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早引き 

テレビのニュースをあまり見ないせいか、今回の台風15号を少しなめていた。とりあえず20日・21日の2日間はスクーター通勤を諦め久々に電車通勤。約2か月ぶり。台風直撃の前日、学校や会社も休みになるであろうとの話もちらほらと耳に入ってきたが、翌日はサンプルが中国から到着し客に提出する日であった。パーツ変更の確認だけではあったが、そのパーツで生産は既に進行している。事前確認ではないので私も客も不安。台風直撃よりも不安であった。

DHLは当日午後2時に到着。サンプルを見てほっとした私。とても良く出来ていた。私の判断だけですぐ中国に承認の連絡。それから客に電話をし2時半に約束。雨も風も思ったより弱かったので、普段なら地下鉄か自転車で行くことのできる近場の客であったが歩いて行くことにした。歩きながら周りを見渡せば、普段は活気のある街にシャッターが下りゴーストタウン、人もまばら。「本日休業」の看板も見える。「台風ごときで休業にするとは軟弱な会社だ!」。

と、人も台風も馬鹿にして心に備えのない私。客からは無事承認を得た。帰り際、窓の外を見ながら客が言った。「今日、私はこれで帰ります」と。「帰宅難民にはなりたくないですから」とも。あと1時間で台風が東京に近づくとのこと。事務所のパソコン電源は入ったまま。が、私はようやくここから直帰しようと決心。運良く客は総武線快速駅の近く。すぐに近くの駅へ行き、千葉行きの快速に乗った。この時間なのに満員。雨脚も徐々に強くなってきた。

千葉駅で降り、10分後に到着する成田空港行の快速を横殴りの雨の中待った。するとアナウンスが聞こえた。「今の時間から総武線快速は全線運転を中止します」と。聞くや否やすぐにモノレールの駅へ。これがダメならバス。ここまで帰って来れば交通手段の選択肢は多い。満員のモノレールで自宅近くの駅まで行き、雨脚の弱まるのを待った。10分後、自宅へは帰らず飲食の心配のないパブ喫茶「巣鴨以上池袋未満」へ向かった。時間は午後4時半。

台風の猛威の中、ここでコーヒーを飲み、引っ越して約8ヶ月も経つのに片付けも儘ならない私が最近買った『人生がときめく片づけの魔法』という本でも読みながら、仕事を早引きしてくる賢明な奴ら、もしくはいつでも勝手に早引きが出来る暇な社長・自営業者連中を待つことにした。コーヒーのつもりが、同じ色の黒ホッピーから飲み始めた私。予想通り、程なく皆集合。内容の無い熱い談義は9時まで続いた。会計し外へ出れば台風一過。早引きして良かった!
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佐倉市にある国立歴史民俗博物館 

私の家から成田へ向かう国道51号線を通る度、毎回、目に入る看板は2つ。「DIC川村美術館」と「歴博」である。先日、この「歴博=国立歴史民俗博物館」を初めて訪ねた。昭和58年に開館とあったので私の幼少期には無い。当時は「千葉市立郷土博物館=千葉城」と「千葉市立加曾利貝塚博物館」があっただけ。両博物館共に課外授業で何度も訪ねた記憶があるが、前者の展示物の記憶は全くなく、後者は人骨が怖かったのと竪穴式住居へ入った記憶しかない。

子供ゆえ歴史に興味が湧かず身に付かなかった。両博物館へは大人である今、もう一度訪ねなくてはならない。これらの博物館のスケールで「歴博」をイメージしていたのだが、訪ねてみるとイメージとは全く違った。歴博は大江戸博物館並みに建物が大きかった。敷地も佐倉城址公園に隣接した小高い山の上にあるので更に大きい。大江戸博物館は都立だが歴博は国立。やはり規模が違う。展示室も大きく6つに分かれ、真剣に見学するとなれば一日では到底無理。

午後二時頃に到着。駐車場は無料。入館料420円を払うと、係員の方から第三展示室(近世=江戸時代)で間もなくレクチャーが始まるとの案内を受け急ぎ参加。大きな『江戸図屏風』の説明から始まった。三代将軍徳川家光の権勢が描かれ、小学6年の社会科の教科書にも載っている有名な屏風である。江戸城天守閣があるので明暦の大火(1657年)前の江戸の様子で、将軍家光が随所に散りばめられ描かれている。まるで『ウォーリーを探せ』の如く。

