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頂上はまだ? 

今日は天気予報通りの雪。当然バス通勤。千葉市の自宅を出る時、雪は全く積もっていなかったが、湾岸道を走っているバスが浦安に入った辺りの車窓から見える戸建ての家々の屋根に真っ白な雪が積もっていた。バスが到着する東京駅近辺の歩道もかなりの積雪。東京は真っ白だけど、私の気持ちは寒くてお先真っ暗。今日は赤坂で打ち合わせ。雪が積もったあの坂を登るのか、とまたブルーになった。天気予報を確認すると午後4時過ぎには雪が止むらしい。

明日は曇りのち晴れで最高気温は15℃。今日が6℃だから前日差9℃。このギャップもなんだかなあ~。ま、いいか!段々暖かくなるのだから…。そして日も伸びてきた。5年前までは天気、気温、日照時間なんて全く関心が無かった。着ていく服も自分で用意することなど無かった。家内がすべて用意をしてくれたので。竜宮城で一緒に暮らしていた家内が亡くなり、仕方なく岸へ上がり玉手箱を開けるとお爺さんになってしまった私。時々そんな気分になる。

更にはオマケでお爺さんとお婆さん、犬二匹も付いてきた。老々介護に突入。近所のシッピングセンターで父母の弁当を買い、少し離れたマツキヨでペットフードも買い、トイレットペーパーも買い、オリンピックでは下着類も買いと。父は今週末退院し、来週からは念願の介護サービスが始まる。これも申請してから3ヵ月弱かかった。両親二人を同時に申請したので大変。母は既に介護ホームのデイケアに通っている。飯も自宅にいる時は介護弁当が配達される。

やっと山頂に辿り着けるのか?楽になるのかなあ~?それともまだまだ頂上は先なのか?ま、介護サービスが完全に始まってみなけりゃ分からないが、今の環境より両親も私も良くなってほしいと思う。放任主義というより子供に関心が無い両親の元、勝手気儘に育ってきたと思い込んでる私。なので両親への愛情が希薄。それがネックになっている。これが両親への献身的?な介護を妨げる。でも、子として人として介護する義務がある。そんな自分にたまに悩み、そしてたまに忘れる。忘れたり他で楽しんだりと足し算引き算を繰り返し、プラス部分を少しだけ多くする努力が必要か。まずは行動ありきだ。
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一生分書いた 

スイスとフランスの国境にまたがるレマン湖。そんな舶来の中途半端な名称ではなく、沖縄県那覇市には漫湖という湖があると沖縄県宜野湾市出身の後森から聞いた。とってもストライクな名称だ。湖というより湿地帯であり、かつては湖水の汚染で異臭を放っていたが、近年、公園も併設する名所となった。沖縄県民は女性のアソコの事をホーミーと言うのでこの名称を恥ずかしがる事はない。九州ではボボという。どちらも女性の陰部と男女の行為両方を意味する。

ゆえに沖縄県人は、日産車のミニバン「ホーミー」という名称に違和感を感じる。日産は事前の調査を怠った。マーケティングに失敗したといえよう。沖縄県民はこんな名称の車には決して乗らない。もし「漫湖」という車があったら関東人が乗らないのと同じ。それから松田聖子の「♪ホーミー私の~」はとてもじゃないが聞くに堪えない曲とのこと。ラッツアンドスターの「♪ホーミータイト ホーミータイト マイリトルガール」は、小さい女性はきついのか?と。

中国の江蘇省には「鎮江市(チンコウ)」という都市がある。南京市にも近い。両都市は揚子江沿いにあり鎮江の黒酢は有名。この鎮江の黒酢を温め砂糖を入れ溶かし粘り気が出たところに皮付きのピーナッツを入れ合える。味噌ピーのような食感でビールにも良く合う。上海では安い食堂に入ると必ずあるポピュラーな食べ物である。このレシピを教わり日本で作ってみようとイオンやイトーヨーカドーに行き「鎮江の黒酢」を探すのだが、高い国産の黒酢しか無い。

