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安いパジャマと邯鄲の夢 

 寝ていると寒い今日この頃。私は一年中、トランクスとTシャツで寝る。サウナのトランクスのようにゆったりとした感覚が好きで、十年以上前からLLサイズのトランクスを履くようになった。今ではジャストフィット。窮屈なLLサイズになり果ててしまった。この時期でも掛け布団はまだタオルケットだけ。綿入りの布団で寝るには暑すぎる。中間の布団は無い。朝方、タオルケットを剥いでしまい寒さで腰が痛くなる。ついでに肩こりも増す。

 そ、そうだ!と、春先に銭湯近くの「福助」で買ったパジャマがあることを思い出した。上下ワンセットで500円。おじさん、おばさんが売場に集まり「安い!」と買っていたので、もっとも年少のおじさんであろう私もその群れに飛び込んだ。織り柄のデザインはすべて地味。ワッシャー(しわ)加工も施されている。どうせ生産するなら、もっと原色の糸色を使い派手な柄にすればいいのにと思いながら、爺くさいパジャマを2セット買った。

 着慣れないせいか、こんな安いパジャマであっても、リビングでくつろいでいる時には、なぜか高給取りになった気分に浸れる。これにガウンを着てブランデーグラスでも傾ければ、IT社長か石原裕次郎。と、安いパジャマで見る幻想はさらに安い。そして就寝。果てしなく安い夢へと誘う。そして起床。洗面所の鏡に自分を映してみると存外、パジャマは着崩れしていない。綿100%なのにシワが目立たない。あったりめえだ。シワ加工なんだから。

 今朝もパジャマがシワにならないようにと、ハンガーにかけた。というか、変なシワが出来ないように、細かい上品なシワを保とうとハンガーにかけた。意外にも500円を大事にする血液A型の私。一杯のチュウハイと同料金。世間の値付けが全く分からない。今夜、このパジャマを着て、一体どんな安い夢を見るのか?とっても楽しみだ。夢で果たして、人生の栄枯盛衰は見られるのか?安くて簡単、邯鄲(かんたん)の夢。枕とパジャマは違えども。
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9月の旅 『崖の下の秋』 

 この急激な気候の変化はまるで、「熱帯雨林のジャングルで迷い、崖に気付かず、真逆さまに転落したところは冬に近い秋だった」、みたいな感じ。タオルケットだけでは寒くて寝ていられない。無駄に長い飛び石連休があり、気付けば9月の最終週。そんな私は先日行ってきました、連休使って金沢へ。初めて走った能登有料。金沢港から能登空港まで繋がる全長約90km。時期的に何も無く、したがって渋滞も無く、とっても快適。4年前、海沿いに能登半島を一周した時は盆休みど真ん中。暑くて辛かった。震災直後の復興中、名所も閉鎖されていた。

 旅行の目的は?と聞かないでネ。自宅にあった「珠洲の塩」が底をついたので、買いに行くか!といった程度の軽いノリ。初日は朝一に東京から高速に乗り、長野の松本で降り、野麦街道で高山へ。飛騨清見ICから東海北陸道、北陸道を経て金沢到着。東京から約500km。言っておくがスクーターではない。今回はクルマ。一日目は金沢宿泊。久々、夜の香林坊へ出かけメシを食おうということになった。今が旬の「ノドグロ」のシースーでも食おうかと思っていたが、焼き鳥がいいという家内。仕方なし、ネットで検索し行ってはみたが、やっぱ大ハズレ、せっかくの金沢の夜は台無し。

 翌日は能登半島の北端、珠洲市まで塩を買いにまっしぐら。能登有料最初の30kmくらいまでは左手に日本海が続く。気分は爽快。気候と日差しはまるでL.A.かハワイのよう。BGMにはフュージョンが合う。きっと真冬は演歌なのであろうが。海岸に沿ってこれだけ長い高速も珍しい。その後,羽咋市に入り海岸沿いを離れ低い山の中をひたすら走る。能登空港近くで一般道に入り海沿いの輪島市へ。また海岸線だ。名所である千枚田も止まらずに只ひたすらにお塩屋さんへ。そして到着。塩を買って塩アイスクリームを食べ、とっとと出発。次なる目的地は長野市。