展示の屏風には複製とあったが、実物も歴博所蔵。第一級の史料を持っているとは、さすが国立歴史民俗博物館!屏風の江戸上空には金の雲がかかっており、実物はもっと立体的な膨らんだ雲。屏風絵の中を金の雲で仕切ることにより、時間・位置・サイズをワープさせる手法とのこと。そして話の核心である「江戸橋広小路の模型」へ。この解説が面白く時間が経つのも忘れるくらいであった。現在の日本橋周辺を当時の町並みのミニチュア模型を中心にしての講義。

江戸橋界隈のミニチュア模型の回りには、通路を挟み資料の実物や複製資料、当時の衣服や出土した陶器が展示され、それらをミニチュア模型に結び付けての解説。当時の人々の生活がとてもリアルに感じられた。解説された方はミニチュア模型作りにもこだわり、「物乞い」や船着き場で工事する人形もあえて作ったそうだ。人形の前に作った「牛」だけは縮尺を間違え象並みになり、仕方なく人形から離れた広小路の中の檻にすべて閉じ込めたとのこと。一同爆笑。

金の雲の手法を踏まえ檻で囲ったあたりはさすが国立博物館の歴史家だ。三井家、越後屋の出世や暖簾分けの話も興味深かった。そして講義は終了。私は古代史が展示されている第一展示場へ向かった。高校日本史の教科書に写真入りで載っている稲荷山鉄剣の模型と解説のビデオも時間を忘れ鑑賞した。5時閉館なので残すところ2時間弱。時間がない。歴博は家から近い場所にあるのだし次の機会もあると、すべての展示場を一通り早足で回ることにした。丸一日で歴博制覇はきっと辛い。午後だけなら三日は必要。歩くのは疲れるが、とても楽しく歴史が学べる。「よ~し、頑張ってまた歴博へ行こう!」と思った。

食べ走り 

ラーメンは週に3~4回食べる。よっぽどラーメン好きなのかと思いきや、最近そうでもないことが分かってきた。昨年までは二郎系、一昨年までは大勝軒系のつけ麺。ネットでRDB(ラーメン・データベース)をチェックし、都内の客先訪問前後には必ず近くの人気ラーメン店へ行った。各エリアでの人気ランキングはおおよそ半年でかなり変わる。それに気付いて食べに行くのだが最近あまり感動がない。二郎系、大勝軒系、横浜家系の3つの流れの店がほとんどである。

これらは濃い系のスープで若者に人気がある。私もつい昨年までまだ若いと思い込んでいたが、50歳の峠を越え坂を転がっている内にサッパリ系のスープに好みが傾いてきた。千葉から東京までスクーターで通勤するようになり、ラーメン食べ走りのエリアは更に広がった。流行のラーメンでは千葉市内は東京より約3年遅れている。反面、松戸や柏は都内と同等もしくはそれ以上で麺とスープが進化している。松戸には日本全域でのランキング1位「とみ田」もある。

千葉県内の特徴的なラーメンとしては、乾麺を茹でた茹で汁をチャーシューの煮汁に入れてスープとする内房の「竹岡式ラーメン」、辛さの中に玉ねぎの甘みと挽肉の旨味混ざった外房の「勝浦坦々麺」、玉ねぎと肉・ニンニク・韮を炒めチャーシューの煮汁でスープにする長南町の「アリランラーメン」の3種。内房・外房のラーメンは漁師や海女さんが体を温めるために食べ始めたとのことで、以前より勝浦タンタンメンはサーファーにも好まれるようになった。

竹岡式ラーメンの有名店「梅乃屋」は海沿いの国道沿いにある木造の古びた佇まい。スタッフは漁師の奥さん風ですべて女性。自転車と車とで2回行ったが共に一時間は並んだ。「アリランラーメン」の古市商店は長南町の山内ダム入り口にある古民家。ゴルフ帰りによる人が多い。午後6時に閉店で日曜日のその三十分前に行ったら並ばずに済んだ。両店共に店の雰囲気がラーメンの味を引き立てているように感じられた。作り方に微妙な難しさはないと思う。