仕方なく店員をつかまえ「鎮江の黒酢ありますか?」と聞く。その度、「はぁ?」という怪訝そうな顔でみられる。ヘンタイと勘違いされるのだ。すかさず「中国産の黒酢なんですが!」と強く言い返す。その後、台場のデックスの中華街で発見した。風光明媚なレマン湖のような沖縄那覇市の漫湖。その湖にある日、神が降臨し沖縄の人々からは「御漫湖様」と呼ばれるようになった。その神様は関東出身であったので「御漫湖様」と呼ばれるのがとても嫌であった。

余りにもしつこく呼ぶ人間に嫌気がさし、ついに御漫湖様はお怒りになった。毛も生えてきた。赤飯も炊いた。その怒りを鎮めようと近隣の住人達は寄付を集い、立派な御漫湖様を祀る神殿を造った。そして毎年8月、そのお怒りを鎮めるお祭り「御漫湖様鎮降祭」が開催されるようになった。神輿や山車が町の路地から路地へと威勢よく移動する。掛け声の「御漫湖,鎮降,御漫湖,鎮降……」も勇ましくもイヤらしくも聞こえる。ああ~、書き飽きた。フーゴルで少し左腕が痛~い。特定の単語を一生分書いたので、今後二度と書くことはないであろう。

続けるぞ~フーゴル! 

昨日夜は約2時間、フーゴル練習。先週は、しんちゃん先生のお休みに便乗と風邪気味の為お休み。18年ぶりにフーゴルを再開し都合三回目の練習。2回目練習の先々週、もうゴルフも出来ない体に成り果ててしまったのかも?と不安を感じ、だったらゴルフなんて再開するんじゃなかった!とも悔やんだ私。腕のだるさは完全に無くなり3度目の正直と前向きに考え、待ち合わせの小倉台の居酒屋「酒楽」へ行き、一杯のグレープフルーツハイを飲み皆を待った。

しんちゃん先生は私用でお休み。キッシー長官へはメールで尋ねるとお仕事でダメ。じゃあ今日も休みかと思った矢先、後森が店に現れ「じゃあ練習行くよ!」と。店の車を拝借し、マスターのセットも拝借し、後森のみなぎるやる気に便乗してオナニー街道沿いのオカマゴルフへ向かった。少し暖かかったせいか練習場一階は満席。地元飲み友達?のJALの元機長やらにも一階で会ってしまい、人大杉でド下手なくせに始める前から緊張してしまった私。

振っても振っても真っ直ぐ飛ばないのなら、基礎練習にじっくり取り組もうとサンドとピッチングを約一時間半練習した。Gスポットじゃねえやスイートスポットに当てるチコツじゃねえやコツをつかもうと集中し黙々と練習を続けた。後森先生からは「肩の力を抜いて~」と適宜のアドバイスを貰いながら。「バックスイングはゆっくり~と」も多かった。次第に腕のリキミは無くなりいつもの痛みもない。「じゃあ、好きなアイアンで練習してみて!」と後森先生。

すかさず7番アイアンを取り練習を再開。腕・肩の力を抜き、ゆっくりとバックスイング、右脇を引き締めゆっくりとスイング。目はボールから離さず後は成り行き~のようなリズムが徐々に出来てきた。すると知らず知らずに腰が回っていることにも気付いた。同時に色々な事を考えられない私は、とにかく力を抜きゆっくりバックスイングで右脇を締めてまたスイング。これを繰り返している内に次第に球は真っ直ぐに飛ぶようになってきた。今日は何かが違う。

後森先生も「いいよ~」と事あるごとにほめてくれた。ほめられると伸びるタイプの私だ。打球の距離も徐々に伸びてくる。しんちゃん先生のまずアプローチから練習しなさいとのアドバイスを忠実に守り、その後、好きなアイアンで振ってみて~の後森先生。バックスイングの際、前回のようなヘッドのブレを感じることなく素直に振ることができた。滅多に人を褒めることが無いらしい後森先生の「腰がちゃんと回ってるよ!」という褒め言葉がとても嬉しかった。今朝、八重洲行き高速バスを待っている間、腰を回し昨日の余韻に浸っていた私。ゴルフは力じゃないね!マン振りしないでゆっくりスイングか。続けるぞ~、フーゴル。

