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お引越し 

 母に「疲れてるんだから、早くお風呂入りなさい」と言われ、何十年ぶりかで実家の風呂に入った私。今日の話は先日の『ぼくのおしり』の続きではない。ドキュメンタリーだ。実は先々週、台場から千葉の実家に引っ越した。♪荷造りご無用~の引越し会社へ依頼し、引越し梱包の日と引越し日の2日間を要した。ま、この話はとても長くなるんで、後にする。その日以来、両親と私の3人の珍生活が始まった。閑静な住宅街で年金生活を送っている両親は、共働きであったせいか、昔から近所付き合いが全くない。とある理由で両親は、食事の時間もそれぞれ違うし、洗濯物も別々。いわゆる家庭内別居状態である。

 父の誘いで転居を決意した。世間の常識は通用しない両親のもとに、常識が全く無い私が入ればどうなる?そりゃもう、大変!!苦しく辛い荷解きの毎日。東京で肉体的に疲れた時、いつもスーパー銭湯へ出かけていた。ここでは親が私に気を遣い、風呂が沸いたと言われりゃあ断る事も出来ない。風呂の窓はアルミサッシ、ユニット式ではある。が、とっても寒ぶい。そんな一軒家の寒ぶ~い風呂にこの先ずっと入らなければならない。マンションであるならば、脱いでも寒さは感じない。一軒家での裸は凍えるくらいの寒さ。その日、雪も降った。適当に体を洗い、あったかい湯船にさっさと飛び込むしかない。

 すぐ飛び込んだ。その瞬間、熱さで湯船から飛び出した。なにしろ熱い。設定温度を見ると48度。水を入れ、なんとか入れる温度まで下げた。風呂から上がり母に聞いた。「設定温度を間違えたの?」と。すると、皮膚がピリピリするくらいじゃないと、風呂に入った気がしないという。父も48度とのこと。埼玉生まれの千葉育ちなのに江戸っ子か!ま、この温度は実際はもっと低く45度くらいであろう。それにしても、仲が悪い両親なのに「煮たもの夫婦」。両親の好みが一致する点は、今のところこの温度だけで他に合う所は一つも無い。私が一息つける所は、都内の事務所だけ。果たしてこの生活に慣れるのであろうか?
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フルコースのディナー 

 昨年末から一月にかけて、生きる為に頑張って栄養を摂らねばと、自炊をした時期もあった。頑張ろうと思ったが、慣れる前に既に諦め状態に陥っている。独身のプロの皆様からお教えいただくのは、ほとんどが鍋。たしかに栄養のバランスも良く、鍋と取り皿が2個が汚れるだけ、油も飛び散らず、〆では冷や飯処理も出来、手軽であることも分かった。問題は具の量の配分。一人の場合、白菜は昨年くらいからスーパーで出回りだした独り者にはなんとも有難い量の8分の1カットでも多い。エノキやシメジも一個分は多い。個別に材料を買うと、半分以上余り、2・3日連続で鍋になる。野菜が多く、雑炊に辿り着けないこともある。

 本来、ポン酢で食べる鍋が好きであるが、ポン酢も作るか買うか、その上、紅葉おろしも必要とあり、手っ取り早く鍋汁自体に味付けがしてある鍋になってしまう。そうなると、寄せ鍋かちゃんこ鍋の鍋汁、更に絞り込んで最終的にはちゃんこ鍋風が多くなる。これを連日で食べることになると、「ごっつあんで~す」状態。昨年11月は78kg、12月末に69kg、リバウンドして今じゃ74kg。過去、飲んでいる席で知人の独身男性から、冷蔵庫の残った白菜が心配なので帰ると聞き、そのミミッチさに怒りを感じた私だが、今ではその気持ちが痛いほど分かってしまう。よくいえば「もったいないの精神」が徐々に分かってきた。