勝浦タンタンメンの名店で勝浦市松野の大多喜街道沿い郵便局裏の「はらだ」。土曜4時に行ったら売り切れ閉店。そこで少し勝浦へ戻り他店で食べたが特筆すべきラーメンではなかった。「はらだ」へは再挑戦しよう。千葉でランキング上位を食べ走り、その中でサッパリ系でおすすめなのは2店ある。JR新検見川駅近く、花園中学校の南にある公園の南に位置する中華料理「蓬莱軒」の新潟ラーメンと稲毛区千草台の千草台中学校横の商店街にある「進来軒」。

「蓬莱軒」は超あっさり系の黄金スープ。最初は塩分も薄くコクも感じられなかったが食べていくうち味の輪郭が浮き出てくる。このようなラーメンの麺の量は少ないのが普通だが、ここは細麺で1.5玉くらいはあった。また食べたくなり再訪もした。「進来軒」は先日初めて訪問した。東京浅草「来々軒」の唯一の系統の店とのこと。セットメニューにチャーハン・ラーメンセットが800円とあったのでそれを注文。ラーメンは生姜の香り漂う正統派の東京ラーメン。

そしてサブ・メニューのつもりのチャーハン。これが驚くべき美味さ。私のサッパリ系ラーメンでもっともお気に入りの神田神保町の2店、「伊峡」と「さぶちゃん」の半チャンラーメンの数倍美味い。学生の街ゆえ2つのセットで約250円の安さはあるが美味さには勝てない。厨房も効率良く機能的。皿やドンブリがきちんと並んでいる。夕方から出前も大忙し。再訪したい店が出来たことは私にとって有難い。今日は何を食べようか?と悩む必要が無くなるのだから。

結局、南極。南極2号。ラーメン専門店よりも中華料理屋を好んで訪問しているって感じかなあ。大人数であれば中華屋で大皿料理を何皿が注文し最後の〆でラーメン。これを小さい器でシェアする。このラーメンがまた美味い。「進来軒」にはかつ丼もある。地位に密着し大衆食堂も兼ねた中華料理店なのであろう。メンバー集めて大皿料理を食べに行きたい。そして目指すは〆のラーメン。満腹なのにツルッと腹に入っていくことであろう。ああ、腹が減ってきた。

物音だけの深夜ドラマ 

東京から千葉へ出戻り30年ぶりに両親と暮らし始めて早8ヶ月。父や母の寝室には鍵がかかるようになっているが、私の部屋は襖で鍵が無い。プライバシーも糞もない。私が戻る前、洗濯物の室内干し専用部屋であったり犬がベランダへ行く通路でもあった。とても苦しいのは部屋の位置。父と母の部屋の中間にある。これがとても辛い。両側の壁から夜中まで聞こえるテレビ。特に母は難聴なのでボリューミー。注意の為ノックしてもその音さえ聞こえず寝入っている。

私の部屋の襖の前には廊下をはさんでトイレがある。夜、幾度となく両側の部屋から各々方はそこへ出勤。家じゅう響き渡るドアをド~ンと閉める音で起こされる。木造で築35年、建付けが悪い。ドアを軽く閉めることは難しいが寝ている人への配慮は欲しい。一度のトイレで、家が揺れんばかりのドアを閉める大きな音は4回。第一回目は父母が自分の部屋を出る時。第二回目はトイレに入る時。第三回目はトイレを出る時。第四回目は部屋へ入る時。

この大きな耳障りな音4回を覚悟し奴らが2~3分で部屋へ戻れば私は安心し眠りにつける。しかし常にこうではない。ドアの音と音の間には、人体機能の老化で彼らにも予想がつかない様々なドラマが時として展開する。例えば父の場合はこうだ。第一回目のドアの音の後、ヨロヨロと歩く足音。トイレのドアの前で立ち止まり数分経過。そしてトイレに入るがドアは閉めず。トイレット・ペーパーを何度も出す音。何度も繰り返す水洗の音。トイレを出て廊下を歩く足音。

部屋へ入ると思いきや階段をヨロヨロと降りる足音。一階の廊下を歩く音。洗面所の引き戸を開ける音。数分経つと洗濯機が回転する音。それも深夜2時。「また、やっちまったのか?」と思う私。セリフが無く物音だけですべてを推測しなければならない父主演のドラマ。睡魔の中、私が描いたシナリオは果たして正しいのか?と一度、一階へ降り確認したことがあった。父は洗濯機の前、シャツだけ着て下半身はダシマルだ。やはり正しかった。その場を通り過ぎた。