 能登半島北端の珠洲市から長野市を目的地とした場合、北陸道への最短ルートは七尾→氷見→高岡である。このルートは一般道で以前走った。この一般道では時間がかかるので遠回りだが快適な道を選び、往路と同じ能登有料で金沢まで戻る。金沢森本ICから須坂長野東ICまでは約230km。時間は午後1時。到着は3時半の予定。北陸道は富山に入り右手に立山連峰の壮大なパノラマが広がる。この景色は私にとって北陸そのもの、とても好きな景色だ。その後は同じような景色。何度もトンネルを抜け、富山・京都・大阪ナンバーの車と競り合いながら上信越道へ入り南下。

 渋滞も無く予定通りに長野市に到着。善光寺にお参りしホテルへ向かう。本日の走行距離は570km。翌日は夜間瀬を通り志賀草津道で草津を抜け、吾妻川沿いの145号で中之条、沼田へ出て関越道で東京へ戻ろうと考えていた。ホテルでテレビを見ていたら偶然、安曇野・池田町立美術館のCMが流れた。『生誕100年・没後20年 山下大五郎展 -私の安曇野、私の日本原風景-』。松本・安曇野が好きで頻繁に出かける私であるが、この美術館は行きそびれていた。予定変更。翌日、高速で約100km、一時間。前後の道で合計2時間。美術館は小高い山の中腹にあり、安曇野の平原が一望できる最高のロケーションにあった。アルプスのパノラマを背景に有明山は真正面。

 日没時の犀川橋から望むアルプスの風景が好きで、毎回この地へ来ると犀川橋へは寄っていたが、今後、犀川橋からほど近いこの美術館へも寄ることになるであろう。その後、諏訪湖の西岸・岡谷市のイルフ童画館、そして諏訪湖東岸の諏訪市にある原田泰司美術館へ立ち寄った。3件、美術館をはしごした。イルフ童画館2Fでは、ドゥシャン・カーライの「アンデルセン童話集」展があり、煙突の上で街を眺める「羊飼いの少女と煙突掃除の少年?」の童画と童話に感動。それにインスパイされ作ったのが、前回のブログ・童話もどき『氷売りの少女』だ。話は違うがアンデルセン繋がりで。中途半端な季節には美術館巡りもいい。すべては塩を買いに行くついでではあったが・・・・・・。


短編童話 『氷売りの少女』 

 真夏の炎天下の昼時、小さな少女が一人、海岸でカキ氷を売っていた。全部売り切るまでは家へ帰れない。そんな少女の気持ちが海水浴に来ている人々に伝わるはずもない。皆、少女の前を通り過ぎ、大きな海の家へと向かう。「お父さんを一刻も早くあの寒い店から脱出させてあげなくては」。なにも分からない少女の思いは一途だ。唯一の家族は父親だけ。

 父親は毎朝、「おまえがカキ氷を全部売って、迎えに来てくれなければお父さんはクーラーの寒さで凍え死ぬかもしれない」と少女に言う。そして、街道沿いのパチンコ屋へ出かける。少女は海岸へ。陽射しが刺すように痛い。今日は頭も痛い。少女の皮膚は何度も剥がれ重度の炎症を起こしていた。痛みを少しでも和らげようと、氷を台から外して皮膚に擦り付けた。

 薄れる意識の中、氷の冷たさと共に、母や祖父母が少女に語りかける幻相が現れ、氷が解けるとその幻相も消えた。また新しい氷を取り出し頬擦りしてみる。すると、家族と一緒に遊んでいる幻相が現れ、解けるとまた消えた。また氷を出した。そして強く抱きしめた。母親が現れた。少女を膝の上に乗せ、やさしい声でいつまでも絵本を読んでくれる。

