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ハナマルキの紙パック入り『味噌スープ』(仮題) 

立ち止まりポォ~ッと振り返れば独身歴はすでに6ヶ月。独身で何が一番不自由かといえば日々のメシ。洗濯はまとめて週一回。意外と楽しい。晴れている日は特に。今の洗濯は洗濯板を持って川へ行くような重労働ではない。ボタン一発。柔軟材を入れる頃合や脱水後のシワを伸ばすコツも覚えた。脱水後、洗濯物を洗濯バサミが付いたハンガーに干した状態は、来週一週間の衣装のスケジュール。上着との相性を考え順番を変えて着ればいい。

それに引き換えメシを食うことはとても大変。1日に1回から3回は食わなければならない。それもすべて外食。食い忘れて一日一食は以前よくあった。おっつけられ仕事でケツカッチン(←今、言わネェなあ~)の場合、胃が萎縮して食欲自体が湧いてこなかった。今はとってもマーヒーなので食うことをあれこれ考えてしまう卑しい私。午前中、出勤する途中にオニギリを2個と伊藤園の「1日分の野菜」ジュースを買い、朝飯もしっかりと食っている。

小さな200ミリリットルの紙パックの中には「野菜350g分が濃縮されています」とパッケージに書いてある。値段は105円。もし自宅でサラダを作る場合、スーパーでレタス、トマト、ドレッシング等を買い、500円はする。残った野菜はラップに包み冷蔵庫へ。そして買ったことを忘れそうになる2~3日後に冷蔵庫を開けると野菜は見る影も無い。認〇症のお袋にすべて食い尽くされている。それを考えると紙パックの野菜ジュースは飲みきりなので安心・お徳だ。

お袋に栄養が行き亘り、私の栄養が欠乏する。お袋の寿命が延び、私の寿命が縮まる。なんとも複雑な気持ち。朝、台所へ行くとお袋は、私が買ったトマトジュースをゴクゴクとのどを鳴らし飲んでいた。とても驚いてお袋を見ていた私にお袋は一言、「いっぱいあるからあんたもトマトジュース飲みなさい!」と。「このクソバアアめが!」と思ったが、病気ゆえ怒ることも出来ない。犬の水のみトレーにもトマトジュースが入っていた。開いた口が塞がらないとはこのこと。

お袋はトマトジュースが好きなようだ。1ℓのペットボトルを入れておくと2日くらいで飲み尽くす。2匹の犬達は飲まなかったので嫌いらしい。ある時、トマトジュースが売り切れでカゴメ野菜ジュースを買った。私はカゴメのトマトも野菜も両方好きなのだが、お袋は野菜ジュースは「ウスターソースの味がする」と言って嫌っている。ラッキーなことに冷蔵庫へ入れておいても減らない。それを学習してからは当然、1リットルのペットボトルは野菜ジュースにすることとした。

お袋の寿命はコレまで通り。私の寿命は若干延びる。何故だかとっても納得がいく。当然、息子としては孝行がてらたまにトマトジュースも買ってあげている。今、私がもっとも欲している飲み物は、紙パックの「味噌汁」。お湯を注いでカップで飲むタイプの味噌汁は様々あるが面倒くさい。長崎飲料というメーカーから既に発売されているらしいが、東京ではメジャーではない。お茶のように温・冷両用で具は細かくして太いストローで飲めるタイプがあったらいい。

ハナマルキが販売すれば爆発的に売れるはず。オニギリ2個と味噌汁さえあれば、すぐに空腹は満たせる。さすれば、何を食べようかと悩まないで済む。先にサラダ代わりに野菜ジュースの紙パックを飲み、それからオニギリと味噌汁にすれば栄養バランスもかなりいい。茶や水がボトルや紙パックで販売されるなどとは、40年前には考えられなかったこと。残るは味噌汁だけ。やっぱ、日本人には米と味噌。頑張れ、ハナマルキ!!早く私の悩みを解決して欲しい。
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節電は日本の音楽に貢献する 

「風が吹けば桶屋が儲かる」のように「節電すれば日本の音楽レベルが上がる」との仮説を立てた。これが真理か否か、演繹法を用いて検証してみよう。最初の前提は、アマチュアもプロも節電の為、電気楽器を使うのをためらう。 →仕方無しにアコースティックギター・ベース・生ピアノを弾くようになる。そう、アンプラグドの世界へ突入する。 →生楽器の難しさと格闘しながらも、生音の奥深さに徐々に魅せられていく。微妙な手弾きの力加減で音のバリエーションが出せ、感情移入も出来ることが分かってくる。 →知らず知らず練習時間がいつもより長くなる。 →数日経ち、気付くととても巧くなっている。