なんとも不思議 

今日はスクーターで出勤。朝、湾岸道の温度計は12℃。とても暖かい。昨日は中学校時代の同級生である川○君が中学の教頭試験に合格したとの連絡があり、そのお祝いにと自宅近所の居酒屋「ゴルゴ」へ出かけた。同じクラスの○利君も小学校の教頭試験に合格したと聞いた。中学・高校の同級生には教員がとても多い。ギャラは安定しているが、話を聞く限り仕事はかなり大変そうである。我々の時代とは比較にならないほど突然ブチ切れする子が多いそうだ。

社会の最少単位である家庭でガキを甘やかす両親や祖父母。教育の根本はまず家庭にある。親は家庭内で子供に明確な役割を課し、責任を果たせるようアメと鞭を与えつつ育てる必要がある。それをやらせない親が多いのであろう。ここを等閑にし学校のような大きな社会へ出してしまう。クラス内で自分の役割を考えることもない。スポーツ活動もやらず、ゲーム等、肉体的・精神的な痛みを伴わないバーチャルな世界で気軽に達成感を得られることも問題だ。

「一人で気軽に達成感」が現在の偏ったガキ共の傾向なのでは?家庭や学校などの社会で自分の役割を責任を持って果たした経験がないので、人を思いやることも出来ない。だから本物の女と付き合うのも怖い。流行りのアイドルグループは彼らの為にある。本来、健全な教育や躾が子に施されている場合、子は友を思いやりある時はいい喧嘩をしてぶつかり合い、次第に本人の責任感や自律心、そしてその所属する社会も徐々に成長していくものである。

「学校教育の乱れ」の問題は、教員より多勢で無責任な親の隠れ蓑。問題の根本は「家庭内教育の乱れ」にある。無責任な親が育てた問題児の教育を学校に丸投げし、教員がそれらに時間を費やし悩むようではいけない。政治や行政問題として学校教育は一般受けする。メディアも教育問題として扱い易い。逆に家庭内教育に踏み込んだ場合、反感を買うことが多いのであろう。子供の暴行や殺人事件になると、メディアには学校名や校長名が先に出て悪者にされてしまう傾向がある。親の教育の責任は一体どこへ行ってしまうのか?なんとも不思議だ。

背後霊の独演会 

先週、先々週と風邪をこじらせた事もあり、昼間の時間帯は仕事・介護の手続き・病院といつになく濃く忙しかった。スーパー銭湯へは約10日間行けず仕舞いであったが昨日は久々に訪問。その後、長官からフーゴル練習の誘いを受けたが体調不良とお断りし、早い時間から小倉台の居酒屋「酒楽」で薬をお湯で割り体を温める療養に勤しんだ。私が陣取ったカウンター背後からは、いつ終わるとも知れない背後霊のつまらない話が途切れること無く聞こえてくる。

カウンターの常連客すべては、その話を聞くまいとテレビに集中する。なので彼が話し続けている間、カウンター客同志の会話は途絶える。我々は彼の被害者になるまいと必死。背後霊は背後にいるので我々の視界には入らない。彼がトイレに行くときだけは静寂が訪れ、皆の安堵のため息が店中にこだまする。我々には免疫もあり知恵もあった。だが事件は起こった。被害者は、先輩である山畑焼太郎さんに相談があってたまたま店に来たUちゃん(万沙子)であった。

先に来た彼女は彼が一人で陣取っていたボックス席、それも彼とテーブルを挟み彼のほぼ正面で話を聞くはめになった。その後山畑さんが来店。不幸にも彼の眼前にいた彼女は、彼の一方的な話の顔射を2時間も受け続けてしまったのだ。我々がテレビに集中していた間にも。そして遂に耐えきれなくなり椅子から転落してしまった。その後、私の耳元で怒りを抑えつつもこう言った。「私はこの人の話を聞きに来たんじゃない!山畑さんに相談があって来たのに~」と。

Uちゃんがすでに限界であることを悟った山畑さんはすぐ会計を済ませた。それに続き背後霊も。Uちゃん、山畑さんが帰った後、彼の会計が済むまでの間、誰も後ろを振り向こうとはしなかった。そして遂に彼は帰った。テレビに集中していたはずの私だが、彼の2時間に亘るつまらない話の内容は3点であると大まかに分析。「彼が禁煙をしているのか、していないのか全く分からない話」に約40分。「CSIの帽子の話」に長官も巻き込んで約40分。「セックスの相性の話」に前妻の具体例を挙げ40分。とても疲れた2時間であった。