 氷が解けると母が消えてしまうことを恐れた少女は、残りの氷をすべて出して母に甘えた。その氷もすべて解けた。母が消えないようにと、解けた氷で水を含んだ砂に、最後の力を振り絞り、小さな人差し指で「おかあさん」と少女は書き続けた。―――――砂に書いた文字すべてが波に消される頃、母は少女を優しく抱きしめながら天国へと昇っていった。

週末に書く 

 17世紀オランダ絵画の巨匠、フェルメール。さて、彼の絵画は次のうちどれ?1:青いハチマキの女 2:一突きで少女から女へ 3:真珠を埋めた男に首っ丈な少女 4:真珠の耳飾の少女 正解は4。せっかくの週末、あえて3と答えながら、皆で酒でも飲み交わしたい。2の『一突きで少女から女へ』を、まさに地でいく『真珠の首飾りの女』という作品もある。彼の作品の中では『少女』が好きだ。とっても宇宙人もしくはアジアンチックな顔。ウマイア朝とイベリア半島に逃れて興した後ウマイア朝、アジア人が欧州へ進出した影響を強く感じる。

 先日、日本橋界隈を歩いていると、とある看板が目に入った。その名も「阿波銀行」。バブルと捉えるべきか、ソ―〇ランドの泡踊りと捉えるべきか?一瞬、私は悩んだ。が、すぐに結論が出た。CIを見直すべきであると。前者でも後者でもイメージはマイナスになってしまう。更にこの銀行の事情を私なりに勝手に掘り下げて考えると、ここに勤めている人は、銀行員なのか銀行マンなのか?といった疑問にもぶち当たる。この質問を更に週末用に簡略化すれば、「コーイン」なのか、「コー〇ン」なのか?となり、阿波踊りと繋がり大惨事。

 今年の夏、異常猛暑のせいであろうか、蚊に喰われる事がなかった。蚊の前、ボウフラの時に熱さゆえドブの中で煮え死んだのか?「蚊に喰われる」というフレーズが嫌いな私だ。蚊に刺されるとその部分は膨らむ。喰われるのならば、皮膚の表面が削り取られていなければならない。ゆえに「蚊に盛られた」が正しい、と思っている。「毒を盛られる」、「皮膚が膨らむ」といった2つの事象を、「蚊に盛られた」は実に的確に表現している。虫刺され・かゆみ止めの製薬会社の業績は大丈夫なのか?と、要らぬ心配までしてしまう。

 もし私が、この状況時、この会社の経営者であったらどうする?当然、蚊の育成に励む、もしくは、漆の粉末を電車の中や人の多い通りでこっそり散布する。これは完全なテロ行為だ、と今反省。急激な秋の訪れで私の思考が変革し凶暴になったのだろう。室内はクーラーをつけているのに、ベランダへ出ると外のほうが涼しかったりする。寝る時はタオルケットを完全にかけないと風邪をひく。やっと例年並の気候になったのに、猛暑はまた来るのだろうか?豪雨もあったし、「厳しい残暑が続くでしょう」どころではないような気もするのだが。

国道4号とスクーター(HONDA LEAD 110) 

 つい最近の土曜、ふと、「20年以上前、お世話になった米沢の社長は未だご健在なのかなあ~?」と考えた。社長の息子夫婦は山形県の米沢駅前で居酒屋を経営している。10年前の旅行で、その居酒屋へ立ち寄りたずねたところ、その時はご健在。社長は戦後、縫製工場を米沢に立ち上げた。日本の経済成長期,東北地方ではYKKファスナーの仕入れが最も多い工場であったと聞いた。国内外の来客も多く、接待で頻繁に使っていた米沢から近い福島飯坂温泉では顔。私も連れて行ってもらったが、温泉街の誰もが社長に挨拶をするほど。

