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なんとも不思議 

今日はスクーターで出勤。朝、湾岸道の温度計は12℃。とても暖かい。昨日は中学校時代の同級生である川○君が中学の教頭試験に合格したとの連絡があり、そのお祝いにと自宅近所の居酒屋「ゴルゴ」へ出かけた。同じクラスの○利君も小学校の教頭試験に合格したと聞いた。中学・高校の同級生には教員がとても多い。ギャラは安定しているが、話を聞く限り仕事はかなり大変そうである。我々の時代とは比較にならないほど突然ブチ切れする子が多いそうだ。

社会の最少単位である家庭でガキを甘やかす両親や祖父母。教育の根本はまず家庭にある。親は家庭内で子供に明確な役割を課し、責任を果たせるようアメと鞭を与えつつ育てる必要がある。それをやらせない親が多いのであろう。ここを等閑にし学校のような大きな社会へ出してしまう。クラス内で自分の役割を考えることもない。スポーツ活動もやらず、ゲーム等、肉体的・精神的な痛みを伴わないバーチャルな世界で気軽に達成感を得られることも問題だ。

「一人で気軽に達成感」が現在の偏ったガキ共の傾向なのでは?家庭や学校などの社会で自分の役割を責任を持って果たした経験がないので、人を思いやることも出来ない。だから本物の女と付き合うのも怖い。流行りのアイドルグループは彼らの為にある。本来、健全な教育や躾が子に施されている場合、子は友を思いやりある時はいい喧嘩をしてぶつかり合い、次第に本人の責任感や自律心、そしてその所属する社会も徐々に成長していくものである。

「学校教育の乱れ」の問題は、教員より多勢で無責任な親の隠れ蓑。問題の根本は「家庭内教育の乱れ」にある。無責任な親が育てた問題児の教育を学校に丸投げし、教員がそれらに時間を費やし悩むようではいけない。政治や行政問題として学校教育は一般受けする。メディアも教育問題として扱い易い。逆に家庭内教育に踏み込んだ場合、反感を買うことが多いのであろう。子供の暴行や殺人事件になると、メディアには学校名や校長名が先に出て悪者にされてしまう傾向がある。親の教育の責任は一体どこへ行ってしまうのか?なんとも不思議だ。
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コメント

内容の事じゃなくてスミマセン。
等閑(なおざり)と おざなり調べてみました。漢字は変換すればいくらでも出てくるけど、元の言葉は知らなきゃダメですもんねぇ。感心しちゃった!

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