台所で水を飲み戻ろうと父の横を通り過ぎようとしたら、「夜中に何だ!」と逆ギレ。「オメエこそ、こんな夜中に下半身ダシマルで何だ!」と心の中で思ったものの何も言わずに部屋へ戻った。母の場合、部屋を出てトイレに入りドアを開けっ放しで30分以上は頻繁。そんな場合、きっとトイレで寝込んでしまっているのであろうと推測する。トイレに滞在し続ける母が気になって寝れない時、襖を開け、トイレを覗き込むことはせず、母の部屋で寝ている犬を呼ぶ。すると犬は喜んで部屋から出てきてトイレの母のもとへまっしぐら。「よ~し、よ~し」と犬撫で声が聞こえ、そこで初めて母の生存を確認。とっても大変なドラマだ。

焼き牛丼 

この夏、日本橋人形町に「焼き牛丼屋」がオープンした。値段は煮込み牛丼チェーン各社のドンブリより若干高い。しかし、私にとっては画期的。独身になって、食うメシに困り、さ迷い歩き目に映るはそこらじゅうにある牛丼屋の看板。仕方なし入り食べる毎、食べ飽きていた自分に気付く有り様。また、夏バテ解消に幾度かは一人で焼き肉屋へも行った。一人で肉を焼き、その肉をキムチとニンニクと共にサンチュに包み食べる自分がとても切ない。なんとも惨め。

そのような状況の中、松屋の「カルビ焼き肉定食」を発見し、低単価で焼く手間の無さに満足していた時期もあった。が、これまた飽きた。そこに登場したのがこの「焼き牛丼」。人形町交差点にあるが、昼時は行列ができ午後3時ころまでは常に満席。やはり皆、既存の煮込み牛丼に飽きてきているのだな、と感じざるを得ない。肉や味付け・米の品質にバラツキがあり過ぎで、店舗数も多すぎ。BSEの時、豚丼のヒラヒラ肉には怒りを覚えた。極薄スキンじゃねえ!と。

この焼き牛丼屋チェーンは現在、都内・神奈川・埼玉の3県で11店舗。煮込み牛丼に飽きた消費者をすぐに取り込み日本各地に進出、かなりの店舗数になることであろう。11店舗中、8月オープンは2店舗、9月は3店舗と、飛ぶ鳥を落とす物凄い勢いである。店と屏風は広げると倒れるが、この焼き牛丼という商品は、煮込み牛丼店の20%程度のシェアを奪う事が可能であると考える。当然、既存の牛丼チェーン店の店舗は、客を奪われ退場せざるを得ない。

このチェーン店に驚き、大手牛丼チェーンは指をくわえ見ているだけではないであろう。経営陣の頭が硬直していなければ、来月にも煮込み牛丼店を焼き牛丼専門店に作り変え、このチェーン店の出店を阻止する動きをする筈。これにより通常の煮込み牛丼屋は美味くなるか無くなるかのどちらか。年末年始は一人寂しく地元バーチーで焼き牛丼を食べられる可能性も高い。銀行の貸し渋りは心配。焼き牛丼はマーケットをも活性化する画期的な商品になることであろう。

店の名は「東京チカラめし」。この一号店は今年の6月にオープン。金の蔵Jr.や東方見聞録などの居酒屋チェーンを経営する三光マーケティングフーズが経営元とのこと。

洗浄じゃねえや、船上の女(ひと) 

ヘロママは、千葉港から長崎へ向かう蒸気船の船底の薄暗い小部屋の中にいた。小さい豆電球の下、両足を抱え体育座りをし膝小僧を涙で濡らしていた。日本の総理よりも長い人生の中、最も今回の自分の選択を悔やんでいた。感情を押し殺す度、木造の船底を何度も叩き、右手は真っ赤に腫れ上がった。そして唐突に右手を右耳にかざし言った。「こんなになっちゃった!」。マギー審司を真似たが今日はしっくりいかない。そのようなキャラでない自分にも気付いた。

性転換という選択。経験のない者には分かる筈もない。ヘロ美がヘロ君になるような恐ろしい選択だ。術後、作業着と黒いオーストリッチのセカンドバッグも買わなければならない。50%の確率で手術が成功し、まじめなヘロ君になったとしても副作用でP惑星通いが始まる可能性も高い。ヘロ君になれない場合はゴンちゃんになる。その確率25%。バッグは無駄にならないが蛙と同色の緑色の作業ズボンが必要になる。それらをすべて知った上での選択であった筈。