東京スカイツリー 

昨日に続き今日の夜も雪が降るらしい。明日土曜の最高気温は4℃。今週末に気温は底をつき来週から10℃以上の日が続く。ようやく機動力を発揮できるスクーター通勤が出来る。バスも電車も楽は楽。新聞も本もじっくり読めるのが最大の利点。本や新聞が入っているゆえ私の鞄は重たくなる。情報も刺激にはなるが、外気に触れ流れゆく景色と共に、食事の為寄り道したり遠回りしたりできるスクーター通勤の刺激は格別。本能が揺さぶられるような刺激がある。

スクーターで東京に近付くにつれ徐々に大きく見えてくるのは「東京スカイツリー」。「これは一体何の象徴?」と運転中考えることがよくある。未だ結論は出ない。東京タワーならば「戦後の復興」や「経済成長」などと象徴となる事柄は明確であった。経済成長後、バブル崩壊で空白の20年。空白期と言われていたがGDPは世界2位。ならばその期間は成熟期であったともいえよう。すると今は?衰退期か。日銀のインフレターゲットに続き一時的であろう円安と株価。

そして消費税増税だけが独り歩き。商品の値段が消費税で上がることは値上げってこと。これって東京電力の電気代値上げの構造に良く似ている。足元の改革が無いままのやりたい放題ではないか。とにもかくにも無駄をどうにかしてほしい。ってことはもしや「東京スカイツリー」も無駄なのか?否、海外からの観光客を呼ぶ目玉になるであろうし周辺地域の経済も活性化することであろう。が、象徴といえるような大きな括りになる言葉を未だ見つけられない。

東京の安い空き地に無理矢理建設した感がある。東京のシンボルというには中心から少し外れている。と、マイナス面ばかりを探してしまう。今週は寒い上に2日間風邪をひき体調を崩した。休みたかったが仕事があり休めなかった。来週に備えドンチャン騒ぎし気分転換をしたい。コモーション、ジャンボリーと。エロネタを書けるようになれば調子は絶好調なのだが。昨日もトライしたがとてもお下品になってしまった。エロネタ探しの旅にでも出ようかなぁ~。

ファミレス「びっくりヤンキー」 

千葉は房総というだけに他県に比べ暴走族が多い。暴走族も含め不良少年・少女、チンピラ、ツッパリ等を総称してヤンキーと呼ぶ。このようにヤンキー人口が多いので、他のファミレスと差別化しヤンキー専用ファミレスのチェーン展開したらいいのでは?と小倉台の居酒屋「酒楽」のマスター・コーちゃんは昨日語った。というか、私は遠くの話しをうっすらと聞いていた。その店の名は「びっくりヤンキー」。落ち着いた食事が出来ない殺伐とした雰囲気が売り。

メニューの一番人気は「手ごねハンバーグ」。実は手ではなく、その付け根である脇の下でパンパンと成形している。挽肉の脂に脇の下から分泌するワキガが混ざりなんともスパイシー。このハンバーグには、時々脇毛が刺さっているラッキーな時もある。そそる食欲を抑え脇毛を食べる前に、店員を呼びクレームをつければもう一個サービス。または特製ドーナッツにかえることも出来る。ドーナッツは真ん中の穴のサイズがその日の担当によってかわる。

このドーナッツは男性しか作ることが出来ない。毛が刺さっているラッキーな時もある。そしてこの「びっくりヤンキー」らしさを一番感じるスペースはなんといってもドリンク・バー。○ンナーや○ルエンまであり、ラリ放題。オロナミンCの瓶に詰めテイクアウトも出来る。更に無味無臭の睡眠薬○ップジョンも使い放題で、ヤンキーニイチャンがこの錠剤を潰し水に混ぜれば、射止めたいヤンキーネエチャンは急に眠たくなる。やり放題のオマケつき。