実はこれだけでは終わらない。更なるレベルアップになる。バンド等、アンサンブルでは、生音の場合、最も音の小さい楽器に自分の音量を合わせる必要がある。ボーカルやギターソロが入る場合、特にドラムやピアノは音量を抑えなければならない。電気を大量に消費するミキサーやモニター無しで、バンド全員の音がバランス良く聞こえなければならないのだ。「頭は常に全回転、八方に気を配って、一部の隙もあってはならぬ!バンドとはそのようなものだ」(引用 電通 鬼十則 第9項 バンドの部分はサービス) そうか!バンドマンとは、電通マンと同じなのか!と目から鱗、業界の裏表を同時に知ることになる。

ロック系のギターリストがアンプ・ボリュームを最大にして音を歪ませている時、他のメンバーの音なんぞは聴いちゃあいない。歪ませることに全精力を注ぎ、バンドの音のバランスなんかどうでもよくなる。自分に酔ってるだけだ。思いやりのカケラもない。ところが生バンドの場合、相対的に小さな音しか出ないギターは弾きながら、同時に他のメンバーの音を真剣に聞かざるを得なくなる。人の音を聞き自分の音を加減することで「思いやり」が芽生えてくる。特に一番大きい音が出るドラムを叩くドラマーは常に減音しなければならず、思いやりが行き過ぎて、しまいには人格者になってしまう可能性がある。

第二次成長期に生えてくる産毛のような陰毛のような「思いやり」が芽生えれば、そのバンドの思いやりは音に乗って聴衆に確実に伝わるに違いない。そこに感動が生まれる。そして思いやりも感動も国境を越え、全世界に広がる。このようにして、節電は日本の音楽レベルの底上げをし日本の音楽に貢献するのである。さあ!みんなで唱えよう!「電気を消して、生でお願い!」と。「アア~ン、そのプラグ、抜かないで~、節電はイヤ~ン」。今日の昇天はこの辺で。

ムッシュ・ヒデアキさんへ 

ムッシュ・ヒデアキさん、拍手コメント有難うございます。拍手コメントへの返信方法が分からなかったので、ここに書いてしまった次第です。私も出勤する駅までの経路は、その日の時間によって変えています。そしてあのモノレールの下の大通りは決して歩いてはいけない道であることも悟りました。「〇時頃、歩いているのを見た」と、引っ越してわずか三ヶ月しかたっていないのに、既に5人くらいの人に言われております。

「昼ごろ歩いてちゃあ、いけないのか?」、「オメエ等は、ゲシュタポか?KGBか?」と、その時々に強い憤りを感じました。「近所の目」とは、人権をも踏みにじるなんとも恐ろしいものだと痛感した私です。「オレに就業の定時は無い、国境を越えて仕事してんだ!」と心の中で言い返してはいますが、中国がメインなので時差わずか一時間。抗弁としては成り立ちません。こうなったら、昼夜も季節も真逆の日本の裏側・ブラジルとの仕事を探すしかありません。

先々月の3月頃にはご近所の方々から、「Tシャツ一枚で寒くないの?」とか、「夜いつも、部屋の電気が点いてないから、よく東京に泊まるの?」とか、「深夜12時頃、自転車で帰ってきたでしょう」とか、「自宅から離れた駐車場を借りてるでしょう」とか、これを「かまびすしい」と言わずしてなんと言いましょう。今、このように被害者であっても、将来的には加害者にも成り得るとの「十数年後、我々もジジババと同じ立場になる」とは、なんと的確なご指摘でしょうか。

10数年後、「近所に変なプレッシャーを与えない存在」になる為、お互いに切磋琢磨して頑張るしかありません。あっ、それと、今後、折角のコメントはこの右下の「コメント」部分をクリックしてお書き下さい。今回、ブログネタに困っておりましたので、コメントをネタにさせていただきました。有難うございました。10数年後、このブログに「見ても見ないフリする近所の目」というタイトルで、温かく若者を見つめる爺さんの気持ちを書き綴りたいと思います。

近所の目 

今年になり実家へ引っ越して一番気になるもの。それはなんといっても「近所の目」。晴れた日の午前中はそこらじゅうに目は拡散している。私の出社時間はたいてい8時から9時。私としては、この一時間の誤差など定刻の内。客と朝一の打ち合わせがあれば、それこそ世間並みに早く出かける時もある。この不特定な時間をご近所の目はかなり気にしているらしい。目達は私の両親と同世代。60歳代後半から70歳代のジジ・ババだ。この話は実家近所にある居酒屋で飲み友達になった、ご近所の民生委員の人から聞いた。近所中、「あそこん家の息子は、一体何をやっているのか?」と、噂になっていることを。

そうじゃないかと思っていた。だから、引っ越してきた日からご近所への挨拶はきちんとしてきた。当初、にこやかにサツアイ切っても背中をむけたままで無視するババ二人に憤ったりもしたが、その後、二人は難聴であることが分かった。気付けば近付きデカイ声でサツアイ切るようにした。一人のおばさんは、私の大きい声に驚きジョーロを落としたこともあった。「挨拶もせず逃げていった」と噂されるよりはマシ。夜中、帰宅途中にご近所の車のルームライトが点灯していたので、バッテリーが上がってはいけないと思い、ジジババはきっと寝ているであろう真っ暗な一軒家のピンポンを鳴らし、教えたこともある。