ヘロママは出航前日、S惑星から一里はなれた中倉宿場末の民芸居酒屋「酒楽」に、東インド艦隊司令官ペルリと共に現れ安酒をしこたま飲みクダを巻いた。女将のお寿々と女中のお亜弥にも事ある毎毒突いた。その時の彼女には捨てきれない女、だから女性は敵。彼女は餞別に貰った清国のマツタケを焼けと、蘇我宿出身の牛追田の耕爺に命令口調で言った。爺はその時のことを後日こう詠んだ。「マツタケの香り漂い上機嫌たった一本で夜も眠れず」。

彼女は軽く炙ったマツタケを指で摘み目の位置にかざした。そして少し香りを楽しんだ後、このようなものが自分の股間に付くのが怖くなった。その怖さを隠すように更にメートルを上げて飲んだ。地元で女は今日が最後。そう思った彼女は店を出てペルリと共にオナニー街道沿い、金光院近くの木賃宿「ホテル・Royal」へ向かった。(←なんだ!日本人の男じゃないの?) マグロ状態の彼女はペルリにペルリっとなめられ、大きなナスがママであった。(←深い~)

手術代金は既に支払い済み。彼女は交通費を除き全財産を失った。無一文になったが、実は手術後、約三分の一の費用が戻ることを今の彼女は知らない。男になる手術費用で大きな比率を占めるのは、股間に大きな茄子ハイランドパークを設置する費用が三分の二、胸を削り平らにする費用が三分の一。この後者の費用が全くかからなかった。不幸中の幸いといえよう。JFE系(ジャパン・〇ェラチオ・エンジニアリング)に勤めるリョウさんより胸はペタンコだった。

蒸気船はすでに伊豆半島沖を航行していた。空腹に耐え切れず、継ぎはぎだらけの着物を脱ぎ捨て全裸で船上に出た。そして、甲板に飛び込んだ飛び魚をつかみ取りし貪り食べた。船員は全裸のヘロママが女性であることには気付かなかった。(手術費が安くなるはずだ) ペルリだけは当然知っていた。彼女は腹を満たした後、睡魔に襲われながらもS惑星に思いを馳せた。「Aちゃん、Kちゃん、頑張れ!」と。そんな熱い思いは彼女達に果たして届くのであろうか?

ヘロママが千葉港から出航する前の草木も眠る丑三つ時、S惑星のAちゃんから私へ鍵付きのコメントが来た。内容は以下だ。「昨日はたくさんイジってくれて有難う!今日から邪魔者がいなくなってああ~スッキリって感じ。ヘロママには長崎にS惑星2号店、モロッコに3号店をオープンさせ二度と帰ってくるなって言っておいたから。だから今後、皆に気安くAちゃんなんて呼ばせない!『ママとお言い、ママと』」 この強気で豹変したAちゃんのコメントを読み、私はとても心を痛めた。S惑星には月曜日・水曜日のKちゃんの日に出かけようと強く思った。



S惑星 ヘロ・ママへ 

私はS惑星に行き時々悩む。S惑星のキャッチ・フレーズは「Sing & Swing」。いや「Swing & Sing」だったかもしれない。直訳すれば「歌って揺れよう」。「Swing」は吊るされた物が横に揺れるといった動詞。更に踏み込んで「&」の用法を「bread & butter」のように「with」に近い感覚で使えば「ノリノリで歌おう!」、もしくは「歌って盛り上がろう」とも訳せる。しかしながら、S惑星のBGMは常にモダンジャズ。きっと別の意味があるのでは?と悩む。

私として一番しっくり来るのは、「ジャズも聞けるし、歌も歌える」といった感じかなあ。このようなストレートな感覚でこのフレーズは創られたのかもしれない。「Swing=スイング」を3回繰り返すと、どこより安い二木ゴルフになってしまう。一回だけで良かった。ヘロ・ママは今週7日に千葉を発ち長崎へ向かう。長崎に到着後、『思案橋』で長崎ちゃんぽんを食べ、出島へ行き帆船でモロッコへと出航する。念願であったS惑星の「マスター」を探す旅に出る。