店舗のロケーションは高速道路IC近く。右隣には「ドンキホーテ」、裏には族車のチューンナップショップ、左隣にはラブホ、そして道の前には千葉県警とパチンコ屋、パチンコ屋に隣接するサラ金のATM。更には精米機スタンド。消費意欲も高揚し、捻じ曲がった恋愛感情も高まり即果たせる。改造車や薬物の一斉摘発も容易で犯罪や事故を未然に防げる。なんとも理想的なファミリーレストラン「びっくりヤンキー」。一般市民も安心して暮らせる千葉になる。

露寇事件 

両親共に要介護1を取得することが出来た。その申請書や契約書、その他の書類も2人分月曜日に書き、昨日の朝、ケアマネージャーへ渡した。総務省の「経済センサス」も事業の詳細を記入し今日午前中約束の時間に渡すことが出来た。介護の書類はただ書き込むだけの作業であったが、とても面倒で腱鞘炎の手で書く文字は乱れに乱れた。ついでにネットバンキングの電子証明書の更新も先程、電話で説明を受けながらであったが無事済ませることが出来た。

昨年までネットバンキングの電子証明書の更新は一人ネット上で行っていたが、私はパソコン音痴、一時間以上も作業に要した。今日、直接電話し説明を受けながらネット上で更新できる事を知りさっそく電話。なんと5分で終了。他人が作ったものやルール、理論や理屈はどうにも自分の頭に入らない、というか頭が受け付けない。私の脳味噌はある部分硬くある部分はとても柔らかい。両親の介護が私の頭に貼りつき、柔らかい部分も更に硬直化してきている。

昨日は風邪をひき午後8時に帰宅。鼻水をかみながらNHKの『さかのぼり日本史』の録画を立て続けに見た。アメリカのペリーより先、ロシアのラックスマンが根室に1792年に通商を求め来日、その返事を聞くため12年後の1804年に幕府との約束の場所であった長崎にレザノフが来日。幕府はレザノフを半年待たせた挙句、鎖国政策のため通商は不可能という方便で追い返した。三代将軍家光の時代に鎖国はなく、方便として「鎖国」の文言がこの時に初めて使われた。

近年、鎖国は三代将軍家光が下したものではなく、制度としての「鎖国」は無かったとする見方が主流であるとのこと。これについて知っている人は多いと思うが、その先に驚いた。レザノフを追い返した2年後の1806年にレザノフは部下に命じて樺太を襲撃、翌年には択捉襲撃と「露寇事件」を起こした。間宮林蔵は1808年に樺太とその対岸を幕府の命により探査させられた。一連の襲撃事件を総称し「露寇事件」というのは初めて聞いた。教科書では太文字にすべきだ。

私が日本史を学んでいたころ間宮林蔵は単なる探検家であった。探検する理由を教わった記憶が全く無い。露寇事件を経て間宮林蔵の探検が日本の安全保障に結びつくものであるとも考えなかったし、伊能忠敬の地図も然り。当時の教員ががロシアをかばい悪者にしたくないという強い意思が働いている可能性が大きい。イデオロギーを持った大人が、本人にとり都合の悪い所は飛ばして生徒に教えるので、歴史の裏筋、否、本筋が見えなかったのであろう。

そのようなイデオロギーにまみれた子供時代を振り返ると、あれもか!これもか!ということを思い起こす。30歳代も後半になり気付いたことは小学校の卒業制作の壁絵。私の一年上の学年が小学校の体育館に残した。体育館の大きな壁面に数十枚のベニヤ板を貼り壮大なスケールで描かれていた。『保元の乱』の合戦絵図が。これは藤原氏兄弟の権力闘争が天皇家(崇徳上皇VS後白河天皇)の内紛に姿を代えたもの。何も知らない卒業する小学生の卒業制作にするとは…。なぜ日本をそこまで貶めるのであろうか?