 私と社長の仕事でのお付き合いは、80年代後半のバブル全盛期。米国向け繊維品輸出全盛期は既に過ぎていたが、その名残で社長の工場は小学校ほどの敷地に建つ朽ち果てた木造校舎のよう、無駄に大きい。建物の一部屋だけを使い年配の従業員4人と、国内向けの簡単な縫製仕事を請け負っていた。最終まとめが場内、細かい縫製作業は皆、外注。納期が遅れそうだという社長の電話を受けると、午後10時までに仕事を切り上げ、夕食を取り、夜中の12時に車で米沢へ向けて東京を出発。高速を使い朝4時には工場に到着。

 辺りは真っ暗。既に70歳を少し過ぎた社長は工場の電気を煌々と灯し、一人で懸命にミシンをかけている。その音は静まり返った工場の外にまで聞こえる。夏はカエルの大合唱に混じって。冬は雪景色の静けさの中、聞こえるのはミシンのモーター音だけ。始業時間にならないと手伝うこともできないので、車の中で待つ。6時頃、社長が車に来て、社長の弁当を朝飯代わりに食えという。大きなタッパーに入った肉ジャガが特に旨い。息子さん夫婦の居酒屋で作られた米沢牛を使った肉ジャガであることを後から聞いた。

 朝7時になると外注の部品回収を頼まれる。5件くらいなのだが、一軒一軒が離れており4時間以上はかかる。簡単な地図を描いてもらい説明を受ける。「工場前の道を真っ直ぐ行き一個目の信号を右、そして次の信号を左に曲がり2件目」。都内なら歩いて行けそうな感じだが、10km先であることもザラ。まず一軒目は「みどりさんの家」。やっと若い女性に会えるのかと期待に胸を膨らませて向かう。と、私の祖母と同齢程の「みどりさん」。初めての家でお茶やお菓子を頂き、30分は過ぎる。

 2件目以降もこれを繰り返せば昼になる。彼女たちは皆、20~30年も前、社長の工場で働いていた。一同皆、「残業は多かったけどミシンかけは楽しかった。農業はやりたくなかった」などの思い出話になる。仕事はケツに火が付いた状態なのであるが、話していると皆のんびりとしていてセッカチな自分に嫌気がさして来る。この期に及んで焦っても仕方がないと、それなりの覚悟をする。が、そんな状態を経ても不思議と仕事は納期に間に合う。当然、米沢から山形空港へ持ち込んだ入り、トラックをチャーターして即日納入を敢行したりとあらゆる手は尽くしてだが。

 そんな思い出深い米沢なので、家内を連れ車で何度も旅行に行った。東北道を使い、福島飯坂ICで降りる。その後、西へ向かい栗子峠を越えれば米沢だ。全長約350km。この長距離を高速を使わず私は、110CCのスクーターで果たして行けるものなのか?ネットで距離を調べると、日光街道を使って約320km。高速道は遠回りであることがわかる。午後1時半には着替えを持ち米沢へ向け自宅を出発していた。猛暑の中、延々と北へ向かう。都内から埼玉県幸手市までの4号線は自転車で何度も走っている。景色も見慣れている。

 埼玉から茨城県へと橋を渡り、片側3斜線の広い4号新バイパスも日光や宇都宮からの帰りに自転車で走ったのである程度分かる。想像が付かないのがその先だ。宇都宮までは自宅から約100km。3時間かかり午後4時半には通過。矢板、西那須野、新白河から須賀川の大黒町までこれまた100km。大黒を下の道で走るのは初めて。かなり大きな町だ。時間は午後6時半。辺りはすでに暗い。気温26度。東京の熱帯夜が嘘のようだ。そしてついに福島県の大都市、郡山市を通過。高速道のようなバイパスは、新幹線が止まる駅を西に大きく避けるように走る。本当に大都市。大きな観覧車もバイパス沿いにある。