モロッコと言えばカルーセル麻紀で有名。アフリカ北西部に位置し、東の隣国はアルジェリアなのにカルーセル麻紀はナイジェリアになった。北は地中海の入り口ジブラルタル海峡、南にはタコ漁で有名なモーリタニアがある。この地でママ業に疲れたヘロ・ママはマスター探しを始める。現地エージェントを通じて人材を探すが、適任者が見つからない場合に備え、ママ自身も性転換手術を受ける。私も餞別として、木箱入りの中国製高級マツタケをママに送った。

ママはS惑星の代表者ゆえ手ブラで日本には戻れない。手術が巧く運べば股間はブラブラ、胸はノーブラだ。人材スカウトまでもが成功するとマスターが二人になる大きなリスクがある。家計を苦しめる象の子沢山のように惑星経営を苦しめるマスター二人。その場合も考えシュミーレーションには抜かりがない私。そう、男になってしまった新マスター(元ヘロ・ママ)は、オカマになればいい。服も今までの服が着れエコロジー。両刀使いは効率的な経営を支える。

さすればモロッコ人のマスターの存在感は引き立つであろう。または、ヘロ・マスターがもう一度モロッコへ行き性転換手術を受け女に戻るという方法もある。だったら最初から性転換手術など受けずにオナベになれば良かったのでは?といった意見も各方面から聞こえてくる。

以上の話を持ちまして私の送る言葉とさせていただきます。ヘロ・ママ!遠方での入院はご家族もあり色々大変でしょうが早く退院し戻って元気なアソコ、じゃねえや、顔を見せて下さいね。戻ったら男同士、「みどりの湯」へ行ってアカスリごっこでもしましょう。マスターになった場合、エロ話も必要なので私がエロ話の秘伝の調味料「さしすせそ」をこっそりと教えてあげます。では、歌っていただきましょう!曲は『木綿のハンカチーフ』。♪恋人よ~ボクは朝立つ 訳もなく朝のベッドで(以下省略) それでは、名残惜しいですが行ってらっしゃ~い。

酒楽コントロールセンターからS・M・P惑星へ発進 

中倉台のナンバー・ワン居酒屋『酒楽』の常連で房総族元総長のヘロ君(38歳)は隣町チェリー・ツリー霊園の近くに住んでいる。とても謙虚な男だ。昔のヤンチャな面影は全く無い。が、彼のお父さんは未だにヤンチャで万城台の多くの惑星で「出禁」をくらっている。先月末から酒楽で会う度、「昨日、P惑星行ったんでしょ?」との私の質問に、「行くわけないじゃあないですか!」と口を尖らせて反抗していた彼であったが、昨日私の尋問に耐え切れずついに口を割った。

「実は8月29日から4日連続、9月1日まで通っていました」と。そして聞いてもいないのに「9月2日はコスプレ・デーだったのに行けなくて残念でした」とも。なんでも、この惑星のテーブルの足は鏡面仕上げになっていて、ボディコン・ピリピン星人達のツーパンがミエマルとのこと。惑星探査は70分4,000円で指名生体調査料は2,000円。彼はボックスの席に着くや否やテーブルの足の鏡面部分を急いで磨く。そして乱れたカツラを深めにかぶり直し、指名したP星人を待つ。

まじめな男と思っていたが期待は嬉しくも裏切られた。ヘロ君の「は行変態三段活用」はコレ!ヒロ君→ヘロ君→エロ君。私は謙虚にもその中間を取ってヘロ君としたが、今後はエロ君と書かれても仕方あるまい。参考までにS惑星のママは、ヒロママ→ヘロママ→エロママと、これまた変化する言葉がなんとも心地良いリズムを刻む。これ以上書くとS惑星東警察から15万8千円の罰金を徴収されるので止めよう。そのS惑星は先週末金曜、満席であった。

おホモ達のメイメイさんと歌を録音しようと勇んで出かけた。S惑星に入るとカウンターは満席。その後、ボックスも満席。座る席が一席も無い状態。まるで網にかかった大漁のサンマのよう。身動きすら出来ない。すぐにメイメイさんは具合が悪いと苦しそうな顔を見せ店を出た。それも私を置き去りにして。しかしこれは昨日仮病であったことが判明。なんと、メイメイさんは混んでいるS惑星からM惑星へ行きカラオケを満喫。給料日後は強気で嘘つきなメイメイさんだ。