どうせ噂するんだったら、朝の出社時間ではなく、ものすごくレンジがワイドな帰宅時間を噂して欲しい。夕方だったり、午前様だったり、はたまた帰って来なかったりと。しかしながら、ヤツラ目達は深夜は確実に寝てる。ゆえに帰宅時間が噂になることはない。早朝午前5時くらいに帰宅すれば確実に噂になる。近所の目は既に起きている時間だ。民生委員の方も、目達から私のことを聞かれれば東京で自営しているので時間は自由であると言ってくれている。ジジババに一旦、色眼鏡で見られるとそれを修正するにはかなりの労力を必要とする。ご近所の民生委員の方と飲み友達になったおかげで、どうにか体裁を保っている私だ。

蕎麦アレルギー? 

連休明けの先週は、東日本大震災の影響もあり予想通り、仕事の立ち上がりが悪かった。例年、黄金週間明けは暇になるのだが、今年はチョー暇。先週一週間だけは連日、両親の病院への付き添いが午前中、それが済んだら東京へ仕事に行くような生活。事務所がある人形町界隈の昼メシもついには食い飽き、何を食おうかと考えるのもかったるい。結果、連日、駅の立ち食い蕎麦を食った。千葉駅構内の東口改札にある立ち食いと、錦糸町駅構内の快速のホームにある立ち食い蕎麦屋は味が同じ。きっと同系列。この2店は「ザ・駅蕎麦」って感じで、小諸蕎麦とは違った意味で旨い。

連日、昼食はこの2店舗の内のどちらかの駅蕎麦を食べた。その為であろう、昨日、指を良く見ると、手の甲と指に水泡のようなものが出来ていた。「そうだ!オレは蕎麦アレルギーだったんだ!」と気付いてみたが後の祭り。と言っても病院で診断された訳ではない。結婚後、自分で気付いた。結婚前、仕事は忙しく、朝昼晩と三食立ち食い蕎麦。同じような症状が手に現れた。当時、メシを食う時間も無いほど忙しかったので、立ち食い以外の選択肢は無かった。そこで症状が改善されるまで「立ち食いうどん」を同じ店で食べ続けた。それを2週間ほど続けると、手の荒れはなくなり綺麗になる。

このように自分を人体実験にかけて分かったことは、1週間に2回位の蕎麦であるなら、手に症状は出ない。それ以上であると症状が出る。適量を越えるとこの症状が出ることが分かってきた。アレルギーであることが分からなかった時、職場近くの皮膚科へ行ったことがある。水泡が手に出来るので、手に水虫が出来たと思ったからだ。女医さんは私の手の皮膚を削り顕微鏡で見ながら、水虫ではないと診断してくれたが、はっきりとした原因を言うことはなかった。25年前の医療はそんなにも遅れていたのかと驚くしかない。

と言いながら、アレルギー検査をしたわけでもないので、アレルギーと断定することも出来ない。両親を病院へ連れて行くついでに自分も検査しようとよく思う。待ち時間は一時間であったり、それ以上であったりすることもままある。しかし、診察の際、両親共に私が同席しなければならないので一人で動き回ることもかなわない。今週は蕎麦抜き生活をし、来週は検査へ行こう。たかが蕎麦アレルギーと思う無かれ。死に至る場合もあるそうだ。そういえば独身時代の蕎麦漬けの時、自律神経失調症に2回もなったことがある。

蕎麦が原因かもしれないし、蕎麦しか食わなかったので栄養バランスが悪かったせいかもしれない。自分の仮説ばかりではいけない。現代医療の判断に任せてみることがきっと肝要なのであろう。

とっても気になる『流行り言葉』 

会話中、これらのフレーズを頻繁に使われるとうんざりするものが3つある。最も嫌なフレーズは「ヘンな話」、次は「温度差」、そして「立ち位置」。かつて、これらを意識せず会話の中に何度も織り交ぜ使う輩がいっぱいいた。最近はめっきり減った。仕事の会話で枕詞のように「ヘンな話さあ~」と言われると、「ヘンな話なら言うんじゃネエ!」と心の中で叫んでいた私だ。「温度差」「立ち位置」と聞くと、「オレとオメーの温度差は余りにもありすぎるのでこの仕事はさっさとやめようぜ!」とか「オメーはその位置に立ってないで、座っていやがれ~」などと反抗もした。

景気がいい時、このような流行り言葉が出現するのでは?と考えた。何故そうなのか?と立証する手立てが私には全くない。次なる耳障りな流行り言葉の出現は一体いつになるのだろう?幸か不幸か、きっと当分無いのであろう。
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