 仕事中に突然、「あっ!野菜室のネギ食わなきゃ腐っちゃう」とか、今その冷蔵庫内の名称は分からないが、未熟児が入っている保育ケースのようなところに入れっぱなしの2~3週間前の豚肉やベーコンは大丈夫?とか、納豆の表面は乾燥しているんじゃないか?とか、豆腐の表面が黄ばんできているのでは?などと、多くの心配が脳裏をよぎる。鍋を食ってる最中は、カセットコンロのガスをミミッチイほど極限まで細くもする。リビングが鍋臭くなり、食事中に換気扇をつけると、その空気の対流だけでその細い火は消える。エプロンつけてお料理教室のようなカマネタに走りそうだが、「もったいない」に男女の違いは無い。

 修行中ゆえ、私の節約は、節約の本質とかけ離れている。こうして鍋に飽きた私は、ある日スーパーでパックに入った「おでん」に再会。家内がいた頃には、冬、たまに酒のつまみにと家に買って帰った。決して中の具は旨い物ではないが、寒い日のつまみには丁度いい。1パック290円位。鍋は飽きたといったのに、懲りずにチキンラーメンのピヨちゃんマーク入りの鍋におでんと汁を入れる。豆腐半丁を追加し一緒に煮込む。ビールを飲みながらおでんをつまむ。途中、〆の冷凍うどんをレンジで温める。おでんを食い終われば、残り汁に出汁を追加し更に温め、うどんを入れる。卵を入れネギを散らしてハイ出来上がり。

 または、冷や飯を入れ雑炊。これで腹は一杯。三大欲求の一つは安く手軽に満たされた。素股でいかされたような感じだ。栄養バランスを考えると、野菜は大根と追加して入れた豆腐のみ。これではイケナイと、〆の〆に安い野菜ジュース190円とポンジュースを半分ずつコップに入れてミックスして胃の隙間に流し込む。これ、案外旨い~。このディナーのフルコースは、手軽で簡単、マイ・ブームだ。汚れて洗わなければならないものは、鍋と取り皿。残る食材は全く無し。冷蔵庫の中を心配する必要も無い。でも食べ過ぎて、いつかはきっと飽きるに違いない。ま、本人が一生懸命思い込まなければディナーにならないが。

ぼくのおしり 

ぼくのおしり
港区立お台場第4小学校 1年2組 〇〇き 〇〇お

 ボクはきのうお父さんとお風呂に入りました。お父さんもお母さんも、ボクと入る時は、お風呂につかって大声で100まで数えなさいといいます。すごいたいくつです。とってもイヤです。そんなときは、たまにですが、ごうりてきに59からとつぜん90に飛ばして読みます。じかんがせつやくできます。この飛ばし方はバレにくいと分ってきました。ボクはごうりてきであるとおもってますが、りょうしんはインチキだ、うそはドロボウの始まりと言います。ボクはウソはほうべんと勉強しました。バレるとおしおきです。今度は200まで数えろというのです。

 おばあさんは、それをせっかんだといいます。おばあさんはりょうしんに「ニタモノ夫婦だ」といいます。インチキしたらりょうしんはボクに「じごくの200をしなさい!」といいますので、「煮たもの」になるのはボクだとおもうのでした。お風呂から出るとからだを洗ってくれます。お父さんは、100数えるのは、アカがよく取れるからだといいます。アカ狩り=レッドパージなのかとそのときおもいました。ボクを洗ったタオルをせんめんきにつけると、アカがたくさんういてきます。ボクは、おとうさんもしょせん、GHQのかいいぬだったのかと落胆しました。

 お風呂のかがみで見ると、ボクのせなかの下には、のっぺらぼうなふたつの顔がならんでいます。それはおしりといいます。「おしり」 このことばをきいたり言ったりするとおともだちは誰でも笑います。たえられないのです。きっと「おしり」は笑いのツボ、こどもをハッピーするちからがあると思います。ボクのゆいいつのネタです。おかあさんはあまり「おしり、おしり」っていっちゃダメとおこりますが、やっぱり、笑ってます。ふりむいて自分のおしりをかがみで見ても、おもしろいと思ったことはありません。おしりの笑いのほんしつは一体何なんだろう?