ホイットニー・ヒューストン 

昨日、またまたお誘いを受け行ってきました、ゴルフ練習に。約2時間。しんちゃん先生のアドバイスで先週よりアイアンは少しだが真っ直ぐに飛ぶようになった。後半のドライバーは滅茶苦茶。練習後、先週と同じく右腕がパンパンになり痛くなった。今日は少しだけ痛い。今後も力むことなく真っ直ぐ飛ばすことに専念しよう。前日にグローブと靴は買うつもりあったが、両親担当のケアマネージャーが来る為、その前に慣れない家の掃除で時間を多く費やした私だ。

今日午前中、事務所のFMラジオからはホイットニー・ヒューストンの曲が鳴り続けた。昨日、48歳の若さで亡くなった。’80年代、世界の音楽シーンを席巻したシンセサイザーの名器『YAMAHA・EX7』の奏でるイントロがとても印象的な『Greatest Love Of All』。この曲はそもそも’77年にジョージ・ベンソンがモハメッド・アリの映画の為に歌った曲。そのカバーを彼女が歌い大ヒット。彼女の透き通った声とEX7のサウンドが見事にマッチした名曲だ。

高校時代、私はバンドでこの曲のベンソン・バージョンを歌っていた。まだホイットニーのカバーがヒットする前。卒業後、西ドイツの民泊先での最後の夜、お礼にとギター一本でこの曲を歌ったことがあった。そのお宅のお母さんはイギリス人。発音が定かでない私のヘタな英語の歌であるにもかかわらずとても感動してくれた。そして一言お母さんが放った言葉が心に残った。「二グロ・スピリット」と。私の歌でも黒人が作った歌であることが伝わったのだった。

それまで、この歌詞が黒人の心の描写とは全く気付かなかった。それをイギリス人のお母さんは教えてくれた。そのようなエピソードがある曲である。天才とは何故にこうも早世なのか。しかし、肉体は去りつつあるが人間の普遍的な在り方を彼女が歌にして残した功績は大きい。彼女のこの曲を知らぬ人は滅多にいないであろう。そして未来永劫に歌い継がれる。他に多くの名曲があるが、この曲は最も彼女らしい曲であると思っている。安らかに眠って欲しい。

引越し一周年 

今日、千葉の実家へ単身で戻り1年が経った。思い出深いお台場には約15年間住んだ。二ヶ月前に引越しを決め、実家にある家電や家具等と重複しないよう要らないものは新しくてもすべて粗大ごみとして捨てた。それでも引越し荷物の量は半端じゃなかった。トラック三台。一人で引越しの準備が出来なかったので、割高であったが引越し前日に梱包までセットになっているパックを選んだ。2日間にわたる引越し作業は私にとり苦痛以外の何物でもなかった。

引越し日が分かっているなら事前にコツコツと梱包し準備すればいいと思われる几帳面な方も多いだろうが、私はそのような性格ではない。とても大雑把な男。家事洗濯はすべて亡くなった家内に任せやったことなど無かった。たまに気が向いた時、掃除機をかけたり料理を作るくらい。整理することが苦手。だから結婚前、独身時代の住居で料理や飯を食うことも無かった。新聞や週刊誌は自宅には持ち込まず、常に何も無い簡素なホテルの部屋状態を心がけた。

そんな私が一人で二人分の引越しをしなければならなかったのだからさあ大変。家内は趣味が多くそれらの材料はとても嵩張る。収集癖もあった。20年前の私や家内の服も捨てずにそのまま。それらが入った衣装ケースが異常に多かった。引越し作業2日間の初日、段ボールを減らすため、部屋の奥から出てきた古い服だけでも捨てようと必死になった。もう記憶にもなく覚えてもいないような服があればビニール袋へ入れ、ダストシュートへ何度も足を運んだ。

捨てに行こうと台所近くを通りかかると、地味な茶色のダウンのコートが床に転がっている。それを拾い素早くビニール袋へ入れた。ここ台場から有明の焼却所へ繋がっているダストシュートに放り込んだ。少し経ち、引越し業者の女性梱包スタッフが「私のコートを知りませんか?」と。冷や汗が出た。すぐ2人で管理棟へ行き事情を話した。絶対に出てこないと言ったが、マンション地下のタンクに引っかかっている可能性もあるので見に行きましょうとのこと。

きっと気休めに言ってくれたのであろう。探しても無駄であった。これに1時間も要した。申し訳ないという気持ちもあり、弁償しようかとも思った。鬼のように服を捨てている私を見ているのだから、こんなところに脱ぎ捨てていたスタッフのほうが悪いと割り切った私。が、最後に梱包のリーダーにチップで一万円を渡した。未だ床の間、洋間、2階の自分の部屋、納戸と引越した時の儘、段ボールが開梱されずに置きっぱなし。今年こそは整理に着手しよう!
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