 郡山の街中から外れ道路標識を見れば仙台130kmとの表示。自宅からの距離は既に245km。米沢まではあと80kmくらいの場所だ。約2時間で米沢と思い、栗子峠あたりをシュミレーションした。峠を上り暗く長いトンネルを抜けなければならないなあ~と思った途端、シュルシュルと私にリミッターがかかった。「やめた!」と、スクーターを次の信号でUターン。最初のコンビニで停車し、郡山のビジネスホテルを予約してほしいと家内に電話した。体力の限界ではない。単にやる気が失せた。チェックイン前、せっかくなので大都市郡山を探検しようと、駅周辺を走った。

 駅の周辺はJR錦糸町駅周辺の雰囲気に近い。街並みは墨田区と台東区のような低層ビルや個人商店・飲食店が多い。住むには絶好の地である。ホテル近くの中華屋で食事を済ませ、ホテルの温泉にゆっくりつかり就寝。そして翌日、同じ道で帰るのはつまらないと、猪苗代湖、会津若松を経て旧日光街道で南下。南会津の田島を抜け、日光経由宇都宮で都内へ戻ろうと考えた。途中、スクーターでも日光や今市の渋滞は避けたいと考え、田島からいつも停車する道の駅で一旦休憩を取り、那須塩原温泉を抜け国道4号に合流。

 8時に郡山のホテルを出発し、午後4時には自宅に到着。休憩・昼食の約2時間を引くと実質6時間。なんと350km走った。前日は245km。自分の偉大さに気付いた。年齢に階級があればきっとチャンピオン間違いなし。名古屋・新潟までもほぼこの距離。もう二度と、このスクーターでこんな距離を走ることはないであろう。それとも来年は、250CCくらいにエンジンを格上げし、北海道にでも行ってみるか。結局、長々と語った思い出に結びつくことのないツーリングになった。思い出は自動車で実現するに限るなあ~と、しみじみ感じた私だ。

国道4号と折り畳み自転車(ホールディング・バイク) 

 自転車で一日100km以上走ると、忘れることの出来ない「思い出のツーリング」となる。私のクロスバイクは楽にスピードが出るので遠出も可能だが、途中、自宅から50kmくらい離れた場所で体調が悪いことに気付き走ることが突然嫌になったり、以前ネットでチェックした有名な安い居酒屋や、外見は汚いが餃子やラーメンが旨そうな中華料理屋を発見したりすると私は一体どうなる?当然、ツーリングを中断する。店を発見した場合は、吸い寄せられるようにと店へ入る。そんな時に便利であると考え購入したのが折り畳み自転車だ。

 困った事に店に入った後の自分が想像できない。中華屋を発見した場合、まず失われた体力・精力を補うため必ず餃子を頼む。いつまでもビンビンな男の子でありたいと願いを込め発注する。餃子が出来上がるまで、この冷えたコップの水を飲むべきか、それとも大瓶のビールを発注するべきか、真剣に悩む。「セルフおあずけ」状態が数分間続く。その間、疲れで気が遠のいていく。ここはドコ?私はダレ?のように。そして気付けば知らぬ間に、テーブルの上にはキンキンに冷えたビールがある。自転車を畳んで電車で帰ればいいか!となる。

 国道4号(日光街道)では、上記理由で幾度となくツーリングを途中で投げ出す事態に陥った。が、自転車を畳んで電車で帰ればいいだけ。畳めないクロスバイクの時、帰り際、国道4号の上野辺りで、体力の限界を感じ、どうしようかと考えた。3km東へ行くと浅草がある。浅草ROXの裏、伝法院通りの煮込みでも食うか!と浅草へ向かった。チュウハイ2~3杯で帰ろうとしていたのだが、陽気な左隣のオジサンと更に陽気な右隣の外人に挟まれ話が弾んだ。自転車では帰れないほど酔った。銭湯へ行く体力も無いし、さあ、どうしようか?