 真実にせまろうとおもったボクは、ある日、お母さんがいないあいだに、さんめんきょうにあった手鏡をたたみにおいて、一体何がおもしろいのかを、けんきゅうしようと思いました。おそるおそる半ズボンとパンツをぬぎ、かがみの上にまたがりました。はっきり見るのは生まれてはじめてです。ゆっくり見ることにしました。「エエッ!」、2つとおもってたおしりはなんと1つ。割れ目の奥はつながり、割れた谷の底にきれいではないキクの花がいちりんさいていました。穴にささったキクいちりん。あり地獄にはりついた菊の花びらのようでもありました。

そして、それから十年が経過した) 

 生まれてから6年、ボクがおしりで笑えなくなったのはこのときからです。現実は笑えないほどきびしいことを思い知りました。あの時、おしりなんて見なければよかったと後悔しきりです。笑いがなくなりつまらない人生になりました。この大事件のあと、ボクは「おしり」ということもなくなり、おもしろいとも思わなくなりました。「おしり」には全く興味がなくなったと思っていましたが、約十年後、自分のではなく異性のソレの本質を見極めたいとほのかに思うなどとは、このとき分かるはずもありません。今回のタイトル「ボクのおしり」は、青春期の続編として「キミのおしり」としてリメイクもできますが、下品を通り越し、ド非品、ヒヒ~ン、お馬さん、パッカパッカとなるので止めましょう。映画化も子供の教育上、絶対無いでしょう。では皆さん、最後になりますが、とてもお寒いので、体だけはどうぞお下品になさって下さい。

四十捨五十入 

 今日は衝撃的な省略算をご紹介しよう。それは「四十捨五十入」。これを年齢でやってみよう!というのが、今回のお話。昨年の11月まで私は49歳。45歳くらいの時、この省略算というか、概念を思いついた。「なんだ!俺って0歳か!」のようなフレッシュな気持ちになった後、親に生んでもらい数々の経験、あらゆる学習を積み重ねて今の自分?のような後悔の念に激しく襲われた。生まれてからこの年齢まで生きてきた以上、確かな実態はある。だが、その結果が今と考えると、経験も学習も全く役に立ってなかった、というより、それらを結果的にはやってなかったのだなあと考える。意思の弱さ・努力不足を真に反省するしかない。楽して生きようとする狡賢さだけは年々増していく。

 「深いなあ~、四十捨五十入」と思っていたのは、40歳代まで。自分の内面のモノサシを信じ、自由を求めすぎた自分を大いに反省している。今では、性悪説を基に、戒律・規律のような外のモノサシは絶対に必要、会社員のような集団における規律こそ、人や組織を高めるものではないか、と謙虚に考える。自営業であるので私はある種の独裁者。読んで字のごとく、独断で物事を決めていく。常に一人で決裁しなければならない。これは傍から見れば激務と感じるが諦めれば楽。私は自分に甘い独裁者。でも、そのツケはすべて自分に帰ってくる。収入は激減、低い数字となって現れる。このように、浅くても経験や実態があったので、それらに則して善悪の判断が出来るのが「過去」だ。

 さて、50歳に成り立ての今、「四十捨五十入」の「五十入」について考えなければならない。これが案外大変。五十入して「俺って100歳か!」とは正直喜べない。だって、そもそも実態は無いし、そこまで生きられるかどうかも分からない。50歳になるまでは、とてつもなく長い時間がかかったが、これから100歳というか、死ぬまでの時間は間違いなく短いであろう。誰もがそう考えるはず。山登りに例えるなら、登りは緩やかな斜面を登り続け50歳という山頂に到達、下山道は急斜面といった感じ。その短いであろう時間をどのように充実させるか?が重要だ。定年の無い私の結論としては「死ぬまで仕事をする」。これに尽きる。仕事で様々な人と出会い、有意義な化学反応を死ぬまで続けよう。

 
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