彼はサンマの仮面を被ったシャークだった。15分経ち一人では何も出来ない心に傷を負った私は店を出た。彼の嘘に翻弄された私は両肩をすぼめて家へ向かった。寂しさで涙が止まらなかった。純粋で人を疑うことを知らぬ私だが帰る途中にM惑星はあるので前を通った。一瞬、もしやメイメイさんがいるのでは?とも思ったが、あの無駄に陽気で能天気な歌声は聞こえてこない。私が帰る時点ではエンジンはかかってなかったと昨日聞いた。その後エンジンは全開。彼は自分の娘と同年齢くらいの新人の娘と盛り上がったらしい。親しい友人をも欺き、とても節操の無い人であると漸く分かった私。人間不信に陥っている。

あっ、それと、先週土曜にS惑星のアイドルユニット「AKH45」のメンバーであるAちゃんが墓場へ、じゃなかった峠へ一年近付いたとの情報をバブリング・てっちゃんから聞いた。さすれば41+40+〇〇=136歳で、3で割ると45.3333……。収拾の付かない数字。じゃあ、四捨五入で前回通りの45としておこう。しかし、英文字のイニシャルは年齢順に並べたいのでKちゃんを前にして「KAH45」。略して「カー・フォティーファイブ」。この音の響きじゃあツマラないので、「KAH・KAH45=カカーよんじゅうご」とでもしておくか。母さんが沢山いるみたいで色気がないなあ~。そんじゃあ戻そう!「AKH45」へ。

S惑星 

M惑星のUちゃんばかりがこのブログでイジられ「何で私をイジってくれないの?」と、S惑星のイジられっ娘Aちゃんから直接の抗議を受けた私。S惑星はユニット・アイドル達が運営している。その名も「AKH45(エーケーエイチ・フォーティーファイブ)」。名付け親は秋元康ではなくこの私。三人の頭文字に40歳+40歳+〇〇歳=135歳、÷3で45歳と平均年齢を付けた。平均年齢を上げているのは誰なのか皆目見当が付かないが、皆人生の峠に近いことは確かだ。

峠に近い事を隠すように「AKB48」と比較し数字に関しては偶然だが3つ若くなった。だが、娘と母ほど年齢の開きはある。ユニット・リーダーのHさん(=通称ヘロ・ママ。私の先輩なので「ちゃん付け」はどうも……)は、野田新総理より1歳ほど先輩であると風の噂に聞いた。先週、このS惑星に新しいカラオケが入った。歌った曲を録音・再生が出来、更にはCDに録音して販売もできる。偶然であるが、メイメイさんと私はその機械が入った日から三日連続で通った。

先日は房総族元総長のヘロ君もレコーディングに照れながらも参加した。そうそう、ヘロ君は我々にはずーっと黙っていたのだが一人で新しい惑星を発見し探査までしていたのだった。S・M・L惑星の発見とL惑星を除く探査結果は学会ですでに公表済みで、日本人に近い宇宙人であることも分かっている。興味を持った我々はヘロ君からその惑星について聞き出した。先に聞き出したメイメイさんは「それじゃあ、F惑星だ!」と、鬼の首でも捕ったかのように言った。

とっても残念であったがメイメイさんはスペルを間違えた。私は嫌味にならないよう優しく間違いを指摘しつつも切り替えした。「P惑星です」と。メイメイさんは自分の失態と偏差値の低さを悔やんだ。そして泣いた。なんとその惑星には、フィリピン人に近い顔をした宇宙人がいるらしい。その惑星への距離は遥か何億光年も先であり、タクシーであると深夜料金で片道三千円弱もする。調査をするにはあまりにも交通費がかかりすぎる。だったら近場の惑星で十分である。

私のビジネス・バッグの中には常にS惑星のアラフォーAちゃんを誘い出すツールが入っている。私の場合、コンパクトでかさ張らない「ピンクレディー下敷き」。「お、おじさんのピンクレディー下敷き、欲しい?」と言うだけでAちゃんはイチコロ、「おじちゃん~、下敷きちょうだ~い!」と、どこまでもついて来るだろう。他のメンバー、Kちゃんはサザンがスキと分かってきたが攻略法が未だ掴めず。ヘロ・ママも然り。今後、更なる生体調査をし皆様にご報告しよう。
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