 ふと、浅草駅近くの隅田川・水上バスで帰れるのでは?と考えた。午後5時半くらいに、台場行きの最終の船があったはず。早速、飲み屋を出てそこへ向かった。運良く最終に間に合った。自転車料金は?と聞くと、子供料金とのこと。自転車を置きっぱなしにして電車で帰るより数倍いい。涼しい海風に吹かれ無事に帰宅することができた。水上バスの場合、折り畳んで袋へ入れている状態なら、自分の料金だけで済む。都バスや電車もすべて無料。遠距離バスだけは積み込むこともダメらしいが、折り畳み自転車はいいこと尽くしなのである。

乗り物3種 

 私自身の行動範囲拡張と機動力の向上の為、原付2種のスクーターであるホンダ・リード110を4月に購入した。仕事や買い物等、都内での移動には自動車より数段便利であることに今更ながら気付いた。だったら、都内に定住し始めた約30年前から持っていれば、バイク・ライフはきっと進化していたはずと後悔している。自動車は必要でなかったと言い切ることはできないが、ローンや駐車代・保険料・ガソリン代・車検・重量税と、都内在住の私には無駄が多すぎたとの反省もある。必要な時はレンタカーで良かったかもしれない。

 反面、自動車は思い付いた時にドライブや旅行に出かけることが出来る。自分に原因があったりもするがスケジュール通りに行かない仕事を抱える私に、気分転換・ストレス発散を約束してくれるツールでもある。渋滞を避け、土曜の午後から出発するドライブや一泊旅行ではかなりいい気分にさせてもらった。更には千円一律の高速代がそれらを加速させた時期もあった。最近は、日帰りや一泊、二泊で行ける場所へは行きつくし、打ち止めのような観がある。車で出かけようというモチベーションは以前ほど高まらない。

 それ以外の乗り物としては、特に運動のため、クロスバイク・折り畳み自転車を持っている。都内を走りかなりの道も覚えた。乗りながら聴くのは禁止されているが、一枚すべてを聞くことの無かった音楽CDや、三日坊主ゆえ多額の自己投資は出来ないので、予算1500円以内で書店で買えるCD付英語教材を買い、自転車に乗りながらMP3で聞いている。周りの音が聞こえるように配慮し、極力サイクリングロードを走る。一日30~50km、時間は3~5時間と長いが、ゆっくりと時速17~20km、有酸素運動として走る。

 自転車に乗り音に集中すると時間が経つのがとても早い。気付けば50km以上走っていることも頻繁だ。都内散策、運動、学習の3点セットは長時間でも飽きることがない。また、今年のような猛暑でも、走行中涼しいのが自転車。まるで扇風機に向かっているような。汗が飛んで涼しいので水の補給はまめにする。景色の流れも程よく心地よい。折り畳みは畳んで電車に乗り、例えば、小江戸・川越の寺院めぐり、蕎麦屋で昼食、シメに居酒屋となる。そして畳んで電車で帰宅。鎌倉も同じ。自分にとって思索に耽り、唯一集中できる時間がそこにある。

 この自動車と自転車の隙間を埋めるのが今のスクーターだ。ヘルメットも30数年していなかったので最初は面倒であったが今では慣れた。行ったことのない場所や名所を地図で検証し、休日に早起きして昼食までには自宅へ戻れる場所に行く。鎌倉・湘南方面へも渋滞を避け行く方法を何度もネット上の地図で検証し実践した。ポイントを設けて、その区間は約何キロと記憶して出かける。頭の体操にもなる。道に迷えばコンビニへ入り、地図を見る。近隣の詳しい地図は必ずある。しかし、帯で閉じられ買わないと見られない地図も多い。

