も無くなる。寂寥感が漂う。臭いも漂う。この日常的な行為を通じ、日本人は皆、万物は無常であることを悟る。情深い人は、便器の渦に巻き込まれ、下水道に引き込まれていく、彼や彼女の最後の姿をいつまでも見送る。そして涙する。行政の管轄も変わる。厚労省管理の上水道の水は、放尿した後、国交省管理の下水道へ委ねられる。

 清潔感溢れる厚労省に、排便・排尿の処理もお任せしたいと考えるのは人の常だ。もし、無理矢理、水道の蛇口へ彼と彼女を戻したら一体どうなるか?間違いなく細菌テロになる。そして逮捕される。出会いと別れ。トイレの中では様々な感情が交錯する。人が生きるために、自然界の命を奪い、それを自分の命に変える。そのようにして頂戴し排出された命のカスに対し、人は一体どのように向かい合わなければならないのか?スカトロ・ゴーツを読めば読むほど、人間のエゴに気付き、生き方の根本原理を感じるのは私だけか?

 と、話が複雑になってきたので、これは作者に直接、その意図を聞いたほうがいいと考えた。作者は赤面しながらこう語った。「仏教における因果応報を、この童話を通じて伝えたかったのですが、因果応報ならぬ便の応酬になってしまいました。た、ただ、それだけです・・・・・・」。そして、これは後日談だが、「便を使った言葉、小便・大便・郵便の相関関係を明確にし、巧みにその言葉を織り交ぜながら、スカトロジー溢れる、文学史上稀に見る下品な童話作品に仕上げたかった」とのこと。最後に、書いた自分が恥ずかしいと作者が語ったことも付け加えておこう。下品極まりないが、とってもシャイな人であった。
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