 スクーターの優れているところは、なんといっても燃費の良さであろう。リッター40km近くは走る。現在、レギュラーで130円位なので、休日の午前中に攻めることのできる場所で往復100kmとすると、燃料費300円以内。110 CCは高速に乗ることが出来ないのでそれ以上はかからない。エコカー以上にエコだ。自転車には敵わないが・・・・・・。スクーターならば自転車で構想を練っていた「おくのほそ道」制覇も実行に移せそうだ。と、思った私はすぐ日光街道へのツーリングにトライした。その話は次回ということで。
 

世界中のテレビはどれもこれも同じに見える 

 「テレビの進化、その方向性は果たして正しいのか?」と、アキバの家電量販店のテレビ売場を通過した時にふと考えた。テレビが液晶化され薄型になり、人はどのような恩恵を授かったのか?省エネ・省スペースは、資源が無く狭い部屋に住む日本人誰もが画期的であると進化に喜んだ。テレビの外形デザインもすべての贅肉が削ぎ落とされ、これ以上の形状的進化は無い各社横長で長方形の画一的なデザイン。その両サイドには埋め込みスピーカー。

 細かい仕様を比較検討すれば、それぞれのメーカーに特徴があり、きっとその中に自分の好みのテレビがあるのであろうが、私にとっては、どれもこれも同じテレビにしか見えない。見た目の大きな特徴を微塵も感じとることが出来ない。ゆえに、かつてのようにテレビ売場で、見て触って楽しむことも出来ない。リモコン操作に慣れないと難しいものだらけ。昔のように触れない。売場で楽しく感じる時は大抵、大自然のきれいな映像がデモされている時。性能をアピールしているのであろうが、私は大自然に魅せられているだけなのだ。

 形状がシンプルになりすぎ、機能が分かり辛くなったことが原因で、日本の大手家電メーカーは、安い値段の韓国サムスンにその販売台数を追い抜かれてしまったのであろう。見た目が同じならば安いほうがいいといった、世界の人々が誰でも感じるあたりまえの心理が販売台数に大きく作用したと考える。液晶ディスプレーの基礎研究、技術開発の先陣を切り、実用・製品化した日本のメーカーに今後、世界市場での未来は無いのか?

 省エネ・省スペースは、日本特有の事情から発展してきた技術だ。ならば、現在、日本で起こっている大きな社会問題を捉え、それを解決する製品を開発すればいい。と、提議したまではいいが・・・・・・。じゃあ、オマエに何か新しいアイディアはあるのか?――――黙っている私ではない。は~い!整いました。まず、高齢化社会に目を向ける。難聴である年配の方々が、テレビ・ボリュームを上げ過ぎることのない、家族や近隣から苦情が出ないテレビを作る。

 じゃあ、一体どんなテレビなの?説明しよう。内蔵されているスピーカーとは別に、本体から分離可能なスピーカーも2個、合計4個のスピーカーがある。分離スピーカーからは、テレビ本体から発信されるFM電波でテレビの音を捕らえる。それらにはボリュームもあり、モノラル・ステレオにも切り替えられる。イヤホーンやヘッドホーンも付けられる。コードレスなので人のすぐ横に置くことが出来る。ゆえにテレビ本体のボリュームを上げすぎることがない。

 また、台所仕事でテレビから遠い主婦(主夫?)も、スピーカーを台所に持ってくれば、本体のボリュームを上げないで済む。両スピーカーのスイッチをステレオに変えれば、サラウンド・システムに早変わり。音楽や映画等のコンテンツも大迫力の音声で楽しめる。こうなったら、そのスピーカーにAM/FMラジオも付けちゃえ~っと。これじゃあ、大安売りのようだって?ついでに液晶画面も付けちゃってテレビ一台がテレビ三台に早変わり!なんちゃって~。

 そ、そうか!リモコンにスピーカーやイヤホーンを取り付ける方法もある。これってユビキタス?可能性が無い話じゃあないなあ~。この企画、中国のメーカーが真っ先に飛びつきそう。頑張れ!日本のメーカー、とエールを送って今日はこの辺で。あっ、それと、特許を取るときは必ず私を通してね。
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